田舎の倉庫

Plala Broach から移植しました。

何もかも値上がりですね

2008年11月29日 | 田舎暮らし

今日のニセコは、穏やかな快晴です。
日の出の太陽が大分低くなり、午前7時過ぎだというのに、まだお山(羊蹄山1,898m)の裾野から顔を出して来ません。

昨日、食料品の買出しに最寄のスーパーへ行きましたが、もう、何もかも値上げという感じですね。

拙宅では、週2回自家製パンを焼いています。
これに使う小麦粉(強力粉1kg)が、昨日は348円と、以前に比べ、ちょうど100円の値上げです。率にして40%です。

これら食料品の値上げは、バターやチーズなどの乳製品に限らず、鮮魚や加工食品など広範囲に及んでいます。100gほどの塩辛が、以前は、98円でしたが、昨日は、148円もしました。

また、目刺しは、従来は、5尾/パックでしたが、昨日よく見たら、4尾になっていました。つまり、値段を上げない代わりに、量目を減らしているようです。

一方、一昨日は、スキー板のメンテナンスを(専門店に)依頼したのですが、今年から5%の値上げで、8,400円とのことでした。またリフト券も4%の値上げになっているそうです。

このように、何から何まで値上げになってしまうと、小生ら年金生活者は、生活を切り詰める以外、対応の方法がありません。困ったものです。皆さんのお宅ではいかがですか。値上げの影響は出ているでしょうか。

 


野うさぎピョンピョン

2008年11月27日 | 田舎暮らし

昨日までの晴天はどこへやら。今日のニセコは、午後から激しい雨になりました。気温も上がって、道路は、雪が解けてアスファルトがむき出しになっています。

このところのドカ雪と急な冬の到来で、餌探しに大童の野うさぎが、別荘地の中を闊歩しているようです。

これは、拙宅の玄関先にプリントされた野うさぎの足跡ですが、右手の公道の方から、拙宅の玄関脇を通って西側の林に駆け込んだようです。写真には、拙宅のステップの影と隣のお宅が写っています。

歩幅(?)が1mくらいあるので、かなり大型の野うさぎのようです。春先に、近所のお家に現れたウサちゃんですが、たぶんこれくらいの大きさと思われます。

また、玄関脇の通路は、けもの道になっているようで、野うさぎの他、キタキツネの足跡もついています。(直線状の足跡がキタキツネです)

寒さも少しゆるんで、一息つけそうですが、来週にはまた寒気が来て、いよいろ本格的な冬になりそうです。動物たちにとっても、つらい冬です。

 


カラヤンとともに生きた日々~カラヤン夫人の手記

2008年11月26日 | ギャラリー

今日のニセコは、この冬一番の快晴です。
今朝も-11℃まで下がり、とても寒い朝でした。

クラシック界の帝王、カラヤン生誕100年を記念して発刊されたエリック夫人の手記「カラヤンとともに生きた日々」を読みました。

演奏においては完璧主義を貫いた帝王カラヤンとは、どのような人物だったのか? 彼との出会いは? そして、どのような家庭生活を送っていたのか等々、クラシックファンなら誰でも興味つきないテーマです。

夫人のエリックさんは南フランスの生まれ。18歳の時、知人の(ヨット)船上のパーテイで気分が悪くなり、カラヤンに介抱されたのがきっかけで親しくなります。この時、カラヤンは47歳、二度目の妻ニーナともうまく行っていなかったようです。

その後、エリックさんは、パリでディオールに見出され、売れっ子モデルになります。1958年10月、21歳で(50歳の)カラヤンと結婚。世界中を演奏旅行で飛び回るカラヤンとともに、多忙な毎日を送るようになります。

夫のカラヤンが、ザルツブルグ復活音楽祭の総監督に就任したのを契機に、ザルツブルグ郊外に邸宅を建設。有名人としてのカラヤンの妻として、二人の娘の母親として、また、趣味の絵に打ち込む日々を送るようになります。

そして、時間の許す限り彼の練習に付き合い、演奏会や録音に立ち合って、その感想を述べ、意見をたたかわせました。こうして、彼女もまた、一流のクラシック通となり、カラヤンの芸術に欠かせない存在となって行きます。

