中国でのいろいろ

中国での生活、出来事をぼちぼち綴っていければと思っています。

蘇州 お散歩 北寺塔(北塔報恩寺)と桃花塢大街

2024-02-29 00:02:29 | <蘇州>生活

報恩寺は蘇州で最も古い仏教寺院です。

拙政園の庭園越しに見えている塔がお寺の中にある北寺塔です。

 

 

北寺塔が建立された時には11層だったとも言われています。

現存しているものは1~6層までが南宋時代、7~9層が明代に再建、修復されました。

 

 

高さは76mあります。

以前は塔の上まで上って蘇州市街を見渡すことができたのですが、

残念なことにいつも間にか上ることができなくなりました。

 

 

1階には入ることができます。

時計回りに回ってお参りするのが正しいらしいです。

 

 

報恩寺は無料で拝観できます。拝観時間は16時までです。

拙政園に行った時や、散歩の途中にふらっと立ち寄ることが多いです。

 

 

この辺りで散歩のついでといえば、許家門の酒醸餅。

酒醸餅は蘇州の小吃のひとつです。

北寺塔の向かい側、西北街にある許家門は人気店でいつも店の前に人だかりができています。

 

 

種類は、牛肉、豚肉、荠菜(なずな)などの総菜系と、小豆、胡麻、薄荷などの甘い物系があります。

お手頃価格で、一つ食べるだけで十分小腹を満たすことができます。

 

 

北寺塔(北塔報恩寺)の前の道は西北街、こちらを東に進むと、拙政園や蘇州博物館があります。

人民路を挟んだ西側は桃花塢大街になります。

 

 

古い石畳が残っている通りでそれなりに道幅もあります。

ちょっと昔の蘇州の雰囲気がまだ残っている通りです。

 

 

桃花塢大街を散歩するのは初めて。

蘇州は小さな都市ですが行ったことのない場所がまだまだあります。

 

 

桃花塢は北寺塔と同様に歴史がある場所です。

宋代から明清代にかけて、庭園などが造られました。

勉強不足でよく分かりませんが、文化財に指定されている邸宅や庭園らしい非公開の建物もあります。

 

 

最も有名なのが、桃花塢木版年画。年画とは、春節に門や室内に飾る版画です。

蘇州の木版年画は明代に始まったのだそうです。

 

 

年画など美術品の工房が集まっている場所があるような感じだったのですが、

桃花塢大街に面した入り口は工事中で中には入りませんでした。

 

 

石畳の道は抜け道にもなっているのしょうか、車の通行量は結構多いです。

途中から歩道は片側だけになり、路駐の車もあるのでよそ見ばかりして歩くとちょっと危ないかも。

周辺の再開発も行われているような感じで、工事中の場所も多いです。

 

 

桃花塢大街を西に進んで最初の信号がある交差点の道が前新街。ここで石畳の道は終わります。

右に曲がった先には唐寅祠があります。唐寅は明代の有名な文化人です。

 

 

唐寅祠は一般開放されていいて中に入ることもできるのですが、68元も取るのでパスです。。

蘇州のお年寄り達は入り口で入園料を聞いて誰も中に入りません。

(以前より値下げして68元らしいです)

 

 

今回の桃花塢大街のお散歩は、勉強不足で見どころもよく分からずに歩いただけになりました。

地図をよく見ると、芸術館や唐寅故居も近くにあるようですし、きっとどこかに年画の工房もあるはずです。

次は周辺の路地も歩いてみようと思います。

 

 

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蘇州 天池山の南天門

2024-02-22 00:02:22 | <蘇州>観光

これと言って行きたい場所がないのだけれど、ずっと家に籠っているのも。。

そんな時にふらっと出かける場所のひとつが天池山です。

 

 

だいたいいつも静かな場所です。

特に冬は人が少ないです。

 

 

今までこんな飾りつけをしているのを見たことがありませんでした。

春節の飾りつけ、というわけもなさそうです。たぶん。

 

