ひょうきちの疑問

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新「授業でいえない世界史」 5話の2 古代中国 隋・唐

2019-08-26 08:59:22 | 新世界史2 古代中国

【隋】
 三国時代の魏・呉・蜀から見て、約400年ぶりに中国をまとめた国、これがです。581年です。
 聖徳太子はこの国と対等につきあおうと船で使いを出した。これが遣隋使です。その隋です。しかし隋は20~30年ですぐに滅ぶ。
 次が長い。約300年ぐらい続く唐になります。唐になると国はますます大きくなって、下の図が唐です。
 これは続けてやります。隋唐時代といって。

▼隋唐時代の中国


 この隋の時代に大土木工事を行います。長江と黄河を結びつける堀を掘る。運河です。巨大な堀。何のためか。船を浮かべて遊ぶためですか。物を運送するためです。これで儲かるんです。
 隋を建国したのは楊堅といって、これも北朝の最後の王朝である北周の外戚です。外戚というのは前に説明しました。皇后の一族です。彼らにも騎馬民族の血が流れています。
 漢民族の南朝ではなく、北方民族の北朝が中国を統一しました。このことを見ても北方民族が中国の脇役ではないことが分かると思います。

 中国は夫婦別姓ですから、王が結婚しても王一族と嫁一族が対立する。外戚はその王の嫁さんの親戚のことです。これが国を乗っ取ったりする。新の王莽もそうでした。嫁さんの親戚から国を乗っ取られる。夫婦別姓には政治的にそういうリスクがあります。夫婦別姓というのは、日本のようには結婚した一族が宥和しないんですよ。そこに富や権力がからめば尚さらです。



【煬帝】 楊堅の息子は親を殺す。そして自分が皇帝になる。煬帝(ようだい)といいます。聖徳太子が「対等貿易やろうじゃないか」と言ったのはこの煬帝に対してです。
 煬帝はさっき言った長江と黄河を結ぶ堀を掘る。そして大運河にする。すると物の流通が良くなる。商業が活発化する。

 もう一つ。煬帝は、北方の騎馬民族である鮮卑族とのハーフです。お母さんが騎馬民族です。混血しながら騎馬民族の血が、王様の血に流れ込んでいきます。



【農民反乱】 煬帝は朝鮮半島に遠征します。この時の朝鮮半島の国は高句麗といいます。しかし運河は掘るわ、戦争はするわ、「おまえは何様だ」と腹を立てたのは・・・・・・これが腹を立てると怖い・・・・・・農民たちです。農民反乱が起こります。それで一発で滅亡する。
 隋はあっという間に終わりました。しかし隋は300年ぶりぐらいに国を統一した。その統一したことが受け継がれていきます。

 隋があっけなく滅んだのは、隋から攻められそうな高句麗は・・・・・・これも頭がいいですね・・・・・・それに対抗するために、近くの北方騎馬民族と手を組みます。北方騎馬民族は戦略的になくてはならないです。
 そこを見透かしたように、「聖徳太子は隋の煬帝に対等貿易を持ちかけた」と言われます。だから煬帝は、最初は「無礼もの」と真っ赤になって怒ったけど、高句麗と日本の二つを同時に敵にまわするは良くないと判断して遣隋使を認めた。
 本当にそうなら聖徳太子は大したものだと思いますが、たまたまそうだったような気もします。
 誰と仲間になるか、その駆け引きで中国は揺れ動いていきます。
 


【唐】
 隋は滅んでに行きます。唐の都は長安です。618年から約300年間、907年まで続きます。
 成立は日本の奈良時代よりも約100年も前です。だから奈良時代に日本がまねするのがこの都です。縦横きれいに道割りして、周りは壁で囲んだ。それが奈良の都の平城京です。規模は一回り小さいけど。
 この国を建てたのが李淵という人。隋の武将だった。しかし皇帝を倒すために手を組んだのが北方騎馬民族の突厥、つまりトルコ族と手を組む。

 ということは唐が勝ってもトルコ族の力は強くなる。この李淵自身もまた、母方は北方騎馬民族の鮮卑族の血を引いています。ここにも騎馬民族の血が流れています。彼はハーフです。彼が唐の初代皇帝の高祖です。
 しかも李淵の母は、先に滅んだ隋の煬帝の母の姉です。その母は鮮卑族です。鮮卑族の中の拓跋部という部族の出身です。この拓跋部から見ると、隋も唐もおなじ拓跋部の国家なのです。だから隋と唐をまとめて、拓跋国家ということもあります。中国を漢民族の立場だけから見たらダメなんだということです。

