田舎の倉庫

Plala Broach から移植しました。

閑古鳥鳴く空港

2011年05月31日 | ドラミング

旅に出ると、日頃見えないものが見えたりします。
特に、海外旅行の場合は、相手国の人々の暮らし向きや国民性だったり、逆に、外から見た日本の不思議な姿だったりします。

今回の中国旅行で最も気になったのは、震災に伴う国内の自粛ムードと原発事故に伴う観光客の激減でした。

つまり、壊滅的な被害への同情や電力事情悪化への懸念等から、今までの暮らしを見直す風潮が強まり、それが生活全般の自粛ムードにつながっています。それ自体、自然の成り行きと思いますが、過度になると、経済の停滞を生み、復興への歩みにも悪影響が出ます。

また、原発事故に伴う安全性への不安から、近隣諸国からの観光客が激減し、新千歳空港では、閑古鳥が「ヒマヒマ」と大声で鳴いていました。

出発当日の10日、小生らが空港へ着いたのは、出発時刻の1時間15分ほど前ですが、航空会社のカウンターにはお客は誰もおらず、また、いつもなら込み合うセキュリテイも行列はできていませんでした。

日本から海外へ向かう邦人観光客は、小生らのツアーの他にひとつかふたつだけで、とてもさびしく、また、外国人観光客の姿は、まったく見受けられませんでした。

周囲の売店などにもお客さんの姿はほとんどありません。これでは、場所代すら回収できないのではと心配になりました。

帰宅後知ったのですが、中国からの観光客に限って言えば、例年に比べ70%も減少しているそうです。先般、道知事が上海と北京へ観光客の呼び戻し行脚に出かけた由。
 
先の日中韓3ヶ国首脳会議で、風評被害の防止と観光客の増加について合意したようなので、少しづつ事態は改善されると思いますが、外国のお客様に安心して観光していただくためにも、原発事故は、1日も早く収束してもらわないと困ります。


内橋克人著「日本の原発、どこで間違えたのか」

2011年05月30日 | 読書三昧

巨大な複合災害が日本列島を襲いました。

2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とするM9.0の巨大地震は、東北地方に激震をもたらし、併発した大津波は沿岸地帯の街や港をのみ込み、3万人近い人命を奪うとともに、幾多の家屋や工場をなぎ倒し廃墟としました。

一方、福島第一原発では、この津波によって緊急発電設備と揚水ポンプが破壊され、原発の冷却が不能に陥りました。この結果生じた放射能汚染によって、福島県民の避難と流浪、事業活動の停止が続いています。

この悪魔的巨大原発事故はどうして発生したのか。日本の原子力発電をめぐる「安全神話」はどのように醸成されたのか。

本書は、今、最も関心が寄せられている問題に、正面から切り込んだ必読書となっています。ご一読をお勧めします。

以下は、巻頭言の一部です。

"福島原発の重大事故に遭遇しているいま、いかにして「原発安全神話」は築かれてきたのか。「原発一極集中」というエネルギー政策はどのような政治・経済構造のもとで構築されたのか。

放射線をめぐる議論はどう展開されてきたのか~政治主導で進められた過去の歴史の1頁をひとりでも多くの読者に伝えたい、そのような強い思いに衝き動かされての緊急出版となった。"


上海の夜景

2011年05月29日 | ギャラリー

上海黄浦江の夜景は、昨今の経済発展を反映して大変派手だと報道されてきました。

ただ、今回のナイトツアーで見たかぎり、それほどのことはないと思いました。もっとも、世界博後、若干の見直しがあったそうです。

旧租界の「外灘」にある船着場から、遊覧船に乗って出発しました。

河の中央に出て、「外灘」地区を振り返ると、こんな感じでした。

対岸の浦東地区には、テレビ塔を中心に、たくさんのノッポビルに灯が入っています。中には、壁一面に動画を描き出す「ド派手」なビルがあったりで、昨今の浦東地区の開発競争の様子が垣間見えます。

