goo blog サービス終了のお知らせ 

Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●《余ると分かっている電力を、なぜ原発で作り続けるのか?》 核発電「麻薬」中毒なアベ様に忖度する九電

2018年10月28日 00時00分29秒 | Weblog


東京新聞の蜘手美鶴・小野沢健太両記者の記事【「不適切投稿」裁判官を戒告 最高裁、ツイートで初懲戒】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101802000134.html)と、
社説【ツイートで戒告 裁判官の声が聞きたい】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018101902000170.html)。
リテラの鈴木耕さんのコラム【言葉の海へ/第48回:九電の太陽光発電遮断から見えたこと】(https://maga9.jp/181017-5/)。

 《ツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁が懲戒を申し立てた岡口基一裁判官(52)の分限裁判で、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は十七日、投稿内容が「裁判官の品位を辱める行状」にあたると判断し、同高裁の岡口裁判官を戒告とする決定をした。裁判官十四人全員一致の意見》。
 《最高裁判事は十五人いるが、戸倉三郎裁判官は岡口裁判官が厳重注意された当時、東京高裁長官だったため今回の審理から外れた》。
 《ツイッターへの不適切な投稿問題で東京高裁の岡口基一裁判官が戒告となった。「品位を辱めた」が理由だ。だが、さまざまな社会事象への裁判官の考えは、個人として発信していいのではないか》。
 《電力が余っちゃうから、太陽光発電の接続を遮断する。それが10月13、14日に、九州電力がとった手段だった。ああ、なるほどね。もう、電力が余っちゃう時代になったんだ、それも再生可能エネルギーの増加で…と、ぼくはとても感心をしたのだ》。

 いきなり、話はわき道にそれますが…東京新聞の社説が言う《さまざまな社会事象への裁判官の考えは、個人として発信していいのではないか》に賛成です。《問題の核心は、高裁長官が「ツイートを続ければ、分限裁判を検討する」と岡口氏に言ったことではないのか。もし私的な表現行為の自由を封殺する意図ならゆゆしき問題だ》…《今回の決定で、裁判官たちが萎縮しないか閉鎖的環境の中に逼塞(ひっそく)するのを懸念する》。

   『●「国民の信頼を傷付け」ているのは?
     …「米軍基地という面倒な施設は沖縄に…。そして日本本土は…」
    《岡口基一裁判官…は謝罪したが…。「米軍基地という面倒な施設は
     沖縄にもっていく。そして日本本土は平和と繁栄を維持した」と
     言及したことも。公平な視線は信頼に値しそうだ
    「《国民の信頼を傷付け》ている「司法」は岡口裁判官でしょうか、
     それとも、沖縄で辺野古破壊や高江破壊に貢献している司法関係者
     でしょうか? まさか、沖縄の市民の皆さんはこの《国民》には
     含まれていない、とでも思っているの?」

 「司法」判断しない最「低」裁のアベ様忖度な政治」判断乱発…その行状こそが、十分に《品位を辱める行状》です。
 特に、戸倉三郎最「低」裁裁判官の《品位》はどうか? 戸倉氏は、最高裁事務総局事務総長時代に核発電再稼働推進人事を推進していたお方です。相当に辱められた《品位》な裁判官。

   『●「上告断念は、最高裁への抗議と不信任「最高裁には
         もはや何も期待できない」」…アベ様支配の最「低」裁
    《そして注目すべきは、今回の大飯原発訴訟を巡っても、同様の
     “再稼働推進人事”がなされていたたことだ。2014年5月の樋口判決後、
     控訴審の審理が始まる前の進行協議で、当時の高裁裁判長は関電側に
     厳しい態度を取ったがほどなくその裁判長は転勤となり、
     次に着任してきたのが今回の判決を下した内藤裁判長だった。
     内藤裁判長は、当時の最高裁事務総局のトップである事務総長で現在は
     最高裁判事の戸倉三郎氏の司法修習同期の裁判官で、かつ大学の
     同窓でもある間柄なのだ。つまり電力会社や政府が“国策”として目指す
     再稼働に都合の悪い裁判所や裁判官に対し人事権を発動し、
     その後釜として自分たちのコントロールのきく人物を、原発訴訟の
     担当として送り込んだということだ》

   『●アベ様政権に忖度し、司法判断を放棄した政治判断…
          捏造された「社会通念」で核発電所再稼働を容認

 さて、前置きの後の本題…核発電「麻薬」中毒な九電のデタラメなやり口。
 《余ると分かっている電力を、なぜ原発で作り続けるのか》? 核発電「麻薬」中毒なニッポン国のアベ様らのおかげで、《主電力を再生可能エネルギーで賄い、もし不足した場合には火力で補うというのが世界的な流れ》、《世界の脱原発、再生エネの主力電源化という潮流には、完全に乗り遅れているもう1周遅れだよ》。な~にが技術大国か。

 《すなわち、他の給電源がすべて停まった後でなければ原発は停められない。簡単に言えば、何があっても原発は停めない、というのが政府の方針》…これを核発電「麻薬」中毒と言わずして何という。
 「電力の地産地消」、内橋克人さんのFECは目の前にあるというのに、この国は何をやっているだろうか。

   『●今頃ようやく福島第二原発の廃炉を決断、
      一方、「あとは野となれ山となれ」な玄海原発4号機の再稼働…

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101802000134.html

「不適切投稿」裁判官を戒告 最高裁、ツイートで初懲戒
2018年10月18日 朝刊

     (記者会見で処分理由を批判する岡口基一裁判官
      =17日、東京・霞が関の司法記者クラブで)

 ツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁が懲戒を申し立てた岡口基一裁判官(52)の分限裁判で、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は十七日、投稿内容が裁判官の品位を辱める行状にあたると判断し、同高裁の岡口裁判官を戒告とする決定をした。裁判官十四人全員一致の意見。インターネットへの投稿を巡り裁判官が懲戒を受けるのは初めて。 (蜘手美鶴、小野沢健太

 東京高裁によると、岡口裁判官は五月、高裁で判決があった犬の所有権を巡る民事訴訟に関し、自身のツイッターで訴訟について書かれたネット記事を引用し、「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?」などと投稿。元の飼い主である原告の感情を傷つけたとして懲戒を申し立てた。

 大法廷は決定で、憲法が保障する「表現の自由」を踏まえても「裁判官に許容される限度を逸脱したものと言わざるを得ない」と指摘。裁判官の品位を辱める行為に当たると判断した。

 岡口裁判官は、二〇一六年六月と今年三月にもツイッター投稿を巡り厳重注意を受けている。

 戒告の決定を受け、岡口裁判官は東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「懲戒申立書に記載されていない過去の行為も含めて判断するなど、最高裁の事実認定には問題がある。がくぜんとしている」と不満を述べた。

 東京高裁は「裁判官が戒告されたことは遺憾であり、重く受け止めている」とコメントした。

 最高裁判事は十五人いるが、戸倉三郎裁判官は岡口裁判官が厳重注意された当時、東京高裁長官だったため今回の審理から外れた。


<分限裁判> 裁判官を懲戒すべきか否かを決める手続き。対象者が高裁判事の場合、最高裁大法廷が担当する。懲戒となるのは、職務上の義務に違反したり職務を怠ったりした場合か、品位を辱める行状があったときで、戒告か1万円以下の過料とされる。最高裁によると、懲戒は岡口基一判事が62人目で、内訳は戒告が54人、過料が8人。他に3人が懲戒を申し立てられたが、退けられている。裁判官を罷免する場合に開かれる弾劾裁判は別の手続き。
==================================================================================

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018101902000170.html

【社説】
ツイートで戒告 裁判官の声が聞きたい
2018年10月19日

 ツイッターへの不適切な投稿問題で東京高裁の岡口基一裁判官が戒告となった。「品位を辱めた」が理由だ。だが、さまざまな社会事象への裁判官の考えは、個人として発信していいのではないか

 官僚的裁判官像が望ましいか。市民的裁判官像が望ましいか。どちらかに立つことで、この問題の考え方も変わってくる。

 前者は世間と交わらず、ひたすら裁判所の中で裁判に取り組む。後者は積極的に世間と交わり、交流を深めることによって、裁判に取り組む。

 前者は確かに世間と隔絶するから、外観的には公正で中立に見える。だが、後者のように世間のさまざまな意見の中で裁判を考えた方が、より公正で中立な結果が出るともいえるのだ。

 岡口氏はツイッターで不特定多数の人々に「つぶやき」を発信する裁判官として有名だった。身近な法的話題から、裁判に興味を持ってもらおうという趣旨で書いた軽妙な短文である。

 問題にされたのは、今年五月のツイートである。拾われた犬の所有権が元の飼い主と拾った人のどちらにあるかが争われた裁判をめぐっての内容だ。

 原告の名前などは明らかにしていないから、一般市民の投稿ならば、さして問題にならないであろう。だが、投稿者は裁判官。原告からの抗議を受けて、東京高裁が岡口氏を懲戒すべきかどうかの分限裁判を申し立てたのだ。

 「表現の自由を踏まえても、裁判官に許容される限度を逸脱した」-。これが最高裁大法廷の判断だった。同時に「裁判所に対する国民の信頼を損ね、裁判の公正を疑わせる」とも述べた。

 実は岡口氏は過去にもブリーフ一枚の半裸写真を投稿したこともある。そして厳重注意。これが二回あった。最高裁が「品位を辱めた」と言ったのはそれだ。確かに品位に欠ける。裁判所が顔をしかめたのは当然であろう。

 だが、問題の核心は、高裁長官が「ツイートを続ければ、分限裁判を検討する」と岡口氏に言ったことではないのか。もし私的な表現行為の自由を封殺する意図ならゆゆしき問題だ。

 歴史と文化は異なるが、欧米なら裁判所の門を出れば一私人である。日本でも原則的に私人として表現の自由があるはずだ。裁判官の声を聞きたい人は多い。今回の決定で、裁判官たちが萎縮しないか閉鎖的環境の中に逼塞(ひっそく)するのを懸念する
==================================================================================

==================================================================================
https://maga9.jp/181017-5/

言葉の海へ
第48回:九電の太陽光発電遮断から見えたこと鈴木耕
By 鈴木耕  2018年10月17日

 電力が余っちゃうから、太陽光発電の接続を遮断する。それが10月13、14日に、九州電力がとった手段だった。ああ、なるほどね。もう、電力が余っちゃう時代になったんだ、それも再生可能エネルギーの増加で…と、ぼくはとても感心をしたのだ。
 でも、考えてみると、どうも腑に落ちない。なぜ他の電源ではなく、再生可能エネルギーの遮断なのか。そうか、原発だな


電力が余った、再生エネを停めろ!

 九州電力は、他の電力会社に先駆けて、次々と原発を再稼働させてきた。現在、川内原発1、2号機(鹿児島県)、玄海原発3、4号機(佐賀県)の計4基の原発を稼働させている。約410万kwが原発電力だ。
 10月13日の九電管内の電力需要は約850万kw。つまり、ほぼ半分は原発で賄うことができるわけだ。ところがこの日の供給量は約1200万kw。どうしたって供給量が需要を上回る。そうすると、電力が溢れてしまい、大規模停電が起きる可能性が出てくるのだという。
 それが九電の言い分だった。
 しかし、ではなぜ原発ではなく再生エネを抑えたのか
 九州は他地域と比べて日照量に恵まれており、太陽光発電は急速に伸びた。太陽光発電の九電への接続量は、今年8月の時点で約800万kwに達している。13日の電力需要量を、ほぼ満たせるほどの供給量がある
 こうなれば、なぜ4基もの原発を急いで再稼働させたのか、わけがわからなくなる。
 ぼくははっきりと「脱原発」の立場であるけれど、百歩譲ってどうしても原発を再稼働させなくてはならないことを認めたとしても、なぜ4基410万キロワットもの原発が必要なのか、まったく理由がわからない。余ると分かっている電力を、なぜ原発で作り続けるのか?

 日本政府は、いまだに「原発は重要なベースロード電源」と位置付けている。それへの批判をかわす意味で、仕方なく「再生エネも主力電源」と認めざるを得なくなっているが、それでも政府の「新エネルギー基本計画」は、相変わらず旧態依然、「原発は2030年には20~22%、再生エネは22~24%」と、原発依存を諦めていないその先兵としての九州電力の原発再稼働なのだから、どうしたって原発優先、再生エネは抑制、ということにならざるを得ないわけだ。世界の脱原発、再生エネの主力電源化という潮流には、完全に乗り遅れているもう1周遅れだよ
 それでも、原発容認派という旧勢力はまだいるわけで、「再生可能エネではなく原発を停めるべきではないか」という主張には、当然のように罵声が飛んでくる


再生エネはほんとうに不安定なのか?

 もう耳タコだけれど、「太陽光や風力は安定しないから、主要電源にはなり得ない。雨の日や夜間はどーすんだ!」である。もう何度説明しても、聞く耳をもたないからおんなじ批判を繰り返すのだ。

 例えば、最近の家庭用太陽光発電では、蓄電池と併用しているケースが多い。昼に発電して余った分を蓄電しておき、夜間に使用する。こうすることによって、電力会社からの買電量は下がり続け、電力会社の供給量も減り続けているのだ。
 蓄電技術の進展も著しく、例えば容量30万kwで出力5万kwという巨大蓄電池がすでに実用化されている。価格は約200億円で、これを20基備えれば、出力は100万kwで原発1基に相当する。
 原発の建設費は安全対策等で高騰を続けており、いまや1基1兆円を超えるほどだ。それを考えれば、4000億円でほぼ原発1基分の蓄電が可能なら、安いものではないか。しかもこれは太陽光だから燃料費はタダ。さらに廃炉費用や放射性廃棄物処理を考える必要もない原発よりもはるかに安価でしかも安全だ
 また、節電技術も飛躍的な進歩だ。あの福島事故以来、全国でほぼ2割以上の電力節減となっていて、電力は足りている電力供給不足による停電など、一度も起きていない

 1年でいちばん大量の電力を必要とするのは真夏の昼間だが、当然のことながら、この時間は太陽光発電が最大の威力を発揮できる。太陽が照れば照るほど発電量は増す。したがって、このところの日本の酷暑でクーラーがフル回転しても電力は足りていたのだ。

 太陽が照らない雨の日などは発電量も減るけれど、その分、使用量も下がるし、最近のパネルは曇りや雨でもそれなりの発電は可能だという。パネル技術も進歩している。
 それでも太陽光だけでは不安だというのであれば、例えば風力や地熱、バイオマスなどの再生エネと組み合わせれば、そうとう程度まで不安は解消できる。それこそが、本来の意味での「ベストミックス」だ
 「主電力を再生可能エネルギーで賄い、もし不足した場合には火力で補うというのが世界的な流れであり、それで不具合を起こしたという話はほとんど聞かない。
 エネルギー関連技術の日進月歩は著しく、飯田哲也さんによれば「1年前は考古学」とまで言われているそうだ。それほど技術の進歩は速い。これからも、電力が余る傾向は加速する。
 原発は、出力調整が難しく、停止や再開を簡単にはできないから、再生エネの制限をする、というのが九電や原発容認派の言い分だが、実際にはドイツやフランスでは需要に応じて原発の出力調整をした例もある。その際にも、何の不都合もなかったという。
 九州と本州をつなぐ「関門連係系」という送電システムがある。これを使って余剰電力を本州側へ送るという手もある。つまり、電力会社間で電力を融通し合うということだ。北海道と本州を結ぶ「北本連係系」もあったのだが、これをうまく使うことができなかったために、あの北海道のブラックアウトが起きたのは、記憶に新しい。
 やれることはたくさんあるのだが、それを怠り原発依存の体質を温存してきたために、今回のような再生可能エネルギーの遮断というあり得ない事態を引き起こしてしまったのだ。


巨大な蓄電池がある…

 もうひとつ、太陽光発電で余った電力をきちんと使う方法はある。それが「揚水発電」だ。これは、ある高さに大きな貯水池を作り、余剰電力で水を汲み上げ、電力不足のときにその水で発電して補うというもの。
 本来は、夜間に余ってしまう原発電力の有効活用を目的としたシステムだった。しかし、福島事故以来、全国的に原発はほとんどが停止状態にある。したがって、原発余剰電力では揚水発電は使えない。
 今回の九電のように、太陽光発電が大量に余るなら、これを貯水池への水の汲み上げに使うことも可能だろう
 ぼくがそうツイートしたら「これからまたダムを造る気か、笑わせるな。問題は今だ。間に合うわけがない」と嫌味たっぷりの反論(とはとても言えないおバカ発言)が来た。少しは調べろよ、である。
 現在、九電管内には3基の大きな揚水発電所がある。大平発電所(熊本県八代市)、天山発電所(佐賀県唐津市)、小丸川(宮崎県木城町)で、合計発電量は実に230万kwに達する。
 九電のHPには、以下のような記述がある。


*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
「揚水発電所は大きな蓄電池」

  通常の発電機が燃料等の持つエネルギーを、電気エネルギーに変換する「エネルギー変換装置」であるのに対し、揚水発電所は電気エネルギーの蓄積(充電)と放出(放電)を繰り返す「エネルギー蓄積装置」です。

 すなわち、基本的に蓄電池と同じです。(略)

(参考)揚水発電の特徴と主な用途
◎電力使用量の大きな時間帯(ピーク時)への対応とともに、時々刻々と変化する電力の使用量にあわせて発電量を調整でき、効率的な電力の安定供給に寄与
◎迅速な軌道能力
通常の火力機では起動~最大出力まで半日~数日程度要するが、揚水発電機は緊急起動~最大出力まで2分程度
◎他の発電機がトラブル等で発電できなくなった場合に、緊急起動することによって電力需給面での迅速な対応が可能(頼りになる予備電力)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***


 確かに揚水発電は、原発の補完システムとして造られたものだがそれが余剰の再生エネの利用にも使えるのだ。しかも、電力会社が自ら認めているように、原発や火力に比べて、その小回りの速さは圧倒的だ。ほんの2分程度で自由に出力調整ができる“蓄電池”ならば、どんな場合でも対応ができるはず。これを有効活用しない手はない。
 しかし「原発優先政策」がそれを妨げている。
 今回の九電の措置は、この点から見てもおかしい。電力供給過剰で大停電の恐れがあるということを九電はかなり前からアナウンスしていた。分かっていたのなら、最初にやるべきは、原発2基を停めることだったはずだ。けれど、九電にはそれができなかった。
 なぜなら、安倍政権のエネルギー政策に抵触してしまうからだ。
 国は「優先給電ルール」というのを定めており、それによれば、出力制限はまず再生可能エネが最初であり、次に火力等で、原発の制限は最後の最後である。すなわち、他の給電源がすべて停まった後でなければ原発は停められない。簡単に言えば、何があっても原発は停めない、というのが政府の方針なのだ。
 九電は安倍政権に逆らえない。だからまず、太陽光発電を遮断したのだ。


