風邪ひき七日目です。ずいぶんよくなりました。
養生専一にすれば、もう一日早くいまの状態に辿り着けたかもしれないのに、昨日十日は土曜日である上に給料日と、風邪の恢復を図るためには最悪の日でした。
最初はおとなしく家に帰ってヘルシーな料理をつくろうと、スーパーで多めの野菜、豚肉、生鮭、多量の茸類を買ったのですが、ちょいとだけ……と浮気心が芽生えたが最後……結局は大きなレジ袋を両手に提げたまま、ハシゴ酒……。またまた午前様でした。
サテ……。
籠抜けで評判の切支丹お蝶と犯罪の痕跡をまったく残さぬ簪(かんざし)抜き ― 。
湯屋などではどちらも格好の話題を提供していましたが、人々にとっては、お蝶はお蝶、簪抜きは簪抜きというまったく別な話題であって、この二つの話題を結びつけてみようなどという人は誰一人としておりませんでした。
矢田挿雲という大正・昭和期の俳人に「江戸から東京へ」という全九巻の著作があります。
その第一巻に切支丹お蝶のことが書かれています。それによると、お蝶が犯罪に手を染めるきっかけとなったのは悋気(りんき)でありました。
竹内(たけのうち)家という旗本の次女に生まれたお蝶ですが、幼いころから武家社会とは馴染まない性格だったようです。
屋敷が本所割下水にあったこともあって、町方の鉄火娘と交わったり、母親のへそくりを盗み出して、悪ガキどもに分配したり、若衆役者に入れ上げたりしていた。
父親は甲府勤番、普段は屋敷にはいないものですから、我が娘の悪行を知るのに時間がかかりました。
が、知ったが最後、烈火の如く怒って、勘当してしまいます。
父親がいまでいう単身赴任、その心の隙間を埋めようとした母親と祖母の溺愛 ― 当人たちはお蝶可愛さのあまり愛情を込めたつもりだったのですが、結果的にはお蝶を不幸な娘に育ててしまったようです。
「出て行けっていうんなら、出て行ってやらぁ」
そう啖呵を切って出て行こうとするお蝶。
武家の娘とあろう者が「やらぁ」などという鉄火言葉を使いおって……父親はますます憤って、勘当するだけでは許せぬ、このような不肖の娘は我が槍で成敗してくれんものと追いかけてきます。それを必死で宥める母と祖母。
二人は往来に駆け出したお蝶を呼び止めて、せめてもの心尽くしにと、当時流行だった家紋入りの銀簪と三十両という大金を与えるのです。
遊び癖が身に染みついてしまっているお蝶にとって、三十両というお金は盗人に追銭のようなものです。
たまたま谷中在(いまの日暮里あたり)に住んでいた乾分(こぶん)格の家に転がり込みますが、本所あたりに較べれば、静かな田舎というほかに何の取り柄もない谷中では、毎日が退屈でしょうがない。ブラブラと暇をかこっているうちに格好の遊び相手を見つけました。
上野・寛永寺の若衆です。
その名を進之丞といいました。
もちろん源氏名でしょう。歳はお蝶と同じ、当時十九歳。日本橋の商家の次男坊で、水も滴るような美青年だったそうです。
お蝶、たちまちぞっこんです。
じきに夜な夜な密会を重ねる間柄になりました。
互いの身体に刺青を彫る代わりに、お蝶は母からもらった竹内家の家紋入り銀簪を進之丞に与え、進之丞は切り取った襦袢の片袖をお蝶に与える。お蝶はそれを自分の襦袢に縫いつけて、会えない夜はとめどない涙で濡らす。
寛永寺に限らず、寺の若衆の役目はただ一つしかありません。
陰間(かげま) ― 僧たちの夜のお相手です。
その陰間が夜になると寺を抜け出してしまうのですから、パトロンである僧侶は我慢の尾も切れてしまいます。ついには永のお暇を蒙る、ということになってしまいました。
お蝶は真剣でしたが、進之丞には遊びの一つに過ぎなかったのかもしれません。お蝶との関係が無理矢理ながらも切られることになって、せいせいしていたのかもしれません。
お暇を蒙ったあとは音信不通。それがお蝶の悋気に、火に油を注ぐことになってしまった。
髪は女の命、その髪を飾る簪も女の命です。その命を与えてしまった男が、かくも、かくも……と、はらわたが煮えくり返るばかり。
簪の中でも平打ちに家紋入りの簪だけが被害に遭った ― というのは、かくかくしかじかという次第です。
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