田舎の倉庫

Plala Broach から移植しました。

トイレのドアが・・・

2009年07月14日 | 田舎暮らし

一昨日からの雨が、昨日も、一日中降り続きました。
梅雨のないはずの当地としては、異例の長雨です。

このためか、アチコチのドアの建て付けが悪くなり、トイレのドアを閉めるのも一苦労です。思い切ってノブを引かないと閉まりません。玄関のドアは、蹴飛ばさないと開きません。

現在、小生らが住んでいる家は、構造体がツーバイフォーで、外側にマシンカットのログを張り付けたログハウス風建物ですが、室内は、すべて無垢の北欧パイン材でできています。

このため、調湿効果が高く、比較的住み心地は良いのですが、今度のような長雨で続くと、木材が湿気を吸ってドアの建て付けが悪くなります。

当初は、カンナ(鉋)でそこここのドアを削っていましたが、現在は、それほどでもありません。

それにしても、早くこのジメジメから開放して欲しいものです。


草履(ぞうり)

2009年07月12日 | 田舎暮らし

先日、近所の奥さんが、家内とチャットをしにいらして、その際、「これいいわよ!」と、ご覧のような草履(ぞうり)をくださった。

写真のように、鼻緒のついた草履(ぞうり)なのだが、余り着を裂いた布で編んであり、室内履きだという。

早速、足を乗せてみると、そのフンワリした履き心地がとても良いのに驚かされました。また、このようなグッズを考案して、ひとつひとつ手作りしていく人の心意気に、頭の下がる思いがしました。

小生ら夫婦は、どちらも末っ子のせいで、何かを自分で企画して形にするのが至って苦手です。つまり、何か事があると、みな年長の兄弟姉妹が片付けてしまうので、小生らの出番はなく、従って、具体的に物事を片付けていくようには育たなかったようです。

例えば、拙宅の表札。
ここは別荘地ですので、そこに建つ家々には、どこにも手製の素敵な表札がかかっています。しかし、拙宅には、愚息が小学生の時作った魚の彫り物に、手書きで苗字を書き加えただけの木の板が出ています。

ここに住み始めて11年目にもなるというのに、表札ひとつ作れないのですから、我ながら呆れたものです。


さらなる高みへ「徳丸滋展」

2009年07月11日 | ギャラリー

昨日、小川原脩記念美術館(倶知安町)で「~森をわたる風、木々のささやき~徳丸滋展」を拝見しました。また、画伯ご夫妻と親しくお話もでき光栄でした。

いつもは、小川原脩の絵画を常設展示している大きな第一展示室を使って、同氏の最近作32点が展示されていました。どれもニセコの自然を身体全体で感じさせてくれる見事な作品です。

作品は、圧倒的な迫力の「カラマツ林」や「半月湖」、「山霧」のような大作や、いつまで見ていても見飽きない「ウド」、「ハンノキ」や「ベニヒワ」のような近作もあります。

 いずれにしても、小生には、徳丸画伯の作品が、近年、自然に対するより研ぎ澄まされた感覚とともに、さらに高みに上り詰めつつニセコの自然と一体化してしまったかのように思えるのですが、どうでしょうか。

この展覧会の会期は、明日までですが、まだご覧になっていない方には、是非ご一覧をお勧めします。 徳丸画伯のHPは、こちらにあります。


なかにし礼著「戦場のニーナ」

2009年07月10日 | 読書三昧

”貴女の過去など~”と歌う菅原洋一さんの「知りたくないの」など、数々のヒット曲(の作詞)で有名な「なかにし礼」氏が作家に転向し、第122回(2000年上半期)の直木賞を受賞。その後も面白い小説を書き続けていることはご存知の通りです。

ただ、この「戦場のニーナ」は、「週刊現代」に連載(2006年1月~11月)されたそうですが、小生は、今回図書室でみかけるまで知りませんでした。

物語~”1945年8月16日、満州牡丹江北東部の日本軍(関東軍)永久トーチカは、ソ連軍の猛攻によって壊滅し、日本兵(人)は全員戦死した。

しかし、生き埋めとなっていた女子の幼児一人がソ連軍によって救助され、「ニーナ・フロンティン(戦場)スカヤ」と名付けられる。彼女は、ロシア中西部の都市エカテリンブルグで里子に出され、中国人として育てられる。