原発はベースロード電源とは言えない

 もうひとつ問題がある。九電がどういう基準で再生エネ業者を選んだのかという点だ。どこの発電所を遮断したか分からない。遮断対象業者のリストを九電が公開していないのだ。これでは再生エネ業者はたまらない。いつ、自分のところが遮断されるか分からないのでは、企業としては成り立たなくなる可能性もある。せっかく伸び始めた自然エネルギーの未来を、まるで踏みにじるようなものだ。
 東京新聞こちら特報部(10月16日付)で、自然エネルギー財団の大林ミカ事業局長は、次のように語っている。


*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
 再生可能エネルギーの普及が進む欧米では、需要と供給の予測をITにより正確に行い、供給電のマネジメントをきちんとやることで、再生エネで日本のベースロード需要に相当する電力を賄っている。停止すると一気にエリアが停電しかねない原発など大規模発電所はベースロード電源とは言えない
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***


 大規模発電に頼ったシステムが崩壊したのが「北海道ブラックアウト」ではなかったか。なぜそれに学ばないのか
 エリアを適度な広さに細分化し、その規模に応じた電力需給システムを構築すること。それはすでに欧米では行われていることだ。しかも、それほど難しいシステムではないとされる。
 さらに、その細分化した地域に先述の「巨大蓄電池」を設置すれば、電力供給は安定するし、「電力の地産地消」という自然エネルギーに適したシステムがうまく回っていく。


原発は「領土」を奪う

 最後に付け加えておこう。
 10月16日、福島第一原発事故で「強制起訴」された東京電力の旧経営陣3名(勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長)の公判が開かれた。その場で、武藤元副社長は冒頭、次のように謝罪した。


*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
 事故で亡くなられた方々、ご遺族、ケガをなさった方々、故郷をなくされ今の避難生活を送られている方々、とても多くの方に、言葉では表せないご迷惑をおかけしました。まことに申し訳ございませんでした…。
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***


 原発容認派の中には、いまだに「原発事故そのもので亡くなった人はいない。原発は安全性を確かめた上で、早急に再稼働すべきだ」などと言う愚かな連中がいる。むろん、これは悪質なデマだ。
 放射線障害で労災認定を受けた人たちは複数いるし、武藤元副社長でさえ認めざるを得なかったように、「事故で亡くなられた方々」はたくさんいるのだ。そしてなによりも、故郷を奪われた人たちの悲しみは、決して癒えることがない
 原発推進派は、なぜかその多くがネット右翼と重なる(むろん、すべてではない)。ぼくは不思議でならない。ネット右翼諸士は「愛国」を語り「領土を守れ」と主張するならば、故郷という「領土」をこの日本から消し去った原発になぜ反対しないのだろうか?
 原発はひとたび事故を起こせば、この国の大切な「領土」を奪い去る存在なのだ。
 愛国者なら、原発に反対しようよ
 原発はもう時代遅れなのだから。
==================================================================================

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「原子力ムラの言いなり」原子力「寄生」委員会の救い様の無さと、アベ様の「危険な丸投げ・無責任体制」

2018年01月05日 00時00分39秒 | Weblog


東京新聞の二つの記事【福島同型原発の審査拡充 規制委、沸騰水型再稼働で】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017122401001394.html)、
伊藤弘喜記者による記事【原発の環境負荷を軽視 市民委、政府のエネ政策を批判】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201712/CK2017122602000132.html)。

 《東京電力福島第1原発と同型の「沸騰水型」原発について、原子力規制委員会が再稼働審査の体制強化に乗り出した》
 《脱原発を掲げる学者や市民団体メンバーらでつくる「原子力市民委員会」(座長・吉岡斉九州大教授)は二十五日、東京都内で記者会見し、原発のない社会を実現するための政策をまとめた大綱「原発ゼロ社会への道2017-脱原子力政策の実現のために」を発表した》。


   『●「原発事故で奪われた生業と地域を返せ」…
      人災を起こした東京電力や政府は「原状回復」してみせたのか?

……それに尽きる。《電力業界=原子力ムラの言いなり》な原子力「寄生」委員会の救い様の無さ、そして、政府や与党のアベ様らの《危険な丸投げ・無責任体制》。彼らや東京電力は「原状回復」して見せたのか? 東電核発電人災《事故で奪われた生業と地域を返》してみせよ! 勝手に、暴走してんじゃないよ、「話し」は「原状回復」してからだ。やれるもんなら、やってみよ、「原状回復」。《そんな規制委員会を「世界最高水準の審査基準」と褒め称えて事足りる安倍首相もまた、未曾有の放射能汚染を招く「国賊」「疫病神」と後ろ指を指されても仕方ないだろう》。核発電「麻薬」中毒患者達こそ、《国賊》《疫病神》だ。

   『●「消費税増税の悪夢」 『週刊金曜日』
       (2014年3月21日、984号)についてのつぶやき
    「田中優子さん【風速計/原子力市民委員会のこと】、「委員や
     アドヴァイザーには海渡雄一さんや金子勝さん、
     アイリーン・美緒子・スミスさん、上原公子さんなどおなじみの方々もいる。
     敷居は高くない」」

   『●核発電の「高裁レベルでの運転差し止め判断は初めて」…
                  その先には腐敗した司法の大きな壁が…
   『●核発電人災のアノ東電の柏崎刈羽核発電所に、
       「寄生」委がお墨付き!? 凄いよなぁ、ニッポン…愚かだ

 東京新聞の記事【柏崎刈羽原発「適合」 規制委、福島同型で初】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017122702000254.html)によると、《原子力規制委員会は二十七日午前の定例会合で、東京電力柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)が原発の新規制基準に「適合」しているとした審査書案を正式決定した》。
 東京新聞の社説【柏崎刈羽「適合」 東電は信頼に足るか】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017122802000162.html)によると、《柏崎刈羽原発は、福島第一と同じで東電が所有する沸騰水型だ。福島原発事故は、津波が原因とされるが、地震や津波の襲来からメルトダウン(炉心溶融)、水素爆発へと至る経緯は、現場で十分な調査ができず、不明な点が多い。原因究明が終わっていないのに住民の安全が保証できるのか。東電に任せられるのか。規制委は、もっと慎重でもよかった》。
 さらに、日刊ゲンダイの記事【事故後対応は丸投げ 柏崎刈羽原発「基準適合」の無責任】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220444)によると、《今年10月から約1カ月にわたって募集された東電の適格性審査結果に対する「パブリックコメント」(870件)には「1F(福島第1原発) 事故を起こした東電に適格性ナシ」といった意見が並び、県は独自の検証委員会を立ち上げて原発の安全性を調査している。…横田一氏…「泉田裕彦前新潟県知事(現・衆院議員)の時代から、地域防災・避難計画のずさんさが指摘されていました。原発周辺には住民が約44万人いるにもかかわらず、万が一の時の避難用バスの運転手すら確保できていない。そもそも、法整備が追いついていないので、運転手がバスの運行を止めて現場に行くことができません」 …和田光弘弁護士は…「規制委がちゃんと審査したのか疑問です。地元研究会の資料によると5号機から7号機の下には活断層があるし、基準地震動について(規制委は)東電が提出したデータ以外に、独自の調査をしていません。東電側が出した審査書類が基準を超えていれば『合格』というわけです」》。

 核発電「麻薬」中毒患者達の救いようの無さ。「規制」しない原子力「寄生」委員会もイカレテる核発電「麻薬」中毒患者達。そんな核発電「麻薬」中毒者の暴走を許してはいけない。

 東京新聞の記事【「自然エネの送電線利用を」 原発ゼロ連盟、エネ庁に改善要請】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201712/CK2017122702000138.html)の長い引用…《脱原発や自然エネルギー(再生可能エネ)の推進団体でつくる全国組織「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(会長・吉原毅 城南信用金庫顧問)は二十六日、送電線を持つ大手電力会社が、再生可能エネの発電事業者の送電線利用を正当な理由なく制限しているとして、経済産業省資源エネルギー庁に改善するよう求めた。(伊藤弘喜)…発電設備から家庭や企業に電気を届ける送電線には、原発や火力、再生可能エネなど、さまざまな発電所からの電気が流れる。しかし、二〇一一年の東京電力福島第一原発事故以降、全国の原発が停止。現在、稼働しているのは四基にとどまり、原発由来の電気が流れている送電線は限られているにもかかわらず、大手電力は将来の再稼働を見込んで原発用に空きを確保し再生可能エネの参入を妨げていると、連盟側は批判している。エネ庁を訪れた吉原会長は、北海道や東北では送電線の容量の2~18%しか使われていないという専門家の分析を挙げ、「(大手電力は)率直に空きがある事実を認め、自然エネルギーを受け入れるべきだ」と申し入れた。エネ庁の担当者は「送電線を最大限に活用するための運用改善策を国で議論を始めている。できるところから順次、実行に移したい」と回答した》。

 核発電に「寄生」し、再エネには厳しい「規制」な経産省。

   『●(悪)夢よもう一度?: こっそり「高温ガス炉」と呼んでいるが、
                       それは原発であり「高温ガス原子炉」

 リテラの記事【横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」26/伊方原発差止直前、テロの危険性を無視した規制委員会の会見が! 泉田前知事も「原発の稼働を停止すべき」と明言せず】(http://lite-ra.com/2017/12/post-3692.html)のこれまた長い引用…《四国電力伊方原子力発電所3号機の運転差し止め仮処分申請即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)が運転差止決定…今回の差止決定で浮彫りになったのは、電力業界=原子力ムラの言いなりに近い「原子力規制委員会」(更田豊志委員長)の実態と、安倍政権の危険な丸投げ・無責任体制だった…泉田前知事曖昧な態度に、出席者が猛反発!…河合弘之弁護士…『動いていなくても、使用済核燃料プールなど原発には危険がある』のはその通りだが、危険の度合いが全然違う。福島原発事故で起きたような作業をミサイルが飛んで来た後、火の海の中で出来ますか。動いている時のミサイルの危険を100だとすれば、止まっている時のミサイルの危険性は10以下。100対1ぐらいの違いがあると思っています…「自民党国会議員として原発政策を変える」という泉田氏の意気込みは当選早々、トーンダウンしてしまったようにみえた。これでは、原発テロ対策強化や稼動原発停止など安倍政権や原子力規制委員会の原発政策変更につながるはずがない…そんな規制委員会を「世界最高水準の審査基準」と褒め称えて事足りる安倍首相もまた、未曾有の放射能汚染を招く「国賊」「疫病神」と後ろ指を指されても仕方ないだろう
 核発電「麻薬」中毒に堕ちていく泉田裕彦前知事。ダークサイドへと。

   『●よりによって自民党から出馬…「反東電ですが、
       反原発ではありません」な泉田裕彦前新潟県知事…
    《応援の森裕子参院議員(61)が
     「泉田候補はダークサイドに落ちたなと強烈に批判

 東京新聞の記事【意見募集「東電に資格ない」 柏崎刈羽「適合」決定 】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017122890070246.html)によると、《意見募集(パブリックコメント)では八百七十件が集まり、福島事故を起こした東電に「原発の運転資格はない」とする意見が多かった。だが、規制委は字句を修正しただけで、審査を通した…東電の原発としても、福島第一と同じ仕組みの沸騰水型としても、初の新基準適合。東電は賠償費用を工面するため再稼働を目指すが、立地する新潟県などが同意する見通しはない。寄せられた意見には、福島第一原発の事故収束作業や巨額の損害賠償を抱えている東電に、再び原発を動かす権利を与えることへの否定的な意見が目立った。だが、規制委が示した「考え方」は、いずれの意見に対しても正面から向き合わない内容だった》。

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017122401001394.html

福島同型原発の審査拡充 規制委、沸騰水型再稼働で
2017年12月24日 17時40分

 東京電力福島第1原発と同型の「沸騰水型」原発について、原子力規制委員会が再稼働審査の体制強化に乗り出したことが24日、分かった。審査担当の全5チームのうち、3チームが割り振られた。これまで審査に正式合格した原発は全て「加圧水型」だが、新体制により、近く正式合格する見通しの東電柏崎刈羽原発(新潟県)を含め、沸騰水型の再稼働に向けた手続きが進みそうだ。

 沸騰水型は東日本に多く立地し、加圧水型は西日本に多い。沸騰水型は原子炉格納容器が比較的小さく、内部の温度や圧力が上昇しやすい欠点があり、事故リスクを懸念する声も予想される。

(共同)
==================================================================================

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201712/CK2017122602000132.html

原発の環境負荷を軽視 市民委、政府のエネ政策を批判
2017年12月26日 朝刊

     (「原発ゼロ社会への道」を発表する原子力市民委員会
      満田夏花さん(中)ら=25日、東京都千代田区で)

 脱原発を掲げる学者や市民団体メンバーらでつくる「原子力市民委員会」(座長・吉岡斉九州大教授)は二十五日、東京都内で記者会見し、原発のない社会を実現するための政策をまとめた大綱「原発ゼロ社会への道2017-脱原子力政策の実現のために」を発表した。

 「原発ゼロ時代のエネルギー政策の展望」と題した章では、「世界の原発は過去三十年にわたり長期停滞を続けている」と指摘。東芝の原発子会社、米ウェスチングハウス・エレクトリックの今年三月の経営破綻や、三菱重工、日立製作所、仏アレバの原発事業の苦境を挙げた。

 昨秋、パリ協定が発効し、日本政府や電力業界は地球温暖化対策を挙げていることに対し、大綱は「原発に伴う放射線影響や事故時の環境・社会影響を無視している」と批判。「あたかも環境に負荷がないかのような印象を与え、原子力利用を正当化している」と指摘した上で、原発を環境対策や気候変動対策として進めるのは「大きな問題があり、再生可能エネルギーの拡大を妨げることになる」と警告した。

 会見では、国が有識者会議で進めているエネルギー政策の指針「エネルギー基本計画」の見直しのあり方についても異論が出た。

 大綱はA4判、三百十ページ。通常価格は千五百円。来年一月末までは特別価格の千円(送料無料)。大綱についての意見交換会を一月二十三日の都内を皮切りに全国で開催する。問い合わせは市民委員会事務局=電03(3358)7064=へ。 (伊藤弘喜)
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「原発0」何処? 「国民の声より大事な何か、国民の命以上に守りたい何かがそこに、あるのだろうか」?

2017年10月20日 00時00分19秒 | Weblog

[報道特集 (2017年7月8日)↑]



東京新聞のシリーズ「社説」の第5番目【政治と世論を考える<5> 原発ゼロの民意どこへ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017082502000139.html)。

 《「討論型世論調査」を覚えていますか。3・11翌年の夏、当時の民主党政権が震災後の原発政策を決める前提として実施した。政府としては初めての取り組みだった…「原発ゼロ」と答えた人が全体の約三割から五割に増えた。併せて公募した意見では、九割近くが「原発ゼロ」を支持》。

 アノ「世論」「民意」は一体どこに? 埋没しがちな、2017年10月衆院選の重要な論点。与党自公や癒党お維キトには任せられない。

   『●原発の「国民的議論」を「アリバイ作り」で終わらせないために・・・
    《原発政策、意見集約難航か 泥縄の政府対応…政府は2030年の
     総発電量に占める原発比率をめぐり、国民から意見を聞き取る一連の
     日程を終えた。13日には意見公募に8万件を超える声が寄せられた
     と発表した。だが、政府は集めた意見を分析するための専門家会合を
     これから設置する泥縄ぶりだ。民主党も、原発比率を議論する調査会を
     ようやくスタートさせる方針で、集約は難航しそうだ。
       政府は7月から、意見公募や各地での聴取会、さらに意見の変化を
     探る討論型世論調査を実施してきた。支配的だったのは「原発ゼロ」を
     求める主張だったが、公聴会などで劣勢だった「15%」や「20~25%」の
     方向に動くのか。政府対応が焦点だ》

   『●消極的にしろ、積極的にしろ、「原発0%」しかない
   『●浜岡原発: 安全対策工事という砂上の楼閣に期待する人たち
   『●パブリックコメントで一般市民の「反原発」意思は集約済み
   『●「品格」と「資質」: それを許す支持者や自公投票者の問題
   『●原発稼働は経営だけの問題なのか?
   『●自公議員に投票したことの意味:
     原発は「重要なベース電源」、さらに「もんじゅ」「核燃サイクル」継続
   『●川内原発を再稼働させてはいけない!:
        九州の「草の根」の勁き底力を見せるとき
    《「二〇三〇年代原発ゼロ」は政権の独断というよりも、
     一定の民意を集めて成り立った
       当時の政府は革新的エネルギー・環境戦略を策定する前に
     「討論型世論調査」という新しい手法を使って、民意を確かめた

   『●再稼働ありきの「世界最高水準の規制基準」という
                         「世界一の無責任」さ
    《それを変えたのが、前政権が一昨年、革新的エネルギー・環境戦略を
     決めるに当たって試みた討論型世論調査、意見聴取会、
     そしてパブリックコメントの三点セットである。約八万九千件もの意見が
     寄せられ、そのうち約九割が、将来的には原発ゼロを支持していた。
       画期的だったのは、これらの議論を検証する専門家らの会合を
     開いたことだ。
       意見を中立的に分析し、安全対策の実効性や発電コスト、
     使用済み核燃料をどうするかなど、十一の論点を抽出し、
     「大きな方向性として、少なくとも過半の国民は原発に依存しない社会の
     実現を望んでいると結論づけた
       その上で政府が出した判断が「二〇三〇年代原発ゼロ」という方針
     だったのだ
       政権は自民党に移ったが、この時の結果が否定されたわけではない。
     その後このように大規模な国民意見の募集は行われていない》

   『●立ち止まるなら今・・・「原発政策を福島第一原発事故以前に
                     先祖返りさせたのが自民党安倍政権」
    《原発についての推進か反対かの議論は福島第一原発事故以前は
     立地地域を除いてなされたことがほとんどなかった。しかし、
     いつの間にか国民が知らないところで国策とされてきた。
     唯一政府が組織的に取り組んだのが、民主党政権下で事故後の
     国民意識調査と討論型世論調査であった。そこでは時期はともかく、
     原発ゼロヘの道へという国民の意思は示された。それを受けて
     時の政権が確定したのが、2030年代に原発ゼロの道であった》

