ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

新「授業でいえない世界史」 31話の2 アメリカの独立戦争

2019-08-25 09:40:00 | 新世界史12 18C後半~
【アメリカ独立戦争】 アメリカの13の植民地は、もともとまとまりはありません。基本はバラバラなんです。これを13植民地でまとまって動こうという機運を盛り上げたのが、トーマス=ペインという人が書いた「コモンセンス」という冊子です。コモンセンスとは「常識」という意味です。内容は「イギリスの植民地支配がいかに不当か、戦って独立よう」、そういう機運を高めた。

 そしてそういう機運の中で13植民地の代表たちが集まって、1776年に「オレたちは独立したぞ」という独立宣言を発表する。アメリカの独立宣言にはこうあります。
「全ての人間はによって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利を与えられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている」。自由の根底にはまだ神があります。

 ちなみにこの1776年は、イギリスの経済学者で自由放任主義を唱えたアダム=スミスが「国富論」を書いた年でもあります。そこにも「見えざる手」という神がかりな表現が見られます。

※ 1776年アメリカ合衆国のイギリスからの独立と建国も、国際政治の実験としてみると興味深い。アメリカが独立した時期は、産業革命が始まってイギリスの工業生産が増えだし、アメリカがイギリスから産業革命の波及を抑制されて、イギリス製品の市場の状態に甘んじるか、アメリカ自身が産業革命を行って工業化していくかという岐路であり、アメリカはイギリスから独立することで、製品を売りつけられることを阻止し、独自の工業国になる道を進んだ。アメリカに投資した資本家はイギリスからの独立を支援したはずである。(金融世界大戦 田中宇 朝日新聞出版 2015.3月 P86)

※ 独立宣言に署名した60名のうち、41名がフリーメイソンである。(金融の仕組みは全部ロスチャイルドが作った 安部芳裕 徳間書店 P93)


 独立宣言を中心になって書いた人は、トーマス=ジェファーソンといいます。このあと第3代大統領になる人です。この時、「どういう国を作るか」に影響を与えたのが、イギリスのロックの思想です。この人の言説の難解さについては前に言いました。
 これでイギリスとの戦争が始まります。ただアメリカ13植民地というのは、お金もないし、軍隊もないです。これでよく勝てたなと思います。全部志願兵ですよ。「コモンセンス」に刺激されて、独立のためなら命を惜しまず、「オレは兵隊になるぞ」という人たちです。日本人は先の戦争もあって、「兵隊になって殺されるなんて、絶対イヤだ」と思いますが、彼らは独立するためには、自分の命の犠牲さえ厭わない。ここらへんの考え方は、ヨーロッパと日本でかなり違う。ヨーロッパでは、ギリシャの昔から市民とは戦う兵士のことでした。
 日本人は国があるのが当たり前すぎて、「国がなくなるとどうなるか」を本気で考えたことがない。これはたぶん一度、国を失わないと分からないんじゃないかな。

 ただそういう中で、イギリスと仲が悪かったもう一つの国・・・・・・アメリカでこのあいだまでずっとイギリスと植民地争いをしていた国・・・・・・が出てきてアメリカを応援するんです。これがフランスです。フランスがアメリカ側を応援する。これが大きかった。

【フランスの対応】
※ イギリスは依然としてフランスに敵対し、フランスの大洋および植民地での活動を抑えていた。そのような事情からフランスは、1775年から83年まで続くアメリカ独立戦争にラファイエットのフランス義勇軍を送り出した。この出兵はルイ王朝の財政を弱体化させたが、革命後のフランスの海上権を拡大させ、アメリカとの友好関係を強化した。(フリーメイソンリー 湯浅慎一 中公新書 P126)

※ 独立軍は当初苦戦したが、君主国家であったフランスやスペインがイギリスへの対抗からアメリカ側に参戦したり、ロシアなどによる武装中立同盟の結成にも助けられて、しだいに優勢となった。(詳説世界史研究 木村靖二他 山川出版社 P310)


 ただフランスも以前にイギリスと戦って負けて、お金がありません。それなのにまたここでアメリカを応援する。独立戦争にはアメリカが勝ちますが、フランスはますますお金を使い果たしてしまう。だからフランスも財政難になる。このことが、このあと約10年後のフランス革命につながっていきます。このフランス革命でフランス王政がつぶれます。これはあとでいいます。
 独立戦争の時、フランスに出向いて「アメリカを応援してくれ」と頼んだのがアメリカ人のフランクリンです。こうしてアメリカとフランスが手を組んだ。その一方で、産業革命が起こって世界で一番の産業国に躍り出ようとしているイギリスは孤立していきます。

