ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

新「授業でいえない世界史」 31話の1 アメリカの独立戦争

2019-08-25 09:40:26 | 新世界史12 18C後半~
【アメリカの独立】
 
【13植民地】 この時アメリカはイギリスの植民地です。しかしアメリカのイギリス人は「オレたちはなんで植民地なんだ」と腹を立てる。
 イギリスの植民地では13の植民地が作られていた。アメリカは当初から今のような広大な土地を持っていたわけではなく、アメリカが独立した時には13植民地というのは東海岸の狭い地域だった。
 下の図のたったこれだけです。これがもともとのアメリカです。アメリカを植民地支配しているのはイギリスです。イギリスが植民地とした13の植民地ですけど、これが実は統一もなくバラバラなんです。

 この時期、アメリカにはすでに紙幣が流通していました。

【アメリカのお金】
※ 1690年、マサチューセッツ州はフランス植民地ケベックに武装攻撃を仕掛けた。前にもそんなことはあり、このたびに遠征費用に見合うほどの略奪品を手に入れてきた。ところがこのときは略奪は大失敗で、人々は手ぶらで戻ってきた。兵士たちが賃金を要求したとき、マサチューセッツの金庫は空っぽだった。不満を抱く兵士は手に負えなくなる危険がある。そこで役人たちはあわてて資金を調達しようとした。増税はきわめて不評であるのがわかっていたから、紙幣を印刷することにした。
 兵士や市民を納得させるため、政府は神妙に二つのことを約束した。(1)税収が十分な額に達したらすぐ紙幣を金貨か銀貨と交換すること、(2)これ以上の紙幣発行は絶対にしないこと、である。どちらの約束もすぐに反故にされた。・・・・・・ほかのほとんどの入植地もたちまち印刷機の魔術に目覚めた。(マネーを生みだす怪物 G・エドワード・グリフィン 草思社 P199)


▼独立時のアメリカ 




 しかしイギリスの強圧的な支配から独立したアメリカはそのとたんに君子豹変です。180度方向を変えて、西に住んでいるインディアンを迫害していく。「とっとと失せろ」と。インディアンはどんどん西に追いやられて、今の広大な領域をアメリカのものにする。
 ここまで行くのに大して時間はかからない。50年もかからない。あっという間です。西へ西へとインディアンを追いつめながら、自分の土地にしていくわけです。一部ではメキシコの土地を奪いながら。けっこう自分勝手な戦争をしていきます。

 その経緯です。ヨーロッパの植民地にされたのはアジアもアメリカも同じですが、何が違うか。このアメリカの13植民地だけが白人で、その白人の植民地にだけ自治会を認めたことです。
 この自治会というのは話し合う機関です。議会です。つまり植民地議会、これを認めた。これはアジアやアフリカには絶対認めないことです。
 だから彼ら白人はアメリカで、「自分たちの街は自分たちで運営していこう」という自治組織を発展させていきます。これがアジア植民地にはないのです。

 この自治会の動きと、アメリカのフリーメーソンの動きは同じ時期です。

【アメリカのフリーメイソン】
※ アメリカ植民地にフリーメイソンが入ってくるのは、1720年代後半のことである。・・・・・・
 1760年にはアメリカの13植民地の隅々にフリーメイソンのロッジを見ることができるようになった。ロビーに集まっていたのは政治家・将校・富裕商人など地元の有力者であり、その集会の様子はヨーロッパと変わるところがなかった。フリーメイソンは、アメリカ植民地の上層・中層の社会階級に属する人々の交流の場であり、情報交換の場として機能していた。・・・・・・
 フリーメイソン史家は、アメリカ各地に組織されたフリーメイソンのロッジが、このように分裂していた植民地を共通の思想のもとに結びつけるという役割を果たすことになったと主張する。最新のヨーロッパ情報交換するあいだに、自然発生的にロッジがアメリカ独立革命の理念を醸成する温床となっていたことは十分に考えられる。(フリーメイソン 吉村正和 講談社現代新書 P120)


 アメリカが独立したことは、アメリカの原住民であるインディアンが独立したわけじゃないですよ。イギリスからアメリカに渡ってきた白人が独立することです。勘違いしないように。逆に原住民のインディアンはアメリカが独立したあとも、ますます迫害されていきます。これがアメリカの実態です。