また、カラヤンは、ヨットの国際レースに出たり、自家用ジェット機を操縦したりと、名実ともにスーパーマンであり、各国の要人などとの付き合いもあるので、夫人に要求される期待も大きいわけで、これらを卒なくこなすことはなかなか大変だったようです。しかし、彼女の南欧生まれの明るい性格が幸いして、31年間にわたる結婚生活は、極めて順調だったようです。

1989年7月16日、カラヤンは、自宅で81歳の生涯を終えますが、その直前まで、Sony社長大賀典雄氏とビジネスについての打ち合わせを行っていたといいますから驚きです。そして、異変を聞いて駆けつけたエリック夫人の腕の中で、静かに息を引き取りました。

 


小山実稚恵ピアノリサイタル

2008年11月23日 | 音楽三昧

今日のニセコは、はっきりしないお天気です。
昨夜も降雪があり、今朝も早速、ベランダの雪かきをしました。


一昨日(21日)、小山実稚恵さんのリサイタルを聴きました。

このリサイタルは、「音の旅」と名付けられた12年24回シリーズの一環で、kitaraの小ホールで開催されました。

このシリーズは、2006年の第1回から毎年、春と秋に開催されています。このシリーズのすごいところは、24回ともすべてテーマ(色彩を含む)と曲目が決まっていることです。ちなみに、一昨日のリサイタルは、シリーズ第6回で、2008年秋~内なる叫び~<紫:高貴な精神・心の嵐>でした。

プログラム

シューマン:蝶々(Papillons) 作品2
ベートーヴェン:ソナタ第17番ニ短調「テンペスト」作品31-2
シューベルト:即興曲集作品142 D935から第1番ヘ短調
ショパン:ソナタ第3番 作品58

小山さんは、人気、実力ともに日本を代表するピアニストですので、小ホールは満員の盛況でした。また、小ホールでピアノが真近にあるため、演奏を全身で受け止めることができ、(大ホールではむずかしい)ピアニシモにおける旋律の変化もよく聴き取ることができ、より深く演奏を楽しむことができました。

特にシューベルトの即興曲は、聴き慣れた曲だけに、演奏される音ひとつひとつに全身が反応するほど聴き惚れました。この10分間の演奏を聴くためにこそ、札幌に出てきたのだと納得した次第です。

次に演奏されたショパンのソナタは、小山さんがショパンコンクールの第3次予選でも演奏した作品とかで、時を経た円熟した演奏を聴かせてくれました。

予定のプログラムが終了しても、小山ファンで埋まった会場は、一人として席を立つ人がなく、ショパンのワルツなど3曲のアンコールを強要してホールを後にしました。

滑り易い雪道を踏んでホテルに向かう道すがら、「やっぱり生じゃないとね~」と家内が言います。日頃、良い音を出すべくあれこれいじり回している拙宅のオーデイオですが、この日の演奏を聴くかぎり、とても敵わないと家内の弁に納得した次第です。

 


ホワイトクリスマス

2008年11月20日 | 田舎暮らし

今日のニセコは、激しく雪の舞う冬空です。
雪は、昨日午後から降り続いていて、目下、25cmくらいの積雪になっています。

今朝起きて外を見ると、一面の銀世界。まるでホワイトクリスマス状態でした。

昨夜(と言うより今朝というべきか)、サッカーのワールドカップ最終予選のカタール戦を見終わって休すんだのが、午前3時半頃でした。それからうつらうつらしながら、ああ、除雪車が来ているななどと思いながら、目が覚めると一面の冬景色でした。

今朝の気温は、‐7℃だった由。道理で、床暖が入っているはずなのに随分寒いので、寒暖計を見ると18℃でした。そこで早速、薪ストーブに火を入れて一息ついた次第です。

この寒気も明日にはゆるんで、雪もやむとの予報ですが、いずれにしても、長い長いニセコの冬がはじまったことになります。朝の雪かきは家内が行いましたが、昼食前に一度、夕方の散歩の前に一度と、今日は都合三度の雪かき日和になりそうです。

 


黄金の絨毯

2008年11月18日 | 田舎暮らし

今日もニセコは、穏やかな晴天です。
寒くなると脅かされていますが、まだ、雪になっていません。

昨夕家内と散歩に出て、いつもの道をたどると、一箇所だけ長さにして30mほどですが、黄金の歩道になっています。そこは、落葉松の大木が3本道端に立っていて、その落葉が歩道を黄金色に染めているのです。

