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新「授業でいえない日本史」 36話 20C前半 原敬内閣~大正期の文化

2020-10-24 09:16:23 | 新日本史5 20C前半
【原敬内閣】(1918.9~21.11)
米騒動によって寺内正毅内閣が総辞職すると、1918.9月に原敬(はらたかし)が総理大臣になります。第一次護憲運動後、首相は、山本、大隈・寺内・原とくる。その2ヶ月後の1918.11月に第一次世界大戦がイギリス側の勝利で終わります。


【本格的政党内閣】 寺内正毅が総理大臣を辞任した時には、立憲政友会が議会の第一党を占めていました。この立憲政友会の総裁が原敬です。天皇がノーと言えばダメになるんだけれども、天皇はそれほど我を通したりしないです。あっそうかと、だいたい認めるんです。こういう形で総理大臣が選ばれた。これが本格的政党内閣です。
議会の多数を占める党の党首として天皇から内閣総理大臣だと認められた。ただ寺内正毅内閣の総辞職後、新たに選挙が行われたわけではありません。それ以前の議会を引き継ぐ形で総理大臣になります。大臣のポストの多くを立憲政友会が占めます。ただし陸海軍大臣は政党員ではありません。

原敬の出身は岩手県です。前任の寺内正毅は長州でしたし、今までの総理大臣のほとんどは薩摩か長州出身でした。しかし、このあとはガラリと変わって、薩摩・長州出身の総理大臣はほとんど出てこなくなります。

ここまでの歴代長期政権は、1位が桂太郎、2位が伊藤博文です。

2位の伊藤博文を破ったのは昭和の首相佐藤栄作で、この人も山口県(長州)出身です。1位の桂太郎が破られたのはつい最近の2019年のことで、これは安倍晋三政権です。そしてこの人も同じく山口県(長州)出身です。
つまり今の時点での歴代長期政権は、1位安倍晋三、2位桂太郎、3位佐藤栄作、4位伊藤博文となり、すべて長州出身者です。しかも佐藤栄作は安倍晋三の叔父に当たります。こんなことは普通は起こりえないことです。このことの特異さを考えると、長州の力はどこかに温存されていったのかも知れません。
山県有朋、桂太郎、寺内正毅はすべて陸軍の長州出身です。それに対して、薩摩出身の首相はほとんど出てきません。

この原敬内閣には、長州閥として陸軍大将の田中義一が陸軍大臣として入ります。田中義一はのちに総理大臣になります。戦前では、彼が最後の長州出身の総理大臣になります。
桂園時代には、長州の陸軍と立憲政友会が対立していましたが、立憲政友会を母体とする原内閣は、長州の陸軍とここで手を結んだようにも見えます。


【パリ講和会議】 1918.11月に第1次世界大戦が終わると、翌年の1919.1月からその講和会議が勝ったフランスで行われる。これをパリ講和会議という。

この第一次世界大戦には、2つのフェイントがあるといいました。
1つはロシアが崩壊したということです。1917年のロシア革命です。そしてそれまで机上の空論だと思われていた計画経済の政府、これが実現した。これを社会主義と言う。
ソ連がなぜできたのかというのが、今までの疑問だったけれども、20年前からは、ソ連がなぜあんなにあっけなくつぶれたのか、というのがまた新たな疑問になって、疑問は非常に多いですね。
ロシア革命でロシアはソビエト連邦となる。君たちが生まれたころには、すでにこのソ連がつぶれてまたロシアになっていた。ロシア、ソ連、ロシアと変わります。


この第一次世界大戦は本来ヨーロッパの戦いであったはずです。日本は日英同盟があったから参戦したんです。しかもあまり加わってないです。
しかしアメリカはもともと何の関係もなかったし、同盟関係も結んでなかったけれども、これにアメリカが参戦した。これに参戦することによって、イギリスに不利な局面を一気に打開して、圧倒的にドイツをやっつけた。これでドイツも崩壊した。