先日ご紹介した中国一のノッポビル「上海ヒルズ(森ビル)」もこんな具合にライトアップされています。

いずれにせよ、現代中国を象徴する一風景ではありました。


暑いのはイヤ

2011年05月28日 | 田舎暮らし

横浜から当地(倶知安町花園地区)に移住して13年。
冬季の寒さと豪雪には少々うんざりですが、美しい自然とおいしい水と空気、新鮮で安価な食材等々、良いことづくめの田舎暮らしです。ただ一点、
インターネット接続環境は最悪です。

この別荘地は、街中の電話局から架線長で7.5kmも離れているため、ADSLでも、150~200kbsぐらいでしか接続できません。

一方、同じ郊外でもスキーセンターのあるヒラフ地区には、すでに光が導入されていて、先日、知人宅で体験させてもらいましたが、これはビックリ、60~70mbsで接続できます。

そこで、NTT東日本に対し光の施設を働きかける一方、接続サービス会社を替え、リーチDSLという方式を導入ました。

この方式は、インターネットの通信に使用する帯域をごく狭くして雑音に強くし、長距離でもそこそこの速度が出るように工夫されています。

この結果、従来に比べ、概ね、2倍の300~400kbsで接続できるようになりました。たかだかkbs単位の改善ですが、日頃、ノロノロしている環境にあった身にしてみれば、格段の改善です。

ただ、導入した翌日から、今度は、接続できない状態が頻発するようになりました。使い始めは問題ないのですが、2~3時間すると接続不可が頻発し、その内、まったく繋がらなくなってしまいます。

何度か、接続会社のサポートを受け、また、モデムを交換するなどしてみましたが改善しません。先日の暑い日は、朝からつながりません。

そこで、ふと思い立ち、接続できない状態のモデムを「アイスノン(氷枕)」で冷やしてみたら・・・。ピンポーン!

冷やし始めて10分で通信が回復しました。
つまり、この機械(モデム:米国製)は温度特性が良くないのです。働きだして数時間すると部品の温度が上昇し、通信不可になるようです。

原因がはっきりしたら、対策はいろいろあります。
いつもアイスノンという訳にも行かず、目下は、このモデムを裸にして「ざる」の上にのせ、下からファンで風を当てながら使っています。

接続会社に報告すると、とりあえず、もう一度、モデムを交換させてと言って来ましたが、果たして、次に届くものは大丈夫でしょうか。


水郷村「西塘」古鎮

2011年05月27日 | ギャラリー

中国江南地方は、肥沃で水利に富んだ農地が広がり生産性が高く、また、北京に通じる運河網の発達で商業も栄え、古来、政治文化の中心地でした。

一方、昨今の市場経済の発展と近代化の荒波は、これらの農村地帯にも及び、変貌を余儀なくされています。

そんな中にあって、明・清朝時代の面影を保ったまま、一種のテーマパークとして観光に供されている水郷の村々が点在しています。今回のツアーでは、蘇州古里、烏鎮と合わ「西塘」を見学しました。

上海の西南西40kmに位置する「西塘」古鎮もそのひとつで、そこには、明清時代の建物や水墨画を見るようなノスタルジックな景観をとどめています。

効率化と機能性のみが優先される現代にあって、自給自足の暮らしや暖かいコミュニテイに身を置くとき感じる安らぎは、これらと引き換えに、現代人が失ってしまった貴重なものではないのかとの思いを強くしました。詳しくは、こちらのHPをご覧下さい。


水上勉著「土を喰う日々」

2011年05月25日 | 読書三昧

カバーを見ているだけでも楽しい本です。

軽井沢での執筆生活の傍ら、少年の頃、京都の禅寺で教え込まれた精進料理の数々を、畑で育てた季節の野菜を材料に、季節の移り変わりとともに、著者自身が包丁を持って料理したクッキングブックです。

