時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

親の時代より、確実に不幸になる時代

2008年03月27日 | 社会問題
以前、と言っても20年以上前の話だが、企業と言えば55歳定年だった。そして、60歳からは年金生活で、これで生活できたかどうかはともかくとして、55歳という肉体的にも精神的にも余力のある年齢で引退したわけである。定年までに、年金支給までの5年間の生活費を貯蓄しておけば、体力もあるうちに空白の5年間も楽しく過ごせたと思われる。
その後、企業の定年が60歳になり、引退とともに直ちに年金が受給できるようになったが、やがて、年金支給は65歳からとなり、再び、定年後に年金の空白期間ができるようになってしまった。
そして、この年金空白期間を埋めるべく、定年を65歳まで延長しようという話も出ており、一部の企業などで既に導入が始まっている。
こうなると、いくら寿命が延びたとはいえ、5年どころか10年も長く働く(働かされる)ことになる。
どう考えても、日本社会のあり方はおかしいのではないだろうか?
戦後数十年の間に、生産性は飛躍的に向上し、社会全体とすれば、豊かな暮らしが送れるようになった。
しかし、こうして定年と年金の関係をみると、馬の鼻先のニンジンではあるまいし、定年の時期がどんどん遅くなり、これに伴って、年金受給開始時期も確実に遅くなっている。これには少子化、高齢化などの人口動態や平均寿命の延びなども関与していると思われるが、そんなことは20年、30年前から簡単に予測ができたことであり、何を今さらという気持ちである。
定年や年金だけでなく、最近の地球環境の問題などを見ても、親の時代よりも社会環境は間違いなく悪化している。
2007年のネットリサーチ会社の調査によると、団塊世代のうちで、定年後も働くという人は85%に及び、その最大の理由は、「経済的理由」(70.3%)であったという。
いつまでも働き続けなければならない社会を作るために、祖先や我々は生きてきた、あるいは現に生きているのだろうか?そうではあるまい。
社会に貢献したいという気持ちは誰しも抱いている感情であり、多くは、商売や企業活動を通じて、それに貢献しているわけである。しかし、商売をしたり、企業で働くことだけを目的に生きているわけではない。
人生の半分、40年も働けば、老後は普通にノンビリと暮らせるような社会のあり方こそ、我々のささやかな望みであり、当たり前の社会というものではあるまいか。