1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

「ひょんなきっかけ」のこと

2008-03-07 16:30:35 | Weblog
昨日は卒業式に出ないで仕事をしていました。
あの子が病気になって、亡くなって...それでも仕事を続けてきました。
仕事がなかったら、もっと落ち込んでいたでしょう。
どんなに辛い時でも、外に出かけなければならない。人と会わなければならない。
忙しく動いている間は、何も考えずにいられる。
今は仕事があって良かったと思っています。
家族もそうです。ほかの子供たちのためにも落ち込んでばかりはいられません。ご飯を作って、洗濯して、学校に送り出さなければなりません。
あと1つ、私には音楽がありました。一緒に音楽をやる仲間がいました。
娘の病気がみつかった日から半年、それまで日課になっていた練習をやめ楽器を封印しました。
しかし治療が功を奏しないとわかった頃からまた練習を始めました。私が平常の生活をすることで、「この生活が続いていく。」そんな気がしたのです。病院から帰って家事をすませて寝る時間を惜しんで練習をしました。
最後の手術が終わったあとに新しい病巣がみつかって「もうこれまでか。」と覚悟したとき、私は娘に「母さん、音楽やめるわ。」と告げました。
娘は「なんでやめるの?手術が終わって後は私がリハビリを頑張るだけじゃん。続ければいいよ。」そう言いました。

「ゴージャス」という曲の中にこんな言葉があります。
 
 ひょんなきっかけで、生まれた人もいる。
 ひょんなきっかけで、あの世行きもある。
 ひょんなきっかけで、君とここにいる。

太陽系が出来たのも「ひょんなきっかけ」である。その中に地球という惑星が生まれたのも「ひょんなきっかけ」。地球に生命体が生まれたのも「ひょんなきっかけ」。原始の海で生まれた単細胞生命が人間に進化したのも「ひょんなきっかけ」だっただろう。数億個の精子の中から1つの精子が生き残るのも「ひょんなきっかけ」。娘が私の娘であったのも「ひょんなきっかけ」。
きっと娘の病気も突然変異が引き起こした「ひょんなきっかけ」。

たくさんの「ひょんなきっかけ」をくぐり抜けて今がある。