さらにアメリカはイギリスなどの戦勝国に莫大な資金援助もしています。戦後はその貸し付けた資金をヨーロッパから回収することによって、ますますアメリカは繁栄していきます。

ここで王様がいなくなった国が、2つ出てきた。今まで、国には王様がいるというのが常識だったけど、ロシア皇帝は殺された。ドイツ皇帝は逃亡し、亡命した。そしていなくなった。
これによって、列強の中で王様がいる国は、勝ったイギリスだけになった。しかしこのイギリスの王様は、もう300年も前から政治の実権を持たない王様です。第一次大戦は、一面では王国つぶし、帝国つぶしの戦いです。


【ベルサイユ条約】 条約が結ばれたのが、パリの郊外のベルサイユです。ベルサイユ条約という。しかしここで主導権を握ったのは、もうイギリスじゃない。
最大の手柄を立てたのはアメリカです。アメリカの軍事力、それともう一つはお金です。この資金力がないと、この戦いは勝てなかった。その資金を提供したのが、大戦の1年前に設立された連邦準備制度理事会というアメリカ中央銀行、FRBであった。非常に分かりにくい名前ですが、アメリカの中央銀行です。今もここでドル札が発行されています。それを設立した大統領はウィルソンという。アメリカの民主党出身ですが、生え抜きの政治家ではなく、もともとは大学教授です。金融資本家の援助を受けて大統領になった人です。

このパリ講和会議に、日本からは元老の西園寺公望が全権で参加する。
まずドイツが悪いとして、責任を負わせ、徹底的に賠償金をもらおうという戦後処理を行います。
それから、民族は自分の判断で国を作っていい。民族自決の原則です。ヨーロッパに民族で国を作っていく。逆に言うと、ヨーロッパは、ますます小さい国が乱立していくんです。
ではアジアはどうか。植民地のままです。こういうのをダブルスタンダードという。民族自決だといいながら、いいよというのはヨーロッパ人だけ。アジアは植民地のままです。アフリカ人なんかはとんでもない。こういう体制をベルサイユ体制という。

日本は敗れたドイツの領域をもらう。中国の山東省、それから南洋諸島です。この日本の領域は前回に地図で示しました。今と全然違う。これに対してアメリカが、それはもらいすぎだ、という。日本は、日英同盟でイギリス側に味方したけれど、これはもらいすぎだ、納得できない、と言って、アメリカはここから、巻き返しをはかっていく。

こういう日本の領土の拡大に対して、併合された方は腹を立てる。朝鮮も、中国も。反日運動です。
日韓関係や日中関係は、このあたりの歴史からずっと絡んでくる。反日運動だから、日本にとっては嬉しいことではありません。慰安婦問題でも、最近出てきた徴用工問題でも、お金が絡むんです。オレには関係ないじゃなくて、日本が払う賠償金は、もともとは誰のお金か。税金です。いろいろ我々への手当とかが削られて、これが朝鮮に行く、中国に行く、という構造です。ごめんなさいと言った以上は、必ず賠償がきます。だから、事実が分からないまま、その場しのぎでごめんなさいと、いうとあとで大変なことになる。
朝鮮は三・一独立運動という。1919年3月1日に起こる。中国は五・四運動といいます。1919年5月4日に起こる。中国の場合は、日本が突きつけた二十一ヵ条要求に対してです。


【国際連盟】 それから、このパリ講和会議で、もう一つ、突然出てきたのが・・・・・・朝起きたらできていたという感じなのが・・・・・・国際連盟です。
このあいだ、少し言ったけれども、アメリカ大統領ウィルソンがこの会議のリーダーシップを取っている。それをいいことに、アメリカ国内にさえ何の根回しもなく、この人が突然提案したのが国際連盟です。
アメリカがそんなに言うんだったら、反対はできないな、当然アメリカもはいるだろう、と思っていたら、フタを開けてみるとアメリカは入らないという変なことになる。