 そのアメリカの植民地と本国イギリスとの関係はどうか。
 それまではフランスとイギリスが「アメリカは俺のものだ」と奪い合っていた。その1756年からの七年戦争の決着がついてフランスが負けた。イギリスの勝利です。アメリカはイギリスのものになった。それと同時にイギリスが威張り出す。しかもほぼ同時にイギリスで産業革命が始まる。1763年七年戦争が終わる。
 産業革命の始まりもちょうどそのころの1760年頃です。イギリスは戦争に勝ちはしたものの、戦争にはお金がかかった。イギリスはそのお金を使い切ってしまったんです。だから財政難です。

 だから税金を増やさなければならない。しかしイギリスは、イギリス本国から取るよりも「植民地のアメリカから取ってしまえ」という発想になる。それでイギリス植民地のアメリカにいろいろ税金を課します。
 しかしこの時、アメリカにもお金がない。アメリカは独自に紙幣をつくっていた。「イギリスも自分たちで紙のお金を作っているじゃないか、オレたちだってつくっていいはずだ」と。
 しかしイギリスはそのアメリカ独自の紙幣を禁止する。「勝手につくるな」と。これでまたアメリカは頭にきた。イギリスはなぜ禁止したか。紙でお金をつくればぼろい儲けが出る。イギリスはこれを独占したかったんです。

 アメリカ独立戦争の裏には、通貨発行権をめぐる本国イギリスと植民地アメリカの争いがあります。

【イギリスによるアメリカ紙幣の禁止】
※ (アメリカでは)長期にわたる金属貨幣の不足と代替貨幣の限界から、現地政府は、とてつもなく斬新な試みを始めた。それは、今までの貨幣に対する伝統的な考え方から脱却し、政府が紙幣を発行して統一された標準貨幣を作ることであった。この紙幣とヨーロッパで普及していた銀行券との最大の違いは、金銀という実物担保が一切なく、一種の完全な政府の信用貨幣だということだった。・・・・・・
 しかし、担保のない通貨は銀行家にとって天敵だった。政府の債券に担保が不要であれば、政府は当時不足していた金属貨幣を銀行から借りる必要がなくなり、銀行家の最大の宝刀はその威力を失ってしまう。・・・・・・
 この新しい紙幣の誕生と流通は、必然的にアメリカ植民地なイングランド銀行の管理下から離脱することを意味していた。激怒したイギリスの銀行家たちはすぐさま対策を講じた。彼らが牛耳っている英国議会は、1764年に「通貨法」を決議し、アメリカ植民地の各州が独自の紙幣を発行することを禁じ、イギリス政府への納税には、すべて金と銀を用いるよう植民地各州政府に強要していた。
 フランクリンは通貨法が植民地各州の経済にもたらした厳しい結果を、悲痛な思いで次のように描写している。
 「わずか1年の間に、植民地の状況は様変わりした。繁栄の時代は終わり、経済はひどく衰退し、町中に失業者が満ちあふれるようになった。・・・・・・自分たちで紙幣を発行できなければ、植民地は英国国王ジョージ3世と国際銀行家の支配から抜け出す方法を永遠に封じられる。これが、アメリカ独立戦争を引き起こした最大の原因なのである」(ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 宋鴻兵 ランダムハウス講談社 P57)

※ 1750年代終わり、コネチカット州では物価が800%上昇していた。・・・・・・当然このようなインフレはいつかは止まるし、そのときには同じように大規模なデフレと不況が襲った。現代のエコノミストが好んで「野放図な自由市場」のせいにしたがる典型的な好不況の波だが、植民地時代にすでに需要供給の法則から逸脱した不換紙幣の増大縮小の直接的な結果として起こっていたことがよくわかる。このころまでには、硬貨は完全に姿を消していた。・・・・・・植民地としては不換紙幣を使うか物々交換をする以外、選択肢が残されていなかった。・・・・・・
 イングランド銀行は国王への影響力を行使して、植民地が独自の硬貨を鋳造することも銀行を設立することも禁止させた。・・・・・・1751年、大英帝国は植民地に通貨をすべて兌換し回収せよと圧力をかけた。・・・・・・イギリス議会の命令に植民地は強い不満を抱いた。(マネーを生みだす怪物 G・エドワード・グリフィン 草思社 P201)



 アメリカ植民地は、コンチネンタル紙幣という独自の紙幣を発行することにより戦費をまかないます。

【コンチネンタル紙幣】

 独立戦争当時の植民地には本国政府の反対もあって銀行が設立されておらず、銀行が発行する銀行券による資金の調達ができなかった。そのために戦争が始まると、大陸会議はコンチネンタル紙幣の発行により戦費をまかなった。・・・しかし乱発によりコンチネンタル紙幣の価格は大暴落し、1779年にはほとんど無価値になった。「コンチネンタルほどの価値もない」という俗語が生まれるほどの派手な暴落ぶりであった。(知っておきたいお金の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫 P94)