  ではこの時のアメリカの総大将は誰か。ワシントンです。独立戦争に勝ったあとアメリカの初代大統領になるのはこの人です。ただ彼の職業は何か。大農場経営者です。大農場で働かされているのは奴隷です。黒人奴隷です。つまりこの人は黒人奴隷を使っているお金持ちです。こういう大農場経営者のことをプランターといいます。
 だからアメリカの独立戦争は奴隷解放の思想とはまったく別です。アメリカの総大将そのものが奴隷を使っているお金持ちだから。

【ワシントンの動き】
※ フランクリンと並ぶアメリカ建国の父ジョージ・ワシントンもまたフリーメイソンであったという事実は、フリーメイソンとアメリカ建国の思想が密接な関係にあることを示している。(フリーメイソン 吉村正和 講談社現代新書 P141)

※ ワシントン以後、アメリカ合衆国の大統領となったフリーメイソンは13人いる。(フリーメイソン 吉村正和 講談社現代新書 P155)


 しかしアメリカはイギリスと戦って勝利します。これがヨークタウンの戦い、1781年です。ただこの時にはアメリカの国軍というのが正式にはないから、貧乏なアメリカの農民たちが「オレも独立のために戦うぞ」と集まってくる。これが志願兵です。革命は、こういうことがないとなかなかできないです。
 でもちょっと不思議な気もします。軍事訓練もなにも受けてないから、その戦い方たるやメチャクチャです。正式な軍服もないから民間人の格好で、敵の後ろに回って夜の闇に切りつける。ゲリラ戦です。非常に卑怯な戦いです。今の戦争からいうと、正式な戦争ではないです。

※ 植民地側の軍隊はイギリスから見れば、烏合の衆に過ぎませんでしたが、財政に余裕のないイギリスは満足に戦うことができず、アメリカ独立を認めざるを得ませんでした。以後、イギリスはインドの植民地経営によって、財政の補填を図っていきます。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P204)



The Patriot - Battle of Cowpens



 アメリカの勝利で戦争は終わった。これが1783年です。フランスが応援してるからフランスの首都のパリで条約が結ばれる。パリ条約です。そこでアメリカの独立は承認されます。




【合衆国憲法】 このあと問題になるのは、まだアメリカというまとまりはないです。国もないです。アメリカの独立とは何かというと、13の植民地がバラバラに独立していたのです。だからあんな広い国ではなくて、13の小さな国がバラバラにできたって全然おかしくなかった。
 ただ13の小さな国がバラバラに独立していたら、またイギリスが仕返しにきて負けてしまう。「まとまっておかないと怖いよね」と。力がないものはまとまろうとするのです。孤立していていいのはイギリスみたいな大国だけです。それでアメリカは1つの国にまとまろうとなった。これが連邦主義です。13の植民地がまとまって1つの国をつくろうとした。

 ただ反対意見もあって、「イヤ、地方地方はバラバラがいいんだ。それが自由がきくんだ。小回りが利いた方がいい」と言う人たちもいます。「一つの国になったら、首都で誰かお偉いさんが決めたことを、どうせ地方に押しつけるだけだろう」と。

 それでどっちにするか、悩むんですね。悩んだ結果、1つの国にしようという連邦主義が強くなった。13の植民地が全体でまとまって、13の国の共通の憲法を作ろうというのが1787年合衆国憲法です。これが世界初の成文憲法です。ここで初めて人民主権と三権分立を取り入れた国が発生します。これをまねして6年後の1793年につくられたのが、フランス革命の時のフランス憲法です。これで一応アメリカは国としてまとまった。アメリカの原型ができた。その初代大統領がワシントンです。それが今は首都の名前になっていますが、もともとは人の名前です。

 ただここで言えることは、「バラバラで独立しよう」という意見があったように、今でもこの考え方は根強く残っています。アメリカの州はステイトといって、日本語に直訳すると「国」なんです。県以上の組織です。日本と同じように州が警察を持っているどころか、軍隊までもっています。アメリカの州は日本の県とは違います。さらに別にまた州独自の憲法を持っています。日本でいうと国に近いのがアメリカの州です。

【ジェファーソンとハミルトン】
※ 1789年、憲法に基づく連邦政府が発足し、ワシントンが初代大統領に就任した。連邦派を率いるハミルトン財務長官に、反連邦派を率いるジェファーソンが外交を担当する国務長官に任命された(詳説世界史研究 木村靖二他 山川出版社 P311)

