中国でのいろいろ

中国での生活、出来事をぼちぼち綴っていければと思っています。

安徽省 宣城市寧国市 お散歩 西津河、寧国駅など

2024-06-27 00:06:27 | <安徽省>

安徽省の寧国市は、宣城市に属する県級市です。

天目山や黄山山脈に接しており、山に囲まれた町です。

 

 

この日の宣城観光は水東老街のみ。

水東老街を散策した後は、宿を予約した寧国市に向かったのでした。

 

 

寧国も歴史のある場所です。

後漢代の208年には既に寧国県があったそうです。

 

 

初めて来た場所なのでホテルにチェックインした後に散歩に出かけてみました。

蘇州のように園林や、歴史的な建造物があるわけでもないごく普通の田舎町です。

 

 

市内には水東鎮を流れていた水陽江の支流になる西津河が流れています。

 

 

西津河沿いには翠竹公園、濱河公園があり、市民の憩いの場になっているようです。

 

 

西津河の東側が昔からある街のようで、低層の住宅が多く、商店、飲食店が並ぶ通りがいくつかあります。

西側には新しく開発された感じの高層マンション群があります。

 

 

また、街の東の端には鉄道の寧国駅があります。

翠竹公園を歩いている時に汽笛の音が遠くで何度も鳴っているのを聞いたので、駅の方にも行ってみることに。

 

 

きっと駅の方にも商店街があるのだろうと思って、西津河から1kmほどの距離を歩いてみると。。

予想に反して、どんどん寂しい感じになっていきます。

 

 

駅までの道は広くて大きな建物もあるのですが、どれも政府系のもののようで通りを歩く人もいません。

あとから調べて分かったのですが、現在、寧国駅に停車する旅客列車はありません。

 

 

駅はすでに閉鎖されているようです。汽笛はどこで鳴っていたのでしょう?

観光用の何かがあるのでしょうか、夜遅くまで汽笛の音は聞こえていました。

寧国の宿泊は駅に近いホテルにするか、繁華街の中にあるホテルにするか迷ったのですが、

繁華街のホテルにしたのは本当に正解でした。。駅の近くだったら周りに何もなかったです。

 

 

気を取り直して、食事ができそうな店を求めて人民路を歩いて戻ることに。

人民路という名の道は、どこでもたいてい街の中心にあるはず、という思い込みは見事に外れました。

世紀広場という名の広場はどこでもたいていショッピングモールがある、という思い込みも見事に外れました。

 

 

結局、また西津河の近くまで戻ってから、食堂で簡単に食事を済ませたのでした。

食事以外に果物を買ったのとケンタッキーでコーヒーを買った程度ですが、

物価は蘇州の2/3ぐらいでしょうか。(Mサイズのコーヒーが10元、果物は半額ぐらいでした)

 

 

夕暮れになると食事を済ませた人達が散歩したり、踊ったりと昼間より賑やかな感じになっていました。

繁華街も大勢の人達で賑わっていましたし、決して便利とは言えないですが、

何となく住みやすそうな気がする街でした。

 

 

発表されている寧国市の経済指標は、第一次産業から第三次産業まですべて増長しているとなっていますが、

大きな産業基盤のなさそうな寧国市の人口は減少傾向のようです。

間もなく宣城から黄山方面に向かう高速鉄道が開業し、寧国には寧国南駅という高速鉄道駅ができます。

これからどのようになっていくのでしょう。

 

 

胡桃を扱う専門店をいくつか見かけたので珍しいなと思っていたら、胡桃は寧国の特産品でした。

そのことに気付いたのは帰ってから。。買って帰ればよかったと後悔したのでした。

 

 

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安徽省 宣城市宣州区 水東鎮の水東老街

2024-06-20 00:06:20 | <安徽省>

安徽省宣城市の南側、宣州区にある水東鎮は、

隋・唐代には存在していたとされ、1000年以上の歴史がある古鎮です。

 

 

長い歴史のある場所なのですが、はっきり言ってマイナーです。

ネットで調べてもあまり詳しい情報はありません。

 

 

水東古鎮の中に、水東老街と呼ばれる昔ながらの街並みを残す場所があります。

老街の規模は大きくなく、トータル700mぐらい?のようです。

 

 

通りには青石板や玉石が敷かれています。

古鎮の中は、明清代の建築物が多く残っており今でも普通に人々が暮らしています。

 

 

観光客の姿もありますがそんなに多くはありません。

今流行の漢服を着てSNS映えする写真を撮る人も見かけません。

 

 

上街、正街、横街、当铺街などが老街のメインストリートで、

正街、横街には観光客向けのレストランや小さな商店が並んでいます。

 

 

瀋家巷の通りの中央には物を運びやすくするために長い石が敷かれています。

敷石には深い轍の跡が残っていて、長い年月が経っていることを感じさせます。

 

 

小さな古鎮の中には大きな井戸がいくつもあります。

一道井~五道井の5つの井戸が川沿いに並んでいて、それぞれ形も違います。

井戸や多くの建物が文化財に指定されているようです。

 

 