加えて、土の匂いを忘れてしまった日本人の食生活の荒廃を悲しむ異色の味覚エッセーとなっています。昭和57年以来、23刷を重ねる人気本です。

月毎に12の章からなっていますが、春を迎えた4月の章に、山菜によせる氏の並々ならぬ思いを記した次のような記述あるので、ご紹介しておきます。

"春さきは山菜の宝庫なので、軽井沢に住むことのありがたさを感じるのである。近くの別荘地には谷があり、底の浅い川がながれている。浅間山のまま子みたいに、旧軽井沢よりへでっかく陣取った離山の雨水が、ナイフでえぐったような一つ谷へあつまってきて、真夏とて水のきれたことがない。そこヘゴム長をはいて、水芹をとりにゆく日のよろこびといったらないのだ。・・・

さらにこの季節は、たらの芽、アカシアの花、わらび、みょうがだけ、里芋のくき、山うど、あけびのつる、よもぎ、こごめなど、わが家のまわりは、冬じゅう眠っていた土の声がする祭典だ。収穫したものを台所へはこんで、土をよく落し、水あらいしていると、個性のある草芽のあたたかさがわかっていじらしい気持がする。ひとにぎりのよもぎの若葉に、芹の葉に、涙がこぼれてくるのである。

あけびのつるは、庭にあったのを千切ってきたものを、灰汁でよくゆがき、水につけてあくぬきしてある。これをだし汁につけて喰うが、しょうがをそえればなかなかの風味である。たらの芽は天ぷらが王者だろう。ぼくは粉にわずかに砂糖をまぶしているが、からっと揚がると、おいしいけれど、甘味が多少たりないのでそうしている。甘すぎては何もならぬから、極意のかげんが肝要だ。"


よくね(寝)たニンジン

2011年05月23日 | 田舎暮らし

先日、いつものスーパーから「よくねたいも」というジャガイモを買ってきました。

つまり、冬期間冷蔵し、春になって小分けにして販売しているようなのですが、見た目も良く、また、独特の甘味とホクホク感があって、とても美味しかったです。

これに気を良くして、我が家にも「よくねたニンジン」があったはずと、やっと雪が消えた菜園の片隅を掘り起こすと、昨夏、種まき時期の遅れで発育不全だったニンジンがいくつか出て来ました。

このチビニンジン、見てくれはよくありませんが、冬の間、雪の下でグウグウ寝ていたせいか、何となく甘味があり、また、ニンジン特有の臭さもなく、美味しかったです。

しばらくは市販のニンジンを購入せず、このチビニンジンでしのげそうです。


紹興「魯迅故里」

2011年05月22日 | ギャラリー

中国の文豪「魯迅」の古里、紹興(市)を訪ねました。
紹興は、魯迅をはじめ、春秋時代の美女「西施(せいし)」や周恩来など数多くの著名人を輩出し、また
、「紹興酒」の原産地としても知られています。

「魯迅故里」は、魯迅記念館、魯迅故居、三味書屋、魯迅祖居の4施設を合わせた一種のテーマパークになっていて、当日も、内外の観光客で溢れかえっていました。

魯迅はここで生まれ、12歳から17歳まで、隣接する三味書屋という塾で勉学に励みます。

その後、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に留学、医学の道に進みますが、清朝末期の混乱から脱しきれぬ故国を憂い、また、辛亥革命の影響も受け、中国人の心を内外に示す文学者として生きる決心をします。

写真にはないのですが、この記念館には、当然のことながら、彼の著作本が数多く展示されています。ご存知の「狂人日記」を掲載した中国語の当時の雑誌をみて、少々、興奮しました。

ここ紹興で、旅行会社が雇ったガイドの張さん(上の写真)は、完璧な日本語を話すインテリ女性で、その説明は的確で説得力があり、ガイドの質が観光の要であることを教えてくれました。彼女の活躍で、紹興観光は大変意義あるものとなりました。

