中国でのいろいろ

中国での生活、出来事をぼちぼち綴っていければと思っています。

蘇州 木読古鎮 木読山塘街と虹飲山房

2022-06-30 00:06:31 | <蘇州>観光

木読は蘇州の南西にある鎮で、地下鉄1号線の西側の終点になります。

開発が進み都市化してきているとはいえ、まだまだ田舎の雰囲気が残っています。

 

 

木読古鎮に行くには、地下鉄1号線の木読駅からだとバスの乗り継ぎが必要ですが、

今は地下鉄5号線が開通し、霊岩山駅から霊岩山へも木読古鎮へもバスの乗り継ぎなしで行けるようになりました。

 

霊岩山の過去記事はこちら

蘇州 木読の霊岩山

 

 

山塘街と言えば有名なのは虎丘と石路の間にある七里山塘街。

七里山塘街には中国各地だけでなく海外からの旅行客もやってきますが、

木読山塘街に来るのは蘇州の人達の方が多いです。

 

 

でも歴史的には木読山塘街のほうがずっと古く、

木読古鎮の歴史は蘇州の歴史と同じく2500年以上あります。

 

 

木読と言えば中国古代4大美女のひとり西施ゆかりの地です。

呉の国王、夫差が溺愛した西施のための離宮でもある霊巌山禅寺を造る際に、

大量の木材をこの地に集めたことから木読と呼ばれるようになったとも言われています。

 

 

木読山塘街の中には西施にちなんだ西施橋という廊橋がかけられており、

この橋の上で古代民族衣装を着て写真を撮る女性達で賑わっています。

橋の周りには貸衣装屋さんや写真屋さんがたくさんあります。

 

 

また、清の乾隆皇帝は蘇州が大のお気に入りで在位中に北京から6回も訪れたそうです。

蘇州と北京、直線距離でも1000kmはありますので正に遠路はるばるといったところかと。

 

 

乾隆皇帝が木読に来ると必ず立ち寄ったのが虹飲山房です。

 

 

虹飲山房は、清代初期に木読の文学者、徐志元の私有庭園として造られました。

(虹飲山房の写真は昨年撮ったものです)

 

 

庭園には建物の数も多く御一行様が十分宿泊できそうな規模です。

 

 

何度も何度も乾隆皇帝が訪れるので、

地元の人々は、虹飲山房を皇帝の離宮と呼んでいたそうです。

 

 

皇帝に振舞われたとされるご馳走を再現した展示もあります。

 

 

庭園の中には大きな舞台が設けられています。

乾隆皇帝もここで劇を楽しんでいたのでしょうか。

この舞台での演劇がいつ行われているのは分かりませんが、楽器の演奏は1日に数回あるようです。

 

 

博物館のような場所もあって清代の歴代10皇帝の聖旨と呼ばれる絹に書かれた勅令などが展示されていたり、

科挙試験に纏わる展示もあります。

地方試験や宮中で行われた試験用紙やカンニングペーパーもあって面白いです。

 

 

木読は歴史のある場所で近年は観光客も増えてはいますが、

時間の短い団体旅行の場合、世界遺産の園林は巡っても木読までは来ないことも多く、

木読古鎮もどちらかといえば地元の人達で賑わっているような感じです。

また木読には省外から出稼ぎにきているような人達も多く暮らしているので、

同じ蘇州でもずいぶん違う雑多な雰囲気もあります。

 

※7/2 記事タイトルに間違いがありましたので修正しました

 

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