桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

引きこもり

2022年10月02日 14時19分04秒 | つぶやき

 ブログの更新を怠ることが多くなりました。先手を打って弁明に努めておくと、決して私の怠惰のせいばかりではありません。
 去年十一月に怠ったときは火事のせいです。当時、喫緊を要したのは新たな棲家を見つけることでしたから、落ち着けるかどうか、今後どうなるかどうかなどということはさておいて、とりあえずいまのアパートに居を定めることになりました。
 緊急避難の旅館暮らしで不便をかこったのはわずか六日間で済みましたが、火事でノートPCもデスクトップPCも失ってしまったので、本当はブログの更新どころの騒ぎではなかったのですが、仮に気持ちに余裕があったとしても、物理的にブログを更新することはできませんでした。

 あれから一年近く ― 。
 毎月の薬師詣でも、ひと月休んだだけで再開し、ようやく気持ちも落ち着いてきた、と思ったところ、先月初めにはまた思わぬ災難に見舞われてしまいました。坐骨神経痛に見舞われて、今日までの一か月、歩くこと能わず、という毎日を送ってきたのです。

 発症したのは先月七日朝です。
 前日はボランティアで小金地区を歩いていました。ボランティアの日は、様子を見に訪ねる家が三軒ほどあって、六~七千歩は歩きます。それに北小金へ行くために、新松戸から一駅だけ電車に乗りますが、自宅と新松戸駅との往復で約二千歩。〆て八~九千歩。薬師詣での日などは一万数千歩も歩くこともありますから、私にとっては特段の歩数ではありません。
 その日はなんでもありませんでした。
 翌朝、トイレに行くために目覚めました。立ち上がろうとすると、臀部左が痛く、布団に尻餅をついたまま、どうやったら立ち上がれるのか、と考え込んでしまいました。やっと立ち上がることができて、歩き出そうとすると、左脚が攣ったようになっていて、歩くのがぎこちない。ヤヤっと思っているうちに左脚全体が痺れて、やがてシクシクと痛むようになりました。
 横になっていれば楽なら横になって過ごすのですが、仰向けでもうつ伏せでも脚が痛んで眠れません。右側を下にして、まるで胎児のように丸まった姿勢だけが痛みがないのです。しかし、その姿勢をつづけていれば、神経痛のない右腰が痛くなります。結局、二時間ぐらい眠ったかと思うと右腰の痛みで目が覚め、そうでなければ思わず身体をひねるために左脚に強烈な痛みが出て、目が覚めるのです。



 発症したのが七日ですから、翌八日の薬師詣ではとても行けませんでした。十二日の縁日も行けません。東京・本郷にある薬師堂には二十二日も縁日だと記してあったので、これまで出かけたことはありませんが、苦肉の策でこの日まで延期しようと考えました。まさか当日になっても歩けそうもない、という事態になろうとは考えてもみませんでした。

 じつは坐骨神経痛かどうかはまだわからないのです。突然歩けなくなったので、病院に行きたくても、すぐには行けませんでした。痛む箇所は違っていますが、何年か前に坐骨神経痛が出たことがあって、そのときはいつの間にか治まって、以降発症することはなかったので、今回のように長引くことは想像しなかったのです。
 近くに整形外科のあるクリニックがあって、送迎してくれるということを知ったので連絡をしてみると、診察する前に送迎することはできないから、とりあえずは診察を受けてくれという。一度ならタクシーを頼めば行けないことはないので、壁伝いではあっても、独力でどの程度歩けるか試してみてから行こうと思ったら、受診したあとでも、付添がないと受け入れられないという。友人知人の誰かが付き添いを引き受けてくれるかどうかわからないが、一度だけなら誰かに頼めないわけでもない。
 しかし、まだ診察を受ける前です。どのような頻度で通わなければならないのかわからないうちに決めてしまうことはできない。かくて、病院探しはまた遅れることとなりました。

 やっと玄関から道路までの数メートルを歩くことができるようになって、独力でタクシーに乗ることができるようになりました。介護タクシーなら別ですが、普通のタクシーは運転手が乗客の手助けはしてはいけないことになっているそうです。独力でエッチラオッチラと道路まで出て、付き添い不要の別の病院へ行き、レントゲンを撮ってもらいましたが、脚の骨に異常はないということがわかっただけで、原因はまだわかっていないのです。
 二週間分の痛み止めの薬と消炎剤を処方されて、様子を見るということになって、いまはその二週間が経過するのを待っている状態です。