井戸と言うよりは、泉と言った方が良い感じで川と繋がっています。

大きな古い井戸はいくつか見たことがありますが、これは初めて見る風景です。

 

 

ここで暮らす人たちは今でも井戸の水で炊事や洗濯をしています。

レストランの従業員がたくさんの食器を抱えて井戸に向かっていく姿もありました。

 

 

遠くからでも見える大きなカトリックな教会、水東天主教堂。

水東聖母堂は、清代の1871年に建てられました。

 

 

華東地区最大の上海佘山聖母教会に次ぐ規模なのだそうです。

入り口は閉まっていて中に入ることはできませんでした。

(もしかすると別の入り口があったのかもしれません)

 

 

古鎮に入るのは無料です。

入り口には観光用の新しい建物には、小さな博物館や土産物屋さんなどがあります。

 

 

観光客はどこから来ている人なのでしょう。

停まっている車のほんとどが地元、安徽省のナンバーでした。

 

 

川沿い(井戸が並ぶ通り)には、女性でも安心して使えそうなきれいなトイレがあります。

観光地化するために新しく作ったのだと思います。

 

 

水東老街は、蘇州から車で3時間内に行けそうな観光地を地図上で探している時に偶然見つけました。

連休でも駐車場が満車になるかならないかレベルなので、いつ行ってもゆっくり散策できるかと思います。

 

 

基本的に車で行くような場所ですが、蘇州や上海からでも宣城駅まで高速鉄道で移動すれば、

そこから水東鎮まで公共バス路線があるようです。

 

 

新しい高速鉄道路線もまもなく開通するようなので、おそらく今より時間をかけずに行けるようになるかと。

観光客の少ないマイナー古鎮に興味がある方はどうぞ。

(ただし小さな古鎮です、遠くからわざわざ見に行く価値があるかは自己判断で)

 

 

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山西省 太原 太原南駅からG1954で蘇州へ

2024-06-13 00:06:13 | <山西省>

G1954は、山西省の運城北駅から、浙江省の嘉興南駅まで12時間半ほどで結ぶ高速鉄道列車です。

太原南駅から蘇州北駅までの乗車時間は8時間23分です。

 

 

G1954のルートはちょっと変わっていて、

始発の運城北駅は、黄河沿いの西安と洛陽の間にある三門峡に近く、

太原まで大きく北上して東に向きを変え、石家庄から南へ戻って鄭州や合肥、南京、蘇州、上海、

終点の浙江省嘉興へと向かいます。

 

出典:百度 G1954次列车运行图

 

前日、早朝から夜遅くまで歩いたのでこの日はもうどこにも出かける気も起きず、

ホテルで少し遅めの朝食をとってから、太原南駅へ向かうことに。

太原でまだ食べていなかった山西省の名物はホテルの朝食で頂きます。

 

 

太原といえば黒酢。豆腐脳(おぼろ豆腐)には黒酢をかけて。

それに刀削麺も。

でも、自分好みの味付けをするタイプは、調味料の名前や色だけでは判断が難しく味が決まりません。

 

 

太原南駅はまだ地下鉄が繋がっていないので公共バスで移動です。

太原駅と太原南駅は10kmほど離れています。バスでの移動時間は1時間ぐらいです。

 

 

太原南駅が開業したのは2014年ごろのようで、比較的新しい駅です。

駅の周辺は商業施設やマンションを建設中です。

 

 

広い駅構内の上の階には売店や飲食店などもそれなりに並んでいて、食事や食料の調達は問題さなそうです。

規模は違いますが上の階に店が並んでいるのは、上海虹橋駅や長春駅と同じような感じです。

 

 

G1954の太原南駅発車時刻は12時26分、蘇州北駅には20時49分着です。

長丁場に備えて、飲み物(もちろんビールも)、おつまみなどしっかり買い込んで乗車。

 

 

太原から河北省の石家庄までの間は、炭鉱と黄土高原の景色です。

線路沿いに大きな都市はないようです。

 

 

高速鉄道の窓ガラスは、普通列車に比べると少しはマシです。

天気も良かったので行きは楽しめなかった車窓の風景を楽しむことができました。

 

 

列車は石家庄で向きが変わります。なので石家庄の停車時間は25分と長めです。

座席は回転式ではなく、倒して簡単に向きが変えられるようになっているタイプです。

 

 

最初の方向だと席は東側で、日よけを降ろさずにゆっくり景色を楽しめると思っていたのに、

向きが変わったので、残念ながら西日に照らされることになりました。

黄河を渡ったのは15時を過ぎ、一瞬で通り過ぎてしまいますが水のある黄河を見るのも久ぶりです。

 

 

16時に河南省の省都、鄭州の鄭州東駅に到着。遠くに二七記念塔が見えています。

前に鄭州に行ったのが2019年なので、それからもう5年も経ちました。

 

 

蘇州までまだ残り半分、久しぶりに高鉄の弁当を食べてみました。

G1954は山西省の管轄なので、車内販売の弁当も山西省の会社が作っています。

パッケージには山西省ゆかりのものが描かれています。

 

 

