日常私たちが食べている米やパン、それに野菜や果物、
それらの植物(または植物由来の食べ物)たちが何から作られてるか、わかるだろうか?
お日様の光、水、土の養分・・・
そしてもうひとつ、欠かすことのできないものがある。
それは、化成肥料。
・・・
あれ?そんなことないぞ。化成肥料なんかなくたって、植物は自然の恵みの中で充分育つんじゃないか?
と思う人ももちろんいるだろう。確かにその通りだよ。でもここで私はあえて、「日常私たちが食べている」ものと言っている。植物が本来どうだとか、どうあるべきかとはまた別の問題なんだ。
もちろん中には化成肥料のお世話にならずに育った作物もあるだろう。でもそれは、現実として全体の数パーセントにも満たない。スーパーに並ぶ中で見つけるのが難しいくらいのほんの僅かの商品と、自家菜園などでそれなりに作っているものでしかない。
実際安価で省労力的な化成肥料を使わないで、これだけ安い食べ物が買えると思うのかい?
では化成肥料とは、いったい何ものなのか?
化成肥料というとまず窒素・リン酸・カリが主となるんだけれど、
まずリン酸やカリの原料はリン鉱石や塩化カリ原鉱。それらの鉱石を化学処理して作られる。
もうひとつの窒素の原材料は化石燃料。石油や天然ガスに含まれる炭化水素から水素ガスを作り、それを窒素ガスと反応させてアンモニア合成して作られる。
どちらも自然の状態では存在しない、れっきとした化学物質だ。
ここで少し「化学物質」について説明を加えよう。
一般に「化学物質」という言葉の定義には大きく分ければ三通りくらいあるみたいだ。
とまあ、ひと口に「化学物質」といってもいろいろな定義の仕方があるようだけれど、
私の場合、科学者ではないしそれを法的に論じてるわけでもないので、「化学物質」と言った時には大概の場合上記③の概念で使っている。
更にそれを私流に(特に食べ物にポイントを当てて)わかりやすく言ってみれば、
「元々人類が食べてこなかった物」
つまり原材料表示で異質な印象を受けるカタカナ物質はすべて化学物質である。
それと「自然の中で生きる暮らしの中で日常身近に存在しない形の物」
塩(数十種類といわれる海中ミネラルを含んでいる)は自然のものだけれど、塩化ナトリウム(食塩)は化学物質だ。
酒もタバコもコーヒーも本物ならば化学物質ではない。でも自然界にはニコチンのように農薬と同等に害のあるものもあるし、醸造アルコールはもちろん化学物質。
もうひとつのポイントは、化学物質は決して原材料いかんの問題ではないということ。
なんとなれば地球上には本来天然のもの以外にない。石油なんかも突き詰めれば天然由来といえる。だから化学物質もすべて、天然のものから作られている。
肥料メーカーの中には「天然の鉱石から作られる」「空中窒素を固定して作る」なんて、知らない人が聞けばあたかも自然天然のような誤解を与える説明を(意図的に)している所もあるようだけど、そこまで誤魔化して売り上げを伸ばしたいのだろうか。
化成肥料は言葉の通り、生粋の化学物質だしあの形で自然界に存在するものではない。また植物がかつて吸収してこなかったものだ。その証拠にそれを与えれば植物体は大きくなるけれど、てきめんに弱くなってしまう。まるで食品添加物を大量に摂取した人間のように。
まあこれで、化成肥料というものについてはわかったと思う。
ではどうしてそんなものを投与しながら作物を育てているかということなのだけれど・・・
端的にいえば収量を上げるため、そして「土づくり」という労力を省くため。つまりはできるだけ楽して儲けるためには欠かせない物質ということだ。
それに窒素肥料などは何かの副産物(産業廃棄物?)で作られるものだからとても安い。
しかし化成肥料を振れば振るほど、土壌のさまざまなバランスが崩れて土は確実に死んでいく。生きている土に、化成肥料は「毒」なのである。
またもし現状で化成肥料を与えなかったら・・・
作物は育たない。育っても大半が売り物にはならない。それだけもう「農業者」の土は打ちのめされている。
そのことは現場で働いてきた私が見てきたことだし、昔自分でも対照実験をして確認している。残念ながらそれが現代農業の一般的な現状だ。
つまり土や植物を観察している農業者ならば、化成肥料や農薬の使用になにがしかの疑問を感じてる場合がほとんどだろう。
しかしこの地球や私たち(または私たちの子孫)の未来を考えないならば、幾らでもいのちを抹殺できる。人間はもうそれだけの力を持ってるのだし、生きるものへの愛を持たないものにはもう現実的に歯止めが無いのだと思う。
毎年春先になると農家の軒下に山と積まれる肥料袋。あの膨大な量が、秋には米や野菜や飼料作物に変わる。
そして家畜も私たちも、それを美味しいと思って食べているんだ。
【写真は裏庭のウド。これがあるから、毎年春が来るのが楽しい。】
それらの植物(または植物由来の食べ物)たちが何から作られてるか、わかるだろうか?