アメリカ議会は、こんなのは初耳だ、何で急にこんなことを要求するのか、しかも国際会議で提案したあとに、と言う。アメリカはもともと孤立主義といって、ヨーロッパには関心を持たない。その代わり、ヨーロッパからの干渉も受けないというスタンスなんです。これをモンロー宣言という。干渉しない代わりに、干渉もするなという立場なんです。
国際連盟はまったく逆です。干渉もするし、その代わり意見も聞きましょうということです。ぜんぜん違う。ただ武力は持ちません。それが今の国際連合と違うところです。
なぜこのウィルソンは、こんなことを急に提案するのかというのは、話せば話すほどよく分からなくなるから、ここではカットしますが、アメリカは参加しない、ということを知っておいてください。アメリカが提案したのに。異常な話です。
ということは、次に第二次世界大戦が起こっても、アメリカは集団安全保障上、それに加われないはずなんです。アメリカは第二次世界大戦が起こっても、長いこと戦争に加われなかった。しかし日本の真珠湾攻撃をきっかけに参戦します。そうなるまでの動きはあとで詳しく見ていきます。


【シベリア出兵の継続】 その後の日本は、ソ連が社会主義になったというのが怖くて怖くて仕方がない。日本に一番近い国というのは、実はソ連なんです。だからソ連に干渉していく。シベリア出兵という、ということはすでに言いました。
しかしこれはうまく行かないし、小競り合いがあっても、日本は寒すぎてうまく戦えない。結局、うまくいかないけれども、これをずっと続けて、撤兵したのはさらに4年後の1922年です。日本は列強の中で一番ムダ金を使った。これは失策です。1920年のニコライエフスク事件でも多くの死傷者を出し失敗している。


【私立大学】 国内面で原敬がやったことは、都会に人口が集中しつつある。都会の生活が上がりつつある。教育水準も高まっている。しかし大学が足らない。だから大学をつくる。
今まで専門学校と言っていたものを私立大学とする。例えば東京専門学校は、新宿付近の早稲田にあったから、名前を変えて早稲田大学となった。


【普通選挙】 それからこの内閣は、非常に庶民の人気が高かった割には、普通選挙法には反対します。所得制限を完全には撤廃はしない、しかし、撤廃したいという人が多かったのを受けて、3円に引き下げる。明治では、最初は15円、例えばですけど、納税額が1500万円ぐらいの大金持ちであった。しかし納税額が300万円ぐらいに引き下げました。それでも高いですけど。もうちょっとすると、普通選挙になります。


【大戦景気の反動】 大戦中は景気がよかったけど、戦争が終わると、大戦景気の逆になる。大戦景気は、ヨーロッパがつくれなかったからです。ではヨーロッパつくれるようになれば、当然そのぶんの日本の販売力は落ちるんです。ヨーロッパが戦後復興していくと、その年すぐに、また日本は輸入超過になり、貿易赤字国に転落していく。
こんなこと分かってるじゃないか、と思うけど、恐慌というのは、わかっちゃいるけどやめられないで、アッ売れない、と思ったときにはすでに遅くて、生産調整が間にあわないのです。それですぐに戦後恐慌です。1920年に戦後恐慌に陥いる。このあと、ヨーロッパは復興していきますが、日本はこのあと10年間、20年間とずっと恐慌つづきです。これは現在の平成不況の30年間と似ています。これがその第一発目です。これでもか、これでもかと、恐慌が来るんです。

バラの未来を描こうとした原敬は、急速に人気を落としていきます。そんななかで、東京駅でブスッとやられる。暗殺です。1921.11月です。犯人は国鉄職員の18歳の少年で、背後関係は分かりません。ただ単独犯とは思えません。こういう形で原敬は終わります。顔が端正で人気が高かったけど、政党政治に暗い影が落ちてくる。
そのあとは、予期しない暗殺だから、ピンチヒッターが出てくる。与党の立憲政友会はそのままです。