販売員に聞くと、土豆紅焼肉弁当と宮爆牛肉弁当の2種類あって値段はどちらも45元。

車内の売店まで行けば、他の種類もあるかもしれません。

地域差はきっとあると思いますが、昔に比べるとずいぶん見た目も味も良くなった気がします。

何となく、日本にもありそうな中華幕の内弁当風でした。

ちなみに、地域差なく同じなのは触れないくらいに加熱されて席まで持ってきてくれることです。

 

 

弁当を食べ終わるころには日も暮れて、列車は安徽省内を走行中です。

ここまでくるともう普段見慣れた景色に近くなります。

 

 

今回の太原旅行は列車内1泊、現地1泊、半分は列車の中でした。

私は窓の外をボーっと眺めているのが好きなのですが、

中国では、ほとんどの人にとって列車は単なる移動手段のひとつに過ぎないので、

スマホやタブレットの画面を見やすくするためにすぐサンシェードを降ろされてしまいます。

日が当たる場合は、自発的に日が当たらないぐらいまでサンシェードを下げて、

外を見ていますアピールをして視界を確保しています。

 

 

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山西省 太原 鐘楼街と食品街と山西飯店

2024-06-06 00:06:06 | <山西省>

太原市内観光の締めは、太原の繁華街、鐘楼街と食品街に行ってみることに。

時刻はもう20時過ぎ、予定よりずいぶん遅くなってしまいました。

 

 

でもその前にホテルへ。

今回選択したのは、鐘楼街と食品街へ歩いて行ける距離にある山西飯店。

周囲には他にもたくさんホテルがありますが、ここ選んだ理由はザ・中国的なこのキラキラ感。

 

 

数多くの政府要人が訪れたことがある歴史のある場所で、1985年から山西飯店の名になったそうです。

清代建築風のきらびやかなホテルになったのは2013年からです。

接客は5つ星らしくとてもしっかりしています。

 

 

外国人がホテルに宿泊すると、管轄の公安に臨時宿泊登記されるのですが、

公安からホテルのフロントを通して「あなたはここ(太原)で暮らすつもりで来たのですか?」との質問が。

これは初めての経験でした。

 

 

山西飯店から、鐘楼街までは歩いて10分から15分ほどでしょうか。

散歩するなら少し遠回りですが、五一広場を通って行くのもよしです。

 

 

近道したいならちょっと暗いですが、文瀛公園に沿って歩けば10分ほどで、

太原で最も賑やかな300年以上の歴史がある繁華街の柳巷に出ます。

 

 

想像以上の人出にびっくり。柳巷を渡った先が鐘楼街です。

鐘楼街の入り口ではご当地キャラ「鐘宝児」がお出迎え。

 

 

幅の広い通りが歩行者専用になっています。

通りの長さは、柳巷から解放路までの約600mです。

 

 

2020年~2021年にかけて再開発され、その後も2023年まで二期工事が行われていたようです。

初めて来たので、以前がどのような通りだったのかは分かりません。

 

 

名前の由来になっている太原鐘楼は、明代に創建されたそうです。

元の鐘楼は時代の流れの中で跡形もなくなり、現在の鐘楼は観光用に新しく建てられたものです。

 

 

多くの若い人達で賑わっています。

本当に年寄りの姿はほとんど見かけなくて、自分が一番の年長者かもという感じです。

 

 

解放路の近くまで歩くと太原食品街があります。

食品街は、小さな飲食店や小吃の店がずらっと並ぶ通りで、こちらも観光客や地元の人で大賑わいです。

 

 

食品街も歴史のある場所で、宋代にはすでに商業街でした。

清代には院門前、近代には帽儿巷と呼ばれ、食品街という名前が付けられたのは1986年のことです。

 

 

帽儿巷(直訳すると帽子巷)という名は俗称で、大昔はここに帽子を作る工房が数多くあったそうです。

通りの店は時代にとともに変わり、食品街と名付けられた時に以前より道幅も拡張されました。

 

 

とにかく店も人もいっぱいです。店が多すぎて何を食べたらいいのか分からなくなります。

ちょっと美味しそうに見える店は行列になっています。

 

 

食品街の通りの長さは500m、店舗数は120以上あるらしいです。

鐘楼街に近いほど混んでいますが、府東街に近づくと徐々に人が減っていきます。

 

 

焼餅夹肉を買ってみました。

地方によって焼餅の呼び名や作り方に違いがあります。

太原の焼餅は、生地をひも状にしてから渦巻を作り、伸ばしてから焼くようです。

 

 

夹の意味は”挟む”です。焼餅夹肉なので焼餅に肉を挟んだもの、中華バーガーです。

油の少なそうな”純痩”を選んだら、具材は想像と違ってハムでした。

 

 

鐘楼の傍には上海飯店という老舗レストランがあるのですが、太原まで来て上海というのも、

なんて思いながらウロウロして、結局、人混みと歩き疲れて大したものも食べず。。

柳巷で少し麺でも食べて帰ろうとしたら、22時にはもう閉店する店が多いのですね。

この辺り全体が不夜城なのかと思って油断していました。

上海飯店に入っておけばよかったかなと、ちょっと後悔したのでした。

 

 

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