 《内閣支持率の高さだけを背景にした具体的民意の無視というよりは否定》…いまや、アベ様や原子力「ムラ寄生」委員会の田中俊一委員長をはじめとした核発電「麻薬」中毒患者らは、核発電所再稼働、核発電所新設、核発電輸出へと好き勝手にやりたい放題…。3.11東京電力核発電人災で世界中に迷惑をかけたニッポンが、脱原発・反原発という世界の潮流に反しているのだから、恥ずかし過ぎる。「嘲笑され」、「蔑まれている」ことにいい加減に気付きなさいよ。自公お維トファ・キトに投票し、アベ様の「内閣支持率の高さ」に貢献された皆さん、核発電人災をもう一度起して、地球を破滅させたいのですか?
 「民」と共に「進」む気の無い党に成り下がり、アベ様の「政」と大差のない「政」を目指す、「アベ様に擬態」した民進党。野党から「癒」党へと完全脱皮・変態か…。そして、キトへと選別的「合流」。このニッポンの情けない政治状況下で、民意に《逆行》ばかりの「政」を行うアベ様を支える与党や「癒」党の政治家達…ニッポンには《国民の声より大事な何か、国民の命以上に守りたい何かがそこに、あるのだろうか》?
 2017年10月衆院選、闘いは「2極」。〔与党自公 + 癒党お維キト〕 対 〔真の野党&市民連合〕… 「地獄」へ投票するのか? それとも、「平和な未来」を希求する党や候補者に投票するのか? 核発電や核兵器に関しても、両者の違いは明白だ。「2極」のうち、どちらを選ぶべきかは、単純だし、明白だ。選挙に行ってほしい、戦争に行かないために、そして核発電や核兵器による破滅を招かないために。

   『●アベ様に「対峙」? 「新たな選択肢」提示?
      「民」と共に「進」む気の無い党はついに自民党に「擬態」
    「消費税増税・野党共闘拒否(自民党亜種トファへ擦り寄り)・壊憲…
     「癒」党へ脱皮・変態する民進。コレが《対峙》? コレが《選択肢》??
     「アベ様に擬態」してるだけで、自公と区別不能。やってることは
     アベ様と同じで、争点になり得ず。コレでどっちをどう選択するの? 
     民進の最後の砦、譲れないはずの拠り所、脱原発もきっとじわじわと、
     気付かないうちに「アベ様に擬態」し、核発電「麻薬」に溺れている
     ことでしょう」

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017082502000139.html

【社説】
政治と世論を考える<5> 原発ゼロの民意どこへ
2017年8月25日

 「討論型世論調査」を覚えていますか。

 3・11翌年の夏、当時の民主党政権が震災後の原発政策を決める前提として実施した。

 政府としては初めての取り組みだった。

 無作為抽出の電話による世論調査に答えた全国の約七千人の中から三百人ほどに、一泊二日の討論会に参加してもらい、専門家による助言や質疑を織り交ぜながら、参加者の意見が議論の前後でどのように変化するかを見た。

 二〇三〇年の電力に占める原発の割合として、ゼロ、15%、20~25%-の三つのシナリオが示されており、学習と討議を重ねて理解を深めた結果、「原発ゼロ」と答えた人が全体の約三割から五割に増えた。併せて公募した意見では、九割近くが「原発ゼロ」を支持していた。

 このような民意に基づいて、原発は稼働後四十年で廃炉にし、新増設はしないことにより「二〇三〇年代ゼロ」に導くという、「革新的エネルギー戦略」が決められた。それを現政権は「具体的な根拠がない、ゼロベースに戻す」とあっさりご破算にした

 特定秘密保護法集団的自衛権、「共謀罪」などの時と同様、内閣支持率の高さだけを背景にした具体的民意の無視というよりは否定とは言えないか。

 その後も世論調査のたびに、脱原発には賛成、再稼働には反対の意見が過半を占める

 六月の静岡県知事選中に本紙が実施した世論調査でも、県内にある中部電力浜岡原発は「再稼働すべきでないという意見が約六割に上っていた。

 にもかかわらず、政府はエネルギー基本計画の見直しに際し、はじめから「三〇年20~22%」の原発比率を維持する考えだ。

 3・11前の割合は28%。老朽化が進む今、新増設なしには実現できない数字である。改めて国民的議論を起こす様子はない

 3・11を教訓に「脱原発」を宣言し、原発の新設工事を中断させた韓国政府は、世論調査や討論会でその是非を国民に問う。ドイツの脱原発は、専門家や利害関係者だけでなく聖職者などを含めた幅広い意見によって立つ

 なのに当の日本は政府の独断専行を“有識者”が追認するという逆行を改める気配がない

 国民の声より大事な何か、国民の命以上に守りたい何かがそこに、あるのだろうか
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●新潟県知事選: 自公推薦候補者に騙されてはいけない…確実にあの東京電力のアレを再稼働させる

2016年10月10日 00時00分55秒 | Weblog


東京新聞の山口哲人記者による記事【再稼働争点 接戦 新潟県知事選、16日投開票】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201610/CK2016100802000135.html)。

 《東京電力柏崎刈羽原発(柏崎市など)の再稼働問題が争点に浮上し、…を、反対姿勢を鮮明にした共産、生活、社民三党推薦の医師米山隆一氏(49)が猛追》。

   『●同感…「民主党は本気で安倍政権を倒す気があるのか?
                         ――そう疑わざるを得ない」
     《民主党は本気で安倍政権を倒す気があるのか?
      ――そう疑わざるを得ない…生活の元職、森裕子氏(59)が
      出馬表明済み…新潟県には東電柏崎刈羽原発があるが、
      泉田知事は再稼働に慎重です。そこへ『脱原発』の森さんが
      野党統一候補になることに、連合傘下の電力総連が猛反発し、
      民主党本部はそれに従った…民主党にとっては
      「打倒安倍」より、連合と原発の方が大事ということ》

   『●誰が為に核発電所は再稼働?…この酷暑、
       「電力各社が供給力に余裕をもって乗り切った」
   『●東電柏崎刈羽原発再稼働!?: 
     《第一原発事故を検証しない限り…》とする泉田裕彦新潟県知事の正論
   『●「福島の声」を聞き、避難者に寄り添っていたのは 
      アベ様ら?、それとも、経産省前テントひろばの皆さん?
   『●九州電力に「普通の社会通念」が通じるか?: 
      三反園訓鹿児島県知事が川内原発を「直ちに一時停止」要望
   『●クダラナイ理由で命を賭して伊方プルサーマル核発電再稼働…
                   「国民の安全よりも、大切なのはカネと選挙」
   『●残念な「泉田裕彦新潟県知事「出馬撤回」事件」: 
       「原子力ムラはニンマリ」「東電の高笑い」で良いの?
   『●NHK解説委員長、原発は人間の手に負えないモンスター
             …「アベ様のNHK」発の核発電政策への波紋

 新潟県知事選、「原子力ムラはニンマリ」「東電の高笑い」では絶対にイケない。
 自公推薦候補者は、《街頭演説で「国の言うことをうのみにしない」と強調し「泉田知事が育てた(原発の安全管理に関する)県の技術委員会の意見をしっかり聞き、安全という確信がなければ反対と言う覚悟がある」と踏み込んだ》…なんてのに、騙されてはいけないです。
 自公推薦候補者は選挙に勝てば、絶対に、3.11に何の責任もとらないあの東京電力アレ、つまり柏崎刈羽を再稼働させるに決まっています。《審査が通れば、事故を起こした東電では初めてで、しかも福島第一原発と同型の原子炉が初めて再稼働に動きだすことになる》、絶対に。2010年11月の沖縄県知事選で、仲井真弘多元知事が再選され、その後どんな経過をたどり、今日の沖縄の惨状がもたらされたかを、新潟県民の皆様も、思い出すべきです。「本土」マスコミはほとんど報じませんが、辺野古高江で、一体何が起こっているでしょうか? 《本人は打ち消している形》と見せつつ、《安全という確信がなければ反対と言う覚悟》という口ぶりは、仲井真氏にそっくりだ。選挙が終われば、手のひらを返すに決まっています。

   『●菅総理の内心2010年11月30日
    「菅総理は内心小躍りしていることでしょう、これで県「内」移設の目途が
     立ったということですから…再選された知事は、直後に、「県外」堅持と
     ししつつ、「議論の門戸は閉ざさない」としている」

   『●国外移設どころか、やはり辺野古埋立承認へ:
        2010年11月の沖縄知事選の予想が現実に

   『●仲井真氏は「空手形」を承知の上で「いい正月」を
      迎えていたのでは?・・米側が「空想のような見通し」と


 《政府のエネルギー基本計画に「立地自治体等の理解」を得ることが明記されるなど、知事の意向は無視できない》。核発電「麻薬」中毒な知事を誕生させてはいけません。新潟県民の皆さん、自公推薦候補者に騙されてはいけない…確実にあの東京電力のアレを再稼働させるつもりです。賢明な投票行動を、遠い地から伏して、お願いします。

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201610/CK2016100802000135.html

再稼働争点 接戦 新潟県知事選、16日投開票
2016年10月8日 朝刊

     (新潟県知事選の候補者の街頭演説を聴く有権者
      =7日、新潟県内で(一部画像処理))

 十六日投開票の新潟県知事選が接戦になっている。東京電力柏崎刈羽原発(柏崎市など)の再稼働問題が争点に浮上し、自民、公明両党推薦の前長岡市長森民夫氏(67)を、反対姿勢を鮮明にした共産、生活、社民三党推薦の医師米山隆一氏(49)が猛追しているのだ。 (山口哲人


■「実質的共闘

 「国から再稼働を認めるか問われたら認められないと申し上げる

 七日夜、新潟市のJR新潟駅前。米山氏は街頭演説で、歩道を埋め尽くした市民らに力説した。民進党の松野頼久衆院議員、共産党の志位和夫委員長、生活の党の小沢一郎共同代表、社民党の福島瑞穂副党首も応援に駆け付け、米山氏への支持を訴えた。

 東電は柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働に向け、二〇一三年九月、原子力規制委員会新規制基準への適合性審査を申請した。審査が通れば、事故を起こした東電では初めてで、しかも福島第一原発と同型の原子炉が初めて再稼働に動きだすことになる

 法的には再稼働に対する地元同意の規定はないが、政府のエネルギー基本計画に「立地自治体等の理解」を得ることが明記されるなど、知事の意向は無視できない。米山氏は、原発事故などの検証を求め、再稼働への厳しい姿勢を貫いてきた現職の泉田裕彦知事の路線継承を宣言。陣営は、再稼働に反対する県民の受け皿になるため、争点を原発に絞り込んでいる。

 民進党は、候補者選定ができないでいるうちに最大の支持団体の連合新潟が森氏支持を決定したため、自主投票にとどめた。

 だが所属議員は積極的に米山氏を支援しており「実質的な共闘」(志位氏)で、四党の統一候補が自民党候補に勝利した七月の参院選新潟選挙区の再現を狙う


よぎる鹿児島

 森氏陣営や与党には告示前の余裕はなくなり、危機感を募らせている。九州電力川内(せんだい)原発の稼働への賛否が争点となった七月の鹿児島県知事選では、与党支援の現職が運転の一時停止を主張した新人に敗北。与党内には原発立地県で敗戦を重ねれば来夏の東京都議選や全国の地方選に波及しかねないとの懸念も漂う。

 自民党は週明けに二階俊博幹事長が新潟入りする。公明党も最近、党所属議員に支持拡大の徹底を指示し、てこ入れに懸命だ。

 森氏陣営は県民の原発への不信感を意識して、再稼働に関し「県民の安心、安全を最優先に対応を決める」と慎重な言い回しに終始。森氏は七日、三条市での街頭演説で「国の言うことをうのみにしない」と強調し「泉田知事が育てた(原発の安全管理に関する)県の技術委員会の意見をしっかり聞き、安全という確信がなければ反対と言う覚悟がある」と踏み込んだ。

 県の技術委は原子力や地震の専門家で構成され、東電が福島第一原発のメルトダウン(炉心溶融)を隠してきたと独自に指摘するなど活動への評価が高い。森氏が知事になれば、再稼働に向けた動きが速まるとの見方もあるが、本人は打ち消している形だ。

 知事選には元団体職員三村誉一氏(70)、行政書士後藤浩昌氏(55)も立候補している。


◆新潟知事選立候補者(届け出順)

  三村誉一(みむらよいち)70 (元)団体職員   無新 
  森民夫(もりたみお)67 (元)長岡市長   無新=自公
  米山隆一(よねやまりゅういち)49 医師      無新=共生社
  後藤浩昌(ごとうひろまさ)55 行政書士    無新 
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●予想に反して「もんじゅ」廃炉へ、一方、「閉じない環」核燃料サイクルは維持するという無茶苦茶

2016年09月24日 00時00分30秒 | Weblog


東京新聞の記事【もんじゅ廃炉へ 政府、年内に結論 核燃サイクルは維持】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016092202000156.html)と、
社説【もんじゅ、廃炉へ 大転換の時代に移る】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016092202000181.html)。

 《「廃炉を含め抜本的な見直しをする」とした。一方で核燃料サイクルは維持し、新設の「高速炉開発会議」で、年末までに今後の方針を出す》。
 《「もんじゅ」がようやく廃炉に向かう。高速増殖原型炉。使用済み燃料を再利用する核燃料サイクルの要の石だ。日本の原子力政策は転換すべきである》。

 東電核発電人災からでさえ5年以上、《九五年にナトリウム漏れ事故》から20年以上、無為な月日を費やし、お金をドブに捨ててきました。予想に反して、プルトニウムを燃やしつつ「増殖」させるという「悪夢」から、ようやく目覚め、「閉じない環」である第2の「環」が終わりを迎えることになりそうです。
 一方で、「閉じない環」である第1の「環」を継続し、プルトニウムを取り出す六ヶ所村の再処理工場の稼働を目指すことを続けるそうだ。恐ろしいリスクを抱えつつ、瀕死の「ホワイト・エレファント」にエサを与え続け、エサ代を支払い続けるつもり。「もんじゅ」という悪夢に目覚めるのにこれだけの月日を費やし、誰も責任をとらず…、「第1の閉じない環」の悪夢からいつ目ざめるのだろうか? あまりに愚かすぎる。

   『●原発人災、犯罪者を追求すべし:  
      なぜ自民党議員は口を閉ざし、マスコミは黙り込むのか?
   『●原子力ムラは土台から腐ってる
    「河野太郎氏のブログより…」
    《やっぱり日本の原子力の土台は腐っていた
     自民党本部に九大、東工大のエネルギー、原子力関係の教授を
     招いて、原子力関連の人材育成についてのヒアリング…
     あきれるというよりも、その象牙の塔ぶりに笑いが出た…
     シビアアクシデント対策とか、放射性物質の除去とか、
     核のゴミの処分や廃炉のために必要な人材を供給しよう等
     ということは一言もない
     もちろん、使命感や倫理感に欠けた人材を供給してきたこと
     に対する反省など全くなし
     こういう人間達に、原子力を任せたくないし、こういう人間達に、
     原子力に関わる人材育成を任せたくない。
     日本の原子力、根底の根底からおかしい

   『●湯水のごとくカネ浪費:核燃料サイクルに十二兆円を
       ドブガネし、今後も毎年千六百億円ずつ増えていく悪夢

   『●「もんじゅ」の知恵ではなく、 
      「絵に描いた餅」に「一日当たり五千五百万円」!
   『●もんじゅ「エサ代」の無残さ: 《ナトリウムを使う
      原子炉の解体技術は確立されておらず》…無責任過ぎる
   『●全く知恵の無い「もんじゅ」は発電もせずに、
      「年間の電力消費量は一般家庭約二万五千世帯分にも上る」
   『●核燃サイクル=「ホワイト・エレファント… 
     私たちはいつまで、エサ代を払い続けなくてはならぬのか」?
   『●「夢の高速増殖炉」もんじゅ、「夢から覚める時が来た」
                 ……とっくに目覚めの時は過ぎている
   『●談合: 原子力「ムラ寄生」規制委員会から運営交代を
             申し付かったあの日本原子力研究開発機構
   『●「核兵器廃絶」に対するニッポンの歯切れの悪さ…
       原発は『プルトニウムをつくる装置』、双子の兄弟の一人
   『●高速増殖炉もんじゅ…ニッポンでは、
       巨額の「エサ代」を支払い続けるつもりらしい
   『●「(悪)夢の高速増殖炉」もんじゅの延命に向かって着々と
                   …ドブガネという巨額の「エサ代」は続く
   『●ナトリウムを取り扱う技術を持つ日本原子力研究開発機構…
                   ナトリウムを使う原子炉の解体技術は?
   『●NHK解説委員長、原発は人間の手に負えないモンスター…
                 「アベ様のNHK」発の核発電政策への波紋

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016092202000156.html

もんじゅ廃炉へ 政府、年内に結論 核燃サイクルは維持
2016年9月22日 朝刊



(↑すいません、コピペさせて頂きました
  『もんじゅを巡るこれまでの主な動き』
  【http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/images/PK2016092202100047_size0.jpg】)

 政府は二十一日、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について関係閣僚会議を開き、「廃炉を含め抜本的な見直しをする」とした。一方で核燃料サイクルは維持し、新設の「高速炉開発会議」で、年末までに今後の方針を出す。もんじゅにはこれまで国費一兆円以上をつぎこんだ。再稼働には数千億円の追加費用が必要。成果を得られないまま幕引きとなる。

 菅義偉官房長官は閣僚会議で「高速炉開発は、原発の新基準の策定など大きな情勢変化がある。本年中に、高速炉開発会議で、廃炉を含めて抜本的な見直しを行う」と述べた。

 核燃料サイクルは、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、再利用する。プルトニウムを燃やすもんじゅはサイクルの柱だもんじゅに代わるものとして、フランスとの共同開発や、実験炉「常陽」(茨城県大洗町、停止中)の再稼働が検討される

 廃炉も容易ではない。もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構の試算によると、三十年の期間と三千億円の費用がかかる。地元の福井県には、松野博一文部科学相が陳謝し、直接出向いて事情を説明した。