このところの寒気と長雨で、落葉松の落葉が、厚く舗装面に降り積もって固着したためで、この黄金の絨毯を踏んで散歩を楽しみました。田舎ならではの贅沢さでしょうか。

そういえば、北原白秋に有名な落葉松の詩がありましたね。

 落葉松(水墨集) 北原白秋 

 からまつの林を過ぎて、 
 からまつをしみじみと見き。 
 からまつはさびしかりけり。 
 たびゆくはさびしかりけり。

 からまつの林を出でて、 
 からまつの林に入りぬ。 
 からまつの林に入りて、 
 また細く道はつづけり。
 
 からまつの林の奥も 
 わが通る道はありけり。
 霧雨のかかる道なり。
 山風のかよふ道なり。

 からまつの林の道は、 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 ほそぼそと通ふ道なり。 
 さびさびといそぐ道なり。

 からまつの林を過ぎて、
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 からまつはさびしかりけり、
 からまつとささやきにけり。

 からまつの林を出でて、
 浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 からまつのまたそのうへに。

 からまつの林の雨は、
 さびしけどいよよしづけし。
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 からまつの濡るるのみなる。

 世の中よ、あはれなりけり。
 常なれどうれしかりけり。
 山川に山がはの音
 からまつにからまつのかぜ。


少々、連想ゲームっぽいですが、このような機会に、文芸作品を読み返してみるのもいいな、と思いました。

ツルリンドウの実です。ここは別荘地ですが、拙宅の隣の敷地にはツルリンドウの大きな群落があって、今の時期、その美しい実をたくさん見ることができます。

 北原白秋記念館へは、こちらからどうぞ。ニセコの唐松林の様子は、ご近所のじゅんさんのブログでご覧になれます。

 


瀋陽へ

2008年11月17日 | 田舎暮らし

今日も、ニセコは穏やかな快晴です。
寒気の南下で、少し気温が下がりました。今夜から本格的な寒さになりそうです。

過日の中国東北部への旅行ですが、大連に2泊した後、鉄道で瀋陽へ移動しました。旧満州鉄道で、当時、あじあ号という世界最高速の(蒸気機関車が牽引する)列車が走っていたそうです。

勿論、現在は電車で、大連~瀋陽間約400kmを4時間で結んでいます。私たちの乗った車両は、2階建ての1等軟座。座席は左右2列で、振動も少なくなかなか快適でした。

車窓は、どこまでも続く赤茶けた大地です。各駅の周辺部には、田畑や、一部水田も広がります。この間、トンネルが一箇所もなかったのは驚きでした。

瀋陽は、人口750万人の大都会です。また、清朝の開祖、ヌルハチが出たところでもあります。瀋陽滞在は半日と時間が十分なく、見学できたのは、世界遺産の故宮と北稜(二代皇帝ホンタイジと皇后の墓)及び、中街だけでした。

瀋陽故宮は、北京のそれとは比べようもありません。それでも往時を偲ばせるに十分で、北京に移るまでの清朝初期の隆盛を物語っています。

中街は、瀋陽一の繁華街で、大勢の人々で賑わっていましたが、道幅が広く建物も鉄筋のビル群なので横浜中華街のような庶民的な雰囲気はありませんでした。

瀋陽名物は「餃子」。中国一美味しいと評判のレストランで、夕食にこの餃子をいただきました。丸テーブルに次から次へと異なる種類の餃子が出てきてびっくりしました。味も格別で、とても美味しいと思いました。

 


歳はとりたくないね~

2008年11月16日 | 田舎暮らし

昨夜来の雨がようやく上がりました。
雪にはなりませんでしたが、予報では、明日から本格的に寒くなるようです。

最近、つくづく思うこと。”歳はとりたくないね~”と。
小生は目下、68歳ですが、体力は日に日に衰えるし、頭の回転も悪くなるばかりです。家内との会話は、代名詞のオンパレードです。

という訳で、最近では、このブログを記すのも億劫なのですが、世の中、広く眺めてみると、頑張って生きておられる方がたくさんいるのに気付きます。

この詩画は、JAFMATE最近号に掲載された星野富広さんの作品です。


ご存知の方も多いと思いますが、星野さんは、中学教師で24歳のとき、クラブ活動の指導中、頸椎を損傷して手足の自由を失います。以来、言わば寝たきりの生活ですが、絵筆を口にくわえ、美しい詩画を著わし、多くの人々を励ましつづけて来ました。