【高橋是清内閣】(1921.11~22.6)
原敬が暗殺されると、大蔵大臣であった高橋是清がピンチヒッター的に、1921.11月から原敬内閣をそのまま引き継ぎます。与党もそのまま立憲政友会で、その立憲政友会の総裁にもなります。
この人はここよりも、あと1回あとで大蔵大臣として約10年後に出でくる。そこが彼の本領発揮です。彼は日露戦争の資金をアメリカから取り付けた人で、アメリカとのパイプをもった人です。もと銀行家でお金の世界に詳しい人です。ここではピンチヒッター的です。しかしこのピンチヒッターの時に、アメリカを中心として、国際社会は大きく動いてきます。そのアメリカに対しては、なすすべがありません。



【ワシントン会議】 アメリカは日本を敵と見立てています。そして第2回戦をふっかけてくる。イギリスを中心とする主要国に呼びかけアメリカで会議を開きます。これが1921年ワシントン会議です。アメリカ大統領はハーディングです。
背景にあるのは日本と米英の対立です。日本全権は、次の首相になる加藤友三郎です。この時は海軍大臣です。海軍軍人で海軍大将を務めた人です。


【四カ国条約】 この会議で日本が結んだ条約が、1921年の四カ国条約です。四カ国というのは、アメリカ、イギリス、フランス、日本です。
このなかで軍事同盟があるのは、日英同盟です。アメリカはこれを切りたいんだけれども、切れとは言えないから・・・・・・ここらへんがウソも方便です・・・・・・日英同盟はいいですね、オレも入りたいです、フランスさんも入れて四カ国同盟にしましょう、という。
そのあと、どうなるか。イギリスは日英同盟を組んでいたから、日本びいきになるかというと、アメリカとイギリスは言葉も同じ、民族も同じアングロサクソンです。イギリスは今に至るまでアメリカと喧嘩したことはありません。さも当然のようにアメリカ側につく。
ではその四カ国同盟は機能するか。誰もがウソも方便だと知っている。ウソと分かっていても、日本はどうしょうもない。世界の基軸である米英のまえに、いとも簡単に日英同盟は廃棄されます。

幕末に伊藤博文がイギリスに近づいて以来、日本とイギリスとの関係はずっと続いてきましたが、ここでイギリスとの関係は大きな転換点を迎えたといってもいいでしょう。伊藤博文が日露戦争の前に、日英同盟に反対して日露協商論を唱えたことは、この観点から考えるべきことだと思います。イギリスを中心に世界を見ていた伊藤博文は、イギリスのホンネを最初に見抜いた政治家であったともいえると思います。伊藤博文は二階に上らされたあと、イギリスからハシゴをはずされることを恐れていたのではないでしょうか。

ただ日本とイギリスとのレールを敷いた政治家もまた伊藤博文であることは間違いのないことです。伊藤博文がハルビンで暗殺されたことにも謎はつきまとっています。

大きな流れを見ると、幕末からの伊藤博文の親英路線を受け継いだのは、同じ長州でも山県系の桂太郎の陸軍です。そして親英路線の象徴である日英同盟を切ったのが、ワシントン会議全権で海軍大臣の加藤友三郎です。この人は広島県出身で、薩摩閥ではありませんが、海軍の実力者です。
このあとの長州閥で陸軍出身の首相として田中義一が出てきますが、失脚に近い形で退陣していきます。れ以降、陸軍内の長州閥の勢力は低下していき、日本の敗戦まで長州出身の首相は現れません。
ところが米英に敗れた日本が、戦後になって再び親米英路線を取ると、今の安倍晋三首相の祖父である岸信介をはじめとして、再び長州出身の首相が登場してきます。


【九ヵ国条約】 日英同盟を廃棄して、アメリカは、日本は取りすぎだと思っていたから、その目的を1922年の九カ国条約でかなえます。
九ヵ国すべてを覚えるのは大変です。前に述べた4ヶ国にどこが加わったか。ポイントは一つだけ、中国です。中国の日本権益をチャラにしよう、というのが、アメリカの狙いなんです。
メインは、大戦中に日本が中国に突きつけた対華21ヵ条の要求の一部を否定する。ドイツから取った山東省を中国に返せという。


