5月14日(月) 五月晴れのよいお天気となった。
きゅうりや絹さやえんどうの支柱とネット張りなどの畑仕事で汗を流した。
歴史に埋もれた檜原峠を歩く
5月13日の日曜日は、磐梯山を初め各地の山開き、ウオーキングなどイベントなどがいっぱい。その中でも一番に心惹かれたのが「檜原峠」であった。
この峠は米沢街道の一部として会津と米沢を結んだ峠である。
平安時代に西行法師が旅した際に越えたとされ、江戸時代には伊能忠敬、十辺舎一九、高野長英、吉田松陰も越えた歴史の道。時代の流れの中で忘れ去られてしまった峠を歩き、歴史を改めて見直そうと企画された今回の行事です。
千数百年も続いてきた檜原峠の旧街道は忘れ去られてしまい歴史の中に埋没しようとしている。その一つに会津と米沢の境界を示す「境塚」がある。
左右一対。塚の上には大きなブナが植えられていた。
沢を横切ったり、倒木がある。また、笹がはびこり道がみつけにくい。苦労する。
ところで昨日は大変な事件が起きましたね。会津若松を汚すような猟奇的な殺人事件。ほんとにここのどかな城下町で起きたことなのかと耳を疑ってしまいました。
そしてそれが、どうも私の出身校のようなのです。インタビューの生徒の女子制服がぼけてはいましたが、共学になってから変わった征服のようでしたから。
それも母親の誕生日にと信じられないことです。
少年事件が多発し、それも年々猟奇的になり、そんな子供が育ってしまうほど世の中おかしくなったのでしょうか。とてもショックです。悲しいです。
山形に行く時に昔は大変だった話を聞いています。
それにしても山がお好きなんですね。
車でドライブ、背あぶりの頂上まで、楽は事ばかりしています。会津も都会並みの出来事が起きましたが、身を引き締めなくてはと思います。
檜原峠は昔は重要な峠だったことがよくわかりました。何度か伊達が攻めて穴澤一族が応戦したなどの古戦場が残っています。歴史の重みを感じて歩きました。
高校三年生の殺人事件。あまりにも悲惨。会津でもとうとう信じられないことが起きてしまった。親殺しなどあってはならない。
高校の校長の会見からは、事件の真相はわからないが、親も学校も緊密に連絡しあっていたという。
世の中が変になっている。我々でできることはないでしょうかね。
ようこそお出でくださいました。
自分なりに気のむくままに書いている日記です。
これからも気楽に訪問してください。
この檜原峠は米沢街道としてとても重要であり、大塩や檜原は宿場町として榮ていた。
明治になって大峠(喜多方入田付)が開通し、その後現在の新大峠(喜多方熱塩)が開通したため、檜原峠は歴史の中に埋没してしまった。
若き吉田松陰が東北遊紀行の帰途、宮部鼎蔵とともに寛永四年(1852年5月15日)米沢から峠を越して会津に来た。その松陰が開いた塾から明治維新で活躍する人々が輩出した。峠を越した時は戊辰戦争が起きるとは思わなかっただろうな。・・・・・
山を歩くことも好きですが、街道や峠をどんな人がどんな気持ちで歩いたのかななど考えるのも好きです。
長くなりましたが、都会並みの事件には心が痛みますね。校長先生の会見を聞くと身につまされます。
檜原峠については、fukurouさんへのコメントにも書いたように往時を偲ぶことができました。
堺塚(現在も福島県と山形県の堺)まで歩いてもどりました。その先は、がけ崩れがあって通れません。
無理して行けば行けないことはないでしょうが、道なき道を踏み分けて歩かなければなりません。
今回歩いた道も遊歩道の計画はあるようですが、実現には遠いようです。テクテク会で歩くのは無理です。
檜原峠入り口までは林道ですが乗用車に分乗して行きました。マイクロバスは無理な道。