この星野さんを思えば、少々歳をくったくらいで、ウジウジしていてはいけないのです。彼のように、静かな情熱を燃やしつつ、与えられた日々をしっかり生きていかなければならないと、自分に言い聞かせる昨今です。

星野さんの美しい絵は、こちらでご覧になれます。

 


クレソンの大盛り

2008年11月15日 | 田舎暮らし

今日のニセコは、穏やかな晴天です。
気温もそう下がらず、日中は、日差しが心地よい暖かな日和になりそうです。

先日収穫した大根を最後に、拙宅の菜園には、緑がすっかりなくなりました。宿根の子ネギも、葉が枯れだして、納豆の薬味にもつかえなくなりました。

そこで登場したのが、写真のような天然のクレソンです。
今朝、散歩に出た家内が、近くの沢から摘んで来たのですが、青々として、いかにも美味しそうです。

しかし、実際には、とても個性が強く、香り、味ともに強烈なので、油をたくさん敷いた炒め物にしないと食べられません。いつだったか、得意の「チン料理」で和え物のようなものを作ったのですが、これは、苦くてとても食べられませんでした。

この天然クレソン。冬の間も、元気に育っているのですが、雪が多くなると、生えている沢筋に下りられなくなるので、雪が来てしまうと、来春までお預けとなります。

 


箕作り弥平商伝記を読む

2008年11月13日 | 読書三昧

今日のニセコは、穏やかなお天気です。
今朝は-2℃まで下がりましたので、周囲は霜で真っ白になりました。

直木賞作家、熊谷達也氏の「箕作り弥平商伝記」を楽しく読みました。

同氏は従来、「相剋の森」、「邂逅の森」や「氷結の森」など、古くから東北地方に生きるマタギとこれに拘わる野生動物について、硬派な文章で物語を構築して来ましたが、この作品は、円熟さを増した同氏の筆が紡ぎだす大人向けのファンタジーといった趣に仕上がっています。

小説としての文章の確かさ、エンターテイメントしての物語の楽しさを満喫させてくれます。何か面白い小説を読みたいと思っておいでの方に自信を持ってお勧めできます。


あらすじ

”逆子の難産のため、産婆が左足をもって引き出したからとか何とか、左足が少し長く生まれついた弥平。ぴょこたんぴょこたんと歩き回るため囃し立てられたり、いじめを受けたりしますが、誰よりも美しく丈夫な「箕(お百姓さんの万能振るい)」を作る若者に成長します。

そして、自ら「箕」の行商をして暮らしていますが、販路の拡大と、姉が離縁された真の理由を探るべく、群馬県に出かけて行く。そして、そこで出会った美しい少女に一目惚れし、何とかこの少女に近づきたいと思うのですが、無視されたり、礫を投げつけられたりします。

大正末期の騒乱期を舞台に、弥平の恋と差別という理不尽さとのたたかいは、劇的な結末を迎えます。”

 


結局、やらせだったのですね

2008年11月11日 | ドラミング

日中戦争などの歴史認識について、政府の方針に反する見解を発表して更迭された田母神前航空幕僚長の論文ですが、その後の報道や各種のブログなどを総合すると、やはり、小生が指摘した”確信犯的やらせ”の色彩が濃いものであることがはっきりしてきました。

先ず、この論文を募集したホテル・マンション経営「アパグループ」の元谷外志雄代表という人物ですが、地元小松市の「小松基地金沢友の会」の会長で、田母神氏とは、同氏が第6航空団司令として小松基地に勤務していた1998年以来、親交があると言われています。

自らも「報道されない近現代史」という著書を出版して、いわゆる「自虐史観の克服」を説き、今回の懸賞論文の募集も、この出版記念事業として企画されたといいます。

元谷氏がまた、「戦後レジームからの脱却」や「憲法改正」を公約した参議選に大敗した安倍晋三元首相の後援会「安晋会」の副会長をつとめていることを想起すれば、田母神氏がこの首相の元で、航空幕僚長に登用されたのも肯けます。

加えて、この懸賞論文の審査委員は、優性思想をかかげ右翼的言辞をもって知られる委員長の渡部昇一・上智大名誉教授に加え、花岡信昭・産経新聞客員編集委員、小松崎和夫・報知新聞社社長、中山泰秀衆院議員らですが、この顔ぶれを見れば、入賞論文の中身がわかろうというものです。