その後、孤児院へ送られ、親なし児!国なし児!などと苛められ、私は何処から来たの? 私は誰? と自らのアイデンティティーに悩みながら成長する・・・”

このところ、直木賞や芥川賞などを受賞した作家の作品を読む機会が多かったのですが、これらの作品が、果たして、相応の質を有しているか疑問に思うことがありました。しかし、このなかにし氏の作品を読むかぎり、これらの賞の持つ権威を信じることができると思いました。

つまり、そのテーマと構成力、人物描写の確かさなど、受賞者にふさわしい作品だと思います。そして、何よりも読後に訪れる静かな感動が、この作品の質の高さを物語っています。一読をお勧めします。


艶やかなサクランボ

2009年07月09日 | 田舎暮らし

昨日は、夜半からの大雨が一日中続き、日中でも室内は夕方のように暗く憂鬱でした。今日は、「朝から晴れ」の予報が出ているのですが、まだ曇天が続いています。

昨夜、ご近所の方から、採りたてのサクランボをたくさんいただいた。艶やかな実が、いかにも美味しそうです。口に含むと、甘酸っぱい美味しさが口中に広がりました。

今日は、熟年曜日(行きつけのスーパーで、値段が5%引きとなる木曜日)で午後から食料品の買出しに出かける予定。

先週購入した「らいでんメロン」がとても美味しかったので、これもねらい目です。隣の共和町で栽培されている種類で、赤肉ですが、味が良く、比較的安価なのも気に入っています。

拙宅の菜園では、イチゴが食べごろを迎えていますし、この時期、美味しい果物がたくさんあり、幸せ一杯です。


映画「剣岳~点の記」

2009年07月08日 | ギャラリー

先日、所要で札幌に出た際、JRタワー7Fの札幌シネマフロンテイアで、映画「剣岳~点の記」を見ました。

ここ2~3年、時々、ここで映画を見ていますが、この現代的なシネマコンプレックスは、世の中の動きに疎い熟年世代には、必ずしも居心地のよい場所ではありません。ただ、格安(60歳以上1,000円)で入場できるのが魅力です。

さて、掲題の映画ですが、率直に言って「まずまずの出来」という印象でした。ただ、かって剣岳に登り、その苦労を(そこそこ)知っている身としては、当時の大変さはいかばかりかと共感するところも大でした。

物語は、新田次郎の同名の小説を監督の木村大作氏らが脚色したもので、明治40年(1907年)前人未踏の名峰・剣岳(2,999m)に、参謀本部陸地測量部の測量隊が三等三角点を設置するため、初登頂に挑戦するところから始まります。

しかし、古来、山岳信仰の対象となっていた剣岳は、地元の人々からは「死の山」と恐れらていて、協力が得られない中、一人、宇治長次郎という案内人だけは、登攀の意義を理解し、測量隊の登頂に協力します。

一方、近代的装備を誇る日本山岳会のパーテイも初登頂をめざしており、あたかも、登頂レースの様相を呈して行きます。

悪天候や雪崩など様々な困難と闘い、難行苦行の末、測量隊は遂に山頂に至りますが、そこで見たものは・・・。

映画は、かって撮影技師でもあった木村大作氏が造っただけに、険しい山なみや登攀シーンなど、この映画の見所ともなっているダイナミックな映像は、山岳ファンならずとも楽しめます。また、案内人を演じた香川照之氏のしぶい演技に好感が持てました。 写真は、関連サイトからお借りしました。


感動的な玉岡かおる著「銀のみち一条」

2009年07月07日 | 読書三昧

玉岡かおるさんの力作「銀のみち一条(上下)」をとても感心しながら読みました。

時代は明治の後半、舞台は兵庫県の生野銀山。
新しい明治の女を志すハイカラ女学生と、銀山の近代化のために奔走する構内夫とが繰り広げる波乱万丈の物語。

先にご紹介した「切羽へ」や、「金魚生活」とはまったく異なり、史実を土台とした明治の青春群像を克明に綴って感動的です。

トモニマイリマス、アナタノ道ヲーーー。
鉱山の付属病院長の家に生まれた令嬢と一介の構内夫との間には、越えがたい階級の壁が横たわっていた。しかし、愛するが故に、その女(ひと)のためならば生死をも厭わず火の中に飛び込むことができる。日本人の魂がまだ健在だった明治を生きた人々の物語です。一読をお勧めします。


