ひょうきちの疑問

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新「授業でいえない世界史」 33話の3 19C半ば イギリスの侵略

2019-08-25 09:36:15 | 新世界史12 18C後半~
【対外侵略】 実はこういうふうに世の中のルールが変わりだしたのは1840年代です。当時の一番の国家は、アメリカじゃない、イギリスです。大英帝国といって。いくつも植民地を持っているんです。

 イギリスはどこを侵略し始めたか。中国です。中国に麻薬を売りつけて、がっぽり稼いでいく。これは教科書に載ってます。
・1840年、イギリスが中国に麻薬売りつけて、戦争をふっかけた。中国は、買わないと言った。すると、なんで買わないのか、といって戦争ふっかけていった。これがアヘン戦争です。こうやって世の中が暴力的になり始めたんです。
・その4年後の1844年には、イギリスで共同出資法がつくられて、それまで禁止されていた株式会社の設立がオーケーになった。

・中国では1851年から太平天国の乱が起こります。
その最中の1853年、日本にもアメリカが大砲むけてやってきます。江戸湾の浦賀に。これがペリーです。ペリー来航です。そのとき江戸幕府は、まだしっかりしてたんですけど、そのあと急速に10年で倒れていく。
・同年の1853年にはクリミア戦争が起こり、イギリスはロシアと対立します。
・3年後の1856年にはイギリスは中国に対してアロー戦争を起こします。中国との2回目の戦争です。第2次アヘン戦争ともいいます。これによってアヘン取引は拡大します。中国は麻薬中毒者だらけになっていく。
・この1856年には、イギリスは株式会社法を制定し、株主の有限責任が一般化し、株式会社が急速に広まっていきます。
・翌年の1857年にはインド大反乱が起こります。イギリスは、これを鎮圧してインドを正式に植民地にします。
・翌1858年にはそれまで貿易を独占していた東インド会社が解散されます。これにより自由貿易の名のもとに、イギリスの民間会社がどんどんインドに乗り込んできます。
・翌1859年にはイギリス商人グラバーが長崎に拠点を構えます。

・その2年後の1861年にはアメリカで南北戦争が起こり、イギリスはアメリカ北部と対立します。
・そして1860年代にはイギリスで株式会社設立のブームが起こります。
 このようにイギリスは毎年のように戦争を起こしています。
 この頃のイギリスはパーマストン内閣(第一次1855~58、第二次1859~65)です。パーマストンはアヘン戦争を起こした時のイギリスの外務大臣です。(この内閣については教科書はほとんど触れていません)

 こういった時代に、どうもお金のルールまで変わっていくんです。イギリスは小さな国です。人口は日本の半分しかいない。しかしイギリスは中国相手に、インド相手に、いろんなところで戦争を起こす。でも戦争のお金がどこからでてきたのか、よく分からない。歴史の本には、人のことは書いてあるけど、お金のことが書いてないんです。お金がたいそう必要だったはずです。100万円が1000万円になれば戦争は戦える。ちょうど世界の金融が大きく動いた頃です。イギリスの自由貿易は、「お金 → 戦争 → 自由貿易」という流れになっているようです。

 有価証券発行に対する株式原理の適用、もしくは、私なりの言葉でいえば、発券業と会社創設事業の具体化は、その重要性をいくら強調しても、したりないくらい、その頃の資本主義発展の一時期を画していた。・・・・・・厳密な意味での主要創設時代は・・・・・・投機銀行なくしては考えられない。鉄道建設という巨大事業は、ひとえに大会社創設銀行の仲介なくしては成就されなかった。かりに1830年代、40年代に個人企業が大事業を達成したとしても、大銀行が成し遂げたものには及ぶべくもなかった。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P174)

 この時期(1848年から1870年まで)に行われた、わが国(ドイツ)の超大事業は、すべて銀行の仲介によって成し遂げられた。・・・・・・一面では、大資本家が巨大株式銀行に集結することによって、新たな企業を生みだす作戦基地が、もちろん著しく拡張された。さらに、この作戦基地は、(わが国のように)創設銀行が預金銀行に上乗せされたとき、とどまるところなく拡大された。他方、たえざる会社創設への欲求が、株式会社が個人企業を上まわって精力的に活動を望むのに応じて、高まった。高い利益配当を手中にする必然性は、個人起業家のたんなる利潤追求以上にさけられなくなった。株式会社が株式会社によって生み出されるようになったとき、同時代の人々がこの重大かつ深刻な事態を、自ら体験したさい、いかにそれを重要であると感じたかは、この新しい事業が熱狂的に賛美されたことからもはっきりする。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P174)

 投機銀行において、資本主義の発展がひとまず最高潮に達した。投機銀行によって、経済生活の商業化が行きつくところまで行きついた。証券取引所の機構が完成したのである。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P179)

 際限のない果てしない利潤追求は、トマス・アクィナスの経済哲学が依然として少なくとも公式には人々の心情を支配していたように、この時代を通じて大部分の経済人には、許されざるもの、「非キリスト教的なるもの」と見なされていた。(ユダヤ人と経済生活 ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社 P193)

 1848年、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を行う。マルクスはドイツ系のユダヤ人です。共産党員の大半はユダヤ人が占めていた。(マリンズ)

 1849年ビスマルクロスチャイルドの支援を得て、第2プロシア議会の議員となる。(ロスチャイルドの密謀 ジョン・コールマン 成甲書房 P157)


 一気に50年いきましたが、フランス革命からその後の約50年間で、こういうイギリスの動きがあるということです。教科書には、このようなイギリスの動きはほとんど書いてないか、分散して書かれており、とても分かりにくくなっています。

 産業革命以降、イギリスは工業製品を大量に輸出し、利益を得たとする俗説がありますが、イギリスの貿易収支は常に赤字です。イギリスは、海外金融業や海外投資収益などの貿易外収支で稼ぎ、貿易収支の赤字を補っていました。
 以上の点から、イギリスを覇権国家に押し上げた主要な原因は、産業革命による生産力拡大でないことは明らかです。イギリスが他国よりも優位に立つことができた根本的な原因は、他国がマネのできない独自の収益構造を形成することができたからです。その方法はかつてのスペイン、オランダにさえなかった悪辣なものでした。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P178)


 これで終わります。ではまた。



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