『48歳の原点』早いもので65歳になります!!♡

兄の亡くなった年齢62歳もとっくに通過( ᐛ ) ナイスゥ65歳ですꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)

『母の誕生日』

2018-03-05 11:45:05 | その他
3月5日は亡き母の誕生日です
昭和4年3月5日
暗証番号は0435でした

母とは小さい頃は仲良くなくて
放任主義?
とにかく放っておかれました

母も母の姉であり母と父が養子縁組してるから
祖母でもある、でぶさんってあだ名のおばあちゃん
その二人が兄のことを溺愛してて
末は博士か大臣か?二十歳過ぎればただの人
そんな兄で
わたしはバカで不細工なので放っておかれてた

わたしが不良っぽくなっても
小中学校を仮病で休んでも
高校は全然行かなくっても
勝手に結婚と離婚を繰り返しても
とにかく放任主義でした

晩年色々聞くと、
「言っても(ダメって)聞かないから」
って、確かにね

小学校4年生くらいから働いてて
運動会にも母親参観にも来なくて
平日は夜キャバーのレジ係で夜居なくて
土日は場外馬券売場で働いてて
それでも年一回は旅行に連れて行ってくれた
ただ、夜ご飯は店屋物ばかり
大きくなると1,000円が置かれてて
食生活にはとんと疎い
育った環境が水商売の家庭って感じで
まあ、だらしない、不規則不摂生でした
唯一の救いは
もう1人の母の姉で子供の居ない伯母さん
ばあちゃんがわたしを可愛がってくれた
平日の夜も土日もご飯作ってくれたり
職場(日本橋室町で掃除会社で働いてて)に行くと
姪御ってそれはそれは可愛がってくれました
何でも買ってくれて
そんなこんなで育ったわたしに
この歳になったわたしに
どう変われと、どうしろと言うのか?
わたしはこの先の人生は
本当に好きに生きる
三姉妹のことは可愛がる

母が見守ってくれてると思う

亡き母を偲び過ごします
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『やっぱり』

2018-03-05 07:21:39 | その他
やっぱり思った通りの人で良かった
わたしの7年半は間違ってなかった
確信した

ただ、その確信は良い方の確信ではなく
悪い方の確信ですけど

1月8日
わたしは最終決断を下した
三女の成人式に決定打もあり
その前の7年半の不平不満愚痴の山
数々の喧嘩で溜まりに溜まったストレス
(全てお互いかもしれないけど)
書き切れないほどの
小姑的な躾と言う名のモラハラ
13歳~20歳までの思春期、多感な年頃
7年半
特にここ数年は酷い
何度
「怒らせないで(わたしを)」
「怒らないで(三女を)」
訴えたことか

昨日夜の醜態で
「あーやっぱりこう言う人なんだ」
結婚の判断は間違っていたかもしれないけど
離婚の判断は間違ってない、そう確信した

今朝は今朝で
休もうとしている
えー休めるのー良いねー
嫌味も言いたくなる

こっちは確定申告で忙しくて
具合が悪くたって休めない
そんな中
仮病で休むなんて断固許さない

奥さんに離婚だと言われたくらいで
休むなら休め、そう思う

そして、今日休んだら
ズルズル休み癖がつくと思う

直ぐに出ていかないわたしとしては
1日家に居られても(家事全部やってくれるならともかく)
更にイヤが増す

とにかく経緯は
何度も書いた喧嘩
生まれ育ちが違う
全て違うけど、似てるところもある
楽しい家庭を作ろう
老後は楽しく過ごしたい
そんな思いだったのに
残念で仕方ない

イヤ、嫌い、喧嘩、全て通り越して
残念

感謝するのは専業主婦で居た二年間
母に親孝行出来たこと
三女の線路転落の時に支えてくれたこと
何くれとなくやってくれて
本当に有難かった
ただ残念なことに
有難かったを上回る嫌なこと

もうちょっと、本当にもうちょっとだけ
広い心で
優しい気持ちで
温かく
接してくれていたらなー
残念ですけど
去年書いた心が折れた
その時のまま
1月8日成人式の日のまま
変わらない
更に悪化した

ご飯を作る気持ちも
トイレを綺麗にする気持ちも
全く無くなった

一生懸命やったんだけどなー

それに三女も怒られるような子じゃない
むしろ良い子なくらい
可哀想なことをした
母の愚かな選択で
ただあの時はあれがベストな選択だと思った

仕方ないね
お互い見る目がなかったんだ


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