桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2022年四月の薬師詣で・戸田市~さいたま市南区

2022年04月08日 22時52分38秒 | 薬師詣で

 四月の薬師詣では埼玉県の戸田市からさいたま市南区にかけて歩きました。先々月から三か月つづけて埼玉県を歩くことになりましたが、何かを企図したわけではありません。

 私が薬師詣でに出かける時刻は概ね昼近くです。もともと乗客が尠ない時間帯である上に、コロナ禍となってからは電車はガラガラの状態がつづいていました。しかし今月は四月という、一年でもっとも人の動きが多い季節だからか、空いた座席がなくて立つ乗客がいるほどでした。
 新型コロナの感染者は増えたり減ったりしながら、趨勢としてはまた増えているらしいのに、前は空席があったとしても、隣も空いていなければ坐らなかった人が多かったのに、違う人種が出てきたのか、もし罹ったとしても、重症化するリスクは低いと高をくくっているのか、詰めて坐る人が多くなりました。
 私は左右の座席が空いているときしか坐りません。そうして注意を払っているのに、「や、空席がある」とばかりに坐ってくる輩がいます。立とうかと思いながら、大概は乗車時間がそれほど長くないこともあり、嫌がらせをしたように思われるかもしれない(思われても構わないし、そういう愚鈍な輩は感じもしないのですが)と思って、そのまま坐りつづけていますが……。

 この日も南浦和で武蔵野線から京浜東北線に乗り換えたら、ロングシートの座席が一番端から三人分空いていたので、坐りました。すると、次の蕨で乗ってきた輩が私のすぐ隣に坐りました。私が降りるのはその次だったので、立つことなくそのまま坐っていましたが……。



 西川口駅で降りましたが、川口市内は素通りするだけで、最初に訪ねるのは戸田市の正覚院です。



 西川口陸橋通りを歩いて行きます。結構交通量の多い道路です。

 

 喜沢橋で緑川を渡ります。いつごろのものか、橋の石柱には「鬼沢橋」と彫られています。「鬼」という字を嫌って別の字を当てるという例はよくあります。ここもそうなのでしょう。
 川というより排水路みたいですが、この先、菖蒲川に合流し、さらに荒川に流れて行くので、一級河川です。この川を渡ると戸田市で、歩いてきた西川口陸橋通りは喜沢通りと名を変えます。



 薬師詣での対象ではありませんが、正覚院に着きました。
 真言宗智山派の寺院で、文明二年(1470年)の創建。本尊は不動明王です。
 それほど手間取ったという実感はありませんでしたが、西川口駅で電車を降りてから、スイカにチャージをしたり、駅入口の写真を撮るのにロータリーを巡ったりしていたので、正覚院に到着するまでに二十六分も要してしまいました。事前のシミュレーションでは十九分でした。歩き始めたばかりだというのに、早くも七分もの遅れが出ています。



 正覚院から八分で薬師寺(別名・下戸田薬師堂)に着きました。武蔵東向寅薬師の第六番、今日最初の薬師詣でです。御開帳こそありませんでしたが、回向柱は五色の布で飾られ、御開帳があったか、あるいはこれからあるのか、という雰囲気です。
 地図には薬師寺とありますが、実際は集会所のような建物と地域の墓地があるだけでした。「新編武蔵風土記稿」には、直前に参拝してきた「正覚院持」と記されていますが、それ以外由緒などを記したものがありません。



 最初の薬師詣でを終えて、公団前というバス停から国際興業バスに乗ります。
 次に訪れる慈眼寺までは歩けない距離ではありませんでしたが、一昔前に較べると、脚には如実に衰えが出始めているし、ちょうどバスの便があった(といっても、一時間に二本しかないのですが)ので、無理はせずバスの厄介になりましょうと決めたのです。しかし、時刻は事前のシミュレーションからさらに大きく遅れていて、乗るつもりだったバスはとっくに走り去ってしまっていました。
 バス停に着いて時刻表を眺めると、そのバスは三分前に行ったばかりでした。次のバスがくるのは三十分後です。アリャリャ~と頭を抱え、どうしようかと周りを見回していたら、なんとこちらに向かってくるバスが見え、近づいてくるのに連れて行ったばかりのはずのバスが遅れていたとわかりました。薬師詣でを始めた早々、お薬師さんからのご褒美をいただきました。



 バスに揺られること十五分、終点の下笹目で降りました。

 

 下笹目のバス停から慈眼寺までは五分。武蔵東向寅薬師第十番札所。ここも「寺」となっていますが、あるのは薬師堂だけです。真言宗智山派の寺院ですが、「新編武蔵風土記稿」には「東光山と號す、薬師を本尊とす」と記されている以外、創建年代などに触れた記述がありません。



 少しだけ扉が開けられていて堂内を拝観することができました。厨子がみえますが、残念ながら扉は閉ざされていて御開帳はありません。



 昼下がりの住宅街を歩いています。コロナ禍にしては電車の乗客は多かったのに、街には人の姿がありません。画像右手中空に高々と聳えているのは首都高池袋線です。

 

 首都高と東京外環道が交差する美女木インターを抜けて行きます。このあたりを歩くのは初めてですが、まだ車に乗っていたころはカーラジオで聞く交通情報で、笹目橋とか美女木インターという名をいつも耳にしていたので、馴染みのある土地であるかのような錯覚が起きます。
 このインターを通り抜けて行かなくてはならないとわかったとき、高速の下を通る道路も交差になっていて、横断歩道などはなく、歩道橋を渡らなければならないのであろうと、高所恐怖症持ちの私は畏れていましたが、階段は広く緩やかで、橋のほうも広々としていた上に、遮音壁があって外界の見えない構造だったので、高所恐怖症が出る幕はありませんでした。