蛇足:このツアーの現地添乗員のKさん(男性)は28歳。
よく気の利く明るい青年で、業界3年目の駆け出しながら、よく私たち(16名)の面倒をみてくれました。

ただ、彼の日本語はまだ十分でなく、特に、語尾が不鮮明なため、話の結末がはっきりしません。

つまり、中国語なら例えば、「我是日本人」のように、述語が主語の直後にあるため、結論から話すかたちになりますが、これを日本語にすると「私は日本人です」となって、結論が語尾に来ます。

従って、日本語は語尾が大事ということを理解した上で、さらに勉強して欲しいと思いました。


地上423mの世界

2011年05月21日 | ギャラリー

おのぼりさんよろしく、上海浦東地区に建つ中国一のノッポビル「上海ヒルズ:492m 101F」の展望台に登りました。

中央に見えているのが「上海ヒルズ」です。
頂上部分に台形の空間があり、大きな栓抜きのように見えることから、通称「栓抜きビル」とも呼ばれています。

地下1階から高速エレベーターに乗ると、約2分で94Fの展望台(スカイアリーナ)に着きました。

そこは、地上423mの世界。遠く上海の街並みを見通せるとおもいきや、濃いばい煙のせいで、黄浦江の対岸がやっと見える程度でガッカリでした。

ただ、高さの持つ快感は実感でき、しばし下界の景色に見とれました。前夜のナイトクルーズで見上げたテレビ塔も、上から見下ろす感じになります。

このビルには、97F(439m)と101F(474m)にも、ガラス張りのスカイウオークがあります。特に101Fのそれは、床もガラス張りだそうですから、高所恐怖症の方は避けた方が良いでしょう。また、夜間、(94F展望台からは)このように見えるそうです。

それにしても、今回の江南旅行を通じて感じたことですが、どの都市でも車の数が猛烈に増えていて、交通渋滞が日常化し、且つ、排ガスによる空気汚染がひどくなっています。

ひと頃の日本のようですが、地下鉄や立体交差を持つ道路網を整備しないと、市民の健康は守れないのではと危惧した次第です。


タイムスリップ~蘇州「留園」

2011年05月19日 | ギャラリー

今回の中国江南旅行。
無錫、蘇州、同里、西塘、烏鎮、杭州、紹興、上海など、江南地方の名所旧跡をめぐるという7泊8日のゆったり旅でした。

ところが、真夏のような陽気と連日の中華料理で、帰宅後体調を崩し、結局、いやはやの旅になってしまいました。

以下は、蘇州「留園」見学の一端です。

この中国式庭園は、明の時代に徐泰時さんという個人が造園し、清時代に改修され現代に至っています。

反り返った美しい軒先を持つ建物、中国最大の太湖石による築山など世界遺産に恥じない名庭園です。

奏でられる中国琵琶の音など聴いていると、明・清時代にタイムスリップしたかのような感覚に襲われました。


行者ニンニク

2011年05月18日 | 田舎暮らし

昨夕、旅行(中国江南地方)を終え帰宅しました。
蓄熱式暖房機は通電したまま出かけたのですが、室温は16℃ほど。
真冬の早朝並みの寒さで、荷物を解く間も惜しんで、薪ストーブに火を入れました。

そして焚き続けること3時間。
ようやくホッとする暖かさが戻りました。

今朝は早くから青空が広がって、日差しもあるので、ストーブなしでも過ごせそうです。

庭に出てみると、ナナカマドの葉が大きく開き、地面には、早春のシンボル、行者ニンニクがニョキニョキ顔を出していました。

この行者ニンニク、昨年までは、菜園で我が世の春を謳歌していたのですが、株分けをして、敷地のアチコチに引越しさせたところ、今春は、もう方々に出て来て、まるでニンニク屋敷のようになりました。

多年草のボンボリも、今を盛りと咲いています。

とても遅い、ニセコの春が始まりました。


会ったのよ!