 もんじゅは、消費した以上の燃料を生み出す「夢の原子炉」とされた。半面、危険なナトリウムを冷却材に用いる必要があり、構造も複雑。一九九四年に本格稼働したものの九五年にナトリウム漏れ事故を起こして停止した。その後もトラブルが相次ぎ、稼働日数は二百五十日にとどまる。停止状態でも一日あたり約五千万円の維持費が必要だ。

 原子力規制委員会は昨年十一月、約一万点の機器点検漏れなどを受け、所管する文部科学省に新しい運営組織を示すよう勧告した。運営主体は、動力炉・核燃料開発事業団に始まり、すでに二回変更されている。文科省は新しい受け皿を探したが、電力会社は難色を示し、引き受け手はなかった。


◆核燃、既に12兆円 本紙調べ

 高速増殖原型炉「もんじゅ」を中心とした核燃料サイクルには、少なくとも十二兆円以上が費やされてきたことが本紙の調べで判明している。施設の維持・運営費で年間約千六百億円が新たにかかる

 本紙は一九六六年度から二〇一五年度までのもんじゅや再処理工場、取り出したプルトニウムを再利用する混合酸化物(MOX)燃料工場、高レベル廃棄物の管理施設の建設費や運営費、必要になる廃炉・解体費などを積算した。立地自治体への交付金も足しているが、通常の原発向けと判別が難しい場合は、全額を除外している。

 その結果、判明しただけで総額は計約十二兆二千二百七十七億円。主なものでは、もんじゅは関連施設なども含めると約一兆二千億円。青森県六ケ所村にある再処理工場はトラブル続きで稼働していないが、七兆三千億円かかった。

 核燃サイクルのコストを巡っては、電力会社などでつくる電気事業連合会が〇三年、建設から最終処分までの総額は約十九兆円と試算している。


<もんじゅと核燃料サイクル> 普通の原発は、主な燃料に「燃えるウラン」を使う。それに中性子をぶつけて、核分裂の連鎖反応を起こし、生じた熱を取り出し、タービンを回して発電する。

 もんじゅでは、主な燃料がプルトニウム。中性子を高速でぶつけ、燃料周囲に置いた「燃えないウラン」をプルトニウムに変える。燃料が増えるので、「高速増殖炉」の名がある。

 中性子を減速させないよう、炉内は水ではなく、高温の液体金属(ナトリウム)で満たされている。ナトリウムは水などと激しく反応し危険だ。

 核燃料サイクルは、原発で燃やした使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、もう一度高速炉で燃やそうという試み。青森県六ケ所村に、巨費を投じて再処理工場が建設されている。だが高速炉がいつまでもできないので、普通の原発にプルトニウムを含む燃料を装填(そうてん)する「プルサーマル」が行われている。
==================================================================================

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016092202000181.html

【社説】
もんじゅ、廃炉へ 大転換の時代に移る
2016年9月22日

 「もんじゅ」がようやく廃炉に向かう。高速増殖原型炉。使用済み燃料を再利用する核燃料サイクルの要の石だ。日本の原子力政策は転換すべきである。

 原発停止、火力による代替が長引くと、石油や天然ガスの輸入がかさんで「国富」が消えていくという。

 だとすれば、展望なき核燃料サイクル計画による長年の国費の乱用を、どのように説明すればいいのだろうか

 原発で使用済みの燃料からウランとプルトニウムを取り出す再処理を施して、新たな核燃料(MOX燃料)にリサイクルして、もんじゅでまた燃やす-。それが核燃料サイクル計画だった。


◆色あせた原子力の夢

 もんじゅは、計画の要とされた新型の原子炉で、理論上、燃やせば燃やすほどリサイクル燃料が増えていく“夢の原子炉というふれ込みだった。

 現在の運営主体は、文部科学省が所管する独立行政法人の日本原子力研究開発機構、正真正銘の国策である。

 一九七〇年代の計画当初、もんじゅにかかる費用は、三百五十億円という見積もりだった。

 ところが、ふたを開けると、深刻なトラブルが相次ぎ、費用もかさむ。本格稼働から二十二年、原子炉を動かせたのは延べわずか、二百数十日だけだった。

 そんな“夢”というより“幻”の原子炉に、政府は一兆円以上の国富を注ぎ込んできた止まったままでも、もんじゅの維持には年間二百億円という費用がかかる

 冷却材として、水ではなくナトリウムを使うのが、高速炉の特徴だ。ナトリウムは固まりやすく、停止中でもヒーターで温めて絶えず循環させておくことが必要だ月々の電気代だけで、一億円以上になることも


◆飛べない鳥のように

 発電できない原発が、日々大量に電気を消費する。むだづかいを通り越し皮肉と言うしかないではないか。

 米国や英国、ドイツは九〇年代に、高速増殖炉の実験から手を引いた。もんじゅでナトリウム漏れ事故が発生し、当時の運営主体による隠蔽(いんぺい)が指弾を浴びた九五年、日本も夢からさめるべきだった

 青森県六ケ所村の再処理工場も九三年の着工以来二十三回、完成延期を繰り返し、建設費用は当初の三倍、二兆円以上に膨らんだ核燃料サイクルという国策も、ほとんど破綻状態なのである。

 二〇一〇年策定の国のエネルギー基本計画は、高速増殖炉を「五〇年より前に実用化する」とうたっていた。ところが一四年の計画からは目標年が消えていた。

 政府の中でも、もんじゅは終わっていたのだろうか。

 それなのに、廃炉の決断は先延ばし。科学の夢を塩漬けにする愚を犯しただけでなく金食い虫の汚名を着せて放置した。その責任は軽くない。

 プルトニウムは核兵器に転用できる。日本は日米原子力協定で、非核保有国では例外的に、プルトニウムを取り出す再処理を認められてきた。政界の一部には「特権を手放すべきではない」との声も根強くある

 日本は現在、四十八トン、長崎型原爆六千発分とも言われるプルトニウムを国内外に保有する。

 核不拡散を主導する米国も、再来年に迫った協定の期限を前に、日本の「核の潜在力」に対する警戒感を強めている。

 プルトニウムは増殖どころか、そもそも減らすべきものなのだ。

 日本はおととし、ランスが、核廃棄物の減量や無害化をめざして開発を進める高速炉「ASTRID(アストリッド)」への技術協力に合意した。核燃料サイクルのシステム自体、減量に軸足を移すべきである。

 3・11を経験した日本で、もはや原発の新増設などあり得まい。これ以上ごみを増やさないように脱原発依存を進めるべきである。しかし、最終処分場の選定が容易ではない以上、保有するプルトニウムや、一時保管されている、すでに出た使用済み核燃料を減らす技術は必要だ。

 先月に再稼働した四国電力伊方原発3号機のような、MOX燃料を通常の軽水炉で燃やすプルサーマル発電だけでは、とても追いつかない。


◆雇用や経済は維持を

 廃炉にしたもんじゅの設備を核廃棄物減量の研究拠点に転用できれば、地元の雇用や経済は維持できる。もんじゅと共生してきた自治体も納得できるに違いない。

 いずれにしても、もんじゅがなければ、核燃料サイクルは根本的に行き詰まり、日本の原発政策の大前提が崩れ去る。

 それは、核のごみを増やせない時代への転換点になる。
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●核発電所は『プルトニウムをつくる装置』…プルトニウムの蓄積・核兵器転用=世界は「それも」怖れている

2015年11月28日 00時00分07秒 | Weblog


asahi.com/aeraの記事【たまり続ける日本のプルトニウムに募る懸念 原発再稼働で指摘される別の問題】(http://dot.asahi.com/aera/2015111600063.html)。

 《最近まで「原子力ムラ」の中心にいた。その鈴木氏ですら、日本の原発で生み出され続けるプルトニウムが、これからの原子力政策を左右しかねないと心配する…核燃料サイクル固執する政府…世界の心配は核兵器への転用》。

 「原発は『プルトニウムをつくる装置』」と「閉じない環」。《国際的に心配されているのは、日本の核燃料サイクルの破綻ではない。プルトニウムが核兵器に転用される恐れだ》。「空が落ちてくる」=「核兵器への転用」というのは杞憂だ、「核兵器など作れない」という原発推進派……《原子炉で生まれたプルトニウムでは核兵器が作れないというのは誤解に過ぎず現に米国では62年に成功している》。

   『●東京電力人災以降も、原発推進の姿勢を変えず
   『●「もんじゅ」の知恵ではなく、 
       「絵に描いた餅」に「一日当たり五千五百万円」!
   『●「核燃サイクル―限界が迫っている」
         ・・・・・・いえ、すでに破綻しています

   『●「回らない核のサイクル」六ヶ所村:  
       どちらも「地獄」という二択だったのか?
   『●核発電という「経済麻薬」で思考停止: 
       川内原発2号機も再稼働へ向けて九電が暴走
   『●原発再稼働と「軍産複合体国家・米国の商売」と
      「原発は『プルトニウムをつくる装置』」と「閉じない環」

   『●核燃サイクル=「ホワイト・エレファント…
     …私たちはいつまで、エサ代を払い続けなくてはならぬのか」?

   『●湯水のごとくカネ浪費:核燃料サイクルに
     十二兆円をドブガネし、今後も毎年千六百億円ずつ増えていく悪夢
   『●プルトニウム報告漏れ: 「疑念」ね~?、
     目的あっての「隠蔽」??・・・っていうのは穿ち過ぎ???
   『●全く知恵の無い「もんじゅ」は発電もせずに、
      「年間の電力消費量は一般家庭約二万五千世帯分にも上る」

=====================================================
http://dot.asahi.com/aera/2015111600063.html

たまり続ける日本のプルトニウムに募る懸念 原発再稼働で指摘される別の問題
by ジャーナリスト・桐島瞬 (更新 2015/11/16 13:23)

    (フランス南部にあるMOX燃料製造工場。
     日本で使われる燃料もここで製造された。
     円筒形の容器はプルトニウムの運搬用
     /2013年10月 (c)朝日新聞社)
    (フランスから戻ってきたMOX燃料集合体が
     運び込まれた関西電力高浜原発3号機
     燃料プール/2013年7月 (c)朝日新聞社)


 政府が着々と進める原子力発電所の再稼働。事故への不安から反対運動が続く。しかし国際的には、別の角度から懸念の声が上がっているのだ。(ジャーナリスト・桐島瞬

   「(原発からできる)プルトニウムの核拡散リスクを
    過小評価しているのが、いまの日本。このままいけば、
    日本が掲げる非核政策にも国際社会から疑念が
    高まりかねない」

 こう話すのは、長崎大学核兵器廃絶研究センター長の鈴木達治郎氏。昨年3月までの4年間、内閣府原子力委員会の委員長代理を務めるなど、最近まで「原子力ムラ」の中心にいた。その鈴木氏ですら、日本の原発で生み出され続けるプルトニウムが、これからの原子力政策を左右しかねないと心配する。

 核兵器廃絶を目指す世界の科学者らが集まり、11月5日まで長崎で開かれた「パグウォッシュ会議」でも、日本のプルトニウム問題は議題になった。参加者らは青森県六ケ所村にある再処理工場の稼働を無期限延期するよう安倍晋三首相宛てに要望書を送った。六ケ所村の再処理工場が動き出せば、さらにプルトニウムが増えるからだ。


●核燃料サイクル固執する政府

 日本が保有するプルトニウムは約47トン。軍事用も含めた全世界のプルトニウム約500トンの10%近くを占め、核兵器保有国以外では圧倒的に多い。うち10トンは国内の原発などに保管され、残り37トンは再処理を頼んだイギリスとフランスにある。

 では、なぜそんなに日本にはプルトニウムがたくさんあり、その何が問題にされるのか。

 原子力発電所で使用済みになった核燃料には、重量で約1%のプルトニウムが含まれている。プルトニウムを分離し、再び原発で使えるように加工する作業を「再処理」と呼ぶ。

 再処理されて生まれた分離プルトニウムを含む核燃料は、高速増殖炉やMОX炉と呼ばれる原子炉で使われる。なかでも高速増殖炉は、燃料に多く含まれる燃えないウランをプルトニウムに効率よく転換させる能力があり、使った分以上のプルトニウムを生み出すことから、何度でもリサイクルが可能。それが「核燃料サイクル」だが、実用化した国はいまだない

 高速増殖炉では、熱をよく伝えるナトリウムを冷却剤に使う必要があるが、ナトリウムは水と反応すると爆発するため技術的なハードルが高い。1995年に「もんじゅ」で起きた火災事故もナトリウム漏れが原因だった。

 鈴木氏はさらに指摘する。

   「もともとはウランの枯渇に備えてできた計画ですが、
    今ではウランは採掘可能年数が増し、海水にも
    無尽蔵にあることが分かってきた。早急に開発する
    必要性が薄まってしまったのです」

 先進各国の多くが80~90年代に次々と高速増殖炉の開発をやめる中、日本は諦めず、核燃料サイクルを続けるために、使用済み燃料をすべて再処理する政策を維持する。

 一方、肝心のもんじゅも事実上の「レッドカード」が見え隠れする状況に追い込まれている。試験運転中に燃料交換用機器を炉内に落とすトラブルで2010年から長期停止中。その後も約1万点の機器の点検漏れが発覚し、業を煮やした原子力規制委員会は11月13日、運営主体を日本原子力研究開発機構以外に代えるよう勧告した。代わる運営主体が見つからなければ、廃炉も現実味を帯びる。


●世界の心配は核兵器への転用

 ただ、国際的に心配されているのは、日本の核燃料サイクルの破綻ではない。プルトニウムが核兵器に転用される恐れだ。テロリストが盗み出して核兵器を作る。もしくは、再処理施設を核兵器製造の隠れみのにする国家が出るかもしれない。


●テロリストには十分の品質

 米ローレンス・リバモア国立研究所の国家安全保障政策研究所副所長を務めるブルース・グッドウィン氏は、最近東京で開かれたシンポジウムでこう断言した。

   「核兵器を作る初期の技術があれば、再処理された
    プルトニウムから広島型原爆の破壊半径の3分の1以上に
    なる核兵器が作れる原子炉で生まれたプルトニウムでは
      核兵器が作れないというのは誤解に過ぎず現に米国では
    62年に成功している

 実際、複数の核の専門家にも聞いたところ、テロリストが脅しに使う程度には十分な威力を発揮する核兵器が、再処理されたプルトニウムから作れるという。コンピューターの計算能力が飛躍的に向上したためだ。

 国際原子力機関(IAEA)プルトニウムが8キロあれば核兵器が製造できるとみている。日本国内の保有量は1350発分に相当する。

 IAEAには、核物質の兵器転用を防ぐ目的で査察に入る権利が認められているが、

   「査察に入るまでは準備などに4週間が必要。一方、
    核兵器転用には1~3週間あれば十分。これでは間に
    合わない」(米・核不拡散政策教育センター理事の
    ヘンリー・ソコルスキー氏)

 90年代にホワイトハウスで科学技術政策局次長を務めたフランク・フォンヒッペル米プリンストン大学名誉教授は、強い調子で指摘する。

   「日本の核施設は武装した警備員がいないなど、
    セキュリティーレベルが高いとはいえない。警備員が
    銃を携帯している米国ですら、核施設の警備体制を検査する
    模擬攻撃で特殊部隊が原発に潜入し、プルトニウムを
    “盗み出す”ことに成功してしまったことが一度ならずある。
    米国はすでに再処理をやめた。日本が再処理を続けよう
    とするのは危険すぎる」

 米国だけではない。中国の軍縮大使は10月に開かれた国連総会の第1委員会で、日本の余剰プルトニウムが核武装につながる可能性があると言及した。

 また、対北朝鮮に向けて核武装を望む国民が過半数を占めると言われる韓国。

   「日本が再処理をこのまま進めれば、米韓原子力協定で
    韓国も再処理の権利を主張するだろう」(米・天然資源防護
    協議会のジョンミン・カン氏)

 核拡散ドミノを防ぐ打開策はあるのか。

 鈴木氏やフォンヒッペル氏は、全量再処理した後の放射性廃棄物を地下深くに埋めるという政策をやめて、使用済み燃料をそのまま廃棄物として埋設する直接処分(ワンススルー)を採り入れるべきだと提案する。

   「地下深くに、拡張される前の羽田空港ぐらいの広さの処分場を
    一つ作れば、国内で発生する使用済み核燃料をすべて
    片づけられる」(鈴木氏)


●原発再稼働でさらに増加へ

 その場合、使用済み燃料を二重構造の乾式キャスクに50~100年程度、中間貯蔵して熱が下がるのを待ってから埋めることになる。使用済み燃料プールよりも頑丈なキャスクに納めて保管したほうが災害や盗難に対する安全性が高まるうえ、「埋設前に冷ますことで燃料同士の距離を詰められ、貯蔵スペースの節約にもなる」(フォンヒッペル氏)という。

 政府は昨年4月のエネルギー基本計画で、使用済み核燃料に関して直接処分の調査研究を進めると明言したものの、この調査研究はあくまでも「選択肢の幅を広げる意味」(資源エネルギー庁放射性廃棄物対策課)との位置づけで、核燃料サイクルの堅持の方針は変えていない

 経済産業省によると、東京電力福島第一原発の事故で国内の全原発が停止中だった昨年3月末時点で、約1万7千トンの使用済み燃料が国内の原発などに貯蔵されていた。その3分の2が再処理を待っている状態だ。

 加えて、今年8月の九州電力川内原発1号機を皮切りに始まった再稼働の流れが強まれば、再処理を待つ使用済み核燃料がますます増えることになる。

 核兵器問題を扱うアナリストの田窪雅文氏はこう強調する。

   「核兵器に利用可能なプルトニウムがあり余っている状態で
    再処理工場を動かして、さらにプルトニウムを取り出そうなど
    というのはもってのほか。他の多数の国々がやっているように
    使用済み燃料を中間貯蔵した後、直接処分するという政策に
    変えるべきです」

※AERA 2015年11月23日号
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●核燃サイクル=「ホワイト・エレファント…私たちはいつまで、エサ代を払い続けなくてはならぬのか」?