 

冬の寒い日には、天池も凍ります。

さすがに大人が乗ると危ないですが、小さな子供なら割れないぐらいの厚さになることもあります。

 

 

天池山での行動パターンは、主に3つあります。

その1.天池を眺めてから寂鑑寺の麵だけ食べて帰る。

その2.南天門を一回りして、寂鑑寺の麺を食べて帰る、もしくはその逆。

その3.寂鑑寺の麺を食べてから、花山、白馬澗か白象湾までトレッキング。

 

 

その3のパターンは数えるほどしかありません。

ほぼ、その1でおしまい、たまにその2の南天門へという感じです。

 

 

3つの行動パターンにすべて含まれているのが、寂鑑寺の蘇州麵を食べること。

以前は、蘇州麺以外にお寺らしからぬメニューもいくつかあったのですが、

今は、一種類の麺だけになりました。

 

 

麺の方は、数年前から具材が小皿に乗って出てくるようになりましたが、

味は昔まま変わらず、優しい感じの醤油味スープです。

 

 

南天門は、天池側、寂鑑寺側どちらからでも入れます。(どちらの方向へも通り抜けできます)

天池側には、南天門と書かれた小さな門と案内図があります。

 

 

天池山のある蓮華峰は江南小黄山とも呼ばれているそうです。

もちろん、有名な方の蓮華峰は黄山にあります。

 

 

天池山は北斜面なので日当たりが悪く、雪が積もるとしばらくの間は残ったままになります。

特に南天門は日が当たる時間が短いのでしょう。

 

 

蓮華峰の北西側の斜面が天池山、南東側の斜面が花山と呼ばれています。

このあたりの山の多くは花崗岩でできた岩山です。

 

 

上から落ちてきたのだと思われる巨大な岩が重なって自然のトンネルができています。

小さなお子さんなら喜びそうな場所だと思うのですが、子供の姿を見かけたことはありません。

大人もちょっと童心に戻れるかもです。

 

 

南天門は寂鑑寺側から行く方が少し上りが多いかなというぐらいで、

天池側から行くのも道のりに大した差はありません。

 

 

天池から寂鑑寺までなら、写真を撮りながらゆっくり歩いても30分もかからないぐらいです。

途中に大きな岩が地面を覆っているところがあるので、雨や雪の日はちょっとだけ注意が必要です。

 

 

天池山には休閑カードという年パスを使って年に数回は行っています。

ずっと入園料のことは気にかけてなかったのですが、今は60元(花山と共通券?)もする。。

10年前の天池山の記事はこちら。

蘇州 天池山

 

 

天池山と寂鑑寺は10年前と比べてもほぼ変わっていません。

でも、周辺の環境はずいぶん変わりましたし、道も良くなりました。

以前の記事を見て思い出しましたが、昔の入園料は30元、入園料+お茶と麺のセットでも60元でした。

都市部での給与水準も物価もあの頃と比べると同じように倍になりました。

ありがたいことに、園林カードと休閑カードの値段だけはまだ上がっていません。

 

 

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蘇州 除夕の相門(倉街商業広場 相門古運河遊船)と春節の西園寺

2024-02-15 00:02:15 | <蘇州>生活

今年の春節は2月10日でした。現在、中国は春節の連休中です。

除夕(春節の大晦日)は相門へ散歩、春節は西園寺に初詣に出かけました。

 

 

相門に来るのはたぶん1年ぶりぐらいになる気がします。

地下鉄1号線の相門駅を出てすぐの通り、倉街に大きな商業施設がオープンしていました。

 

 

ここはもともと蘇州刑務所があった場所です。

刑務所を取り壊した後に、2019年ごろからずっと何か工事をしていました。

 

 

マンションでも建てるのかと思っていましたが、こんな大きな商業施設になっていたとは。

いつ開業したのかよく分かりませんが、昨年の後半ごろではないかと思います。

 

 