▼隋唐の婚姻関係


 彼の息子を李世民といいます。太宗といいます。彼は本格的に律令を整備します。律と令を兼ね備えた法律です。これに政治のやり方がすべて書いてある。



【律令】 律令の令は命令です。「こうしろ」ということが書いてある。しかしこれで完成ではない。100人のうち99人は従っても、必ず1人従わない人間がいる。「よかよか」では国が治まらない。
 従わなかったらどうするか。捕まえて処罰する。その罰し方を決めます。ここまできちんと書いとかないと法律は効かないんですよ。これがないのを今でもザル法という。「すみません」で処罰されなかったら、「守らないほうがましだ」ということになる。
 罰し方と合わせて律令体制といいます。これで律令体制が完成します。令は命令、律は罰し方。こうしなさいということです。こういう政治をする。やはり法家思想ですね。

 その中心は土地制度です。土地は農民に分ける。北魏均田制を受け継ぎます。小農民を基本にすえようとします。ここがヨーロッパと違うところです。ヨーロッパではまだ農民が自立すらしていません。ヨーロッパで独立自営農民というのが出てくるのはもっとずっと後のことです。代わりに豪族の土地は全部取り上げます。

 この均田制は実施されてからあとは、徐々に崩壊するんですが、農民は生き残る。中国の農民は強い。日本の農民も実は強いですが、それ以上です。ヨーロッパとはそこが違うんです。日本も基本的に農民が社会の基本にある国です。

 これですべての土地は皇帝のものです。その皇帝が土地を農民に貸す。今と違うのは、死んだら土地は子供のものにならずにまた国に返すということ。つまり土地は相続できない、ということです。しかし生きている間、農民は借りて耕すことができる。

 ただこれを行うためには、どこに土地がいくらあって、どこに人が何人いて、誰が死んで、誰が生まれて、そういうことをずっと管理しないといけない。戸籍がベースにあるわけです。ちなみにヨーロッパでは戸籍もありません。
 今はコンピューターですぐにできるかもしれませんが、紙が貴重品であるこの時代に、どこに誰が住んで、誰が死んで、誰が生まれて、というのを管理するのは大変で、結局これは失敗していく。



【小農民】 均田制ができなくなると、土地の合併がすすんでいきます。結果的には大地主がこのあと現れてくる。しかしこの時代にすでに、小農民が社会の基礎に座ったということが大事です。
 土地を貸してそこから税金を取る。租・庸・調です。これは丸ごと奈良時代の日本が真似します。そして彼ら農民が兵隊になる。これも日本に取り入れられます。つまり彼ら農民が社会の中核です。



【科挙】 では行政官やエリート役人は誰かというと、地方の有力者ではないのです。科挙を行います。ペーパー試験です。
 この実施にはいろんな社会的条件があります。試験するためには何が必要か。まず紙が必要なんです。今も昔もそうです。でもヨーロッパや日本には紙がない。中国は紙をもっていたからそれができた。紙がないと試験できません。紙がないと文字も普及しません。

 しかし、試験に合格して偉いお役人さんになっても、息子にその地位を息子に譲ることはできません。科挙は一代限りです。徹底した能力主義です。親が偉くても息子はボンクラ、それだともうダメです。親が偉ければ子供も自動的に偉くなること、これを世襲といいますが、ほかの国の多くはこの世襲です。

 しかし中国の役人はその世襲ができない。親がいくら大臣であっても、子どもはまた1からスタートして試験に通るしかない。こういう形はこの時代には他の地域にはないですね。



【則天武后】 それから、また夫婦別姓がでてきます。王の一族とその嫁の一族は喧嘩します。
 息子が皇帝であっても、則天武后という母親は、自分の子供を押しのけるて自分が皇帝になります。
 夫婦別姓は、息子がA一族であっても、母親はB一族です。それで母親側のB一族が、皇帝側のA一族を潰す。そして自分が国を乗っ取って、自分のB一族の国に変える。国の名前も変える。これがという国です。これで中国初の女帝です。

 夫婦別姓はこうなる。これもヨーロッパにはないし、日本にもありません。母方の一族を外戚と言いますが、その外戚一族が乗っ取って別の国をつくる。そこで政治的な混乱が起こって・・・・・・また元に戻りはするんですけど・・・・・・一時非常に混乱する。