2015年11月10日 00時00分53秒 | Weblog


東京新聞の記事【もんじゅ廃炉へ現実味 核燃料サイクル計画破綻】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015110502000144.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015110502000157.html)。

 《▼さらに大きな白い象は、文殊菩薩から名をいただいた高速増殖原型炉「もんじゅ」だ。こちらは二十年前に深刻な事故を起こして以来、ほとんど動いていないのに、年に百数十億円もの維持費がかかる▼しかも、それほどの費用を使いながら、原子力機構はまともに点検すらできない。さすがに原子力規制委員会は、もう機構には任せられないと断を下した▼そもそも十兆円を投じても先が見えぬ核燃料サイクルという事業自体、飛び切り大きなホワイト・エレファントだろう。私たちはいつまで、エサ代を払い続けなくてはならぬのか》?

   『●「もんじゅ」の知恵ではなく、
       「絵に描いた餅」に「一日当たり五千五百万円」!

 さっさと「廃炉」に向かうべきだったのに……科学者=田中俊一原子力「寄生」委員会委員長は半年間延命してあげた訳です。一体何の知恵??……「もんじゅ」の知恵ではなく、「絵に描いた餅」に「一日当たり五千五百万円」という、ドブガネ!? 半年後、ウヤムヤにするのが目に見える? 一日も早く、「廃炉」に向かえないグズグズぶり。アベ様のご機嫌ばかりをうかがう情けなき「寄生」委。

   『●東京電力人災以降も、原発推進の姿勢を変えず

 いらんことですが、民主党も次期選挙では脱原発を看板に掲げるべきですね……大飯原発再稼働を決して忘れない。東京新聞の記事【「軽減税率よりももんじゅ廃止を」 民主・枝野氏、公明を批判】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201511/CK2015110502000137.html)によると、《かつて廃炉を選挙公約にしていた公明党について「軽減税率より先に、もんじゅの廃止を実行したらどうか」と批判……枝野氏は、もんじゅについて「国民の税金や電気料金から巨額の負担を続けている」と述べ、規制委の勧告に賛意を示した》、そうです。

=====================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015110502000144.html

もんじゅ廃炉へ現実味 核燃料サイクル計画破綻
2015年11月5日 朝刊

 高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の廃炉が現実味を帯びてきた。原子力規制委員会は点検漏れ問題で文部科学省に対し、信頼できる運営主体を探すか、安全対策を抜本的に改善するかを勧告する。どちらかを実現しないと、廃炉は避けられない。もんじゅは国が推進してきた核燃料サイクル計画の中核的な存在。なくなれば、十兆円をつぎ込んできた計画は名実ともに破綻する。 (小倉貞俊榊原智康


 規制委は四日、現在の運営主体の日本原子力研究開発機構では、停止しているもんじゅの保全管理もできておらず、運転は任せられないとの判断を下した。

 かつて「夢の原子炉」とうたわれたが、二十年以上も前に造られ、稼働期間はわずか二百五十日。冷却材に爆発的燃焼の危険性が高いナトリウムを使い、維持費もかさむ。機構は二十年前のナトリウム漏れ事故以降、甘い管理体制を改善する機会は何度もあったが一向に進まない。まだ待てというのか-。

 規制委の委員五人は全員一致で、文科省への勧告という重い決断をした。

 核燃サイクルは、一般的な原発系と高速炉系の二系統で、使用済み核燃料を再利用する計画。十兆円が投じられてきたが、どちらの循環も回るめどはない。原発で核燃料をMOX燃料として再利用するプルサーマルは、海外で製造した燃料を使って一部始まったが、使用済みMOXをどうするのかは白紙。もんじゅがなくなれば、高速炉系の「輪」は名実ともに消える

 もんじゅの新たな担い手を半年以内に見つける必要に迫られる文科省は「運営主体は幅広くいろいろなことを検討していきたい」(高谷浩樹研究開発戦略官)と話す。

 考えられる担い手には、(1)文科省所管の別の研究開発法人(2)機構から独立したもんじゅ部門(3)民間の原子力事業者-などがあるが、どれも難しい。

 原子炉の運転経験は絶対に必要な条件で、単なる機構内の看板の掛け替えでは規制委が納得しない。

 文科省幹部は「日本原子力発電(原電)は、もんじゅの次につくる実証炉を受け持つ予定だった」と原電の名を挙げつつも、「不備だらけの現状で、もんじゅを受け取る経営判断をするだろうか」と話す。

 来週にも勧告の具体的な内容が決まり、文科省に出される。これまでの経過からすると、文科省からは中途半端な回答しか出てこないこともあり得る。中途半端で認めれば、規制委の存在理由が問われる。

 一方、文科省の回答を不十分とし、もんじゅの廃炉まで踏み込めば、昨年四月のエネルギー基本計画で核燃サイクルの維持ともんじゅ存続を打ち出した政府の方針と対立する。

 四日の記者会見で、田中俊一委員長にあらためて覚悟を問うと、「(核燃サイクルを)どうするかは国の政策マター(問題)で、私たちがどうこういう話ではない。申し上げているのは、もんじゅの安全の問題への懸念だ」と述べた。
=====================================================

=====================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015110502000157.html

【コラム】
筆洗
2015年11月5日

 白象は、普賢菩薩(ふげんぼさつ)をその背に乗せる霊獣だ。しかし英語でホワイト・エレファントといえば「始末に困るもの、金のかかる厄介物」という意味になる▼その昔、タイでは王様が気に入らぬ家来に白い象を与えたという。神聖な生き物でしかも王からの贈り物となれば、いくらエサ代がかさもうが手放すこともできずに、家来は破産に追い込まれる。使い道がないのに維持費がやたらかかるもの。それがホワイト・エレファントである▼普賢菩薩にあやかって命名された日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」は、「開栄丸」という白い象をお持ちだ。この炉から出た使用済みの核燃料を運ぶ船なのだが、ここ六年近く一度も運んでいないのに、五十九億円が維持などに費やされたという▼さらに大きな白い象は、文殊菩薩から名をいただいた高速増殖原型炉「もんじゅ」だ。こちらは二十年前に深刻な事故を起こして以来、ほとんど動いていないのに、年に百数十億円もの維持費がかかる▼しかも、それほどの費用を使いながら、原子力機構はまともに点検すらできない。さすがに原子力規制委員会は、もう機構には任せられないと断を下した▼そもそも十兆円を投じても先が見えぬ核燃料サイクルという事業自体、飛び切り大きなホワイト・エレファントだろう。私たちはいつまで、エサ代を払い続けなくてはならぬのか。
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●立ち止まるなら今・・・「原発政策を福島第一原発事故以前に先祖返りさせたのが自民党安倍政権」

2015年07月10日 00時00分05秒 | Weblog


asahi.comの記事【原発が亡びても地方は生き残る】(http://www.asahi.com/articles/ASH6Z625WH6ZUEHF029.html?iref=comtop_list_pol_f02)。

 「村上達也(「脱原発をめざす首長会議」世話人/元東海村長)・・■原発権力の復活と焼け太り・・■変われない日本(いつか来た道)・・■祝島の閧いは終わらない一政府、中国電力の非道・・■過疎化で地方は消滅しない・・■帝国は必ず滅ぶ、だが地方は残る」。

 村上達也(「脱原発をめざす首長会議」世話人/元東海村長による、(原子力「ムラ寄生」委については賛成しかねますが、)色々と示唆に富む論説だ。

 選択すべきは、少なくとも「進むも地獄」ではなかったはず。今またしても、電力会社や自公議員たちは、「進むも地獄」を選択し、市民を「破滅」に向かわせよとしている。座して、このままアベ様らの思い通りにさせていて、いいのか?

   『●「回らない核のサイクル」六ヶ所村: 
       どちらも「地獄」という二択だったのか?

=====================================================
http://www.asahi.com/articles/ASH6Z625WH6ZUEHF029.html?iref=comtop_list_pol_f02

原発が亡びても地方は生き残る
2015年7月1日15時04分

     (全基停止以降、経済が低迷する新潟県柏崎市の
      町並み。奥に柏崎刈羽原発の排気筒が見える
      =新潟県柏崎市)

村上達也(「脱原発をめざす首長会議」世話人/元東海村長)


■「がんばろう!」でよかったのか?

 まだ記憶に新しいが、東日本大震災、福島第一原発事故の後、この国は「がんばろう日本」「がんばろう東北」「がんばろう福島」などなど、「がんばろう」一色であった。そのために事態の冷静な解明、認識が阻害されることはなかっただろうか。「個人」は「全体」に包摂され、我慢と忍従を強いられてきた面があるのではなかろうか。福島第一原発事故の被災地域で言えば、「ふるさと帰還」の声の前に沈黙を強いられた人も多かっただろう。

 このような国民的マインドは、かつてこの国にもあった――デジャヴュウ(既視観)だ。「聖戦」「大東亜共栄圏」、そして「一億総玉砕」などなど。特に「聖戦」というスローガンには黙せざるを得なかったのではないか。

 確かに東日本大震災による被害は人知の予想を超えるものがあった。しかし4枚のプレートの交差によってでき上がっているこの国では地震、津波による災害はそれこそデジャヴュウであって、なにも貞観地震を引き合いにして「1000年に一度」などと言い逃れできるものではなかった。災害が異常に大きくなったことに人為的原因がなかったはずはない

 特に原発事故においておや。それは人類史上でチェルノブイリ原発事故に次ぐ放射能汚染による大規模な自然環境破壊、ありとあらゆる生命への危害であった。経済発展のため、エネルギー確保のためと、言い繕って問題をそらしてはならない。日本人全体への警告、問い掛けだ。それを日本人ははっきり認識すべきだ。

 なかんずく、原発事故によってそれぞれの未来に関わる生存基盤であるふるさとを失ってしまった人たちに対し、「がんばろう」、「復興」の掛け声をかけるのみでよかったのか。これでは70年前の敗戦と同じでないか。塗炭の苦しみをなめた無謀な戦争について、特に中国とアジア諸国を侵略し、わが国を上回る多くの命を奪った戦争をしでかした罪への反省もなく総括もしないで「一億総懺悔だ」、「さあ戦後復興だ」、「経済成長だ」の掛け声で、いつしかそれは「がんばろう」という単純な言葉に変わってしまった。それこそがいまだに中国、韓国などとうまくいかない原因であり、ヨーロッパにおけるドイツとアジアにおける日本の分かれ道であった。


■推進VS反対は二項対立なのか? 弁証法の話ではないか

 話の都合上あえて言うが、ポリタス編集部からの寄稿依頼文の中で、気になる文章があった。以下引用する。

 東京電力福島第一原発事故から4年が経過しようとしていますが、いまだに原発については推進と反対の二項対立が続いています。この二項対立を乗り越えるには、目下の再稼働の可否を論じるのではなく、もう少し長期的な視点に立ったビジョンの提示が必要と考えます。


     ◇


 福島第一原発事故の後、脱原発、反原発の主張に対し、原子力推進側からは「二項対立の感情論だ」という批判を大分耳にした。特に御用学者などは中立性、客観性を装って言っていた。「がんばろう」の唱和と同じく、特殊日本的「和」に訴えて事故後の状況下での原発論議を封じようとしたのだろう。

 土台、「反原発」か「原発推進」かの対立は二項対立といえる筋のものだろうか。特に、福島第一原発事故の後、その対立は弁証法の話に変わったのではないか。原子力エネルギー開発それ自体に内在していた矛盾が事故、災害で白日の下に晒された、その自己矛盾を止揚するのかどうかがことの本質だろう。

 原発についての推進か反対かの議論は福島第一原発事故以前は立地地域を除いてなされたことがほとんどなかった。しかし、いつの間にか国民が知らないところで国策とされてきた。唯一政府が組織的に取り組んだのが、民主党政権下で事故後の国民意識調査と討論型世論調査であった。そこでは時期はともかく、原発ゼロヘの道へという国民の意思は示された。それを受けて時の政権が確定したのが、2030年代に原発ゼロの道であった。

 ドイツのメルケル政権とは比較にならないが、弁証法的思考能力を欠く日本社会といえども、ここまでは曲がりなりにも弁証法的な結論を出した。この結論を引っくり返し、原発政策を福島第一原発事故以前に先祖返りさせたのが自民党安倍政権と電力・原子力業界である。現在の安倍政権はひたすら原発再稼働と原発の輸出に突き進んでいる、はたまた原発新増設の本心も見え見えである。全く国民の意思には歯牙(しが)にも懸けない国権主義的姿勢である。

 こういう日本社会にあって二項対立と言って議論を制限し、封じてはならない。原発に関する議論は私たちの現在の生活の在り様、子供たちの将来に関わる問題なのだから黙することなく大いに語って行く責任が私たちにはある。元々論理的思考など苦手な日本人だ、二項対立と非難されようが問題ではない。


■原発権力の復活と焼け太り

 昨年4月政府は新たなエネルギー基本計画を策定し原子力を「重要なベースロード電源」と位置づけ、政府が先頭に立って原発再稼働の音頭をとっている。これは周辺住民をはじめとする国民世論を無視した強権的手法と言わざるを得ない。

 政府の意向を忖度して原子力規制委員会は昨夏の川内原発に次いで今春早々福井県高浜原発3、4号機に審査合格証を出した。哲学者・故久野収さんは日本人の特質として「頂点同調主義」と言っていたが、政権交代によって原子力規制庁は早くも独立機関としての性格が危うくなってきている。作家の辺見庸さんも言っていた――日本は「全民的協調主義」「あらかじめのファシズム」の国だと。こういう国でアメリカのNRC(原子力規制委員会)のような機関を望むのはしょせん夢物語か。

 せめてもの救いは田中規制委員長の孤軍奮闘だ。科学者の良心から「原発は安全だとは言わない。審査は安全を証明するものでない」と言っていることである。そこは、政府や電力会社が審査合格をもって安全宣言しているのとは大きな違いである。無責任と批判されているが、本来規制委員長であっても原発は安全と断言できるものでないと真摯(しんし)に語っている。原発をとるか、同時にそのリスクをとるかを国民一人ひとりが自分で考えろと言っているのである私たち国民が決めねばならないことである

 政府や電力業界は出力が小さいものに限ってだが、40年を超えた原発数機の廃炉の意向を示している。しかしこれもお茶濁しでしかない。その一方で「リプレース」と称し、大型原発の建設を画策しているのだからとんでもない話焼け太りをもくろんでいるのだ。

 福島第一原発事故被災者、避難者の救済はおろか、事故の収束もおぼつかない中で、原発新設の計画を練っているとは、何というおぞましい国だろう。泉田新潟県知事が言うように、福島第一原発事故真の検証も総括もできてないと私も思う。その中で政府も電力業界もフクシマ以前への全面回帰を画策している。国民はだまされてはならない。


変われない日本(いつか来た道)

 この風景もまたデジャヴュウだ。敗戦によってこの国は変わったと思ったが、基層においては何も変わってはいなかった。私たち日本人は戦前、特に敗戦までの昭和期は克服すべきものであったはずだ。しかし、原子力政策を見ているとこの国のエリートの精神は、いや頭の構造は何も変わってはいなかった。獲物をひとつ手にすると、更に獲物を獲ようとする――しかも謀略的手法によって。だから破局まで突き進む。旧陸軍の参謀本部高級将校の行跡をひもとけばそれがわかるだろう。それは国家を牛耳っているのは俺達だという傲慢(ごうまん)な自惚れから出ていた。

 太平洋戦争に突き進んで行った原因は、明治維新直後からの日本に胚胎(はいたい)していたことだが、特に昭和軍部の頭の中心を占めていたのは、陸軍の傀儡(かいらい)国家、満州国の保持であった。その補強のため中国北部(北支)に進出し、次いで中国全土に戦争を拡大したが中国人民の頑強な抵抗にあって泥沼に脚をとられ、その打開のために日独伊三国同盟を締結し、ナチスドイツの勢いに乗じアジアの盟主とならんとし(大東亜共栄圏)、結局は目算もなく米英との太平洋戦争に突き進んでいった。煎じつめて言えば金のなる木、満州を謀略によって手に入れ、その権益にしがみつき(「満蒙生命線論」)、結局は見通しのないまま戦略なき無謀な戦争に国民を総動員して行った。揚げ句には、気違い沙汰にも本土決戦だ、一億総玉砕だと高唱し、本気で全国民を道連れにしようとさえした。このようにこの国は方向転換できない、一部の者の権益を保守するため破滅まで行ってしまう国なのだ。

 私は、「この国はエリートが滅ぼす国家だ」と、福島第一原発事故の後早くから言ってきているが、政府、財界、学会の原子カムラのエリートをみていると、この思いは残念ながら間違っていない。そこへ国益、国威に最大の価値を置く国権主義、国家主義政権ができた。ただでさえ方向転換のできない国なのに、原子力政策、エネルギー政策は原発事故を受けて転換どころか、従来の路線を強化、推進しようとしている。それは既に首相の積極的な原発輸出外交に表れているが、川内原発、高浜原発の再稼働の動き、そして後述する上関原発建設の動きに表面化している。

 しかし、国民もしっかりしなければならない。加藤周一は「私にとっての20世紀」(岩波現代文庫)の中で、日本人は「現在主義」だ、それは「大勢順応主義」につながっていると言っている。過去に拘泥せず未来を煩わずひたすら今だけの利益に関心がいく、という意味だ。それにしても福島第一原発事故はわずか4年前のこと、忘れるには早過ぎる。


祝島の閧いは終わらない政府、中国電力の非道

 民主党政権下で原発の新増設はしないと決めたとき、最初に浮かんだのは、「これで山口県祝島の人たちは救われる。長い闘いに終止符が打たれる」ということだった。

 ところがどうだ、地元山口県の安倍政権の登場を機に中国電力は巨大な原発建設計画(137.3万kw 2基)の再スタートをはっきりもくろんでいる。

 祝島の島民は島を挙げて32年余も(!)原発建設に強固に反対し続けている。当時50代だった人でも80代となっている。これだけ長期間反対があるにもかかわらず原発建設計画を取りやめようとしない中国電力は非情な会社だ。その人倫に悖る所業は言語を絶する。

 今年の1月下旬、山口県祝島と上関町を訪問した。訪問して、これだけ頑張れるのはしかるべき理由があることがつぶさに感じ取れた。祝島は周囲12kmのハート形をした小さな島で、島全体が山岳で農業に適した平地はほとんどない。しかし瀬戸内の要衝に位置し、目の前の豊かな漁場に恵まれ漁業を営み、また往昔は酒造りの杜氏(とうじ)を多く輩出し、本土に出稼ぎに出ていたとのこと。一方、島内では急斜面をものともせず柑橘類、ビワの栽培を拓いてきた。