※ 1789年、アメリカの初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンが任命された。ハミルトンはロスチャイルド家の援助を受けたことがうかがえる。(ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 宋鴻兵 ランダムハウス講談社 P60) 
 

 では負けたイギリスはというと、その後もアメリカとの関係は切れません。イギリスは何で儲けているか。綿織物です。その原料の綿花をつくっているのがアメリカ南部の奴隷農場です。ここから安い綿花を輸入している。それを加工して綿織物を作っているのがイギリスです。アメリカとイギリスとの経済的結びつきは切れません。

【イギリスの金融支配】

 アメリカが1776年にイギリスより独立して以来、イギリスのアメリカに対する政策の核心は、アメリカを実質的にイギリスの植民地化することでした。この実質的植民地化の手段が、アメリカを金融的にイギリスの支配下に置くことだったのです。この工作はアメリカ独立直後から始まっています。(国難の正体 馬渕睦夫 ビジネス社 P22)




【アメリカ第一銀行】 アメリカは国ができたばかりです。お金がいるけど、金がない。銀もない。それで憲法制定から4年後の1791年、財務長官ハミルトンの建議により「通貨を発行しよう」という銀行ができます。これをアメリカ第一銀行といいます。
 アメリカ第一銀行は、今でいう中央銀行みたいなものです。日本でいえば日本銀行です。中央銀行というのはお金を発行する銀行です。日本の1万円札は正式には日本銀行券といいます。今のお金は政府ではなくて中央銀行が発行します。その中央銀行の原型みたいなものです。
 建国したばかりのアメリカはお金が必要です。そこで独立戦争を戦ったイギリスが、アメリカのその銀行に投資します。だからアメリカの金融界はイギリスの影響が非常に強いものになります。

【銀行をめぐる対立】
※ 1790年、国の財政の窮迫を議会に報告した初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンは、「政府が経済上積極的な役割を果たすべき」であるとして、旧債務を連邦政府の国債に転換することを提案しました。彼は、最初の連邦議会の議決により、1791年、イギリスのイングランド銀行をモデルにして、統一通貨ドルの発行権を持つ第一合衆国銀行中央銀行公認期間20年)をフィラデルフィアに設立し、東部沿岸の主要都市には支店を設けます。資金の2割は政府が出資し、8割はニューヨークの銀行ヨーロッパのユダヤ系金融業者が出資しました。翌年には正式に連邦通貨として、ドルが採用されます。独立後にアメリカは、かつての宗主国イギリスのポンドではなく、メキシコ・ドルを通貨として採用しました。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P221)

※ 1791年ハミルトンの建議によりアメリカ第一銀行が設立された。ベアリング家が大株主で、ロスチャイルド家も主要な株主であった。初代頭取はベアリング家のパートナーであるトーマス・ウィリングである。(通貨戦争 宋鴻兵 ランダムハウスジャパン P88)

※ ワシントン大統領は、国務長官を務めていたジェファーソン(のちの3代大統領)とマディソン(のちの4代大統領)に意見を求めた。二人は「この(中央銀行設立の)法案は憲法に抵触する。憲法は議会に貨幣発行の権利を授権しているが、議会は紙幣を発行する権利をいかなる民間銀行へも委託する権限をもっていないと明言した。(ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 宋鴻兵 ランダムハウス講談社 P61)

※ ハミルトンの提案に大反対したのが当時国務長官だったトマス・ジェファーソンで、これがその後長年にわたって熱く議会を沸かせた論争の始まりとなった。それどころか、この問題が中心になってアメリカ最初の政党が結成される。フェデラリスト(連邦派)はハミルトンの考え方を支持して集まった。のちにリパブリカン(共和党)となった反フェデラリスト(反連邦派)はジェファーソンの思想に共鳴した。(マネーを生みだす怪物 G・エドワード・グリフィン 草思社 P397)

※ アメリカ第一銀行は、1811年には、その資本総額1000万ドルのうち、700万ドルを外国資本が占め、主要株主にはイングランド銀行ネイサン・ロスチャイルドが名を連ねていた。(ロスチャイルド、通過強奪の歴史とそのシナリオ 宋鴻兵 ランダムハウス講談社 P62)