まだまだ空き店舗は多い状態で、ネットで調べてみると今年から増える計画のようです。

今のところトイレもすごくきれいな状態を保っています。

 

 

この場所は、景観保全のために高層ビルを建てることができません。

低層の建物とその地下に様々な店舗が入っています。

 

 

倉街商業広場には、はま寿司(濱寿司)がありました。

うれしいことに蘇州でも徐々に店舗を増やしているようです。

ついつい吸い寄せられてしまいます。

 

 

ちょっと贅沢して、一貫20元の生ズワイと同じく20元のゆでズワイも。

今の蘇州は昔と違って、手ごろな価格で日本メーカーの調味料が買えたり、

ファストフードが食べらるようになりました。

 

 

除夕の日中は1年で最も観光客が少ないかもしれません。

地方から出てきた方々はすでに田舎へ帰って、観光客が本格的に増えるのは春節以降です。

小さな飲食店のほとんどがお休みで、スーパーの閉店時間も早くなります。

 

 

相門の古運河游船はもともとあまり人気がありません。

こちらも除夕は15:00で営業終了です。

 

 

前に乗ったのが2019年なので、もう4年も前のことです。

過去記事はこちら

蘇州 相門埠頭の古運河游船

 

 

以前は、蛇門や南園橋まで行ってから折り返して戻ってきていたのですが、

今は、干将橋をくぐって蘇州大学のところでもう折り返し。。ゆっくり進んですぐに戻ってきます。

 

 

代わりに、新市橋の古運河游船と同じように、10分間ほど琵琶の演奏と歌(江南小調)を聞かせてくれます。

乗船時間は30分ほどでしょうか、ずいぶんと短くなりました。

乗客は以前と変わらず、とても少ないのでくつろげます。

 

 

春節は西園寺へ初詣に。

蘇州で暮らす人々の初詣の場所として、昔から春節に最も人出が多いお寺が西園寺です。

 

 

予想通りものすごい人。拝観料は値下がりしていて今年は20元でした。

お寺の中に入ると、線香を3本渡してくれます。

 

 

コロナ中は、お寺の麺は持ち帰りだけで食べることができませんでしたが、

今年はその場で頂くこともできます。

ただし、こちらもすごい行列なので諦めて、ご利益がある(らしい)池の亀の像を撫でて帰りました。

 

 

都市部では花火の打ち上げを厳しく規制していたのですが、今年の春節は少しゆるくなっています。

除夕の夜は、蘇州でもあちこちで、大きな音を立てて花火を打ち上げていました。

昔に比べるとまだ大人しい感じですが、久しぶりに春節感を味わえました。

大きな音で邪気を追い払う必要があるので、静かな花火では意味がありません。。

春節の日は、地元の人は初詣に出かけ、外からは団体旅行客が大勢やってくるのでどこに行っても大混雑です。

 

 

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蘇州 網師園の蝋梅

2024-02-08 00:02:08 | <蘇州>観光

今まで蝋梅を見るために網師園には行ったことがありませんでした。

雨が降るあいにくの天気の中、ちょこっとのぞきに行ってみました。

 

 

今年の蘇州の冬はここ数年と比べると寒い日が多かったように感じます。

でも、園林やお寺の蝋梅はいつもと同じように小さな花をつけています。

 

 

雨の日もなんとなく多い気もします。先週はずっと雨が降っていました。

窓越しの雨の景色を楽しむなら小さな園林の網師園がお勧めかもです。

 

 

網師園のように住居と庭園が同じに敷地にある構成の園林は珍しいそうです。

 

 

写真の撮り方が下手すぎてちゃんと伝えられないのですが、

窓を通して見る景色もなかなか風情があります。

 

 

冬の天気の悪い日の網師園は、観光客やSNS写真を撮りに来る人が少ないので、

好きな場所で好きなように写真を撮ったり、景色を眺めたりすることができます。

 

 