一方、この論文募集には、自衛隊小松基地などに勤務する94名もの現職自衛官が応募していたようですが、小松基地では、この論文募集と時期を同じくして、同一テーマで論文を作成するよう幹部隊員に対して指示が出され、提出された論文を一括、募集事務局へ届けていたといいますから驚きです。

また、田母神氏は、2002~04年統合幕僚学校長を務めており、「南京大虐殺はなかった」などと隊内誌に発表していたと報道されています。このような背景を持つ人物のもとで、自衛隊の幹部がどのような教育を受けていたか不安が残ります。

従って、田母神氏や自衛隊の関連する幹部を国会に呼び、今回の事態の事実とその原因について徹底した追及を行う必要があります。また、今後の幹部自衛官の教育をどうするのか、また、統合幕僚長と陸海空の各幕僚長を同意人事とする自衛隊法の改正等、再発防止策の策定が必要でしょう。

 


徳丸先生の新作展

2008年11月11日 | ギャラリー

今日のニセコは、穏やかなお天気です。
今朝ラジオを聴いていたら、「今日は、乾電池やピーナッツの日です」と言っていました。+-から連想するとそうなるのだそうです。

ニセコの美しい自然を詩情豊かに描き、広く支持されている徳丸先生の「新作展」を拝見しました。

午前11時頃、ニセコ山田のST・GALLERYを訪れると、先生ご夫妻がお出迎え下さり、近作への想いや中国旅行などについて親しくお話をお伺いすることができました。会場には、ニセコの鬱蒼とした森や沼を描いた大作や秋の羊蹄山やニセコアンヌプリを独特の風情で描いた近作が並んでいます。

先生のニセコの自然への想いは、「文集~ニセコアンヌプリの風」で、次のように述べられています。

”ニセコアンヌプリの山麓に住んで20年になる。 山からの風をいつも肌に感じながら暮らしてきた。人に接するより木と草鳥や虫と接する時間が多かったような気がする。

スケッチブッグを持って山を歩いているうちに自然の中にある強いエネルギーに感動し、凝視を続けた。最初の頃は、山の中腹にあるダケカンバの大木に興味を持った。

冬は雪に押されて地を這い、夏は空に向かって伸びる。何年もそれを繰り返しているうちに、まるで蛸足のようにうねるその生命力の強さと形態の美しさに魅せられたのである。

草や木を眺めているうちに、細く小さい草のなかにも強靭な生命力を感じるようになり葦も撞くようになった。草や木、鳥や虫、林と森、山と空、興味はどんどん広がっていく。

宙からくるエネルギーをうけとめて成長する動植物の形態は、必然性があって美しい。ゆっくりとした時間の流れのなかでそれらを眺め、ニセコアンヌプリから吹いてくる風の振動を感じながら、自然のなかにある美を表現できたらいいと思っている。”

 徳丸滋新作展
 11月16日(日)まで
 ニセコ山田 ST・GALLERY

徳丸先生奥様の近況は、それぞれブログでご覧になれます。

 


木枯らし吹く夜はナベにかぎる

2008年11月09日 | 田舎暮らし

昨日までの嵐はどこへやら、今日のニセコは穏やかなお天気です。
ただ、気温は5~6℃と肌寒く、薪ストーブに火を入れました。

昨日は、稚内にお住まいのTさんから「こちらは猛吹雪で大変でした。
積雪は20cmもあり、ホワイトアウトで命からがら勤め先から戻りまし
た」とのお便りをいただいた。

当地は積雪2~3cmですが、こんな木枯らしの吹く夜は”ナベに限る”
と(家内に)言うと、彼女は思わずニヤリとして、「賛成」と言いました。
つまり、ナベは、材料さえ準備すれば、特に調理する必要もないし、
また、後片付けも簡単だからのようです。

昨夜は、野菜たくさんの「鳥鍋」でした。
材料は、自家製野菜の大根と人参、それに白菜、長ネギに生椎茸
の大盛り、竹輪と糸コンニャクに大判車麩(ふ)と鳥もも肉を少々。
大根、人参などは、お湯をかけて灰汁抜きをしておきます。

大きな土鍋に水を張り、ダシ昆布を敷いてしばらく置きます。
ナベを火に掛けしばらくしたら、鳥肉を入れて灰汁を取り、順次野
菜などを入れます。沸騰して野菜に火が通ったら、ハイ出来上がり
です。