※ 1791年フランクリンの死とともにハミルトンは、合衆国第1銀行として中央銀行の設立に成功します。独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンの反対にもかかわらず、ワシントン大統領が設立法案に署名してしまうのです。アメリカ憲法は通貨発行などの権限は連邦議会に属すると第1条で規定しているにもかかわらず、憲法違反の中央銀行が成立したのです。この合衆国第1銀行は株式の80%をロンドン・シティのネイサン・ロスチャイルドなどの民間銀行が所有し、アメリカ連邦政府20%を保有するだけでした。事実上、シティやニューヨークの民間銀行が所有する中央銀行だったのです。(国難の正体・新装版 馬渕睦夫 ビジネス社 2014.11月 P103)

※ 18世紀末、フランス革命によって欧州が混乱に陥ったため、ベアリング家は事業の重点を北米に移した。アメリカ政府はベアリング家に80万ドルの利率6%の国債の引き受けを依頼した。(通貨戦争 宋鴻兵 ランダムハウスジャパン P84)

※ トーマス・ウィリングは後にアメリカ初のプライベート銀行、アメリカ第一銀行の初代頭取になった。・・・・・・1803年には、外国投資家が保有する株式はアメリカ株式市場の時価総額の半分(約3200万アメリカドル)にまでのぼった。イギリス投資家たちはアメリカの株式市場に投資し、アメリカ側は配当金をイギリスに送金する、と言う大西洋をまたいだ金融ネットワークが形成された。言うまでもなく、ネットワークの中心にいるのはベアリング家であった。トーマス・ウィリング は1790年ころからベアリング家の忠実な朋友になり、アメリカにおけるベアリング家の金融代理人でもあった。(通貨戦争 宋鴻兵 ランダムハウスジャパン P83)


 親英派の民主党はのち、ロスチャイルドの息のかかったオーガスト・ベルモントが党首になります。

※(●筆者注) 共和党が反連邦主義の立場であるのは、この後の政治状況によって変わるため、理解に混乱が生じやすい。アメリカの独立にはもともと連邦派と反連邦派があったが、連邦派は親英の立場、反連邦派は反英の立場に近かった。この親英か、反英かを軸として考えた方が分かりやすい。
 共和党は最初、反英色の強い政党として成立した。共和党は、真のイギリスからの独立をめざすため、各州の独立性を重視する政党だった。
 ところがのちの南北戦争では、南部がイギリスと組んで北部からの分離独立をめざしたため、共和党は反英の立場から北部の支持にまわり、ここで逆に南北を統一しようとする連邦派となった。共和党は、アメリカの南部にイギリスの傀儡国家ができることを恐れたのである。
 このとき南部を支持した民主党は、もともと西部出身初の大統領であるジャクソン大統領の支持派であり、各州の地域的独立性を主張するものであったが、ジャクソン大統領はアメリカ第二銀行を廃止するなど、もともとはイギリスによるアメリカ金融支配に強く反対する政党でもあった。しかしこれがのちにイギリスの金融資本家から派遣されたオーガスト・ベルモントに乗っ取られて、地域的独立性の強い国家をめざす反連邦派の性格を残したまま、親英の方向に舵を切った。そして民主党は、南部の独立を支持する政党になった。オーガスト・ベルモントを党首とする民主党は、この親英路線により、州権主義を楯に、その実質はニューヨークのウォール街を拠点とするイギリス金融資本家勢力と結ぶ政党になる。つまり一言でいうと、反英か、親英かの違いは、イギリス金融資本に対する姿勢の違いである。連邦派か、反連邦派かの違いは、背後に退く。
 結論的なことをいうと、アメリカは、第一次世界大戦を戦ったのも、第二次世界大戦を戦ったのも、ともにイギリスと組んだこの民主党政権である。まとめると下のようになる。
 親英・・・中央銀行賛成・・・連邦派  → 民主党 → (弱) → 南部支持 → 反連邦派
 反英・・・中央銀行反対・・・反連邦派 → 共和党 → (強) → 北部支持 → 連邦派 

 
 ちなみにこの1791年はフランス革命の最中です。イギリスはフランス革命中に、フランスとも戦います。イギリスはアメリカの銀行にも出資し、一方ではフランスとも戦います。どこからこのような資金が沸いて出てくるのでしょうか。

 ただこのようなイギリスの影響の強い銀行の設立に、多くのアメリカ人は反対します。だから20年後の1811年にはこのアメリカ第一銀行は廃止されます。この銀行は、できたり消えたり、またできたり消えたり、同じことを2回やって、非常に分かりにくい動きをします。
 イギリスのイングランド銀行のような中央銀行の成立に、アメリカ人はもろ手を挙げて賛成ではありません。なぜなら「これによって一部の人間だけががっぽり儲けて、貧富の差が大きくなる」という反対意見が多いからです。確かに中央銀行は歴史的には非常に不透明なものです。