【海軍軍縮条約】 さらに、戦争しないようにしましょうね、といいます。
攻める軍隊は陸軍じゃないんですよ。陸軍は守りの軍です。ホント言うと日本の戦後はもともと専守防衛だった。それを数年前に安倍政権が変えたけれども、ホントは専守防衛で守るだけです。陸軍だけでいい。守るだけだったら飛行機は飛ばなくていいんです。飛行機はもともと攻めるためのものです。では飛行機が飛んでいない時代はどうだったか。この時代にやっと飛行機が飛び始めたのです。攻める軍隊は海軍なんです。だから攻める軍隊を削減しようという。陸軍じゃなくて、海軍軍縮条約を結ぶ。1922年です。

どういう割合で削減するか。米英日の主力艦の制限です。主力艦というのは・・・・・・まだこの時にはないけど第二次大戦の時には戦艦大和とか戦艦武蔵とかができる・・・・・・そういう主力艦がある。
米:英:日で、5:5:3とした。国力としてはこのくらいのものかなあ。どうですか。ここにどういうトリックがあるか。5:5:3でも、米英は仲間です。日本ははずされたんです。実質は米英は合計して5+5で10です。実体は10対3です。これどうですか。絶対に勝てないです。
このあとイギリスが2度と日本側に着くことはないです。ここで決まった体制をワシントン体制という。日本にとって重要なのは、1回戦のベルサイユ体制ではなくて、この2回戦のワシントン体制です。これで決まりなんです。

日本内部には、この体制に対して不満も高まった。日本に不利だからです。しかし、イヤこれでいい、アメリカと仲良くやっていきましょう、と一貫してアメリカにすり寄る人がいる。これがアメリカ大使の幣原喜重郎です。これを協調外交といいます。
この幣原喜重郎が歴史で一番大きく出てくるのは、日本にピカドンが落ちてアメリカに負けた太平洋戦争後、まず内閣総理大臣になるのがこの幣原喜重郎です。ここで戦後日本の半分以上が決まる。農地改革から財閥解体から一貫して、親米です。元アメリカ駐在の外交官、アメリカ大使館員です。
高橋是清内閣は、ワシントン会議が終わると、内閣の方針が一致せず、総辞職します。




【加藤友三郎内閣】(1922.6~23.9)
次は、ワシントン会議で全権を勤めた加藤友三郎が1922.6月に総理大臣になります。海軍出身のもと海軍大将です。

この4ヶ月前の1922.2月に元老の実力者山県有朋が死亡し、元老は松方正義と西園寺公望になっています。元老の話し合いで、加藤友三郎が選ばれると、加藤は立憲政友会が協力することを条件に首相を引き受けます。それを天皇が了承するという形です。ここで政党内閣がいったん切れます。非政党内閣です。

しかしこの人は任期途中で病死します。原敬は暗殺、このもと海軍大将の首相は病死。このあとよく人が死んでいきます。肝心なところで。明治維新とか、明治維新直前とかでも、よく人が死んでいったでしょう。将軍が死んだら、天皇も死んだとか。坂本龍馬も殺された。

ただ世界史をみると、ここでドイツがとんでもないことになる。パン一個が1兆円とか、リヤカーいっぱいお札を積んでいっても、パン一個しか買えないとか、とんでもないインフレーションになる。これも半分は謎ですね。なぜここまで中央銀行が紙幣を刷ったのか。
このインフレーションは、これ変な話があって、パン一個が1兆円になるという事は、それまでまじめに働いた人は、毎月毎月1万円ずつ貯金してたんですよ。貯金して100万円を貯めた。しかしパン一個が1兆円する時代で100万円の貯金とか、何の役にも立たなくなる。庶民の資産は全部パーになる。そういう事になって、ドイツ人は身ぐるみ剥がされていく。ドイツ人全員が貧乏になる。
ではそのドイツ人が貧乏になった分の富は、どこに行ったのか、というのがよく分からない。
そんなにドイツが苦しかったら、と言って、アメリカが、貸しましょうかと言う。これが甘いささやきですよ。貸しましょうかと言って、1924年にアメリカ人のドーズという人が来る。このドーズは、この後に副大統領になる大物なんです。
その次を言うと、アメリカドイツ着お金を貸してる。しかしこの後5年後の1929年世界大恐慌が起こる。そしたらアメリカもお金が足らなくなって、ドイツに貸したお金を急に早く返せという。ドイツは、そこでまた失業者だらけになる。そのあとに出てくる政治家がヒトラーです。その世界恐慌まで、あと5年です。