 戦争がすでに存在する財力でまかなわれることはほとんどないし、増税で戦費が調達されることもまずない。政府が紛争のコストをすべて税として国民から徴収しようとすれば莫大な額になるから、どんなに熱心な戦争支持者でも支持しきれないはずだ。だがマネーサプライを人為的に増やせば、真のコストは見えなくなる。もちろんコストはインフレを通じて支払われるのだが、そのプロセスがわかっている人はほとんどいない。  
 アメリカ独立戦争も例外ではなかった。独立のツケを支払うために、13州連合も各州もせっせと印刷機を回した。・・・・・・ 1775年から1779年までの5年間にマネーサプライは5000パーセント増大したとみられている。・・・・・・ すぐにインフレが起こって、自己破壊的なメカニズムが働き出した。1775年、コンチネンタル紙幣は1ドル金貨と交換された。1777年には25セントに下がった。発行後4年目の1779年には1セントの価値もなかった。「1コンチネンタルほどの価値もない(少しも価値がない)」という言葉は、この惨憺たる時代の名残だ。(マネーを生みだす怪物 G・エドワード・グリフィン 草思社 P204)

 不換紙幣は政府が課税なしに、ただちに購買力を手に入れる手段だ。だがその購買力はどこから来るのか? 不換紙幣そのものには交換されるモノに対応する価値はないのだから、どこかから奪ってこないかぎり、政府が不換紙幣で獲得する購買力は生じない。実はその購買力は、わたしたちの購買力の低下を通じて「集められる」。だから税と同じなのだが、隠れていて実体が見えない。・・・・・・
 不換紙幣は貴金属の裏づけがなく、法律で受け取りを受け取りを強制しなければならない紙幣である。不換紙幣を使えば、政治家は増税しなくても歳出を増やすことができる。不換紙幣はインフレの元凶であり、人々が失う購買力はインフレの過程で人々から奪われて政府に移転する購買力に等しい。従ってインフレは隠れた税である(マネーを生みだす怪物 G・エドワード・グリフィン 草思社 P206)

 市民革命の時代に脚光を浴びたのが、資金調達手段としての紙幣だった。アメリカの独立戦争はコンチネンタル紙幣、フランス革命はアシニアという紙幣により資金を獲得することで進められた。(知っておきたいお金の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫 P90)


 イギリスは、アメリカ大陸で植民地を手に入れようとフランスと七年戦争などを戦い、勝ちはしたものの体力を消耗してお金がないわけです。お金がないから、植民地のアメリカから今度は税金を搾り取ろうとする。
 七年戦争が終わって2年後の1765年に新しい税金、印紙法を出す。印紙というのは・・・・・・めったに見ないかもしれませんが・・・・・・本とか冊子とかのすべての印刷物に税金をかけいく。今でも領収書などに印紙を300円ぐらい貼ったりします。そういうものにアメリカ大陸で税金を掛けようとすると、これが火種になって、アメリカ植民地の人たちが反発していく。
 何といって反発したか。「代表なくして課税なし」と。「オレたちアメリカ人はイギリスの議会に代表を送ってない。政治に参加していない。それなのに税金だけ取られるのは、理屈が合わないじゃないか。だから税金を払う必要はない」と。そういって印紙法を撤回させたんです。

 「代表なくして課税なし」というパトリック・ヘンリーの言葉は、植民地全体のスローガンとなった(パトリック・ヘンリーもフリーメイソンであったという説がある)。(フリーメイソン 吉村正和 講談社現代新書 P124)


 そうするとその8年後、またイギリスが新たな法律をつくる。1773年の茶法です。イギリスが、中国からアメリカへのお茶を独占的に輸出しようとしたのです。そしてその独占販売権をイギリス東インド会社に与えて儲けさせようとした。

 これに反発したのがアメリカのお茶の密輸入業者です。彼らはこっそりお茶を仕入れて関税を逃れ、安く販売するという結構ダーティな仕事をしていました。その彼らが反発して事件を起こす。北部のボストンという街で起こったから「ボストン茶会事件」(1773年)といいます。アメリカの密輸業者たちは、アメリカに輸出しようとお茶を積んできたイギリスの船を襲って、その積み荷であったお茶を全部海に投げ捨ててしまう。

