以下は日記のようなつぶやきです ― 。
突然脚に痛みを覚えて、ほとんど歩けない状態に襲われてから、引きこもりになるのを余儀なくされて、そろそろふた月が過ぎ去ろうとしていますが、自由に歩けない状態は依然としてつづいています。
ふた月の間、外に出たのは六日だけ、というか、六回だけ。うち五回は病院・クリニック通い、残る一回は、先月末に車を持っている知人が訪ねてきてくれたので、乗せてもらって近くのイタリアンレストランへ行って食事をともにし、コンビニに寄ってもらって、公共料金の支払いと引き落としに備えて銀行に預金をしました。
引きこもり生活が始まってから、会った人はこの知人のほかは、病院の関係者など、会った、とはいえないような人々で、それも数えるほどです。
無精髭が伸びていました。滅多に外には出ず、出るときはマスクをしますから、髭が伸びたままでも全然構わないのですが、電気シェーバーで口髭と顎鬚を剃ります。深剃りができる回転式を使っているので、剃り上げる方向を変える都度、ガリガリという音を聞きながら、何日かごとに髭が伸びてきているのを識るたびに、当たり前のことながら、自分は生きているんだな、と感銘に近いものを覚えたりします。
食事は相変わらずネットスーパー頼みです。食べたいものがありますが、届けてもらえるのは限られているので、食べられないものがあります。魚類はまったく食べていません。辛うじて食べられるのは、鯖や鰯の缶詰、鮭ほぐしのたぐいだけです。
最初は坐骨神経痛だと思いました。四~五年ぐらい前、同じような症状に見舞われて、そのときは病院に行くこともなく、薬を服むこともなく、数日で治ったので、今回も軽く考えていました。こんなに長引くとは考えてもみませんでした。したがって、病院へ行くのも遅くなりました。遅くなった上に、最初に訪ねた病院が大ハズレでした。
近くにある総合病院で、かつては胃潰瘍で入院したり、大腸のポリープを切除してもらったりと何度かお世話になったことのある病院ですが、正直なことをいうと、行くのはあまり気乗りのしない病院です。
そして今回 ― 。
案の定というかなんというべきか、やっぱり! ということになりました。
診療科も異なるし、医師も別人ですが、ずっと前にこの病院で右眼の眼瞼内反症 ― いわゆる逆さまつげです ― の手術を受けたことがあるのですが、術後、縫合跡が膿んでいないかどうかを確かめたいので、数日後にきてほしいということになりました。
ところが、その日に行くと、ぬぁ~んと「休診!」ということがあったのです。
当然担当医はきていないし、眼科ではない診療科へ行っても仕方がない。幸い膿んだ様子はなかったので帰りましたが、以降も受診することはありませんでした。
手術が成功だったのか否か、私にはわかりません。
いつからなのかは記録をしていたわけではないのでわかりませんが、しばらくすると、以前と同じように、右眼がショボショボしたり、涙が出たりする日があるようになりました。
しかし、手術を受ける前に、その担当医がいうことには、今回の事案は加齢で皮膚がたるんだことによって起きたので、手術で引き詰めても、時が経てばまたたるんでくる、ということだったので、手術は成功したが、時が経った、ということなのかもしれません。けれども、約束破りのいい加減な医師の言葉ですから信用できるのか、という見方もありますが……。
あるいは私には原因不明の鼻のアレルギーがあるのですが、初めてその症状が出たころ、同病院の耳鼻咽喉科を受診しました。受診したときはなぜか洟水は治まっていました。医師はインターンを終えたばかりではないかと思われる若い女医でした。
体温計みたいな医療機器を鼻腔に突っ込まれ、アヒーッ! と叫びたくなるほどかき回されたあと、ご託宣は「わかんないっ!」という一言でした。憤りがこみ上げてきたのはしばらくたってからで、その瞬間は私は思わず笑ってしまいました。
胃潰瘍で入院したり、大腸ポリープの切除をしてもらったときは全然問題はありませんでしたが、以上のようなことがあったので、そもそも病院へ行くこと自体、気乗りがしないものなのに、さらに気乗りがしないのです。
