会津の重ちゃん日記

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中野不動尊

2011-11-06 23:43:00 | 旅行

2011年11月6日(日)くもり後雨  
日曜日は朝から雨で寒い日であった。ゆっくり起きて朝食。ラッシュも来ないので散歩もしない。炬燵に入ってだらだらとテレビを見て無為に過した。身体を動かさないでいると腰痛が再発したみたいでなんとなくだるい。
 雨が降っていたが近所のスパーへ傘をさして夕食の買い物の出かけた。往復約3,000歩。2階でバランスボールや自転車でストレッチ。すこしすっきりした。

 脳と手先を動かすために中野不動尊のことをアップします。
 

11月3日(木)きらく会旅行 浄土平で昼食をすませ福島市へ入ると澄み切った秋空。快晴。中野不動尊は、福島県福島市にある寺。寺としての名前は曹洞宗中野山大正寺。日本三大不動尊のひとつに数えられている。
 “中野のお不動様”で知られる中野山は開かれてから820年になる。本殿には「勅願仏」が祀られていてる。治承3年の春に恵明道人が一匹のカモシカに導かれて中野の山に入った。当時は人跡未踏の秘境。長い間人々によって洞窟が掘られ、講堂などの施設が建立され寺院として整備されていった。境内には厄除・眼守・三ヶ月の三大不動明王が祀られて、願うことはどんなことでも叶えられるといわれ、特に厄難よけ、病気平癒の霊験はあらたかで、六三除けの祈祷は、ここから全国に広まったといわれている。

 駐車場から歩いてすぐ石段があり、あがっていくと朱塗りの大日堂が岩肌に建っている。お参りして下ると洞窟。ここを巡るコースと巡らないコースがあったが、洞窟を巡るコースを選んだ。

中野不動尊も開かれてから数百年の間は建物が一つも無かった。命がけで山道を登って奥の院に詣でた人々は、そこに二日も三日も泊まることがあった。こうした人々や修験者建ちによって雨露をしのぐために掘られたのが奥の院「七つの洞窟」。今は七つの洞窟がつながって、巡れるようになっている。
 洞窟の内部は、いくつかの横穴が枝のように分かれ、それぞれの行き止まりがやや広くなっていて、ここを単座と呼んでいる。むかし、そこでおこもりをしたり修行をした。いまこの三十六箇所の単座には、三十六童子が一つずつ祀られている。洞窟めぐりは三十六童子を拝む参道でもある。

 洞窟を抜けると急に明るくなり木立の間に朱塗りの大日堂と岩山から流れ落ちる滝が見えます。道なりに歩くと「あんど釜」(復元)が展示されていた。由来は、鎌倉時代の弘安6年(1283)頃、この地方に疫病が流行し凄惨を窮めた。住持道慶が洞窟に籠もって病魔退散の加持祈祷を続けていたある日、不動明王の化身が現われ、数種の薬草の名を告げた。道慶はその薬草を山野から採取し、大釜で煎じ、牛車に積んで歩いて病人達に飲ませたところたちまち平癒した。施薬はしばらく続けられたので人々は安堵し、「あんど釜」とよんだ。
 出口近くには、洞窟から流れででる清水があり、岩窟の清水、こと清水、とげぬき地蔵などがあった。
 団体旅行だったので慌しく見てまわった。今度は個人で来てゆっくり見て廻りたいとおもった。
中野不動尊





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