【社会運動】
この大正時代の社会は、気分は明るい。大正デモクラシーといいます。普通選挙運動が盛んです。普通選挙運動としては吉野作造という人、東大の先生です。

それから、婦人も強くなる。1911年に青鞜社ができます。青い靴下という意味です。ヨーロッパのマネです。ヨーロッパのダテ女たちが、青い靴下をそろえて、女性の権利を声高に求めたフランス女性たちがいるんですね。それが大好きで、平塚雷鳥(らいてう)という。本当は、明子さんというんです。平塚明子です。ペンネームを雷鳥という。すごい名前です。

それから1920年に新婦人協会ができて、女性にも政治活動をさせろ、という。それから次には、女性にも参政権をくれという運動になる。

また男も賃金上げろ、労働時間を減らせ。1912年に友愛会ができます。そういう労働運動の団体です。この団体は、名前から分かるように、最初は優しかった。友達と愛情だから。労使協調なんです。景気が良いときはいいんですよ。しかし日本は第一次世界大戦が終わると、景気が悪くなってすぐ恐慌になっていく。そして失業者があふれる。給料が下がっていくと、本気になっていく。鋭い対立が起こる。名前も変えて、友愛会が1921年に日本労働総同盟となる。そしてストライキが頻繁に起こっていくようになる。

そういう中で、計画経済じゃないとダメなんだという政党、その運動を社会主義運動という。政党は1922年に日本共産党ができる。今もあります。この時には非合法に結成されます。今は合法です。
しかしこれは社会主義運動の本当の目的は1国だけじゃダメなんだという世界革命論なんです。だから世界革命を起こすために、あっちこっちの国に支店を作る。支部を作る。その日本支部・・・・・・親玉はソ連のコミンテルンといいます・・・・・・としてできたのが日本共産党です。

それから農民も、自作農ばかりじゃなくて、地主の土地を借りて耕している農民が多い。小作争議という。サラリーマンでいうと給料上げてくれ、というのといっしょです。地方でもこういうのが起こっている。




【大正時代の文化】
大正時代、第一次世界大戦後です。1920年前後です。時代的な雰囲気はデモクラシーの風潮が盛んで、大正デモクラシーといいます。


【政治思想】 その代表的な人が、政治思想としてデモクラシーを推進していった人は、東京大学の法学部の先生で美濃部達吉という人です。この人の憲法学説を天皇機関説といいます。
実は戦前の日本は民主主義国家ではないんですよ。正式な法的位置付けとして、主権は国民にない。主権は誰なんですか。天皇なんです。そういう中で、どうやって民主主義に近づけるかという理論を構築した。主権は天皇にあるとは言わずに、国家にあるとした。
1歩拡大すれば、「天皇は神聖にして」とあるから、神様であるという考えも出てくるんです。それを天皇は機関であるとした。少なくとも神様とはいっていない。天皇というのは法的には、いろいろ内閣とか文部省とあるような、一つの機関としてととらえるべきなんだ、ということです。少なくとも神ではない。神様になったら絶対文句言えなんなるから。これが定説であったということを知っていてください。ただこれはあと10年経つと、軍部によって否定される。軍部が全部悪いとは言わない。その過程を今から言っていくわけです。

次が吉野作造です。民本主義という。民主主義じゃないのか。これをすぐ民主主義と書くんです。民主主義と書けないという理由を今言ったんです。日本は民主主義国家ではない。主権は天皇にあるから。そのなかで、主権のありかを、主権がどこにあるかと言いはじめると難しくなるから、これは目的論になる。政治は民衆本位であるべきだとした。これが民本主義です。