気乗りがしないながら、整形外科がそこらじゅうにあるわけではないので、今回もやむなくその病院へ行きました。担当医の一覧表を見ると、常勤の医師はいないみたいで、名前は日替わりになっています。大腸ポリープの術後やそのころ発症し始めていた高血圧で通院していたころの消化器科と内科と同じでした。
九時半ごろであったか、初診の受付を済ませました。歩けないので、タクシーを呼んで行きました。かつて通院していたことがあるので、本来は診察券を持っていたのですが、火事に遭ったときになくしています。それに、通院していたのは十年も前なので、新しくもらえるだろうと思っていました。再発行といわれて¥110也を徴収されました。
¥110ポッチですから、そんなことは些細なことですが、次に起こるようなことが、些細なことを些細でなくしてしまいました。
一時間半ほど待ったころ、院内にスピーカーから流れる声がありました。理由はよく聞こえませんでしたが、整形外科の診療は突然中止、ということになったのです。
私が腰を曲げてエッチラオッチラとやってきているのを心配してくれたのか、最初に病状を告げた受付嬢が申し訳なさそうな顔をしてきてくれました。整形外科医に何か事故が起きたみたいですが、受付嬢には打つ手がありません。明日出直してもらうか、受診はやめにするか。明日出直しても、私を含めて今日キャンセルを喰らった形の患者がたくさんいるので、今日以上に待つことになるかもしれない。どうしますか(他の病院に行きますか)、というわけです。
そういわれても、ほかにアテはないので、出直すしかありません。帰りも通りがかるタクシーをつかまえる、という身体ではないので、タクシーを呼ばなければなりません。健常な身体であれば、歩いて十四~五分ぐらいのところなので、走行料金は¥600から700というところです。ただ迎車料金(¥300)が加わります。そのツケは誰にも持っていきようがありません。
なんの成果もないのに往復¥2000というのも、まあ、些細なことと片づけてもいいかもしれない。しかし、(私にすれば)度重なる不祥事が些細なことを、やはり些細ではなくしてしまう。
翌日、延々と待たされた挙げ句、なんとか無事に受診を終えました。レントゲン撮影があって、腰にも痛みの激しい左脚も、骨には異常がないので、神経痛となんらかの炎症であろうという診立てでした。一週間後にまたきてくれといわれ、痛み止めの服み薬と痛いところに塗る消炎剤、痛み止めの薬は胃を荒らすので、それを防ぐための胃薬を処方されました。
消炎剤はリップクリーム大きくしたような塗り薬でしたが、ほとんど効果がありませんでした。立っているときだけではなく、眠っているときも脚が痛んで目をさますことがあったのですが、起き上がること自体が大変なことなのに、あまり効果のない消炎剤を手にとるべく起き上がる気にはなれない。拠って、ますます効果はない。
一週間分で二本処方されていましたが、四~五日経っても、一本の半分も使い切れていない。肩こりと首コリに流用してみましたが、やはりほとんど効果がない。
一週間後の診察で、そんなことを訴えると、「もう少し様子を見ましょう」といわれ、二度目の受診は数分で終わってしまいました。一時間半も待たされた挙げ句です。
診察が終わると、診療科の受付に戻って、処方箋と次の診察日の予約表のようなものをもらう手筈ですが、そのときがくるまで、私はまだなんの疑問も懐いてはいませんでした。
大きな病院なので、受診前も、受診後もいろいろ手数を踏まなければなりません。処方箋などをもらうときに、支払うべき診察料を示され、違うフロアの会計に行って支払い、それでその日はおしまいということになるのですが、名前を呼ばれて、エッチラオッチラと苦労しながら歩いて行くと、私に示されたのは診察料の請求書だけ。「?」と首をかしげると、処方箋も次の診察予約もないのです。
どういうことなのか。医師の話を聞きたい、というと、受付嬢は姿を消し、また何分も待たされた挙げ句、戻ってきて、今日は患者が多く、非常に立て込んでいるので、医師の手が空くまでしばらく待ってくれ、という。