 瀬戸内の島々はどこも同じだが、歴史に培われたその島特有の高い文化を持っている。祝島は家々をつなぐ練り塀の町としての特有の文化を今に残している。ユネスコの世界遺産に指定されてもいい文化遺産である。島での生活はゆったりとして桃源郷のようであった。小泉八雲が明治の日本を評して「見るもやさしそうな人々が、幸福を祈るがごとく、そろってほほ笑みかけくる世界―あらゆる動きがゆったりと穏やかで、声をひそめて語る世界―昔見た妖精の国」と言っているが(「神々の国の首都」)、この言葉は、そっくり祝島そのものである。

 祝島の人々は港のある狭い地域に一塊となって長い歴史を紡いできている。島民全部が一つの家族である。この一体性が崩れては人々は生きて行けない、祝島が祝島でなくなる――そういう世界である。そこにカネと力でもって原発建設という暴風が襲来した。生計、歴史、文化を共有することで命脈を保ってきた島の人たちは、それこそ一致団結して反対してきている、これが祝島の人たちの闘いである。

 この人たちに中国電力は金でもって分断する策に出てきた。漁業補償金である。これはどこでも原発建設を進める時の常套(じょうとう)手段だが、最初に漁業補償金で反対派を切り崩す。元の単協祝島漁協は受け取りを拒否していたが、その後山口県下の漁協が一本化され、その県漁協が補償金を受領してしまい、旧祝島漁協分は分配を保留したまま今に至っている。この補償金の取り扱いを巡って、ここにきて島内で少し悶着が起こっているようだ。

 祝島が祝島であるそのゆえんは島民にある。しかも一体化した島民共同体にありと思うのだが、その島民を金でもって分断する中国電力の所業には激しい憤りを覚える。「お前らは祝島を消すのか」と問いたい。金による人心篭絡は悪魔の所業である。

 その上、中国電力は反対運動弾圧のため、反対運動の島民代表者や支援者に些細なことを理由に大額の損害賠償訴訟まで起こしている。強大な組織権力を持つものが無力な個人に対してのかかるいやがらせ行為は社会正義に反している。これは中国電力が道徳的にも堕落した証左であり、長い目で見れば会社の損失ではないだろうか。

 ところで人口3300人の上関町は原発誘致に熱心なようだが、巨大な原発2基から入ってくる莫大(ばくだい)な金(上関町には1984年度以降原発関連交付金として約70億円が支払われている)を、何に使おうとしているのだろうか。財政需要額の小さな町に多額の金が入ってきて町政が、いや町全体が狂うことはないだろうか。老婆心ながら心配になる。

 また山口県知事は地元出身の安倍政権にこびているのか、煮え切らない態度を崩さない。このまま生殺し状態を続け、祝島の人たちの自滅を狙っているのか。芦浜原発建設計画を白紙撤回した当時の北川正恭三重県知事の英断に倣ってはどうか。北川知事はJCO臨界事故の直後、2000年の年頭に、その決断をした。


■「国の責任」とは?

 鹿児島の川内原発では鹿児島県知事も薩摩川内市長も「国の責任で」という言葉を多用し、経産大臣もまた「国が責任を持つ」と言って、再稼働に突き進んでいる。この「国の責任」という言葉はわかったようで、空を摑むような実体のない言葉である。現に福島第一原発事故で国は責任を取ったと言えるだろうか。東電も国も誰一人として責任は負っていない

 元水俣市長の吉井正澄さんは水俣病公害事件問題で、こう語っている「水俣病を発生させたチッソに全ての責任があるのは当然だが、根本原因を追究していくとすべて国の責任に突き当たる」と。そして1959年の本州製紙江戸川工場の汚染水排水事故と、同じ年に2千人の水俣市民が起こしたチッソの工場廃水停止要求デモヘの国の対応の違いを述べている。前者は魚が死んで浮いただけだがすぐに操業を停止させた。後者は病人と死人がでていたが操業を続けさせた。この違いは、当時の通産省軽工業局長の裁判での証言に現れている。「日本の経済発展にとって、製紙会社とチッソ水俣工場は貢献度が違う。比較権限の問題だ」と。また「東京周辺で騒ぎが大きくなれば収拾が出来なくなるから操業を停止させた」とも陳述している。

 これが「国の責任」の取り方というものだ。原発立地地方の人たちは、責任を国に丸投げせず、また目先の金に惑わずに、周辺自治体の人たち、将来世代のことも考え毅然(きぜん)たる判断をするべきだ。再稼働を承認する前に、故郷を追い出され4年経った今でも将来の見通しもない避難生活を強いられている福島第一原発事故被災者の話を聞き、そして水俣病の公式確認から60年経ってもいまだに水俣市全体が苦しみもがいている水俣公害事件からも学び、その上で子孫のために賢明な判断をされた方がよいだろう。


東海村JCO臨界事故――脱原発への伏線

 私は2011年の東日本大震災時ばかりでなく1999年にも、我がふるさと東海村が吹き飛ぶ恐怖を村長という立場で味わっていた。東海村JCO臨界事故である。この時に、この国は原発を持つ能力、資格があるのか疑念を抱くことになった。私が東海村再興への最初にとった行動は、公害で痛めつけられ、「環境と健康のまちづくり」を掲げて再起を目指していた水俣市訪問であった。そこで出会ったのが吉井水俣市長で、以来患者さんを含め多くの水俣市民と接する中で、効率や利便追求ではなく環境と人間に視点をおいた地域づくりを学んできた(水俣市の当時の総合計画の標語に「不便を受け入れるまちづくり」というものがあった)。

 福島原発の事故直後の6月ごろから私は脱原発を表明し始めたが、そのきっかけは当時の経産大臣による定検終了後の玄海原発の安全宣言であった。原発事故から3カ月後で福島の現地ではまだ大混乱状態にあり、事故の実態が何も明らかになっていない時点でのことで呆気に取られた。そこでこの国は原発など持つべきではない、持つ能力もないと確信したのであった。

 だが、伏線はJCO臨界事故にあった。事故の究明は、原子力界挙げて全ての責任を原子力産業界の周辺企業JCOに負わせて、検証は早々に打ち切りふたをしてしまった。その後の2007年の中越沖地震でも「止める、冷やす、閉じ込める機能が働いた、日本の原発技術は高い」とばかり高唱し、地震による原発への打撃についてはふたをし、その後原発増強に突き進み、事故の教訓がなにひとつ酌まれることはなかった。2004年のスマトラ沖の海溝型地震からも日本海溝や南海トラフを目の前に控えていながら教訓を得ようともしなかった。福島第一原発事故後も根本は変わってはいない。この国は危ない国である。


■社会的価値、文化的価値が最後を制す

 しょせんは原発による恩恵は「一炊の夢、30年か40年の話である。原発立地自治体の産業は商店を含めて全ての商行為が原発に依存するモノクロ経済社会に化し、自力発展の芽が消えていく。原発が消えれば、周りの自治体と比べても見劣りすることになる。ましてや重大な事故を起こし、核廃棄物処分の見通しもない原発の将来は見えている。早いか遅いかあっても、いずれは原発依存から脱却の道を探らざるを得ないのが立地自治体の宿命である。原発は地域にとって疫病神だと思って間違いない。

 私は原子力発祥の地・東海村の村長であったからという訳ではないが、原子力科学研究それ自体を拒否しているわけではない。今日では原子力科学利用の経済規模は原発などのエネルギー分野と医療や新素材開発などの分野の比率は5:5だそうだ、特に高出力の加速器を利用した先端・基礎科学研究分野での成長は目覚ましい。まさしく21世紀の科学だ。ジュネーブにあるEUの円周30kmの巨大な加速器セルン、東海村のJ―PARC(大強度陽子加速器)などがその施設である。欧米の原子力分野の主力はすでにエネルギー開発からこの分野へ移り、日本よりずっと先を進んでいる。

 JCO臨界事故の直後から、私はそれまでの原子力施設からの金に依存することから地域自らの力によって持続可能な社会を作ろうと村民に呼び掛けてきた。それを称して「一次方程式的発展の時代は終わった、これからは連立方程式を解ける能力をつけよう」と村民に訴え、2005年J―PARCを核とした「高度科学研究文化都市構想」を立て村の指針とした。更にそれを発展させて2012年に「TOKAIサイエンスタウン構想」として現在に至っている。

 構想の主眼は、世界中の科学者、研究者から国際的な研究都市として認知される、そのような社会環境、住環境を整えることである。これは施設からもたらされる固定資産税や電源交付金などの経済的価値を求めるのではなくて、施設や研究機関の持つ社会的価値、文化的価値を重視し、その価値を生かせる地域社会を自らの力でつくろうということである。逆説めいているが、幸いにもJ―PARCは国の研究施設であることから経済的、財政的恩恵はゼロに近い施設である。だが世界の3本指に入る先端基礎科学研究施設であって、社会的、文化的価値は極めて高い。この価値をものにできるかどうか、村民や地域の力量が試される施設である。


過疎化で地方は消滅しない

 ここまで書いてきて、「東海村はいいよ、いろんな施設があって、俺んとこは原発しかないのだ、まちのためには原発が必要なんだ」という大きな声が聞こえてくる。でも福島第一原発事故によって世界は変わった。それ以前とは違うというほかない。「今停止している原発は全部以前どおり動きますか? 動いたとしても遠くない近未来には確実に消えていく代物です。それに今後、恩恵はなく危険だけを共有させられる周辺自治体の住民が立地自治体の意向だけに任せるでしょうか。労せずして金の入る原発依存のシナリオは先が見えているから早くお捨てなさい」と言いたい。

 また、過疎化の進行を止めているのは原発が立地しているからだ、という声もあるだろう。だが原発で過疎化を阻止するのにも限界がある。地方の過疎化は人口減少時代にあるこの国では、どこの地域でも急速に進行している。これは大都市を核に経済効率だけを追求した一極集中政策の結果であって、地方である限りどこでも避けられない。過疎化は自然の流れであると割り切るほかはない。考えを変え、逆転の発想に立てば過疎地こそ21世紀資本主義国日本の先頭を走っているだけとも言える。

 祝島に行ってわかったことだが、瀬戸内の島々の過疎化は想像を絶する。例えば、祝島はかつて3千人以上の人口だったが現在は500人を切り、高齢化率70%、平均年齢70何歳だそうだ。だが、祝島の人は島の歴史伝統、文化を守ってしたたかに存在し続けている。全国各地の限界集落などと言われているところの人たちも、訪ねてみればいたって元気である。政府や中央の学者は数字をもてあそんで「消滅自治体」などと勝手なことを言っているが、全く失礼な話だ。それは人間不在、没文化の形式論理に過ぎない。


■「地方創生事業」ではない、地方の覚醒だ!

 ところが、今の県や市町村はどこもかしこも国の脅かしに屈し、地方創生事業一色になりつつある。アベノミクスと僭称する新自由主義経済の論理を基に官僚が机上で書いた中央主導の地方改革では、むしろ地方の衰退は加速すると危惧する。ましてや国家財政の効率化、国家統治能力強化などの意図から考えられている道州制の導入などがあってはたまったものではない、地方の破壊、国土の荒廃が一挙に進行することは間違いない。

 地方が存続しつづける必須条件は地方の自主性を発揮すること、国家に追随するのではなく地方分権を推進し、住民主体の地方主権を確立することである。山口県周防大島出身で、戦後離島振興法成立に尽力した高名な民俗学者宮本常一は「そこに住んでいるいる人自身が本気にならない限り地域の振興はない」と言っていた。他力依存ではだめだということだ。

 かつての高度成長期の考えの延長線で中央や、大企業、原発などに依存し開発・発展、人口増加を望むのはもはやないものねだりである。地方である、そのこと自体の価値に目覚め、人と環境を重視した考えに徹する――このことが地方のあるべき姿であろう。そうであれば都会で無意味な競争に疲れた人たちは、こうした気概ある、志操の高い地方に大いなる魅力を感じて訪ねてくるはずである。いたずらに発展を、成長を望めば墓穴を掘るだけだと言いたい。

 経済発展に乗り遅れたと言われる日本海側――例えば島根県、鳥取県を訪れたとき、美しいな、豊かだなと思う人は多いのではないか。太平洋側で発展した地方には古いものより急ごしらえの新しいものが勝ってコンクリートジャングルと化している。高層ビルができたとて、いずれは廃棄物の山ではないか。成長発展の恩恵に浴せなかった地方こそ長年引き継がれた文化が歴史建造物ばかりでなく風景自体に残っている。まるでイングランドの田園風景のようだ。これからの時代、人はこうした地方にこそ本物の価値を見いだして寄ってくるはずである。

 福井地裁の大飯原発再稼働差し止め訴訟の、あの判決文は美しい、そして高貴だ。日本国憲法の言葉に匹敵する高貴さだ。日本人でもこういう文章が書けるのだと感動した。原発に依存しないで地方に生きる、生き続けるとは「豊かな国土とそこに根を下ろして生活していることが国富である」、このことに尽きる。


■帝国は必ず滅ぶ、だが地方は残る

 原発がなくなれば当座立地自治体は確かに厳しくなる。だが、福島第一原発事故後の国内の状況、世界のエネルギー政策の動向などを考えれば、脱原発依存の道を探って行かざるを得ない時代が来る。一つ言えることは、日本のある地域が消滅する事故を起こしておいても誰も、どの機関も責任は問われていないということだ。原発推進の世界は本質において事故の前と後で変わっていない。だから今後も地域まるごと長期間原発に依存するということが本質的に危険な話なのである。立地自治体が電力供給に果たしてきたことに誇りがあるなら原発再稼働を求めるだけでなく、エネルギー転換の動きや原発以後の社会をも見据え、政府に対して別の観点からの支援要請を考える時期に来ているのではなかろうか。

 話が横道にそれるが、先の大戦の戦争責任問題も日本人は「戦後復興」の大合唱の中で消し去り、戦争指導者の責任を問うことをしなかった。その問題をないがしろにしたことが今日でも尾を引いている。今年は戦後70年である、「過去に目を閉ざす者は、現在についても盲目となる」とのワイツゼッカー元ドイツ大統領の残した言葉が再び脚光を浴びているが、中国、韓国はじめアジア諸国に多大な損害を与えた私たち日本人としても、我がこととして受け止める、その知性が求められている。

 原発についても同じだ。事故によって生じた「フクシマ」という人類に問いかけられた大きな命題に目を閉ざしてはならない。福島第一原発事故の後で原発を経済的観点からのみ議論するのでは、2022年までに原発全廃を決断したドイツの論理と比べ痛く寂しい。原発依存か、脱原発かの議論は人権尊重の論理や地方主権の観点をも入れて深めていく必要があろう。

 歴史上「帝国」と称したもので滅ばなかったものはない。歴史の定理である。近くは大日本帝国、ヒトラーのドイツ第三帝国、オスマン帝国、遠くはペルシャ帝国、ローマ帝国、モンゴル帝国など枚挙に暇がない。巨大システムは帝国と同じくもろいものだ、原発という巨大システムももろい代物である。GEやウェスティングハウスの原子力部門が日本企業の傘下に入り、ドイツのシーメンスが原子力事業から撤退し、EU最大の電力会社E・ON(エーオン)が主力を再生エネルギー事業に転換したことなどからしても、そう言えないだろうか。

 帝国は必ず滅ぶ。だが、その支配下にあった地方は滅ぶことなく現在につながり、未来につながっていく。あまりにも巨大なシステムであり、人類に対し危険性の高い原発は消えていく必然性があるが、歴史と伝統に培われた地域と英知を働かせることができる住民がいる限り地方は永遠である
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●核発電「事業の未来は明るい」のか?・・・「原子力とは、そういう本質的な脆弱性を内包した電源」

2015年06月06日 00時00分26秒 | Weblog


asahi.comの記事【「高コスト」な原発を推進する理屈】(http://www.asahi.com/articles/ASH5Y5J98H5YUEHF00G.html?iref=comtop_list_pol_f02)。

 「しかしこの最も重要な点での努力が十分に見られない以上、原子力事業の未来は明るいとは言えないだろう」。

   『●核発電=「原発は割に合わない」:
     3.11東京電力原発人災のニッポン、環境倫理学的に許されない


 アレバ社だけでなく、「GE(ゼネラル・エレクトリック)のイメルト会長は、原子力は「商業的には成り立たない」と発言した」。また、「原子力とは、そういう本質的な脆弱性を内包した電源」だそうです。
 リスク論や、そうした経済的な理由だけでなく、そもそも環境倫理学的にも日本には許されないでしょ、核発電なんて。それなのに川内原発を始め再稼働に向けて邁進、2011年の3.11東京電力原発人災って一体何だったんでしょうか?