 痛みは多少軽くなったように感じられるときと、あまり変わりはないと思えるときがあります。

 腰を伸ばしてピンと立とうとすると、左脚が痛むので、腰を伸ばすことができません。元気なころは腰を屈めて歩いている老人を見かけることがありましたが、自分はまさにその老人なのだと気づかされました。
 発症する前に洗濯をして、ハンガーに吊るしたTシャツが二枚、鴨居にかけてありますが、手を伸ばして取ることができないので、いまだにかけたままです。柱にかけた時計の電池が切れてしまいましたが、むろん電池交換はできないので、止まったままです。
 洗濯機は外、共同の通路にあります。玄関の三和土を上り下りするのは生易しいものではないので、頻繁に洗濯はできないとはいえ、しないわけにはいかないので、エッチラオッチラ、よいしょドッコラショ、と掛け声をかけながら、玄関を出たり入ったりしています。幸い全自動洗濯機なので、エッチラオッチラしなければならないのは二度で済みます。
 郵便等は通路入口の郵便受けまで取りに行かなくてはなりません。距離にして10メートルちょっと。10メートルがこんなに遠いとは、初めて悟りました。
 ごみ置き場はもう少し近いのですが、郵便物と比べれば多少なりとも重量があるので、苦労するのは大差ありません。

 台所の洗い物も以下同文ですが、何日かに一度はしなくてはなりません。両手を膝につき、腰を屈めて台所まで行くのはなんとかなっても、絶対に不可能なのが立ちつづけていることです。二~三分立っているだけで、脚の痛みもさることながら、腰を伸ばせないので、すぐ腰に痛みがきて、息も上がってしまうのです。
 考えた末、アマゾンでバーに置いてあるような、カウンターチェアを買うことにしました。買ったからといって、万事解決とはいきませんが、立っているよりは長時間シンクに向かっていることができるようになりました。

 買い物はもちろん行けません。幸いネットスーパーというものがある時代なので、餓死しないで済んでいますが、普段のように手にとって買うことができないので、買えるものには限度があります。
 台所に立っていることが苦行なので、手の込んだもの、ガス火にかけて、見ていなければならないような調理はできません。おかずが尠なくて済む炊き込みご飯を炊いたりして飢えを凌いでいます。

 歩けないことを除けば心身ともに快調なので、食欲が減退していないのも困りものです。動かないぶんだけ食欲も衰えているかもしれませんが、服薬、とくに痛み止めのロキソプロフェンナトリウムは胃を荒らすので、必ず三食とったあとで服むこと、と釘を差されています。量的なものはともかく、後始末を尠なくしようとして食事を抜くことはできません。

 先月の中秋の名月のとき、LINEの仲間たちはお互いに満月を撮って送り合ったりして賑わっていましたが、私独りは蚊帳の外でした。窓辺まで行くのが億劫だし、月が出ている角度によっては見上げることができないので、最初から見に行かないのです。

 窓の外を眺める、というのも、いつの間にか、一週間に一度、あるいは十日に一度、と間遠になってしまいました。幸か不幸か、涼しくなってきていたので、窓は閉めたまま、開けたり閉めたりするのに立ち上がらなくてもいいのは助かります。



 引きこもっている間にニラ(韮)の花が咲き、終わりました。



 前の住人が植えたままにしたらしいスイフヨウ(酔芙蓉)はオクテのようで、花の季節は七月から始まるはずなのに、いまごろになってやっと咲き始めました。 

 

 去年、
引っ越してきたときはわりと大きな切り株がデンとあっただけなので、なんの樹なのかわからず、そもそも枯れているのかどうかもわかりませんでした。春がきて葉が顔を出すようになって、ようやくスイフヨウだとわかるようになりましたが、こんなに枝を張るとは予想もしませんでした。
 道路からの目隠しにはなるかもしれませんが、正直なところ、なり過ぎです。

 

 スイフヨウの花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」「幸せの再来」、そして「心変わり」です。「しとやかな恋人」から「幸せの再来」までの三つは本家であるフヨウ(芙蓉)の花言葉で、スイフヨウは寸借しているのに過ぎません。スイフヨウだけの花言葉は「心変わり」。朝から夕方まで、同じ花が色を変えるというのはあまりいいことではない、と花言葉はいっているようです。

 

 次々と咲き始めるまでは、このように蕾をいっぱいつけていながら、花はポツリまたポツリと咲くだけ。首を傾げていたら、季節遅れのいまになって次々と咲き出したというわけです。

 前回、坐骨神経痛が出たときは病院にかかったわけではないので、実際は坐骨神経痛だったと断言はできませんが、毎日の散歩や買い物、慶林寺への参拝で歩いていたとき、突然脚が痛くなって歩けなくなりました。どうしたんだろうと思いながら、とにかく脚が痛くて敵わないので、近くにあった駐車スペースのポールにお尻を載せて、しばらく休憩すると、やがて痛みは去って行きました。それ以来、ときどき突発的にやってきましたが、最初に偶然身体を預けて、楽になれると識ったポールと同じ程度の高さのものがあって身体を預けることができれば、しばしの休憩で再び歩けるようになったのです。その間に学習しましたが、不適格な高さがあって、どっかりと腰を下ろすような低さではいつまでも痛みは引きませんでした。
 当時、たまに会う元ナースがいて、症状を話すと、「坐骨神経痛ね」といわれました。「また出るかもしれないけど、じきに治まりますよ」と付け加えられましたが、彼女のご託宣どおり、痛みはじきに引いて、以後再発することもなく、苦しんだこともすっかり忘れていました。


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