お日様の光、水、土の養分・・・
そしてもうひとつ、欠かすことのできないものがある。
それは、化成肥料。
・・・
あれ?そんなことないぞ。化成肥料なんかなくたって、植物は自然の恵みの中で充分育つんじゃないか?
と思う人ももちろんいるだろう。確かにその通りだよ。でもここで私はあえて、「日常私たちが食べている」ものと言っている。植物が本来どうだとか、どうあるべきかとはまた別の問題なんだ。
もちろん中には化成肥料のお世話にならずに育った作物もあるだろう。でもそれは、現実として全体の数パーセントにも満たない。スーパーに並ぶ中で見つけるのが難しいくらいのほんの僅かの商品と、自家菜園などでそれなりに作っているものでしかない。
実際安価で省労力的な化成肥料を使わないで、これだけ安い食べ物が買えると思うのかい?
では化成肥料とは、いったい何ものなのか?
化成肥料というとまず窒素・リン酸・カリが主となるんだけれど、
まずリン酸やカリの原料はリン鉱石や塩化カリ原鉱。それらの鉱石を化学処理して作られる。
もうひとつの窒素の原材料は化石燃料。石油や天然ガスに含まれる炭化水素から水素ガスを作り、それを窒素ガスと反応させてアンモニア合成して作られる。
どちらも自然の状態では存在しない、れっきとした化学物質だ。
ここで少し「化学物質」について説明を加えよう。
一般に「化学物質」という言葉の定義には大きく分ければ三通りくらいあるみたいだ。
①科学でいう「化学物質」
科学的には、化学物質は「あらゆる物質の構成成分」である。
すなわち、私たちの身のまわりにある総ての物質は化学物質の集まりだ。
したがって自然界に存在する水や窒素、酸素、食塩、酒類に含まれるエチルアルコール、人体を構成しているタンパク質や脂質、ペットボトルの素材であるポリエチレンテレフタレート(PET)等もすべて化学物質。
現在、世界全体では化学物質として天然物由来のものを含めて2,300万種類以上も発見されたり開発されているそうだ。
②法律に規定される「化学物質」
それぞれの法律により定義もさまざまだけれど、例えば「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(化審法)では 「元素又は化合物に化学反応を起こさせることにより得られる化合物」と定義している。
③一般に使われる「化学物質」(あぐりこ版)
人工的に合成・精製・製造された物質で、天然には全く無いか、または微量しか存在しないもの。
とまあ、ひと口に「化学物質」といってもいろいろな定義の仕方があるようだけれど、
私の場合、科学者ではないしそれを法的に論じてるわけでもないので、「化学物質」と言った時には大概の場合上記③の概念で使っている。
更にそれを私流に(特に食べ物にポイントを当てて)わかりやすく言ってみれば、
「元々人類が食べてこなかった物」
つまり原材料表示で異質な印象を受けるカタカナ物質はすべて化学物質である。
それと「自然の中で生きる暮らしの中で日常身近に存在しない形の物」
塩(数十種類といわれる海中ミネラルを含んでいる)は自然のものだけれど、塩化ナトリウム(食塩)は化学物質だ。
酒もタバコもコーヒーも本物ならば化学物質ではない。でも自然界にはニコチンのように農薬と同等に害のあるものもあるし、醸造アルコールはもちろん化学物質。
もうひとつのポイントは、化学物質は決して原材料いかんの問題ではないということ。
なんとなれば地球上には本来天然のもの以外にない。石油なんかも突き詰めれば天然由来といえる。だから化学物質もすべて、天然のものから作られている。
肥料メーカーの中には「天然の鉱石から作られる」「空中窒素を固定して作る」なんて、知らない人が聞けばあたかも自然天然のような誤解を与える説明を(意図的に)している所もあるようだけど、そこまで誤魔化して売り上げを伸ばしたいのだろうか。
化成肥料は言葉の通り、生粋の化学物質だしあの形で自然界に存在するものではない。また植物がかつて吸収してこなかったものだ。その証拠にそれを与えれば植物体は大きくなるけれど、てきめんに弱くなってしまう。まるで食品添加物を大量に摂取した人間のように。
まあこれで、化成肥料というものについてはわかったと思う。
ではどうしてそんなものを投与しながら作物を育てているかということなのだけれど・・・
端的にいえば収量を上げるため、そして「土づくり」という労力を省くため。つまりはできるだけ楽して儲けるためには欠かせない物質ということだ。
それに窒素肥料などは何かの副産物(産業廃棄物?)で作られるものだからとても安い。