=====================================================
http://www.asahi.com/articles/ASH5Y5J98H5YUEHF00G.html?iref=comtop_list_pol_f02

「高コスト」な原発を推進する理屈
2015年5月29日18時43分

■高橋洋 (都留文科大学文学部社会学科教授)

 政府のエネルギーミックスを巡る議論が大詰めを迎えている。既に経済産業省の原案は提示されており、2030年時点の原発依存度、すなわち、発電電力量に占める原子力の電源構成は、20~22%を目標とするという。これが実現されれば、原子力事業は復活したと言えるだろう。

 2011年の福島第一原発事故以降、日本では原子力を巡る「二項対立」が続き、現在でも決着がついていない。日本に原子力は必要なのか、必要ないのか? 興味深いのは、この4年間で原子力推進論者による正当化の理屈が変遷してきた点である。本稿では、原子力を正当化する理屈はどのようなものか、考えてみたい。


■1.原子力推進論者による四つの理屈

 2011年の事故直後の理屈は、電力の需給逼迫(ひっぱく)だった。絶対的に供給力が足りないから、停電を回避し、現代の経済社会を維持するには、原子力を動かすしか選択肢がない。これは、人命にも関わる極めて強力な論拠である。

 その結果、2012年夏に当時の民主党政権は、福井県にある関西電力大飯原発2基の再稼働を許可した。しかし結果的に見れば、想定以上に節電が進み、また地域間融通の拡大などもあり、原発ゼロでも安定供給に支障はなかった。その後も節電は定着しており、2013年以降には電力需給は大きな問題とされなくなった。

 第2の理屈は、国富流出論だ。原発ゼロでも電気が足りているのは、余っていた火力発電所を動かしているからに他ならない。その追加的な燃料費が3兆円を超える国富流出を招き、貿易赤字という形で日本経済の足を引っ張っているといったものである。確かに2010年度と2013年度を比べると、燃料費は4兆円増加している。その結果、電力会社は電気料金を値上げせざるを得ない状況に追い込まれ、企業や消費者を苦しめている。このような主張が、貿易赤字が明らかになった2012年度などから頻繁になされるようになった。

 ただこの数値には、注意が必要である。この間、円高や資源高の影響を受け、そもそも燃料費単価が上昇しているからだ。例えば液化天然ガスの単価は62.7%、原油の単価は53.5%(貿易調査統計)上昇しており、燃料費全体を押し上げている。燃料の消費量が2010年度と同じだったとしても、燃料費は2兆円程度増加していた。原発ゼロによる実質的な影響は、半分程度だったのである。

 それでも燃料費は安いに越したことはないし、何よりもエネルギー自給上の危機であることは間違いない。これが、中東からの化石燃料の輸入に支障が出かねないホルムズ海峡問題といった第3の理屈である。確かに、電源の9割を化石燃料という輸入資源に依存しているのは、国家の存立にとって極めて深刻な状況である。これを短期的に解決する手段は、原子力の再稼働しか見当たらないかもしれない。

 ただ、長期的な解決策となれば、話が変わってくる。今般のエネルギーミックスの議論は、2030年を想定している。今から15年後の電源構成を議論しているわけだから、選択肢の幅が広がる。エネルギー自給上最も優秀なのは、純国産の再生可能エネルギー(再エネ)である。国際情勢に左右されることはなく、枯渇の心配もない。燃料費の変動リスクからも解放される。現段階ではコストが高いとしても、機器の大量生産などにより継続的なコスト低減が確実視されている。第4の理屈である二酸化炭素排出量の増大についても、長期的には再エネにより対応可能である。


■2.高リスクという原子力の脆弱(ぜいじゃく)性

 このように福島原発事故は、需給逼迫という安定供給の危機、追加燃料費による経済性の危機、化石燃料依存というエネルギー自給の危機、さらに気候変動問題の危機などを招いた。その解決策は原発の再稼働であり、原子力事業の復活・維持だというのが、原子力推進論者の主張だが、あまり指摘されないのは、どうしてそのような危機が生じたのかということだ。そのような事態を招いたのは、福島原発事故であり、それは原子力固有の脆弱性に起因するのではないか。

 原子力は典型的な集中型電源である。1基当たりの供給力が100万kWなどと巨大で、しかも1カ所に4基、6基と集中して立地している。災害や事故により一つの発電所が停止すれば、600万kWといった電源が一瞬にして失われかねない

 大規模な電源脱落が生じれば、需給逼迫を招くのは当然である。今回は、電力会社がたまたま火力という過剰な「バックアップ電源」を残していたから、国民の節電努力も相まって供給力不足に対応できた。それでも緊急時に大量の石油火力などを稼働させれば、燃料費が跳ね上がるのは避けられない。小売り全面自由化後に、それらのコストを誰が払うのだろうか?

 実はこのような事態は、福島原発事故の前にも生じている。2007年の新潟県中越沖地震により、東京電力は柏崎刈羽原発の7基・821万kWの長期間停止を余儀なくされ、深刻な供給力不足に見舞われた。この際には、他の地域からの電力融通などにより夏のピーク需要期を乗り切ったが、燃料費の負担などにより東京電力は最終赤字に陥った。

 対照的に、分散型電源である再エネは、このような「規模の不経済」から無縁である。集中立地していないため、大規模な電源脱落が生じにくいし、そもそも安全性が高く、規制強化や住民の反対により、急に稼働が左右される余地が小さい。再エネはよく「不安定」と批判されるが、年間の稼働率で見れば極めて安定している。東日本大震災の折にも、風力発電は基本的に運転を継続した(日本風力発電協会プレスリリース「東北地方太平洋沖地震による風車への影響について」、2011年3月16日)。

 要するに、原子力は事業として本質的に高リスクであり、だからこそ高コストだと言える。過酷事故の直接的被害だけが問題なのではない。放射性廃棄物の最終処分や、核燃料サイクルの行き詰まりといった問題も含めて、最終的にいくら費用がかかるか、誰もわからないのである。だから原子炉メーカーであるGE(ゼネラル・エレクトリック)のイメルト会長は、原子力は「商業的には成り立たない」と発言した(日本経済新聞、2013年10月10日)。

 そしてこのような脆弱性は、40年に一度、いや、80年に一度の過酷事故の時のみに顕在化するのではない。使用済み核燃料の貯蔵所がいっぱいになれば、それ以上の運転はできない。住民の反対運動により、裁判所の判断により、運転ができないこともあるだろうし、安全規制のバックフィットにより、巨額の追加対策費がかかることもあり得る。非科学的な理由で、政治的に停められることもあるかもしれない。それを批判するのは自由だが、それも含めて電源のリスクになる原子力とは、そういう本質的な脆弱性を内包した電源なのだ。


■3.原子力は安いのか?

 福島原発事故を経て、高リスク・高コストという原子力に固有の脆弱性が顕在化した。このままでは、とても事業として成り立たない。それを最も認識しているのは、他ならぬ原子力事業者であろう。だからこそ、「新たな国策民営」のあり方が求められ、政府は2014年6月から原子力小委員会の場で、原子力への支援策の議論を始めた。

 その具体案は、廃炉時に資産償却を特別損失として一括計上せずに、その後10年間にわたって繰り延べること、現行の原子炉等規制法上、事業者の無過失・無制限である損害賠償責任を見直すこと、追加安全対策に2.4兆円(日本経済新聞、2014年12月4日)といった費用が発生していることを踏まえて、再エネの固定価格買い取りに似た収入保証制度(差額決済契約制度)を導入すること、などである。

 この中でも、イギリスが導入しようとしている低炭素電源向けの差額決済契約制度(CfD:Contracts for Difference)が、原子力小委員会で紹介されたことは、極めて興味深い。これは、事前に基準価格(strike price)を公定した上で、発電事業者には自由市場における売電が求められる。その際、市場売価は変動するため、基準価格より下回ればその差額を受け取り、上回ればその差額を支払うというものである。これにより発電事業者には、基準価格×発電電力量=売電収入が、実質的に保証される。

 この制度は、価格変動を受ける売電収入を平準化するのが目的であり、特段原子力への補助ではない(従って、原子力は高くない)との指摘がある。確かに、基準価格を市場価格の平均程度に設定すれば、平準化のみが目的となる。しかし、それで原子力の高コストが賄われるはずがないし、その程度のものなら必要ないはずだ。再エネの固定価格買取制度は批判するのに、CfDは評価する論者もいるが、イギリスではこの制度の主たる対象は再エネであることを、ご存じないのだろうか

 実際にイギリスのCfDの原子力の基準価格は、大規模太陽光よりは安いが、陸上風力よりも高い。その上、原子力の保証期間は再エネの2倍以上であるため、長期的には原子力の優遇内容は、太陽光よりも大きくなるはずだ。筆者は、このCfDが適用される原子力事業者にヒアリングをしたことがあるが、原子力は高リスク・高コストであるため、これ以上の基準価格を保証してくれなければ、事業に取り組めないと明言していた。福島原発事故後も、エネルギー自給や低炭素という原子力の価値を評価する国は少なくない。しかし、原子力が安いという指摘は、少なくとも先進国では(フランスを除いて)筆者は聞いたことはない

 そのフランスでも、原子力の高リスク・高コストが問題となっている。世界最大の原子力専業メーカーであるアレバが、4期連続で最終赤字を計上した。フィンランドでの最新鋭の原発の建設が大幅に遅れ、建設費が当初見積もりの3倍近くになり、その超過分の支払いについて責任問題に発展している。福島事故後の世界的な原子力気運の低迷も影響し、将来展望を描けない

 その結果、アレバの99%の株式を所有するフランス政府は、同じく国営の電力会社EDFによる救済を模索しているが、難航している。「国策国営」のフランスですら、原子力事業の継続は困難なのだ

 そのような中で、日本は「発電(運転)コストが低廉」な原子力事業を復活させるのだという。そのために、イギリスにならって支援策が必要だという。

 ところが、イギリスのCfDはあくまで新設に対する補助策であることに、注意されたい。自由化先進国のイギリスでは、高リスクの原子力は、1995年以降新設がなく、老朽化が進んでいる。低炭素電源の原子力を長期的に維持するために、再エネと同様に初期投資を促す趣旨だ。しかし日本では、原子力の新増設やリプレースを考えていないと、政府が明言している。その前提に立てば、設備投資が終わっている既設にCfDを導入することになるが、もしそのようなことが起きれば、原子力が安いという理屈は完全に破綻(はたん)する。


■4.「ベースロード電源」という新たな理屈

 このように、「安価神話」も崩れつつある原子力を正当化する最後の、最新の理屈が、「ベースロード電源」だ。ベースロード電源という概念自体は以前からあったが、これが積極的に援用されるようになったのは、2014年のエネルギー基本計画からである。

 この中で政府は、ベースロード電源を、「発電(運転)コストが、低廉で、安定的に発電することができ、昼夜を問わず継続的に稼働できる電源」と定義し、原子力を「重要なベースロード電源」と位置付けた。その上で、2015年1月からのエネルギーミックスの議論において、安定供給のためにはベースロード電源が6割は必要という理屈を持ち出した。ベースロード電源のうち、水力や地熱は現状の1割程度から大きく増やすことが難しく、石炭も温室効果ガスの制約から3割が限度であるため、引き算で原子力が2割は必要になるというのである。

 本来ベースロードとは需要のことで、需要曲線の下層に位置する、24時間続く最低限の部分を指す。

 電力需要は時間帯に応じて変動するため、全ての電源を24時間動かし続けるわけにはいかない。限界費用が低い(逆に初期費用が大きい)原子力や石炭火力を、ベースロード電源として優先的に稼働させ、次に限界費用が低いガス火力はミドルロード、石油火力や揚水がピークロードに対応してきた。この給電順位がメリットオーダーである。

 しかし、原子力などがベースロード電源で、これを一定割合以上維持しなければならないというのは、国際的に見れば時代遅れの考え方である。(水力を除けば)再エネがわずかであった時代にはそれが一般的だったが、再エネが20%を超えるような時代には、ベースロード電源という概念そのものが、崩壊しつつある。なぜならば、第1に、風力、太陽光、そして旧来からの水力といった再エネこそ、燃料費ゼロで、原子力以上に限界費用の低い、従って優先的に給電すべき電源だからである。第2に、その結果、原子力や石炭火力の給電順位が劣後し、出力調整運転が一般的になっているのである。第5回長期需給見通し小委員会(2015年3月27日)では、ベースロード電源の重要性に関する説明に時間が費やされた。諸外国は、日本政府が定義するベースロード電源の比率が「6割~9割」なのに対し、日本も福島原発事故前は6割以上あったが、事故後は4割に下がっており、「国際的にも遜色ない水準で確保することが重要」としている。しかし、諸外国の状況はあくまで現在の話であり、2030年時点の目標値ではない。

 例えばドイツでは、2030年に再エネ50%を目標にしており、2014年時点で28%に達している。そのうちベースロードと呼ばれてきた水力や地熱は5%弱であり、2030年時点でもあまり増えない。従って、残りの45%は風力、太陽光、バイオマスなどが占める予定で、この時点で原子力は0%になっている。2050年には脱石炭も目指しているため、2030年の時点でどう計算してもベースロードは30%程度にしかならない。また、イタリアやスペインは、現時点で既にベースロードが50%を下回っており、今後さらに風力や太陽光を増やす。

 脱原発かどうかは別にして、先進諸国はいかにして再エネの割合を増やすか、その反面石炭火力や原子力を減らすかという競争をしている時に、日本だけがいかにして後者を維持するか、そのために前者を抑制するかという議論をするのは、極めて違和感がある目的と手段を取り違えているのかとも思える。


■5.再エネは不安定?

 原子力推進論者が原子力を正当化する背景にある理屈は、再エネは不安定だということと思われる。原子力にもさまざまな問題はあるが、再エネに頼れない以上、原子力を使い続けるのが現実的だという、消極的な理屈である。その意図が、前述の「安定的に発電することができ」というベースロードの定義にも反映されている。では、本当に再エネは不安定なのだろうか?

 欧州でここ数年の間に積極的に取り組まれているのは、変動電源に対応した新たな系統運用の確立である。確かに旧来の考え方に基づけば、変動電源を大量に導入すること、しかもそれを優先的に給電することは、異例であり、容易ではない。しかし、系統運用の手法や技術を革新することにより、変動電源を安定的に電力システムに統合できる。Wind integrationやSolar integrationといった分野が、欧州の電力ビジネスの最前線として盛り上がっているのである。

 そのキーワードは、Flexibility(柔軟性)である。これまでは、需要側が奔放に変動するため、供給側の、特に石油火力や水力の負荷追従性に大きく頼って、需給バランスを取ってきた。再エネが増えてくると、これら旧来の手段だけでは足りないので、さまざまな手段によって柔軟に対処しようというのである。例えば、旧来のベースロード電源である石炭火力や原子力も出力調整運転する、需要家のサイトに立地しているバイオマスコジェネも調整運転する、一国内で供給過剰な場合には隣国へ送電する(広域運用)、気象予測を精緻(せいち)化して変動電源の出力予測の精度を高める、需要側の調整力、すなわちデマンド・レスポンスも活用する、といった具合である。今後さらに風力が増えれば、夜間に大量の余剰電力が生まれるため、これをガス化して貯蔵するPower to Gasの実証実験も行われている。

 残念ながら、水力を除く再エネが2%しか入っていない日本では、このような議論はほとんどなされておらず、技術開発も進んでいない。再エネの変動性といえば、お得意の蓄電池で対処するものと、相場が決まっているようである。だから再エネは高コストだという理屈も付いて回る。そして、欧州における上記の取り組みの主役である独立した送電会社が、日本にはそもそも存在しない。だからこそ、予想以上の太陽光の系統接続の申し込みに対して、接続上限を設け、無制限・無補償の出力抑制で対処することになった欧州の優先給電とは対照的に、再エネの導入自体を抑えようとしているのだ


■6.最後に、原子力の安全性は?

 このように原子力を正当化する理屈を検証してくると、筆者にとって説得的と思えるものがない。原子力には極めて課題が多いのに、既にそれらが顕在化して大問題となっているのに、正面から取り組むのではなく、旧来の理屈で乗り切ろうとしているかのように、感じられてしまう。

 あえていえば、原子力は、エネルギー自給や気候変動上の問題の短期的な解決策にはなるかもしれない。しかしそれは、いくつかの原子炉を限定的に再稼働させるという話であり、2030年やそれ以降の電源構成の話ではない。やはり長期的には、原子力は持続可能ではないと言わざるを得ない。それは、福島原発事故前から、先進諸国では一般的な認識となっていた。1990年代の電力自由化以降、高コスト・高リスクの原子力は、気候変動問題の顕在化にもかかわらず、成長しない事業になっていたのである。

 最後に、多くの国民が最も気にしているのは、やはり原子力の安全性であろう。原子力推進論者は、この点についてこそ積極的に正当化を試みるべきである。

 しかしながら、エネルギー基本計画でも、「長期エネルギー需給見通し骨子(案)」(2015年4月28日)でも、この点について具体的に触れられていない。「3E+S」、「安全性の確保を全てに優先」といった接頭語は何度も記されているが、「世界で最も厳しい水準の規制」がある以上は、あとは原子力規制委員会の「判断を尊重」すべきで、介入してはならないという態度のように思われる。「原子力事業者」は「安全文化の醸成」にどう取り組むのか、具体策は、「原子力リスク研究センター設立」ぐらいしか挙げられていない。

 もし原子力をどうしても推進したいのであれば、この安全性の点にこそ積極的に取り組むべきと考える。国民から、消費者から、失った信頼を取り戻さなければ、原子力の最大のリスクが低減されることはなく、事業として持続可能ではない。全ての消費者が電力会社を選べるようになる、2016年の小売り全面自由化後は、なおさらである。しかしこの最も重要な点での努力が十分に見られない以上、原子力事業の未来は明るいとは言えないだろう。

     ◇

 津田大介さんが運営する政治メディア「ポリタス」の論考を掲載しています。http://politas.jp/
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●玄海原発「MOXの安全性の立証」はできたのか!? 「プルトニウムは飲んでも大丈夫」だから??

2015年03月22日 00時00分12秒 | Weblog


毎日新聞の記事【玄海原発:MOX燃料使用差し止め請求を棄却 佐賀地裁】(http://mainichi.jp/select/news/20150321k0000m040152000c.html)。

 「波多江真史裁判長は「重大事故の危険性は認められない」として請求を棄却」。
 九電あるいは原子力「ムラ寄生」委員会は「MOXの安全性の立証」をできたの!? 裁判長はそれを納得? 「プルトニウムは飲んでも大丈夫」だから?? この裁判長の名は記憶されなければいけない。

   ●玄海原発プルサーマル
        賛成派質問者8人中7人が仕込みだった!

   『●ババをつかまされた!?