 独立後の貿易港の中心はボストンからニューヨークに移ります。

 独立当時、アメリカの中心地はボストンだった。だがその後、米経済の中心はニューヨークになり、金融資本家の拠点はすべてニューヨークだ。なぜこうなったのか。その理由はおそらく、ニューヨークがかつて、ユダヤ資本家の戦略によって世界初の自由貿易の地として繁栄していたオランダの北米拠点「ニューアムステルダム」だったからだろう。ニューアムステルダム市のユダヤ人たちは、オランダがイギリスに負けて同士が英領になってニューヨークと改名された後も同市に住み続け、アメリカ独立時にはユダヤ人の拠点となっていた。
 ボストン拠点のプロテスタントと、ニューヨーク拠点のユダヤ人は、宗教的にも聖書重視で親密性があり、アメリカは独立時から、全欧的なユダヤ・ネットワークの拡大された一部として機能していたと推測できる。(金融世界大戦 田中宇 朝日新聞出版 2015.3月 P87)


 このボストン茶会事件には、フリーメーソンが関与していたといわれます。

【アメリカフリーメイソンの動き】

 ボストンにはその頃、貴族的な雰囲気を持つ「ファースト・ロッジ」と、中層市民の集まっていた「セント・アンドルーズ・ロッジ」の二つの著名なロッジがあった。・・・・・・独立戦争の導火線となったボストン茶会事件は、この「セント・アンドルーズ・ロッジ」のフリーメイソンが深く関与している。(フリーメイソン 吉村正和 講談社現代新書 P125)


 1775年、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがドイツの名門貴族ヘッセン家のヴィルヘルム9世と古銭業を通じて知り合い、その財産運用を任されます。

【ユダヤ人銀行家】
 ウィリアム・G・カー「闇の世界史」によればこうである。1773年マイヤー・ロスチャイルドは、弱冠30歳で、フランクフルトに12人の有力者を招き、世界征服綱領、秘密の世界革命計画25項目を決定して、その実行に着手した。・・・・・・そして、この秘密会議こそ、1789年のフランス革命を作り出した本当の奥の院である。しかし、1744年生まれの初代ロスチャイルドが30歳になるかならないかのうちに、一体どこで、どのようにして、これだけの大仕事を始める力量を養ったのであろうか。(闇の世界史 ウィリアム・G・カー 成甲書房 P99円以下)(ロスチャイルドの密謀 太田龍 成甲書房 P318)

 1775年、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがドイツの名門貴族ヘッセン家のヴィルヘルム9世と古銭業を通じて知り合い、その財産運用を任されます。当時はアメリカ独立戦争の最中であり、ヘッセン家は、独立戦争を鎮圧するための傭兵をドイツで鍛えてイギリス政府に貸し出すというビジネスをしており、個人としてはヨーロッパ最大の資産家でした。このヘッセン家の資産が、のちにロスチャイルドがのし上がる種銭となります。(金融の仕組みは全部ロスチャイルドが作った 安部芳裕 徳間書店 P89)

 近代国家の支配者のなかにユダヤ人を見出すことができないとしても、こうした支配者、それに近代の君主を、ユダヤ人を抜きにしては、とうてい考えることができない(それはちょうど、メフィストフェレス抜きで、ファウストが考えられないのと同様である)。両者は、連携しつつ、われわれが近代と呼んでいる数世紀間に躍進したのだ。わたしはまさにこの王公とユダヤ人との結合のなかに、興隆する資本主義と、それと結びついた近代国家を象徴するものが見られると思っている。
 まったく表面的ながら、多くの国家において、政治的な諸階級やツンフトなど、前資本主義的諸力に対抗し、被迫害者のユダヤ人の保護者として、王公が登場する有様が見受けられる。そして内面的には、王公、ユダヤ人両者の利益、志向が、かなり一致しかつ入りみだれている。ユダヤ人は近代資本主義を具現し、そして王公は、おのれ地位を獲得し、維持するために、ユダヤ人という力と連携していた。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P85)

 わたしはとくに、成長しつつある国家に彼ら(ユダヤ人)が物質的手段を提供したこと、その助けをかりて、こうした国家が維持、発展できたこと、それに彼らが、すべての近代国家が依存している基盤ともいうべき軍隊に二つの方式で寄与してきたことを考えている。そのうち、一つは戦時における武器、装備それに食料を調達することであり、もう一つは必要な金銭を取りそろえることである。そのうち必要な金銭というのは、当然のことながら(初期資本主義の時代は圧倒的にそうであったが)、たんに軍隊のためばかりでなく、他の宮廷、国家の必要をまかなうために用いられる金銭だ。換言すれば、わたしはとりわけ16、17、18の3世紀に、ユダヤ人がもっとも影響力の大きい軍隊の御用商人であり、またもっとも能力もある王公への資金提供者であったと思っており、さらにこの状況は近代国家発達の動きにとって重大な意味があるとみなすべきだと信じている。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P86)