 (日本に来た)宣教師たちは日本をキリスト教化する工作を進めていました。その一例が大正時代に表面化した大正デモクラシーですが、大正デモクラシーは日本を混乱に陥れました。大正デモクラシーを主導した1人の吉野作造はクリスチャンです。日本の指導的クリスチャンの多くがアメリカの宣教師と呼応して、日本の国体の破壊活動をしました。言い方は悪いですが、彼らはスパイと紙一重の活動をしたのです。私は大正デモクラシーこそが、日本の国体を破壊しようとした元凶だと考えています。(世界を操るグローバリズムの洗脳を解く 馬渕睦夫 悟空出版 2015.12月 P125)



【文学】 次は文学です。白樺派という。白樺というのは雑誌の名前です。この白樺という雑誌に小説を中心にのせた人たちのグループです。主に学習院大学出身です。いわゆるお金持ちですね。身分も高くて、お公家さんとかいる。代表的な人が、武者小路実篤です。「むしゃこうじ」という名前でわかる。もと貴族です。それから有島武郎とか志賀直哉という人たちです。

自分たちの理想郷の村を作るんだと言って、九州に乗り込んで、宮崎県の山奥の村を買いとって、ここらへんがお金持ちでしょう。親の金です。自分たちで新しき村を作るんだといって、共同作業をやったりするんだけれども、これはうまくいかない。ただ新しき村は、ここでつぶれなくて、実は今も1人か2人で関東あたりにあるらしい。この新しき村の流れというのは。なぜこれがうまくいかなかったか。やっぱり男と女の関係ですね。それでうまくいかなかった。彼らが目指したものは、集団ではなくて、個人主義です。この個人主義という考え方も流行ってくる。

それからもうひとつの派。新思潮派という。芥川龍之介です。よく茶川と書いたりする。茶川龍之介じゃない、芥川龍之介です。作家になりたい人の登竜門は何という賞か。この人にちなんで。芥川賞です。これをもらうと、だいたい一生食っていける。最近では、漫才師の誰がもらったですか。又吉直樹がもらった。読んではいないけれども。

それから労働運動が盛んで、貧しい労働者の生活実態を描く。今はほとんど消えたけれど、プロレタリア文学というのがあります。雑誌の名前は「種蒔く人」です。
代表作家は、小林多喜二。小説の名前は「蟹工船」という。本当に蟹を取るための遠洋漁船の中に、たこ部屋状態で働いている貧しい漁船の乗組員たちの重労働の実態ですね。10年ばかり前に、日本の景気が暗黒の10年から20年になったあたりで、若い人たちに一部火がついた。50年ぶりにこの蟹工船がものすぐこ売れた年がありました。


【民俗学】 それから学問としては昔のことというと、徳川家康とか、有名な人、源頼朝とか、そういった人を調べるのが歴史だったけれども、この人は、誰も知らないような、例えば私の爺さん婆さんの、そのまた爺さん婆さんとか、そういう人たちの生活を知りたいと思った。名づけて常民といった。柳田国男という人です。彼の学問を民俗学という。ミンゾク学には2つあって、世界にいろいろいる民族を研究するのを民族学という。日本の姿に限定して、それが近代化で失われていく中で、それを取り戻そうというのが民俗学です。ゾクの字が違う。


【マルクス主義】 それから、河上肇の「貧乏物語」です。マルクス主義者です。この「貧乏物語」が今までと違うのは、貧乏というのは、お前の働きが悪いからだと、それで済まされていたのが、明治の石川啄木という詩人が、「働けど 働けど 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る」と詠んだ。何を歌ったか。一生懸命働いても俺の力では貧乏にしかならんという。社会に責任がある、という考え方です。貧乏は個人の責任ではなく社会の責任だ。これが今の福祉国家の考え方の一つの柱でもある。
こういう新しいのが出てきている。