ジャガイモの花

2009年07月06日 | 田舎暮らし

菜園のジャガイモがようやく花を付けました。
まだ、1~2輪ですが、その何とも言えない奥ゆかしい風情に、思わずシャッターを切りました。

その昔、西欧の上流社会では、貴婦人がこの花を胸に飾って、夜な夜なパーテイに出かけて行ったとか。

毎年同じようなことを言っていますが、この花の優雅な佇まいからすればこれも理解できようというものです。

ついでに、ナスの花ですが、こうして見るとなかなかいいものです。

ところで、話は変りますが、一昨日、朝日の朝刊に載った「リタイア後暮らすなら都会?田舎?」というアンケート。都会派が63%を占めるという(都会派の)圧勝でした。

1)どちらに住むか?
  都会 63%
  田舎 37%

2)都会派の理由は?
 32.8% 交通網が発達している
 27.8% 医療機関が充実
  9.9% 都会に生活基盤がある
  9.6% 娯楽が豊富
  5.7% 煩わしい人間関係がない
  5.5% 友人がたくさんいる
  5.2% 情報量が多い
  3.5% その他

3)田舎派の理由は?
 34.6% 自然が豊か
 29.3% のんびり過ごせる
  9.2% 農作業がしたい
  6.5% 食べ物がおいしい
  6.2% 田舎に生活基盤がある
  5.7% 物価が安い
  4.5% 人情がある
  4.0% その他

上記は、同新聞社の「アスパラクラブ」という愛読者の会がインターネットを通じて行ったもので、回答者は5,942人だったそうです。

上記の結果は、現状を色濃く反映しているように思いますが、小生自身は、都会派がかなり多いのには驚きました。


ツル紫陽花

2009年07月05日 | 田舎暮らし

ニセコはこのところ、はっきりしないお天気が続いています。
いわゆる蝦夷梅雨で、時々雨が降ったりで、少々気分も晴れません。

それでも、今日は一部晴れの予報も出ていて、象徴するかのように朝霧が出ました。



しかし、この時期だからこその自然からの贈り物もあります。
ツル(蔓)紫陽花です。その清楚な大きな花をみると、気分も落ち着きます。この時期には、なくてはならない花です。

お隣の別荘のベランダ近くにも咲いています。
このお宅は、一年に一度か二度の来訪しかありませんので、せっかくのツル紫陽花も、住人には愛でてもらえなくて可愛想です。


楊・逸さんの「金魚生活」

2009年07月04日 | 読書三昧

在日中国人作家、楊・逸(ヤン・イー)さんの芥川賞受賞第一作「金魚生活」を読みました。

中国の片田舎で、レストランの金魚の飼育を仕事としている寡婦の主人公が、日本に住む娘の出産手伝いに来日し、さまざまな文化、言語の違いに直面し、金魚を相手にしていた方が気楽で良いと悟るまでの物語です。

言わば、可もなく不可もなく、ただそれだけの物語という感じの本でした。つまり、芥川賞を受賞し、文章がそこそこできるからといって、決して万人を納得させる物語を書けるものではないという見本のような小説です。

昨日の新聞報道によると、先にご紹介した在日イラン人のシリン・ネザマフィさんの「白い紙」が、芥川賞にノミネートされたとのこと。良くかけた小説なので、それなりの期待もありますが、楊・逸さんのように、仮に受賞することになったとして、その後、どのような作品を発表し続けて行くのか問われることになるでしょう。


岩崎宏美さんの「PRAHA」

2009年07月03日 | 音楽三昧

伸びやかな歌声と歌唱力の高さで人気の岩崎宏美さんのアルバム「PRAHA」を聴きました。

このアルバムのことは、「ステレオサウンド」誌に掲載されたオーデイオ評論家小林吾郎氏との対談で知りました。

岩崎さんのベストヒットを中心に収録されていますが、何と言っても、ドヴォルザーク・ホールのチェコフィル及び、エクストンの江崎友淑氏(著名な録音技師)とのコラボレーションというのが、オーデイオファイル(愛好家)にとっても魅力です。

