2016年10月27日(木)晴 16.5℃~10.3℃
[アサヒビール福島工場」
ヤクルト工場見学を終えた一行は、国道4号に出て「味覚三昧 絹の里」で昼食をすませ、本宮の「アサヒビール福島工場」へ。

工場見学は何度もしているが、この日も各種団体が見学しており時間調整が大変だったようだ。予約時間より早かったのでロビーで少し待っていると、若い女性ガイドが明るくにこやかに迎えてくれた。仕事とはいえ笑顔を絶やさず、工場内を案内してくれた。東日本大震災で被害を受けたが、それを乗り越えて工場が稼働している。企業の努力はすばらしい。
窓越しに発酵のタンクなどをみたが、その過程や検査、缶詰、ビン詰、配送などはビデオで説明してくれた。
一通りの説明が終わると20分間の試飲の時間。おつまみ付きで造りたての生ビールを3杯。スーパードライ、黒ビール、プレミアムビール。アルコールがだめな人には、ノンアルコール、ジュース、お茶、サイダーが用意されていた。

はじめは用意されたスーパードライを飲んだ。頃合いを見て缶ビールの注ぎ方を実演。 グラスをまっすぐにして少し高い所から缶ビールを注ぎ泡をたてる。半分位したら斜めにして注ぐ。泡が蓋の役目をして炭酸ガスが逃げずのど越しがよい。飲むときも泡が消えないようにして飲むとよい。
何度か聞いているのだが、泡を無くしてしまうことが多い。早く飲みたい気持ちを抑えて泡の蓋を無くさないようにしてみるか?
実家が酒の小売店だったので、「アサヒスパードライ」の発売されたころを思い出す。東北地方はキリンビールの牙城。
大坂のアサヒビールが進出するのは難しい。ましてやドライビールである。
どのような販売方法をとったのかはわからないが、小売店へのかなりのキックバックがあったらしい。
アサヒスーパードライは、アサヒビールが製造、販売しているビール。1987年2月より販売が開始される。スタイルはドライビール。アサヒスーパードライの登場で、日本のビール市場にドライビールというジャンルが定着した。また、日本のビール業界で発生したドライ戦争の引き金となったビールである。
[アサヒビール福島工場」
ヤクルト工場見学を終えた一行は、国道4号に出て「味覚三昧 絹の里」で昼食をすませ、本宮の「アサヒビール福島工場」へ。

工場見学は何度もしているが、この日も各種団体が見学しており時間調整が大変だったようだ。予約時間より早かったのでロビーで少し待っていると、若い女性ガイドが明るくにこやかに迎えてくれた。仕事とはいえ笑顔を絶やさず、工場内を案内してくれた。東日本大震災で被害を受けたが、それを乗り越えて工場が稼働している。企業の努力はすばらしい。
窓越しに発酵のタンクなどをみたが、その過程や検査、缶詰、ビン詰、配送などはビデオで説明してくれた。
一通りの説明が終わると20分間の試飲の時間。おつまみ付きで造りたての生ビールを3杯。スーパードライ、黒ビール、プレミアムビール。アルコールがだめな人には、ノンアルコール、ジュース、お茶、サイダーが用意されていた。

はじめは用意されたスーパードライを飲んだ。頃合いを見て缶ビールの注ぎ方を実演。 グラスをまっすぐにして少し高い所から缶ビールを注ぎ泡をたてる。半分位したら斜めにして注ぐ。泡が蓋の役目をして炭酸ガスが逃げずのど越しがよい。飲むときも泡が消えないようにして飲むとよい。
何度か聞いているのだが、泡を無くしてしまうことが多い。早く飲みたい気持ちを抑えて泡の蓋を無くさないようにしてみるか?
実家が酒の小売店だったので、「アサヒスパードライ」の発売されたころを思い出す。東北地方はキリンビールの牙城。
大坂のアサヒビールが進出するのは難しい。ましてやドライビールである。
どのような販売方法をとったのかはわからないが、小売店へのかなりのキックバックがあったらしい。
アサヒスーパードライは、アサヒビールが製造、販売しているビール。1987年2月より販売が開始される。スタイルはドライビール。アサヒスーパードライの登場で、日本のビール市場にドライビールというジャンルが定着した。また、日本のビール業界で発生したドライ戦争の引き金となったビールである。