そのときの私の状態は? というと ― 立っているのは非常に辛く、椅子に腰を下ろせばなんでもないのですが、その椅子のあるところを見ると、待ち人がどっさりいて、立って待っている人も数人いる。空いている席があったとしても、そこまでエッチラオッチラするのが辛い。さらに何分待てばいいのかわからないのに待った上、また名前を呼ばれてエッチラオッチラしなければならぬ、と思うと、「辞~めた」と即断してしまったのでした。
じつは、病院へ行かねば、と考えたとき、思い浮かべたクリニックがあったのです。我が庵から歩けば三~四分という至近距離です。もちろん私は歩けないので、だれかに送り迎えをしてもらわなければならない。幸いそのクリニックには送迎サービスがあるのを知りました。即刻行くべし! と思って電話を入れたら、初診のときは送迎サービスは利用できない。診察を受けて、送迎が必要だと医師が判断したら、利用することができるが、付添がないとダメだといわれてしまったので、行くのは諦めたのです。
その後、行くのは「辞~めた」ということになる病院へ行くまで、自分ではなんと迂闊であったのかと思うのですが、タクシーを使う、という考えが思い浮かびませんでした。我がことながら、何たるコッチャです。
タクシーで行くのなら、最初に考えたクリニックでもいいわけで、受診先をそのクリニックに変えました。
歩けなくなって一か月も経っていたときです。新しく担当医となった医師が、痛みが出てから一か月も経ってやっと受診しにきたのか、という感じで首を傾げるので、「じつは某病院で……」と話すと、「某とはどこですか」とたたみかけられました。
前から高血圧で通っているもう一つの病院があるので、お薬手帳を見せなければならないと思っていました。見せれば、直近の処方でもらった薬のリストが貼ってあるので、「某」とぼかしたところで、どこかということはわかってしまいます。「某」がどこであるかを打ち明けると、思ったとおり「お薬手帳はお持ちですか」と、きました。
ここでもレントゲンを撮られましたが、腰から背中にかけて多少の異常がある。私が訴えた、歩いたり立ったりしていると非常に痛いし辛いのに、坐るとなんでもない。あるいは身体を後ろにそらそうとすることはできないが、うつむき加減になると楽になる ― こういう症状と合わせると、典型的な脊柱菅狭窄症だということになりました。「某」では神経痛といわれ、確かに神経が圧迫されて痛むのだから神経痛には違いないが、そういう問題ではなかったのに、「某」では同じようにレントゲンを撮りながら、脊柱菅狭窄症と見抜けなかったのでしょう。
「某」で処方されたのは、ロキソプロフェンナトリウムという痛み止めと胃薬、それに消炎剤の三種だけでした。新しい医師はちょっと首を傾げて「私もロキソプロフェンを処方するつもりですが、これだけでは足りないですね」。そういって、しばしパソコンに向かってキーボードをカチカチしたあと、処方される薬のリストを見せてくれました。「某」とは違って、塗り薬はないのに、全部で七種類もありました。
七種類もの薬を服み始めて三~四日すると、依然として四苦八苦することには変わりがないながらも、ほんのちょっとだけ腰を伸ばすことができるようになりました。すると、こたつの敷き布団として使っている長座布団を物干し竿にかけて干すことができたり、2メートルほどの高さにかけてあって、電池切れで止まったままだった掛け時計にも、辛うじて、という状態ではあるけれども、手が伸ばせるようになって、電池の交換もできました。
少しずつではあるが快方に向かっている、と密かにほくそ笑んだら、翌日にはなぜか時計の高さより断然低い位置にある蛍光灯のスイッチ紐に手を伸ばせるのがやっとという状態に逆戻り。どうやら一進一退を繰り返しながら、やがて本復するとしても、長~い戦いになりそうです。
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