しかし化成肥料を振れば振るほど、土壌のさまざまなバランスが崩れて土は確実に死んでいく。生きている土に、化成肥料は「毒」なのである。
またもし現状で化成肥料を与えなかったら・・・
作物は育たない。育っても大半が売り物にはならない。それだけもう「農業者」の土は打ちのめされている。
そのことは現場で働いてきた私が見てきたことだし、昔自分でも対照実験をして確認している。残念ながらそれが現代農業の一般的な現状だ。
つまり土や植物を観察している農業者ならば、化成肥料や農薬の使用になにがしかの疑問を感じてる場合がほとんどだろう。
しかしこの地球や私たち(または私たちの子孫)の未来を考えないならば、幾らでもいのちを抹殺できる。人間はもうそれだけの力を持ってるのだし、生きるものへの愛を持たないものにはもう現実的に歯止めが無いのだと思う。
毎年春先になると農家の軒下に山と積まれる肥料袋。あの膨大な量が、秋には米や野菜や飼料作物に変わる。
そして家畜も私たちも、それを美味しいと思って食べているんだ。
【写真は裏庭のウド。これがあるから、毎年春が来るのが楽しい。】
今までわが家で飲んだ人を見てそう思います。市販の酒に慣れた身にはただ酸っぱくて美味しくなく思えるようです。
その昔、どぶろくは漬物と同じで各家庭にその味がありました。
でも明治政府以来戦費の調達などのために酒、塩、タバコと確実にとれるところから重点的に課税したのですね。
当時から長い間、税務署の主要な仕事はどぶろく(つまり脱税)の摘発だったそうです。隣りのジッちゃんもよくその思い出話を語ってくれますよ。
どぶろく文化の消滅とともに日本人は画一的な酒を飲むようになりました。もちろんプロが作るものだし、使う米も酵母も特別なものだから美味いのですが、その味を貶めてしまったのが「醸造アルコール」です。
当時は戦時下ということで止むを得ない面があったのでしょうが、それが戦後豊かになっても続いてしまった。国民の方がその安さと味に適応してしまったのですね。
だからどぶろくはもちろん本物の酒なのですが、それを美味しいと思う人はほとんどいないのです。酸っぱかったり苦かったり薄かったり・・・手作りの味に、麻痺した舌は適応できないのです。
もっとも私はもう慣れてしまってて、これが最高だと思うだけです。昨日も今日も、どぶろく漬けです。
現代人である私たちにとって自然に立ち返るのは相応の時間がかかることなのですよ。
それこそ「若いんだから」急がなくて大丈夫です。
今は今の一番大切だと思えることをやったらいいですよ。それは一番の近道です。
wakaさんなら大丈夫です。思ってる以上に、「自分」はいつだって信じれるものなのです。
サラリーマンだった頃の自分を思い出します。私もそんな感じでした。でも化成肥料を使ってみたのはずっと後、対照実験をした時ですけどね。
本当に化成肥料は「魔法の薬」です。それを目の当たりにすれば使わずにはいられない。除草剤と同じですね。
未来を考えなければ、自然の中のさまざまないのちを愛さなければ尚更のこと、それらを使うのに何の抵抗も持ちえません。
でもそれに気づくには、まず使ってみることですね。私もそうしました。私は現代の慣行農業と有機農業、どちらも体験したかったのです。
農業者もやましいところがあるのか、自分たちのやっている薬のこと、化成肥料のことをなかなか情報開示しないのです。肥料や農薬メーカーとまったく同じですね。だから一般の人はいつまでもあまりよくわからない。
でもこれは、知ろうとしない人たちの方により多くの責任があるでしょうね。だって現代、その気になりさえすれば図書館にいくなりネットで調べるなりしてかなりの情報を仕入れることができる。
つまりはほとんどの人は、無関心なんですよ。日常自分の食べてるものについて、本当のところ。
まずやってみることですね。
れいさんのやり方でいいのだと思います。
化成肥料が悪いわけではありません。ただそれがどういうものか、知っていることが大切なのだと思います。
我が家の家庭菜園では化学肥料が大活躍です。
水耕で野菜を育ててみて分かったのですが成長が早いです。化学実験をしているみたいです。
出来上がったものは虫も付かなくとても綺麗です。
そして何よりも手間が掛かりませんでした。
趣味でやっている私でさえ楽をしてより多くの収穫を求めてしまうのですからこれを職業としている方々は尚更だと思います。
コストを削減して利益を上げる。農業も企業なのですから・・・
後は消費者側の選択でしか無いのかなと思います。
無農薬、有機肥料で野菜を育てるのは大変な事ですね。
体験してみて少しばかり分かった様な気に成っています。
専ら缶チューハイを飲んでいる科学物質漬けの私で御座います(笑)