中国は今週末から春節の連休に入ります。

連休中はきっと大勢の人が世界遺産の園林にやってくるはずです。

 

 

この日は天気が悪いし寒いしと、連休前の嵐の前の静けさなのでしょうか、

いつもよりずいぶん人が少なかったです。

 

 

蝋梅は中国が原産で、日本に入ってきたのは江戸時代なのだそうです。

蘇州園林の多くにはきっと蝋梅の木があるはずです。

ただし植えられている本数はそんなに多くないと思います。(ちょっと自信がありません)

 

 

確か西園寺にはまとまって何本もあった気がします。

網師園もあるにはあるのですが少ないです。

 

 

昔は芸圃ぐらいしか見かけなかった気がするのですが、最近はどの園林に行っても猫がいます。

どの猫も我関せずの感じで、みんなにスマホを向けられても気にしません。

 

 

網師園に行くときは、いつも十全街か鳳凰街で何かしら食べてます。

今回は、中国で暮らし始めてから一度も行っておらず、15年ぶりぐらいになる鳳凰街の潤記へ。

店の中は昔とはもうすっかり変わっています。(と思います。もう以前の記憶がほぼないです)

昔から昼休憩なしの通しで営業していたのかも覚えていません。

 

 

鳳凰街にある広州料理の潤記、蘇州料理の協和菜館、十全街にある水餃子の洋洋などは、

初めて蘇州に来た時から同じ場所にずっとあります。

協和菜館は昔のままで、潤記と洋洋は改装してきれいになりました。

 

 

中国で食べるお粥でいうと白粥よりも広州料理によくある少し味付けしてあるお粥が好きです。

日本だとお粥のトッピングにピーナッツは考えられないかもですが、この組み合わせも結構いけます。

 

 

まだまだ寒いのにモクレンの蕾が膨らみ始めました。

今年の春節は、2月10日(土)~17日(土)の8連休です。

ただし、小さなお店や、工場、物流関係はもっと早くからもっと遅くまでお休みです。

大みそかの2月9日は、可能であれば会社として休みにするように通達されていますので、

休日にしたり、年休取得日として休みにする会社が多いと思います。

 

 

ただし、8連休を作るために、2月4日と2月18日は振替出勤日になっているので、

土日を除いて増えた休日は、実質3日間だけです。

他の連休もこうやって振替出勤で作られるので休みが多いわけではありません。

個人的にはこの振替出勤の習慣。。やめていただきたいです。

 

 

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福建省 漳州市南靖県 福建土楼 回螺坑土楼群と塔下村の俗昌楼

2024-02-01 00:02:01 | <福建省>

土楼王とも呼ばれる承啓楼のある永定の土楼群に行くか回螺坑土楼群を見るか、

悩んだ末に初志貫徹ということで、回螺坑土楼群を見に行くことに決めました。

 

 

厦門から出発する日帰りバスツアーの行先の多くは、

南靖の和貴楼、懐遠楼、雲水謡古鎮と、永定の土楼群がセットになっており、

回螺坑土楼群と塔下村に行くのは数えるほどしかありません。

 

 

回螺坑土楼群に行くためには、景区の入り口で専用周回バスに乗り換える必要があります。

バスの本数はあまり多くないのか、人が集まるまで動いてくれないのか、出発まで結構待ちました。

 

 

バスに乗って山道を30分ほど走ると展望台に着きます。

ここから見える回螺坑土楼群の景色は、土楼の紹介に必ず登場するほど有名です。

中央にある方形の土楼は歩雲楼、3つの円形の土楼が、和昌楼、振昌楼、瑞雲楼、楕円の土楼が文昌楼です。

料理皿が並んでいるように見えることから、四菜一湯(4つの料理と1つのスープ)と呼ばれています。

 

 

5つの土楼はすべて3階建てで住民の姓は全員”黄”さんです。

歩雲楼が清代の1796年に建てられた最初の土楼で、続いて和昌楼が建てられました。

歩雲楼は1936年に盗賊による火事で焼失し、1953年に再建されています。

振昌楼は1930年、瑞雲楼は1963年、文昌楼は1966年建築と比較的新しい土楼です。

 