【新劇】 今度は劇です。今でも、いわゆる演劇の世界というのは、地方にはないけど、福岡にちょこっとできたけど、客はあまり入ってない。東京にある。なぜかというと、大手マスコミの新聞、テレビ、映画、ラジオ、そういうメディアには全部、統制がかかる。本当に自分が言いたいこと、表現したいものというのを、何も統制がかからずに伝えたい。客は50人、100人程度でもいいから見て欲しい、というのが演劇の世界です。だから基本的に貧乏なんです。
それでできた芸術座。中心は島村抱月という大学の先生です。日本初の女優松井須磨子が誕生しますが、やっぱりうまくいかない。ただれた男女関係になる。これは今でもある芸能界の常です。

次に築地小劇場です。築地が出てきました。移転した築地魚市場ができる前にあった。あそこらへんにあった。小山内薫という。東大生です。まったく大学の勉強はしない。大学に行っても。こればっかりやっているという人です。芸術家というのは、生活をかえりみず、そういうことをやる人が多い。成功する人もいれば、リスクとして半分以上は身を滅ぼしたりする人もいる。


【美術】 美術界では、二科会というのが作られていく。この会は今でもあります。日本画もけっこう頑張ってる。西洋画ばかりでなくて。日本美術院というのもある。
その日本流で、現代風だという評価を受けているのが、竹久夢二という。なよっとした、ちょっといなせな現代風の洒落た細身の女を描く。黒い猫を抱いた「黒船屋」とかが載っています。


【雑誌】 それから、一般大衆向けには雑誌が出てくる。今はないけれども、一番売れ筋は「キング」です。月刊誌ですね。
「中央公論」は今でもある。それから「改造」、これはみない。
「文芸春秋」はあります。月刊誌としてナンバーワンです。今でも本屋に行けばあります。

むかし本は高かったんだけれども、このころ大衆化を目指して、とにかく安くしようといって、1冊1円です。円本といいます。1円は、今の値段で、大まかにいって1000円です。
本が1000円で買える。普通5~6千円したんです。5~6千円だったら買えない。しかし1000円だったら買える。やっぱり1000円までは出して良い本は買わないといけない。
今はアマゾンで、200~300円で送料が300円かかって、500~600円で買える。だから、出版社は儲からない。古本だから。


【ラジオ放送】 電波では、ラジオ放送が開始された。テレビなんか、まだないです。テレビは、私が生まれたころには家になかった。日本放送協会ですね。NHKの始まりです。テレビもなければ、電話もありません。
電話がないときに、どうやって連絡をしていたか。5キロ先の親戚とかザラにある。これはうちの話、私の親父は昭和の初めに生まれましたが、祖母(親父のお袋)から、親戚のおばちゃんに、明日つかいに行けと言われて、手紙を持って渡しに行っていたという。一生懸命歩いて、子供の足で片道5キロ、往復10キロです。きつかったと思うよ。向こうのおばちゃんが、よく来てくれたね、と言ってかわいがってくれた。饅頭を食わせてくれた。甘いものは、むかしは無かった。歩いて行くのは、イヤだったけれども、着けば楽だった。メシ食うと動きたくなくなるから、泊まっていく。帰らない連絡はできない。どうしていたのか。

村に最初に電話が来たとき、覚えている。その家は大きな柱を立てて拡声器をつけた。村の人の緊急の用事は全部そこにかかってくる。だから電話をつけて、そこは民家ではなく、店だったからね。しょっちゅう、そこに何さんを呼んでくださいと電話がかかってくる。何々さん、電話がかかってるよ、とマイクで村中に呼び出す。そしたら、大急ぎで走って行く。200メーターぐらい全力で走っていく。
その次は何だったか、ダイヤル式ではなく、村役場の有線電話です。君たちは知らないだろうね。こんな話をしていると進まない。ただ村中筒抜けなんです、受話器の形をしているけど。隣の家で、言ったらいけないことを言っているというのが筒抜けなんです。だから秘密のことは話せなかった。
これで終わります。

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