【楊貴妃】 この混乱を収束させたのが玄宗皇帝です。若い時は有能でしたが、年を取ると若い女性に溺れ始めた。
 それが絶世の美女の楊貴妃です。楊貴妃が美人かどうか、そんなことは実はどうでもよくて、大事なことは別にあります。中国では皇帝が女に溺れると必ず外戚一族、つまりここでは楊貴妃一族が力を持つということです。楊貴妃の楊一族という外戚勢力が力を持つわけです。そしてそれがまた政治的な混乱を生んでいきます。



【安史の乱】 それが755年安史の乱です。日本の奈良時代中期です。
 今のように新幹線、車もない時代だから、目の届かない遠い200キロも300キロも離れたところはよく分からない。そこで皇帝の目の届かないことを良いことに、地方ではどんどん力を持つ人たちがいっぱい現れてきて、辺境地帯や国境地帯には力をもった豪族が出てくる。彼らを節度使という。彼らが土地を持つ。お金も持つ。さらに軍隊も持つ。

 彼らは中央政界でも力を持つようになる。そのとき彼らのライバルが楊貴妃の一族です。だから楊一族を除こうとして反乱を起こす。これが755年安史の乱です。安禄山と史思明、安史とはその両名の名字を取ったものです。この乱で中国は混乱していく。「国破れて山河あり」という杜甫の詩『春望』はこの時のものです。

 きっかけは則天武后という外戚の乗っ取り、さらにそれを治めた玄宗皇帝の外戚楊一族の台頭、こういう外戚一族による混乱があって、唐は急速に衰退していく。
 しかも唐王朝は、この安史の乱を自力では鎮圧できずに、騎馬遊牧民のウイグルの援助を受けてどうにか鎮圧します。だからこのあとはウイグル頼みになります。しかしそのウイグルが力を失うと、唐も滅んでいきます。

▼8世紀の世界



【仏教】 やっぱり外国宗教が流行ります。この時代に仏教の本場のインドのヴァルダナ朝まで行き、仏教の本場で学び、お経をいっぱい持って帰った坊さん、これが玄奘です。
 こういっても日本人はこの名前を知らない。あだ名で通っています。三蔵法師という。三蔵法師というと聞いたことないですか。あるお猿さんの話があります。
 中国の猿といえば孫悟空ですよね。孫悟空は架空のお話ですよ。作り話です。
 でもその中に出てくる孫悟空が守ろうとした偉いお坊さん、それは実在の人です。それがこの玄奘です。
 中国から、山越え、谷越え、インドまで行って学び、中国に帰ってきた。そのときの道中記に話を借りて、孫悟空という猿が活躍します。自分の体の毛から自分の分身を何百人もつくって戦ったという話になったりもしています。そういう孫悟空はウソです。でも残り半分は本当です。

 ただ中国では800年代になると仏教が流行りすぎて、「仏教は外国宗教じゃないか、中国の宗教に立ち返ろう」、そういう動きが出て弾圧される。だからこの後、仏教がさかんになるのは朝鮮や日本であって、中国ではありません。

 中国のオリジナル宗教は孔子の教えの儒教です。中国のオリジナル思想は儒教です。仏教はインドの宗教です。



【ウイグル】 突厥が応援して唐ができたんですね。 その突厥の別の一族がまだ744年に内モンゴルを統一しウイグル帝国をつくる。唐と組んで、さっき言った756年の安史の乱を鎮圧しますが、このウイグル帝国も840年キルギスに攻められ崩壊します。
 ウイグル自治区は今でも中国にあります。これに戦いを挑んだキルギスの名は、キルギス共和国といって中国の西の中央アジアにあります。これは遊牧民同士の戦いですよね。そして唐は仲間のウイグルを失って滅んでいきます。



【農民反乱】 弱くなったら滅ぶ、王朝に不満を持つ人たちによって。これを黄巣の乱といいます。875年です。
 黄巣は人の名前です。塩の密売商人をしていた人ですが、それに参加したのが農民たちです。やはり農民反乱です。農民が腹を立てる。「生活がきつい、社会はガチャガチャだな、この王朝ダメかな、天が見放したんだ、天が見放したら王を交代させよう」、こういうことを徹底的にやる。

 907年には、黄巣の家来でもと節度使であった朱全忠の動きによって唐が滅亡します。注意すべきは、このとき北方民族の突厥を味方に引き入れます。朱全忠は新しい国、後梁という国をつくります。これが五代十国の始まりです。

  これで終わります。ではまた。


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