桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2022年十一月の薬師詣で

2022年11月08日 17時46分37秒 | つぶやき

 八日。
 薬師如来の縁日がやってきましたが、脚の痛みが依然引かず、今月の薬師詣でも出かけることができません。東方(薬師如来がおわす方角です)に向かって合掌、深く頭を垂れるのみです。
 脊柱菅狭窄症が発症して、昨日七日でまる
二か月、ということとなりました。あっという間の二か月で、まるで夢を見ていたように、瞬く間に過ぎ去ったみたいな感じがします。まだこれからも当分の間、ただただ過ぎ去って行く日々を覚悟しなければなりませんが……。

 脚の痛みはかなり恢復してきて、途中、休み休みなら、タクシーを使うことなくクリニックへ行けそうな気もしますが、いざとなると、歩いてみようという勇気が出ません。もし実行に移したら、休み休み歩く途中で、へばって、本当に休んでしまうかもしれません。
 グーグルマップで計測すると、クリニックまでは180メートル。健常なときに歩けば、二分もかからぬ距離です。実際、ダイソーやサンドラッグ、コモディイイダという店々へ買い物に行っていたとき、クリニックのすぐ横を通り過ぎていましたが、まったく意識しないほどの近さです。

 クリニックまで歩いて行けるかな、どうかな、と考えていると、疾病は全然違いますが、十数年前、胃潰瘍を患ったときのことを思い出してしまいます。そのときはやはり新松戸の住人でした。
 それまで特段の病気を患ったことがなかったので、かかりつけの病院やクリニックはありませんでした。そんなときに突然襲ってきたのが胃潰瘍でした。自覚症状を覚えるのが遅かったので、気づいたときはかなり進行していました。
 胃潰瘍は背中が痛くなる、と耳学問で知っていました。なんとなく体調がおかしいと思い始めたとき、胃がやられているように感じましたが、胃潰瘍なら背中が痛くなるはず、しかしそうではないので、なんだろう、というような体調でした。
 それが一気に進行したときは、あとで考えれば、多量の下血によって血液が減少(入院したときの検査では通常の80%しかありませんでした)し、酸素の血中濃度も低下していたので、歩いてもすぐ疲れる、眠っても眠っても眠い。とにもかくにも眠くて眠くて堪らないという状況でした。いまと違って、当時は勤めに出ていたので、無理に無理を重ねていました。
 これは本当にイカン、と気づいたとき、どこで受診しようかと迷いましたが、頭に浮かんだのは通勤途中にある総合病院でした。

 そんな状態だったので、受診=即刻入院ということになったのですが、入院することになる前々日の夕方、その病院に電話を入れました。今日はもう診察時間を過ぎているので、明日十時にきてください、といわれました。ところが、ひたすら眠ってばかりいる毎日だったので、翌日目を覚ましたのは昼過ぎ。また電話を入れたら、診察は午後二時からなので、その時間になったらきてください、といわれました。
 待っている間も眠気は襲ってきます。結局眠ってしまって、目覚めたのはまた夕方。明日になったらと思っても、朝は目覚めがきません。やっと行くことができたのは、その日の夕方。診療時間の終わる直前に滑り込みました。
 ギリギリに家を出たのではありません。今度こそ行かねば、と決意して、眠い目をこすりながら家を出たのは午後の診療の受付が終わる四十分も前でした。
 当時の自宅から駅までは歩いて十一分。その病院は駅から四分ぐらいのところでしたから、自宅からは七分か八分ぐらい。悠々間に合いそうでよかったと思いながら家を出ました。しかし、部屋を出てエレベーターに乗り、マンションの玄関に出たところで、早くも休憩です。その後も50~100メートル歩く都度休憩。結局、普段であれば十分程度で着く病院まで、三十分もかかりました。

 すぐそこなのに、非常に遠く感じられる、と思うと、まだ幼かったころのことも思い出します。
 隅田川に架かる両国橋を、両国から対岸の東日本橋まで独りで渡るのは、まるで別世界へ行くように感じられ、何歳になったら渡れるようになるだろうかと思ったものでしたが、いまはそれに近いような気持ちです。
 鬼が出るか蛇が出るかという怖さではないけれども、曲げたままにしなければならない腰が昨日よりほんのちょっと伸ばせると、恢復に向かっていると嬉しくなり、昨日は伸ばせた腰が今日はまた伸ばせないと、このまま歩けなくなるのではないかと絶望の淵に突き落とされるような思いを味わったり、という日々の繰り返しです。
 いずれにしても、一度は歩いてクリニックに行けたとしても、買い物だ、公共料金の支払いだと、連日のように出歩くのはとても無理で、まだ当分は引きこもりをつづけなくてはならぬようです。



 十一月に入って、秋が深まってきているのはわかっていましたが、家の中から眺められるのは、雑草に埋め尽くされた我が庭と前のマンションだけ。マンションにはなんの樹だかわかりませんが、常緑樹が植えられていて、落葉樹は見当たらないので、季節を感じられるものがありません。
 外を見るのはクリニックへの行き帰り、タクシーの窓からだけです。それも、健常なら二~三分で歩けるような距離ですから、タクシーなら数秒……テナわけにはさすがにいきませんが、そのタクシーの窓から見る景色はあっという間に過ぎ去ってしまいます。瞬時の間でも肌に感じられる秋らしさといえば、新松戸中央公園の樹々ぐらいなものです。
 公園の中にはイチョウ(公孫樹)もありますが、道路沿いにあるのは桜の樹だけ。決してきれいな紅葉とはいえませんが、いまの私にとっては貴重な秋の色です。

 クリニックから帰ったあとはこたつに坐り、いつもどおり窓の外に見えるマンションを眺めています。
 これまで十一年と八か月、ほぼ毎月休まず巡ってきた薬師詣でを思い返しています。今年九か月目を迎えるはずだった直前の先々月七日に、いまの脊柱管狭窄症(当時はたんなる坐骨神経痛と思っていました)を発症して、参詣は欠礼。つづく先月十月も欠礼。
 即座に数え直すことはできませんが、十一年と八か月を月に直せばちょうど百と四十か月、巡ってきたお寺や小さな堂宇は三百か所前後にも上ります。

 今日は終日好天でした。夜になると皆既日食に天王星食が加わる、四百四十二年ぶり、織田信長のころ以来という天体ショーがあるというので、近場で観測できるところがあれば、望遠レンズを装着したカメラを持って出かけようか、という気になっていましたが、家の中からは前にマンションがデンと構えているので完全に無理。道路に出ても、前方にはこれまたデデンとダイエーがあるのでこれも無理。どこまで出るかと考えても、いまの私の脚では結局無理ということがわかって、早めに寝てしまうことにしました。

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