 ただ四月初旬にしては舌を巻くような陽射しの強さでした。
 慈眼寺から美女木薬師堂まではそれほど離れてはいないのですが、私が歩いて行く道は細い道が多かったので、スマートフォンの地図必須でした。それなのに、強い陽射しが災いして画面はまったく視えないのです。



 慈眼寺から十五分。美女木薬師堂に着きました。武蔵東向寅薬師の第九番札所です。
 途中で日陰を捜して何度も立ち止まり、スマートフォンの地図を盗み視るように視て辿り着きました。
「新編武蔵風土記稿」には「薬師堂 村民ノ持」とあるだけで、創建年代、由来などはまったくわからないようです。ここも御堂と地域の墓地があっただけ。



 美女木薬師堂をあとに、十分ほど歩いたあたりで戸田市からさいたま市に入ります。南区です。



 美女木薬師堂から八分で今日最後の目的地・東光寺に着きました。天台宗の寺院。
 先の美女木薬師堂と同じ武蔵東向寅薬師の第九番札所。なにゆえに第九番が二つあるのか、いまのところは納得できる史料に出会えていません。
「新編武蔵風土記稿」には、本尊はお釈迦様で、本堂のほかに薬師堂が「あった」というような記述がありますが、薬師巡りの札所になっていることもあり、院号が薬師如来をお祀りしていることを示す薬王院であることもあるので、賽銭箱はありませんでしたが、この御堂に薬師如来がおわすのだろうと鈴緒を揺らしてお参りを終えました。無住のお寺でした。



 御堂横に六地蔵と歴住の卵塔がありました。

 東光寺の参拝を終えて、今日のお勤めは終了です。武蔵浦和駅へ行く便がある、内谷というバス停に向かいましたが、バス停のあるあたりが見渡せるところに出ると、それらしきバスが走り去って行くのが見えました。



 時刻表を見ると、先の系統より便数は多いようですが、次のバスがくるまでに十分以上ありました。道端に「←一乗院」という標識が見えたので、時間を見図りながら行ってみることにします。



 山門の手前にあった地蔵堂。屋根の形が薬師堂を思わせます。



 なかなか壮麗な山門でした。



 一乗院本堂。真言宗智山派の寺院です。創建年代等は不詳ですが、天正年間(1593年-96年)までは荒川付近にあったものの、堤防敷設の際に現在の地に移転したと伝えられています。

 一乗院はすぐ近くだったので、参詣を終えてもバスがくるまでには時間があまっていました。
 ここでふと邪心が起きました。一つ先のバス停まで歩こうと思ったのです。先に利用した公団前から下笹目までのバスで、折角お薬師さんの恩恵を授かったというのに、この邪心が薬師詣での功徳を台無しにしてしまいました。
 逆方向へ行くバス停を目にして、そろそろバス停があるのだろう思ったとき、交差点に出くわしました。バスはここを右折して行くのではないかと薄々感じたのですが、直進しました。依然として陽射しが強く、スマートフォンが役に立たなかったことも災いしました。進んでみると、気持ち道幅が狭くなり、バスは通らないなと感じる雰囲気でした。案の定、進んでも対向するバスとは出会うことなく、バス停もなく、結局武蔵浦和の駅まで歩く羽目になったのでした。



「自転車逆走注意」という注意書きを目にして、ふと思うことがありました。
 埼玉県内を管轄する警察は埼玉県警で、さいたま市と川口市や戸田市は警察署が異なるだけで、同じ埼玉県警のはずですが、このような注意書きは川口と戸田では見なかったように思います。そういえば、二月の薬師詣ででさいたま市内を歩いたとき、この手の注意を目にして歩いていると、気のせいだったかもしれないのですが、自転車は左側通行を守っていたような気がします。
 しかるに、千葉県内では啓発活動にお目にかかったことはないし、PC(パトロールカー)の横をすれ違って行く自転車(すなわち通行区分違反です)があっても、PCは注意を喚起しようともしません。二人乗り、傘差し運転とPCが出くわす場面に遭遇したことはありませんが、そいうときでも千葉県のPCは素知らぬ顔で通り過ぎるのではないでしょうか。
 通行区分を守らないことが本当に「危険」かどうかは知りませんが、警察庁が決めたことに反することですから、交通違反ではあります。ただ自動車と較べて、取締の甘さは雲泥の差。自動車事故に較べれば危険度は低いからかもしれませんが、自転車にぶつけられて死亡! という事例がないわけではありません。死亡事故にはならなくても、被害者が老齢の人だったりすると、余生はほとんど奪われてしまうのに等しい。連れて賠償金も億という桁になります。
 普通の人にはとても払える金額ではないし、ぶつけられた人はいくらもらっても取り返しのつくものではありません。一時期自転車を買おうかと考えたことがありましたが、距離感を掴むことが段々覚束なくなってきたということを知らされて、諦めました。私が自転車で人を傷つける心配はありませんが、傷つけられる恐れはなくなりません。



 そんなことを考えながら、棒のようになった脚で武蔵浦和駅に辿り着きました。陽射しはまだまだ強い。

この日、歩いたところ(一部区間はバス利用)。

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1 コメント

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お久しぶりです (風月)
2022-08-26 09:49:21
武蔵浦和は懐かしいです。以前、与野に住んでいました。よくあちこち歩かれるので、感心していますし、葉の名前や木の名前を知ることができて楽しいです。また、自分はあちこちのお寺をお参りできませんので、こちらに訪問して、なんとなくお参りしている感じがあります。
お元気で、お願いいたします。
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