去る11月11日、泊原発の廃炉を求める訴状が札幌地裁に提出されました。
被告は北海道電力。
原告は612人の一般市民で、主に道内居住者ですが札幌市は勿論、泊原発の地元、岩内町、共和町、余市町をはじめ、遠くは釧路市、帯広市、函館市などからも参加しており、小生もその一員です。
本年3月に発生した福島第一原発事故は、その規模の大きさ、深刻さにおいて過去に例をみない惨状を呈しています。十数万の人々が故郷を追われ、田畑や漁場を奪われ、また、仕事を失いました。放射能被害は、食の安全を奪い、後世の人々の健康までも脅かそうとしています。
明日は我が身の例え通り、泊原発が存在するかぎり、その近郊で暮らす私たちは、同様の惨禍に見舞われる危険性があります。そして、唯一の解決策は、直ちにこれらの運転を停止し、廃炉にすることです。
第一回口頭弁論が2月13日に行なわれます。廃炉に向けた長い戦いはすでに始まっています。
以下は、弁護団(68名)代表、市川弁護士の決意表明です。
泊原発廃炉訴訟の意義~今、歴史を変えるとき~ 弁護団長 市川守弘
1.広島、長崎における凄惨な被爆被害を受けた日本は、戦後、核のない国をめざすはずであった。しかし、1960年代以降、「核の平和利用」の名のもと、日本は原子力発電所の建設にまい進していった。多くの科学者は「核の平和利用」の美名に酔い、国民に原発の安全性と日本の「明るい未来」をうたった。
現在、日本には54基の原発が存在し、さらに日本政府は海外への原発の輸出までしようとしている。原発行政は依然として日本の国策、国是として存在しているのである。
2.しかし、東電福島第一原発における大事故は、広島、長崎に続いて、国民が大量の放射性物質の被曝を受けるという未曾有の被害を発生させ、その被害は継続、拡大している。
人々は土地を追われ、仕事を奪われ、家族崩壊の危機に見舞われている。福島原発事故は、「原発の安全性」は虚偽であったこと、原発は決して「明るい未来」をもたらすものではなかったこと、日本社会そのものの崩壊を招きかねないこと、を私たちに教えてくれた。特に、世界有数の地震国である日本では、いつ、次の原発事故が発生しても不思議ではない。
私たちは、私たちの生存をかけて、日本の原発政策を止めさせなければならない。
3.日本の国策である原発政策を止めさせることは非常な困難を伴う。政府や電力会社は「やらせ」で明らかなように、容易に世論を操作し、都合のよいように政策誘導を行う。
この巨大な原発推進勢力に立ち向かえるのは、市民の力しかない。一人一人の市民の力を結集し、大多数の国民が「ノー原発」と固い意思を表明すれば、必ずや国策であっても変えることができるのである。泊原発廃炉訴訟は、このような市民の意思を表明するひとつの手段であり、この訴訟と廃炉を求める大きな運動は、日本の原発政策と日本の未来を変えるという大きな役割と意義を持つものである。
4.訴訟では、原発の安全指針がまったくの無力であった事実、ひとたび放射性物質が漏れ出た場合には取り返しのっかない被害を生み出すこと、現在の科学で「絶対の安全」など存在しないこと、したがって、原発事故は必然であること、地震国日本で「安全な立地場所」などないこと、特に泊原発では、北電はすぐ沖合いにある活断層を無視し、また日本海のプレート境界を存在しないものとしてその「安全性」を判断していること、などを訴えている。
私たちは、泊原発がいかに危険なものであるか、事故が起こった場合にいかに北海道が崩壊していくか、を今後明らかにしていく。そして、福島原発事故の遠因となっている過去の原発を容認した裁判所の判断は、司法の責任放棄であり、泊原発廃炉訴訟ではその職責をまっとうすることを国民は注視していることを指摘した。
私たちは、福島原発事故をまのあたりにし、7月7日に泊原発の廃炉をめざす会を作り、廃炉訴訟の提訴と廃炉をめざす運動を始めた。今まで地道に運動をしてきた市民団体とも連携しつつ、ひとつの輪になって結集することをめざしている。
また私たちは訴訟のみでこの闘いに勝利できるとは考えていない。訴訟はいわば公式の場でさまざまな真実を明らかにし、その真実が市民の確信を生み、より大きな市民運動へと広げることができる。いわば訴訟と運動とは連動しつつ歴史を変えていくことができるのである。
5.今日、私たちは国の原発政策を変えるという非常な困難を伴う、しかし日本の明日を守る、という歴史的使命を持った闘いのスタートをきった。私たちは、大多数の道民の力を結集して必ずやこの闘いに勝利することを誓うものである。(以上、訴訟資料から転載)