つけ汁は、ポン酢とゴマダレですが、小生はいつもポン酢です。
ナベ敷きに乗せた土鍋を囲んでの鍋料理は、身体が芯から温まり、
ハッピーでした。


霧の大連

2008年11月08日 | 田舎暮らし

今日のニセコは、半ば吹雪の寒いお天気です。
真冬並みの寒気の南下で、一面、雪景色となりました。

先月下旬、中国東北部を旅行しました。
8年振りの海外旅行で、大分緊張しましたが、特に問題もなく異国情緒
を満喫して帰って来ました。

仕事で過去2回、中国を訪問していますが、仕事と観光では現地を見る
視点が異なるため、実質的には中国初訪問といった感じでした。

札幌~大連間は、直行便で3時間のフライトなので、たぶん沖縄に飛ぶ
のと同じくらいと思うのですが、この3時間のために、今回は運悪く、大
連空港が霧で飛行機が飛べず、7時間遅れのフライトなりました。

霧が深いから着陸できないというのであれば、話がわかるのですが、霧
で離陸できないというのは理解できなかったのですが、翌朝、大連の高
層ホテルで目が覚め、窓の外を見て”納得”しました。兎に角、深い霧で、
周囲が”まったく”何も見えないのです。

大連は三方を海(渤海湾と黄海)に囲まれているため、この時期、大陸
から寒気が南下して来ると、一日中、深い霧に包まれてしまうようです。

これは、大連郊外の星海公園に集う人々ですが、午後2時頃だというの
にまだ、霧で遠くを見通すことが出来ません。

これは、郊外の老虎灘という公園の巨大な虎の像(群)です。昔、漁師を
悩ます大虎を青年が射止めると海辺の岩になった、という言い伝えから
制作されたそうです。また、このエリアは水族館や海洋動物表演館など、
家族で楽しめる臨海公園となっています。

ところで、大連は、周辺部も含めると、人口650万人の大都市で、都市
部には、高層ビルが林立しています。街には高級車があふれ、人々の
顔は明るく、現在の中国の発展振りを象徴するような街です。街路もゴミ
ひとつない清潔さで、好印象でした。

観光にも力を入れているらしく、旅行社から無料配布された(政府系)
観光会社が作成した日本語のパンフレットもご覧のように(過去のあの
人民服を着た中国のイメージを払拭する)スマートなものでした。

いずれにせよ、現地で実際の中国を見ないで、現在の中国を語ること
はできないと感じました。この後、列車(旧満州鉄道)で瀋陽に向かうの
ですが、現在の中国人のパワーに圧倒される旅でした。


「時が滲む朝」を読む

2008年11月07日 | 読書三昧

昨夜は、前線の通過ですごい雷鳴と雨で大変でした。
今はすっかり落ち着いていますが、真冬並みの寒気が南下して、今夜
は吹雪との予報が出ています。

2008年第139回芥川賞受賞作、楊逸さんの「時が滲む朝」を読みました。
在日の中国人が日本語で書いた小説が芥川賞を受賞したというので、
話題になった本です。

あらすじ

・高校時代からの親友である梁浩遠と謝志強は、1988年に同じ名門の
 秦漢大学に入学する。まだ若い大学教授である甘凌洲や多くの学生
 達と 議論を重ねるうちに、”愛国”や”民主化”、”アメリカ”といった
 ことを深くに考えるようになり、民主化運動に参加する。

 民主化運動が挫折した直後、二人は運動を侮辱した労働者たちと
 口論のすえ乱闘を起こし傷害罪と器物損壊罪で3ヶ月の拘留となり、
 退学処分となる。

 学生を指導した甘凌洲は外国へ亡命し、女性学生リーダーである
 白英露は行方不明となる。結婚後、日本へ渡り、民主化運動を続け
 ていた梁浩遠は、10年後、日本で3人と再会する。

民主化運動に参加した大学生が、運動の高揚の中で世の中の矛盾
に目覚めて行きます。しかし、青年たちは天安門事件を契機とした運
動の挫折と失意を経験しますが、その後の人生の苦悩や哀歓を通し
て、たくましく成長していきます。

民主化運動への参加の動機や、運動の挫折などは、さらっと描かれ
ていて切迫感に欠けるのですが、退学処分を受け、日雇い労働など
で食べることにも事欠く生活を通して、たくましく成長していく若者たち
への筆者の暖かい眼差しに好感が持てます。一読をお勧めします。