 アメリカ人はこの時以降、お茶を飲まずにコーヒーを飲むようになったという話があります。アメリカンコーヒーといえば薄いコーヒーですが、コーヒーを薄くしてどうにかお茶の味に近づけたかったのでしょう。
 この時にそのアメリカ人たちは変装して、インディアンになりすます。インディアンのせいにしようとした。このあたり、アメリカ人のインディアンに対する本音が出てますね。でも密輸業者たちの正体はすぐにバレます。これがきっかけになって、イギリスとアメリカの戦争になっていく。
 勃発したのが1776年、これがアメリカ独立戦争のはじまりです。インディアンに変装して、イギリス船のお茶を海に投げ捨てたお茶の密売商人たちが、ここではアメリカの正義の人のようになったのです。

アメリカ独立戦争の1776年と同じ年に、ドイツでイルミナティという秘密結社がつくられ、これにはロスチャイルド家が関係していると言われます。

【イルミナティの結成】
 教会法の教授で、かつてイエズス会士に教育されたアダム・ヴァイスハウプトは、インゴルシュタット大学で教えるかたわら、キリスト教思想を離れ、サタンのイデオロギーに帰依した。1770年になると(ロスチャイルド商会を設立したばかりの)金貸し業者がヴァイスハウプトを雇い、サタンのシナゴーグに世界の最終支配権を与えて社会変革を起こしてのち、サタン的独裁支配を実施してサタンのイデオロギーを自らの民族以外のすべての人々に課すことを目論んだ大昔の「プロトコール」を時代にふさわしいものに改訂させた。この仕事をヴァイスハウプトは1776年5月1日に完成させた。(闇の世界史 ウィリアム・G・カー 成甲書房 P26)

 1776年、ヴァイスハウプトはイルミナティを組織して目論みを実行に移した。イルミナティという言葉はサタンに由来し、「光を掲げる者」を意味している。その目的は、知的能力を実証された人々が世界を治められるう、世界単一政府を生みだすことであると嘘をついて、彼は、美術、文学、教育、さらにはさまざまな科学、財政、産業の分野でもっとも聡明な人々を含む2000人ほどの信望者を集めた。そしてその後、大東社ロッジを創設すると、それを秘密本部とした。(闇の世界史 ウィリアム・G・カー 成甲書房 P27)


 アメリカ独立戦争の担い手はフリーメイソンだといわれます。

【フリーメイソン】

 まず確認すべき点は、アメリカ革命の担い手がメイソン軍であったように、当時のフランスの軍隊もメイソンの手中にあったということである。(フリーメイソンリー 湯浅慎一 中公新書 P121)


 アメリカ側には、ロスチャイルドの資金が流れたといわれます。

【ロスチャイルドの動き】

※ (アメリカの)独立戦争の時(また後の南北戦争の間)、アメリカの軍隊の補給を担当したユダヤ人の御用商人がいた。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P89)

※ ロスチャイルドは同時に、膨大な資金を米国独立戦争勝利のために注入した。テックス・マーズは述べる。「ロスチャイルドは、代理人、ハイム・サロモンをアメリカに派遣して、何百万ドルもの資金を気前よく、アメリカ独立戦争を戦っている陣営にばらまくように命令した。この資金のかなりの部分は、アメリカ大陸会議とその作戦用に使用された。(コーデックス・マジカ P267)」(ロスチャイルドの密謀 太田龍 成甲書房 P334)
 ハイム・サロモンはユダヤ人銀行家であり、ヨーロッパ・ロスチャイルド家のアメリカでの代表者であった。サロモンはアメリカのかなりの数の政治家たちをロスチャイルドの資金で買収していた。(ロスチャイルドの密謀 太田龍 成甲書房 P335)

 イギリスはアメリカ独立戦争に際してドイツの傭兵を雇った。1775年イギリス王ジョージ3世は、ドイツ人傭兵の代金をヘッセン選帝侯に支払った。そのことによって、ロスチャイルド財閥の基礎が築かれた。(衝撃のユダヤ5000年の秘密 ユースタス・マリンズ 日本文芸社 P182)


※ ロスチャイルド家の権力の強大化は、フランス革命、アメリカ独立革命と、この二つの革命を前提としている。(ロスチャイルドの密謀 太田龍 成甲書房 P333)



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