 ただアメリカ第一銀行ができた翌年の1792年には、早くも証券取引所がニューヨークのウォール街にできる。証券取引所とは、株や証券を取引するところです。今やニューヨークのウォール街は、世界最大の証券取引所です。
 今でもよく日本の株式相場を見ていたら、「今日上がるか下がるか」、市場が始まる前から大方は分かる。9時に日本の株式相場が始まると、その2時間ぐらい前にこのニューヨークの株式相場が終わっている。ちょうど時差が9時間あるから。そこで株が上がっていたら日本も上がる。下がっていたら日本も下がる。だから日本の株式市場に主導権は今もないです。日本の株価を決めているのは今もこのウォール街です。



【独立の意義】 このアメリカ独立のもう一つの意味は、世界初の共和制だということです。アメリカには今も昔も王様がいない。王様がいない国は、この時にはアメリカだけです。日本でも天皇がいる。イギリスにも王がいる。フランスにも王がいる。ドイツにも、他の国にもいる。アメリカだけいない。
 その王がいない代わりに、政治の基本原則は文章で残して決めておく。これが成文憲法です。この形もこのあと何回も戦争をしながら世界に広まります。

 では独立したあとアメリカはどうするか。アメリカはいったん勝つと、もともとアメリカ自身が植民地だったから、他の植民地に悪さはしないかと思えば、逆に率先してほかの白人国家へ変なちょっかいを出す。そして支配していく。例えば中米のスペイン領メキシコとか、カリブ海のキューバとか、南アメリカの国々とかを。
 だから南アメリカの国々とアメリカの関係は、「近いからアメリカと仲が良い」と思っているとまったく逆です。南アメリカ諸国とアメリカ合衆国とは仲が悪い。

 それから、この後も、黒人は非支配階級である奴隷階級としてずっと支配され続けます。それが今のように白人と平等になったのはまだ50年も経ちません。このあと100年以上ずっと黒人は奴隷です。
 さらにアメリカにもともと住んでいた先住民、インディアンです。彼らもひどく迫害される。アメリカ映画の西部劇では、カッコイイ白人が西へ西へとやって来て、悪いインディアンをやっつける話になっていますが本当は逆です。もともとインディアンが住んでいたところに白人が勝手にやってきて、「おまえたちなんかどこかに行ってしまえ」と人が住まないようなところ、条件が悪いところに追い込んでいく話です。そして「ここから出るな」と言う。これが居留地です。今でもそうです。

 アメリカはまだ人口が少ない。産んで増やすのよりも、人口の増え方は移民の流入によって増えていきます。まずはヨーロッパからの移民です。どういう人が来るか。このあとドイツ人が来る。イタリア人も来る。イタリア人なんかはギャングになっていく。イタリア・マフィアというのがそれです。

 意外と目立たないけど、今はお金持ちになっている人たちがいます。ユダヤ人です。アメリカは世界最大のユダヤ人人口を抱えている国です。ユダヤ人とは、イスラエル国家をつくった人たちです。いまも爆弾が飛んでくる物騒なところです。
 ここが世界のヘソです。最大のユダヤ人人口を持っているのはアメリカのニューヨークです。彼らは今アメリカの金融界にものすごい力を持っている。つまり世界の金融業を牛耳っている。
 「ユダヤ人を見たことがない」という人がいますけど、ふつうに見ているはずです。今のトランプ大統領の娘の婿さん、クシュナーという人はユダヤ人です。見た目はアメリカ人と変わらない。
 ニューヨーク市民の20%がユダヤ人というから、100人のうち20人はユダヤ人です。だから町を歩けば、気づかないだけで多くのユダヤ人に会っているはずです。ニューヨークに行けば。映画関係者にもユダヤ人はいっぱいいます。

※ ユダヤ人の三千数百年におよぶ歴史の中で・・・・・・アメリカは、かつてのイスラーム帝国以上に、成長にとっての最適の場所でした。・・・・・・アメリカではディアスポラ共同体に対する干渉が弱く、棲み分けが可能だったのです。・・・・・・ヨーロッパと違いユダヤ教徒であるという理由で公職から排除されることはありませんでした。
1848年のウィン体制の崩壊後、ドイツ統一の失敗と自由主義的改革の挫折に失望した、勤勉なドイツ系のアシュケナージムが、新天地を求めて大挙してアメリカに移住しました。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P215)


 このあと、このアメリカが世界の覇権国家になっていきます。現在の日本はこの国の強い影響のもとにあります。この国との戦争に負けたからです。
続く。 

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