 

塔下村も客家の集落で、裕昌楼は元代末期から明代初期の1368年に、

劉、羅、張、唐、範の5つの一族によって建築された現存する最も古い円形の土楼です。

 

 

5階建てで高さは約18m、直径が36mある大きな土楼です。

建築当初は、さらに高層の土楼を造ろうとしていたという説もあります。

 

 

もともと、内側にも祠を囲むように1階建ての円形の建物がありましたが、

おそらくもう修復できないほど劣化したのでしょう、今は取り壊されています。

 

 

5つの一族が暮らすために、5つの区画に分けられており夫々に階段が設けられています。

一般的に、土楼の中で家族は縦1列の部屋に住みます。

4階建ての土楼なら、1階から4階が割り当てられており、1階は炊事場、2階が倉庫、3階以上が住居となります。

今でもここで暮らしているのは劉姓の人だけだそうです。

 

 

土楼の井戸は共用なのが一般的ですが、裕昌楼の炊事場は半円部分に集められており、各々の炊事場に井戸があります。

ガイドは塔下村の人のようで、裕昌楼の中で親族が営んでいるお茶屋さんの井戸を覗かせてくれました。

(もちろん、親切だけではなく売り上げに協力する意味もあります)

 

 

1階部分の多くは、売店や土産物屋さんになっています。

上の階に上がることはできないようです。

懐遠楼とは違って、観光客で身動きが取れないようなことはありません。

 

 

1日に何回やってくれるのか分かりませんが、

観光客向けに人形を使った出し物を見ることができます。

 

 

裕昌楼は”東倒西歪”と呼ばれるように、支柱が真っすぐではなく最大で15度傾いており、

内側から建物を眺めると、支柱が左右でジグザグになっています。

設計ミスで建ててすぐに柱が傾き始めたとか。。だとすると傾いたまま600年以上倒れていないことになります。

上手く写真は撮れていませんが、何となく分かるかと。

 

 

もちろん塔下村には裕昌楼以外の土楼もあります。

裕昌楼の隣にある、もう人が住んでいない土楼にも連れて行ってもらえました。

今ではいくつかの部屋を物置として使っているそうです。

 

 

井戸もまだ使っているようです。洗った野菜やヘチマなどがおいてありました。

もう誰も手入れをしないのなら、このまま朽ち果てていくのでしょうか。

そういえば、以前、上海で借りた古いアパートが土楼と同じように、

下の階から上の階への縦一列に一家で住むと思われる構成になっていました。

だって階段の途中に風呂がありましたから。。縦一列に住むのは中国では珍しいことではないのかもです。

 

 

中国の田舎でも昔とは生活様式も変わり、日本と同じように若い人達が都会へ出て戻らなくなり、

一族が一緒に暮らすという習慣も少なくなって、土楼で暮らす人は減っています。

土楼によってはホテルとして再利用されているものもあります。

 

 

同じツアーバスに乗っていた人たちは、みなさん永定に向かいました。

おかげで、専属ガイドに連れられた個人ツアーのような感じで見学ができました。

土楼のガイドには外国人であることも伝えてあった(伝えてなくても分かりますけど)ので、

ゆっくり喋ってもらえました。

 

 

今回見学したのは、客家の人々が建て、暮らしている土楼ですが、

土楼は客家のものだけでなく、もともとこの地で暮らしていた人々の土楼もあり、

一般公開されているものや世界遺産に登録されているものはごく一部にすぎません。

機会があれば永定や他の地区の土楼も見に行ってみたいと思います。

 

回螺坑土楼群や俗昌楼と塔下村に向かう道自体は、しっかり舗装されているのですが、

ヘアピンカーブが連続しますし、運転も荒いので車酔いしやすい人は対策が必要です。

 

 

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