桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

不易と流行 ― 転居丸一年

2011年07月28日 23時27分42秒 | つぶやき

 七月三十一日で転居丸一年を迎えます。
 月日が経つのは早いものです。齢を重ねると、一層早く感じるようになります。この一年はまさに矢の如き疾さで過ぎ去りました。
 わずか一年、ことに私にとってはあっという間の歳月の移ろいの間、我が周辺でも変わりつつあるものが多くあります。

 散策途中に、もう何十年もつづいているテレビのバラエティ番組で司会をしているタレントと同じ読みの表札の出ている家がありました。
 子どもがいれば、学校でどんなふうにいわれているのだろう、などと思いながら、前を通っていましたが、ある日、表札がなくなっていました。しばらくすると、紙に手書きで書かれた別の名の表札が貼られ、さらに数日後にはきちんとした表札に代わっていました。



 
新しく入る人のないまま、どんどん朽ちて行く家もたくさんあります。その一方で、畑や空き地が潰されて、新しい家が建てられます。
 常磐線の線路伝いに北小金駅から歩くこと十数分。富士川が暗渠になって常磐線の下をくぐる手前を歩いているとき、猫殿の鳴き声を聴いたように思いました。
 車が私の横をすり抜けて追い越して行ったときだったので、幻聴かと思いながら、通りすぎたばかりの家を振り返ると……。道路に背中を向けて置いてある犬小屋があり、その陰から顔を覗かせている猫殿がいました。



 首輪をつけているので、飼い猫です。
 ♂か♀かわかりませんが、道を挟んで富士川が流れているので、富士丸と名づけることにしました。いつもの散歩コースの近くではありますが、形ばかりの歩道はあるものの、狭くて歩きにくく、軽自動車同士でもすれ違えないのに、一方通行にはなっていないので、あまり通ることのない道です。



 ついこの前まで立葵(タチアオイ)が花盛りだった庭。背の高い生け垣に囲まれていましたが、重機が入って整地が始まっていました。



 湯屋へ行く途中にある公孫樹(イチョウ)の樹です。幹周りは2メートルぐらいありそうで、見上げるほどの高さでした。久しぶりに通ったら、数メートルの高さのところで伐採されてしまっていました。

 変わらぬものもあります。
 我が庭と行き止まりになっている細い路地を挟んで、私より少しだけ年上と思われる老夫婦の棲む家があります。
 庭に下りて草花の手入れをしていると、ときおりその家から少女が歌っているような声が聞こえることがあります。何を歌っているのか、歌詞は聞き取れませんが、透き通るような、純真な歌声です。
 声の主はその家の奥さんだろうと私は睨んでいました。しかし、奥さんの姿を見かけたことはありません。ひっそりと暮らしているようで、ご主人もあまり見かけたことがありません。

 何月ごろであったか、ある朝、ふと気づいたことがあります。ご主人が出てきて、玄関前に停めてあるミニバンを少しだけ移動させ、助手席のドアを開けたまま家に入ったのです。
 しばらくすると玄関が開き、再びご主人が姿を現わしました。今度は後ろに奥さんだと思われる女性を従えていました。少しクラシックな洋服を着て、髪は「ちびまる子ちゃん」に出てくる野口さんのような髪型をした婦人でした。
 覗き見をしていたわけではありません。カーテンを開けて机に向かっていると、塀がない庭の向こうの光景はすべて丸見えなのです。

 そういう光景を何度か目にしているうち、二人が出かけるのは毎週決まって月曜日と木曜日。時間は朝九時で、出かけたあと、しばらくするとご主人だけが戻ってくる。夕方、ご主人が出かけ、しばらくすると奥さんを乗せて戻ってくる。
 月に何回か、ボディに介護施設を思わせる名前をつけた車と歯科医院の車がやってきます。土曜日には決まってヘルパーらしき女性がやってきます。
 転居してまだ一年に過ぎませんが、毎週毎週このような光景が変わらず繰り返されるのを眺めています。

 
昨二十七日は私の誕生日でありました。無病息災とはいかず、一病か二病持っていて、決して体調万全とはいえませんが、一年前にはマジで死ぬかもしれぬと考えるほど深刻な体調だったことを思い返してみると、上部消化器とリンパの循環に多少の困難を抱えるようになったとはいっても、そのほかには膝が痛むようになったり、眼鏡をかけても本が読みにくくなったりしている程度ですから、ありがたいことだと思うのです。
 そのありがたいことを、家にいて、ありがたいと感じているだけでは間が抜けている、という思いがしたので、お線香を持って東漸寺へ行ってきました。

 このお寺は浄土宗です。私の宗旨とは違いますが、本尊は阿弥陀如来。私の念持仏であり、守り本尊でもあります。



 東漸寺の門前に掲げられていた標語。



 本堂前の大香炉に焼香したあと、開山・經譽愚底(きょうよ・ぐてい)さんのお墓にも焼香しました。

 例年我が誕生日は、とてもかなわんという暑さです。昨日も暑いことは暑かったけれども、例年とは少々様子が違いました。



 久しぶりに兄弟コリーを見かけました。



 あまり通ることのない道で見かけたプルンバーゴ。
 常緑の低木で、原産地は南アフリカだそうです。
 名前のわからぬ庭木や花を見つけ、植物図鑑で調べてもなお名前が知れぬとき、我が庵から歩いて二十五分ほどもかかるガーデンセンターへ出向きます。
 わからないのが庭木であれば、花の季節に行くと、大概同じものが置いてあって、名前を知ることができるのです。
 酔芙蓉(スイフヨウ)もアベリアも、こういう手順で名を知りました。

 


 これは去年秋、どういう名前なのかわからぬままにブログに載せ、コメントをもらって初めて名前を知った貝殻草です。


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