2011年05月10日 | 田舎暮らし

万年元気印の家内は、早朝の散歩を欠かしません。
小生が朝食の下準備をしているのを良いことに、毎朝、小一時間、周囲の森や山麓を歩き回っています。

昨日は、散歩から帰ると、開口一番「会ったのよ!」と言うので、誰に会ったのかと思いきや、この春初めて、野ウサギに会ったのだと言います。

「まだ、後ろ足に白いソックスを履いていたよ」などと言うので、思わず笑ってしまいました。(写真は、隣家の軒先に現れた野ウサギです)

今朝も、またまた、「会ったのよ!」と言うので、「今度は何?」と尋ねると、「エゾリス君」とのこと。

最近は、多数の外国人スキーヤーやボーダーが、森の中を縦横無尽に滑り回るので、彼らには住みにくくなっているようで、(彼らと)遭遇するチャンスも少なくなっています。

このため、ひとたび出会えば、ルンルン気分になるようです。


お宝拝見

2011年05月09日 | 音楽三昧

"Great Pianists of The 20th Century"
20世紀の74人の偉大なピアニストの代表的な名演を、200枚のCDに集めた全集です。

収録されているピアニストは、下表の通りです。

 ・アルゲリッチ
 ・アラウ
 ・アシュケナージ
 ・ブレンデル
 ・フレイレ
 ・キーシン
 ・ペライア
 ・ポリーニ
 ・ツィマーマン

等々、日頃、聴き親しんでいるピアニストの名もあります。

ただ、多くは、その演奏に接したことがない一昔前の人々です。
邦人では、唯一人、今回グラミー賞を受賞した内田光子さんがリストインしています。

この2箱から成る全集。
いつ、どんな経過で購入したか記憶があいまいなのですが、それにしても、こんな素晴らしい全集を編纂できる西欧の音楽記録芸術の奥深さを思い知らされる思いです。

さて、これらのCDを音楽図書館(650枚余収容)に追加すべく作業を始めるのですが、果たして、めげずに最後まで行き着けるでしょうか。


新顔~DTMS

2011年05月08日 | 音楽三昧

ミュージックバード社のPCM音楽放送が、7月で終了します。
高音質の音楽を四六時中楽しめる貴重なサービスですが、視聴者の減少が店じまいの原因と聴いて、やむなしと思いました。

ただ、これらの番組は、すでに、同社が提供する「Space Diva」という多チャンネルの音楽放送の一部として放送されています。音質は若干劣りますが、実用上問題ないようです。

従って、7月以降は、このサービスに移行すると申し込んでおりましたところ、早くも、同社から専用のチューナーが送られて来ました。

早速、卓上に設置して聴いてみました。名付けて"DTMS"(Desktop Music System)。スピーカーは、パソコンに接続していたものを改造して使いました。

聴いてみると、勿論、雄大なスケール感を楽しむというわけには行きませんが、BGM的に聴くなら十分です。

これで、従来のようにオーデイオシステムでBGMを流しながらパソコンを操作するというムダもなくて済みそうです。


力作~浅田次郎著「蒼穹の昴」

2011年05月07日 | 読書三昧

ようやく、浅田氏の傑作、「蒼穹の昴(上下)」を読み終えました。
2段組み750頁の力作です。



物語~中国清朝末期、40年にわたり権勢を誇った西太后の統治にも綻びが見え始め、これを改革せんとする光緒帝と若きエリート官僚たちの変法革命は、頑迷な保守派の巻き返しであって挫折し、皇帝は軟禁、若き官僚の大半は処刑されてしまうのだが・・・。

この物語は、先般、NHKで日中合作のドラマになり衛星・総合の両チャンネルで放映されましたので、ご覧になった方もおいででしょう。

残念ながら、テレビドラマでは、この本が伝えようとした西太后の人と為り、第11代光緒帝の聡明さや切迫する政治情勢と変法革命のなどについて、十分伝えきれなかったように思います。

また、無数の餓死者が打ち捨てられるような庶民の暮らし向きや、列強各国が中国各地を蚕食して行く様なども、ほとんど描かれず、映像世界の限界を感じさせるものでした。
ご一読をお勧めします。