果たして、で出しの「聖母たちのララバイ」から、雄大なオーケストラをバックに、岩崎さんの美しいボーカルが響きます。

収録曲

 1.聖母たちのララバイ
 2.シアワセノカタチ
 3.思秋期
 4.夢やぶれて(ミュージカル「レ・ミゼラブル」から)
 5.手紙
 6.ロマンス
 7.好きにならずにいられない
 8.シンデレラ・ハネムーン
 9.万華鏡
10.すみれ色の涙
11.ただ、愛のためにだけ
12.つばさ~Dedicated to 本田美奈子~

耳に馴染んだ「聖母たちのララバイ」や「すみれ色の涙」などは勿論、今度のアルバムで最も気に入ったのが、本田美奈子さんの「つばさ」でした。この曲は、詩も曲もすぐれていますが、何といっても本田さんの挽歌となっているという思いもあります。

また、このアルバムには、阿久悠氏の作詞になる岩崎さんデビュー直後の曲が3曲入っています。「思秋期」、「ロマンス」と「シンデレラハネムーン」ですが、いずれも、同氏特有の場面を切り取ったようなすばらしい詩がお楽しみになれます。以下、「思秋期」のみご紹介します。

思秋期

 ”足音もなく行き過ぎた
 季節をひとり見送って
 はらはら涙あふれる私十八

 無口だけれどあたたかい
 心を持ったあのひとの
 別れの言葉抱きしめやがて十九に

 心ゆれる秋になって涙もろい私
 青春はこわれもの愛しても傷つき
 青春は忘れもの過ぎてから気がつく

 ふとしたことではじめての
 くちづけをしたあのひとは
 ごめんといったそれっきり声もかけない

 卒業式の前の日に
 心を告げに来たひとは
 私の悩む顔見て肩をすぼめた

 誰も彼も通り過ぎて二度とここへ来ない
 青春はこわれもの愛しても傷つき
 青春は忘れもの過ぎてから気がつく

 ひとりで紅茶のみながら
 絵葉書なんか書いている
 お元気ですかみなさん
 いつか逢いましょう

 無邪気な春の語らいや
 はなやぐ夏のいたずらや
 笑いころげたあれこれ思う秋の日”

「思秋期」。どんな曲かイメージがわきませんでしたが、「青春はこわれもの~」というフレーズを聞いて思い出しました。いい歌ですね。


井上荒野さんの「切羽へ」

2009年07月01日 | 読書三昧

井上荒野さんの「切羽へ」を読みました。
第139回(2008年上期)直木賞受賞作というので、期待して読みましたが、残念ながら、小生には納得できる作品ではありませんでした。

むしろ、何でこの程度の作品が直木賞を受賞できるのか疑問に思ったくらいです。つまり、場(現在の九州の小島)があり、登場人物も丁寧に描かれていますが、いわゆるテーマがはっきりしないのです。作者は何を書きたいのか、読者に何を訴えたいのかがよくわからない作品です。

物語は、8年間の都会暮らしの後、結婚して島に戻った養護教員の主人公が、同僚教員の不倫や、近所の独居老人の生き様などを通して、現代という崩れやすい、いわば炭鉱の「切羽」のように脆い人間関係と不安感を扱っています。

選者のお一人、井上ひさし氏は、
「よく企まれた恋愛小説ではあるが、評者には退屈だった。あんまり話がなさすぎる。」「けれども、ここで実現された九州方言による対話は、これまでに類を見ないほど、すばらしいものだった。これほど美しく、たのしく、雄弁な九州方言に、これまでお目にかかったことがあっただろうか。」「最終投票で、評者は、この九州方言による対話に票を投じた。」 と述べています。

直木賞受賞作というのなら、願わくば、藤沢周平の「暗殺の年輪」や船戸与一の「虹の谷の五月」、乙川優三郎の「生きる」などに見る人間の生き様を写した、一読して「凄み」を感じるような作品であって欲しいと思うのですがいかがでしょうか。