==============================================================================
http://mainichi.jp/select/news/20150321k0000m040152000c.html

玄海原発:MOX燃料使用差し止め請求を棄却 佐賀地裁
毎日新聞 2015年03月20日 23時50分(最終更新 03月21日 00時00分)

     (佐賀地裁前で「不当判決」の旗を掲げる原告
      =佐賀市で2015年3月20日午後3時13分、松尾雅也撮影)

◇「重大事故の危険性は認められない

 九州電力玄海原発3号機(佐賀県玄海町)のプルサーマル発電で用いられるプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料の使用差し止めを、市民が求めた訴訟の判決が20日、佐賀地裁であった。波多江真史裁判長は「重大事故の危険性は認められない」として請求を棄却した。市民側は控訴する方針。

 九電は2009年、国内初のプルサーマル発電の営業運転を始めた。これに対し、反対する市民がMOX燃料は従来の原発の燃料のウランより制御が難しく、重大事故につながる使用済みMOX燃料の処理方策が決まっておらず長期保管されることになり、健康、環境被害の危険性がある−−などと主張し、10年8月に提訴した。原告団は九州7県の129人。

 判決は、ウランとMOX燃料は同等と評価でき、市民側が主張する燃料溶融や原子炉容器破壊の危険は認められないと指摘。使用済みMOX燃料の保管についても貯蔵設備は原子力規制委員会などの基準を満たしており「具体的危険が立証されていない」として市民側の主張を退けた。

 MOX燃料に対する司法判断としては、01年3月に福島地裁が、東京電力福島第1原発3号機での使用差し止めを求める仮処分申請を却下している。

 国内のプルサーマル発電は福島第1原発や四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)、関西電力高浜原発(福井県高浜町)でも運転が始まったが、11年の福島第1原発事故以降すべて停止した。

 玄海原発のプルサーマル導入を巡っては、05年の佐賀県主催の公開討論会で、九電側が計画推進のための「仕込み質問」や社員らの動員をしていたことが11年に発覚。県議会は今年3月、県の対応を批判する決議を可決した。【生野貴紀、岩崎邦宏】


 九州電力のコメント MOX燃料使用に関し安全性を確保しているとの当社の主張が認められ、妥当な判決だと考えている。更なる安全性、信頼性向上への取り組みを自主的、継続的に進める。

 原告団の石丸初美団長の話 不当な判決で怒りがこみ上げてきた。原発の問題は命の問題で、経済の問題ではない。ここで諦めることはできず、怒りをエネルギーにして闘っていきたい。


◇MOX燃料とプルサーマル

 使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを抽出し、ウランと混ぜたものがMOX燃料と呼ばれる。プルサーマルはMOX燃料を通常の原発(軽水炉)で使用することを意味する造語。国のエネルギー基本計画は核燃料サイクルの推進を基本的指針としており、プルサーマルはその一環として位置づけられている。


◇専門家「処分方法を議論する必要ある」

 玄海原発3号機のMOX燃料使用差し止めを求めた訴訟で佐賀地裁は原告の請求を棄却し、国が進めるプルサーマル計画にお墨付きを与えた格好となった。しかし、使用済みMOX燃料の最終処分のめどはたっておらず、専門家からは「核燃料サイクルの継続でなく、処分方法を議論する必要がある」と慎重さを求める声もあがる。

 福島第1原発事故後、全国の原発は停止しているが、プルサーマル発電を実施していた高浜原発は今年2月、原子力規制委員会の新規制基準に基づく安全審査に合格し、11月の再稼働に向けた準備が進むJパワー電源開発)が青森県大間町で建設を進める大間原発は全炉心にMOX燃料を使う世界初のフルMOX商業炉だ。

 だが、使用済みのMOX燃料は通常の原発の使用済み燃料より扱いが難しいとされ、その最終処分は方策すら決まっていない状態。今回の訴訟で市民側は「使用済み燃料が長期保管されれば、漏えいや地震による事故の恐れがある」と訴えていた。

 元内閣府原子力委員長代理の鈴木達治郎・長崎大核兵器廃絶研究センター教授は「プルサーマルはプルトニウムの在庫を減らす唯一の現実的な選択肢だが、使用済みMOX燃料の行き先が決まっていないのが一番の問題だ」と懸念している。【生野貴紀、岩崎邦宏】
==============================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●消えゆく「事故を思い出して原発を議論するきっかけになるもの」 ~「原子力 破滅 未来のエネルギー」~

2015年03月12日 00時00分27秒 | Weblog


asahi.comの記事【双葉町、原発の広報塔撤去へ 事故後に補修できず劣化】(http://www.asahi.com/articles/ASH395RP4H39UGTB00Z.html?iref=comtop_6_01)と、
東京新聞の記事【双葉町「原発看板」撤去へ 「記憶消す」反対も】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000256.html)。
東京新聞の記事【原発政策 日独落差 独メディア質問「日本なぜ再稼働」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000129.html)。

   ●東電原発人災の3.11を再び目前に:
      「原発事故調書 原因不明、責任不在」でも再稼働できる神経を疑う

   『●3.11東京電力原発人災から4年:
      虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」


 「東京電力福島第一原発が立地し、4年前の原発事故で全町民が避難を続ける福島県双葉町は、町内にある二つの広報塔を撤去する方針を決めた。いずれも両面に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力郷土の発展豊かな未来」などの標語が書かれている」。
 原発を再稼働したい「地元」はよく噛みしめるべきだ。薩摩川内高浜大飯大間玄海・・・・・・「地元」の人たちは、本当にこのままで良いと思っているのか? ドイツのメルケル首相の話に耳を傾けてはどうか?

   『●「豊かな玄海町」へ:
      「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力正しい理解で豊かな暮らし」


 「かつて「原子力 明るい未来のエネルギー」の標語を応募した大沼勇治さん(39)は事故で双葉町から茨城県古河市に移り住んでいる。「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語った」。
 「原子力  破 滅  未来のエネルギー」。

   『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」
                  ・・・・・・いま、その〝少年〟は?


 「震災後の原発政策は対照的・・・・・・会見では、ドイツのメディアが「ドイツは福島の事故を受けて脱原発にしたのに、日本はなぜ再稼働を考えるのか」と素朴な疑問をぶつけた」。
 恥ずかし過ぎるアベ様・・・・・・本来、ニッポンが脱原発を世界中に訴えないといけないのに、「東電原発人災の3.11を再び目前に、「原発事故調書 原因不明、責任不在」でも再稼働できる神経を疑う」。逆に、呼び掛けられるなんて恥ずかしい。そして、それに答えられない、応えられないこと、さらなる「恥」だ

   『●烏賀陽弘道さん『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了
     「「Nucler=核=原子力」を納得させられる。「核=悪」、「原子力=善」を
      使い分けてきた我国、世界でも稀なその独特の心理。でも、その本質は
      全く同じであり、「核兵器=原子力発電」。ヒロシマナガサキの「被害者
      としての感情の陰に、戦争の加害者」としての反省が曖昧にされたこと。
      そして、東京電力原発人災で核技術の加害者」となったことへの戸惑い。
       「兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。
      その双子の兄弟「原発」・・・・・・」。そう両者は双子の兄弟」

==============================================================================
http://www.asahi.com/articles/ASH395RP4H39UGTB00Z.html?iref=comtop_6_01

双葉町、原発の広報塔撤去へ 事故後に補修できず劣化
根岸拓朗 2015年3月10日07時50分

     (撤去の方針が決まった広報塔。周辺は帰還困難区域であるため、
      バリケード(手前)で立ち入りが制限されており、歩く人の姿はない
      =9日午後、福島県双葉町)


(↑まことに勝手ながらコピペさせて頂いております
 【http://www.asahi.com/articles/photo/AS20150309004115.html】)

 東京電力福島第一原発が立地し、4年前の原発事故で全町民が避難を続ける福島県双葉町は、町内にある二つの広報塔を撤去する方針を決めた。いずれも両面に「原子力 明るい未来のエネルギー」「原子力 郷土の発展 豊かな未来」などの標語が書かれている。

 9日の町議会定例会で、撤去工事の費用約410万円を盛り込んだ新年度一般会計予算案を提出した。

 広報塔は1988年と91年に町が一つずつ整備した。原発と地域の共存共栄をうたうため、町が町民から標語を募った。

 事故後は周辺の放射線量が高いため補修ができず、次第に劣化。町は今回、住民の一時帰宅や業者の除染の際に強風で部品が落ちて人や車に当たる危険があるとして、撤去を決めた。

 かつて「原子力 明るい未来のエネルギー」の標語を応募した大沼勇治さん(39)は事故で双葉町から茨城県古河市に移り住んでいる。「壊すのは簡単だが、事故を思い出して原発を議論するきっかけになるものだと思うので、残してほしい。町の歴史が消されてしまうように感じる」と語った。(根岸拓朗)
==============================================================================

==============================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000256.html

双葉町「原発看板」撤去へ 「記憶消す」反対も
2015年3月10日 夕刊

 東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町は、町の帰還困難区域内の道路に設置されている原子力推進に関する広報看板二枚の撤去を決めた。看板には「原子力明るい未来のエネルギー」=写真、2014年11月撮影=などと書かれ、第一原発の立地町を象徴していた。

 老朽化が進んでいる上、避難が続き安全点検ができないことが撤去の理由。九日開催の町議会に提出した二〇一五年度予算案に撤去費用約四百十万円が盛り込まれた。可決されれば、八月ごろから撤去の工事が始まる。

 町によると、看板は原発の理解促進のため、町民からの公募で標語が選ばれ、一九八八年三月に設置。

 町体育館近くの看板には表と裏に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表記。役場近くのもう一枚は、九一年三月に設置され「原子力豊かな社会とまちづくり」「原子力郷土の発展豊かな未来」と書かれている。

 小学六年の時に「原子力明るい未来のエネルギー」の標語が選ばれた自営業大沼勇治さん(39)=茨城県古河市在住=は「撤去には反対。原発を推進してきた町の歴史や、事故の記憶を消すことになる。修繕して、原発を考えるきっかけとして残してほしい」と話した。
==============================================================================

==============================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000129.html

原発政策 日独落差 独メディア質問「日本なぜ再稼働」
2015年3月10日 朝刊

 安倍晋三首相は九日の日独首脳会談後の共同記者会見で、原発再稼働を進める日本政府の方針をあらためて明言した。一方で、メルケル首相は会談に先立つ東京都内の講演で、東京電力福島第一原発事故を受けて脱原発に転換したドイツ政府の方針を説明。首脳会談では話題にならなかったが、震災後の原発政策は対照的だ。

 会見では、ドイツのメディアが「ドイツは福島の事故を受けて脱原発にしたのに、日本はなぜ再稼働を考えるのか」と素朴な疑問をぶつけた。

 これに対し、安倍首相は「再生可能エネルギーはまだわずか。国民に対し低廉で安定的なエネルギーを供給していく責任がある」と説明。原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発は「再稼働していきたい」と従来の方針を繰り返した

 メルケル首相が会見で原発政策に触れる場面はなかったが、この日の講演では福島の事故に関し「(原発に)リスクはあることを如実に示した」と断言。来日前には、ドイツ政府のホームページで「日本も(ドイツと)同じ道を歩むべきだ」と呼び掛けている。

 メルケル首相はもともと原発推進論者。だが福島の事故後、二〇二二年までに国内の全原発を廃炉にする方針を決めた。再生エネルギーの導入も進め、一〇年に総発電量の17%だった再生エネは一四年に27%に達した。

 原発事故のあった日本では、これと逆の道をたどっている。安倍政権は昨年決定したエネルギー基本計画に「原発は重要なベースロード電源」と明記し、再稼働を進める。日本の再生エネ比率は、一三年度時点で二年前と比べて2ポイント増の11%にとどまっている。

 安倍首相は共同会見で、ドイツを「グローバルパートナー」と持ち上げたが、原発政策に関してはパートナーとは言えない。 (上野実輝彦)
==============================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「死の灰」を回避し得ない上に、「発電機能付き湯沸し装置」では温暖化は止まらない

2015年02月16日 00時00分29秒 | Weblog


東京新聞の社説【原発比率 温暖化を口実にするな】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015021202000174.html)。

 「原発は可能な限り減らして、再生エネルギーの導入は最大限-。これが原則だったはず。原発がなければ、温室効果ガスは減らせないのか。地球温暖化対策を原発依存の口実にしてはならない」。

   ●関西電力の「原発再稼働」への言い訳にさせてはいけない
   『●誰も責任をとらない自民党議員
       ・・・・・・3.11東京電力原発人災以前に逆戻りしていて大丈夫?


 「地球温暖化防止の切り札が原子力発電」?? ご冗談を。『不都合な真実』で、原発再稼働へと誤誘導し、破滅へと引きずり込んでいるのは?、一体誰だ? 「原子力=核」発電所は「巨大な「海暖め装置」」、地球温暖化に直接的に大きく貢献している。
 「たかが電力のために」、「発電機能付き湯沸し装置」=「死の灰」製造装置を一秒たりとも稼働させてはいけない。

   ●「京都議定書の失敗」をあなたたちに言われたくない
   『●『ウォーター・マネー/「水資源大国」日本の逆襲』読了(4/5)
   『●非常時だけでない、恒常的な被爆労働・犠牲でしか
            成り立たない原発という特殊な発電システム

   『●東京電力は、これまでさんざん安いと喧伝してきた
          発電機能付き湯沸かし器の値上げをするそうです


==============================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015021202000174.html

【社説】
原発比率 温暖化を口実にするな
2015年2月12日

 原発は可能な限り減らして、再生エネルギーの導入は最大限-。これが原則だったはず。原発がなければ、温室効果ガスは減らせないのか。地球温暖化対策を原発依存の口実にしてはならない。

 ベストミックスとは、その時代の要請に適切に対応できる電源の組み合わせのことを言う。

 二〇三〇年のベストミックスを話し合う経済産業省の小委員会は、焦点の原発比率について、15~20%を軸に検討を進めている。この数字には問題がある

 政府は昨年四月に閣議決定したエネルギー基本計画で、石炭や地熱などとともに「重要なベースロード電源」と位置付けた。

 運転コストが「低廉」で変動も少なく、運転時には二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出もない-というのが、その理由である。

 ただしそれには、福島の教訓を踏まえた条件があるはずだ。

 エネルギー基本計画に原発依存は「省エネルギー・再生可能エネルギーの導入や火力発電所の効率化などにより、可能な限り低減させる」と明記されている。

 また、原発の運転期間は法律で、原則四十年に制限されている。脱原発依存、再エネ推進、そして四十年廃炉の原則が、大前提なのである。

 経産省の試算によると、四十年廃炉の原則を貫く限り、原発が総発電量に占める割合は二八年に約15%になるという。新増設なしに20%はあり得ない。20%を掲げるということは、脱原発依存の旗を降ろすことにならないか

 電力会社は、再生可能エネルギーの高コスト、不安定さばかりを強調する。ところが多くの電力消費者は、安全や廃棄物対策を考慮に入れれば、原子力が決して安価でも、安定的でもないことを、福島の事故を見て知った。そこで温暖化対策が、原発推進の切り札にされつつある。

 温暖化対策の国際会議をリードするのは、三〇年までに一九九〇年比40%削減という高い目標を掲げた欧州連合(EU)だ。

 そのEUをリードするドイツでは福島の事故後、原発から再生エネへの大転換を進めることで新産業を育成しつつ、温暖化対策にも弾みをつけている。再生エネを増やせばCO2は減る。

 脱原発依存と再エネ導入による温暖化対策の推進こそ、福島の事故を経験した国民の声や時代の要請に対応する、日本のベストミックスなのではないか。
==============================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●柏崎刈羽原発を再稼働したい東電の「管理能力を疑う声」って・・・何をいまさら言ってるのでしょうか?

2015年01月29日 00時00分10秒 | Weblog


東京新聞の社説【年のはじめに考える 原発ゼロへの再出発】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015011002000176.html)。
読売新聞の記事【東電の管理能力疑う声相次ぐ…柏崎市議会全協】(http://www.yomiuri.co.jp/national/20150123-OYT1T50074.html)。

 「3・11以前にも勝る原発過保護が始まったのか。福島の事故など、なかったように。後ろ向きに時代の坂を駆け降りる、そんな新年にしてはいけません。やっぱりゼロが焦点でしょう・・◆なぜ公開を拒むのか」。
 「原発事故調書 原因不明、責任不在」・・・・・・川内原発再稼働なんてやってる場合か! ましてや東電の柏崎刈羽なんてとんでもない!!

   『●「原発事故調書 原因不明、責任不在」:  
          川内原発再稼働なんてやってる場合か!


 「昨年末から各地の発電所で事故が続いていることもあり、市議からは東電の管理能力を疑う声が相次いだ」。
 何をいまさら。「タコネズミイタチモグラ・・・・・・」で十分に確認済みでしょ? 暴走するゾウゴジラを解き放とうという「」にいい加減に気付かないかな!?

   『●世界に向けて「汚染水漏えい問題はない」
                 と言い切ってしまったょ・・・・・・


==============================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015011002000176.html

【社説】
年のはじめに考える 原発ゼロへの再出発
2015年1月10日

 3・11以前にも勝る原発過保護が始まったのか。福島の事故など、なかったように。後ろ向きに時代の坂を駆け降りる、そんな新年にしてはいけません。

 やっぱりゼロが焦点でしょう。

 新年六日、東京電力の広瀬直己社長が新潟県庁を訪れ、泉田裕彦知事と一年ぶりに会いました。

 柏崎刈羽原発の再稼働に理解を求める広瀬社長に、泉田知事は、政府の事故調査・検証委員会による調書のうち、勝俣恒久会長ら当時の東電役員分を公開するよう要求した。

 広瀬社長は「同意するかどうかは個人の問題」と、それをはねつけました。


◆なぜ公開を拒むのか

 勝俣氏らは、なぜ、かたくなに公開を拒むのでしょう。口を閉ざせば閉ざすほど、原発の安全性に疑念が募るというのに、です。

 泉田知事は「それでは、安全性の議論はスタートラインに着けない」と断じています。

 事故のさなかに、東電トップが何を考え、どんな判断を下して、どのような指示を出したか。そんなことも分からないまま、知事として県民に、原発の安全性を説明できるわけがありません。再稼働に同意できるわけがない。

 安全性の議論は、まだ始まってもいない-。泉田知事の立ち位置は、新潟県民だけでなく、国民の多くが抱く不安の代弁だと言えるでしょう。

 原子力規制委員会は、九州電力川内原発や関西電力高浜原発が、3・11後の新たな規制基準に適合するとは言いました。しかし、安全を保証してくれるという人は、まだ誰もいないのです。

 政府は原発から三十キロ圏内の自治体に、避難計画を策定するよう義務付けました。

 どこへどうやって逃げるのか。ほとんどの市や町が、苦慮しています。そもそも、本当に安全なら、どうして避難計画が必要なのか。原発事故は二度と起こしてはならないものではないですか。

 昨年夏の電力需要期は、原発なしで支障なく乗り切った。この冬も電気が不足する気配はありません。それなのに、政府と電力業界は、再稼働への道のりをひたすら急ぎます。年末の衆院選の前後から、その足取りは加速しました。

 四月に閣議決定された国の新たなエネルギー基本計画は、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた。一方で「原発依存については、可能な限り低減させる」と明記しました。将来的には、できるだけゼロに近づけるという意味ではなかったでしょうか。


◆安全配慮というよりは

 ところが自民大勝に終わった衆院選後、「重要なベースロード電源」だけが独り歩きし始めます。原発ゼロをめざすどころか、原発神話の復活と永続を意図したような、政府のあからさまな“原発びいき”が目立ちます。

 暮れに開かれた原子力政策の方向性を議論する経済産業省の小委員会では、老朽原発を廃炉に導く一方で、敷地内で建て替え(リプレース)を進めるべきだとの意見が多く出ました。

 四十年を超えて原発を運転するには、規制委の特別点検を受ける必要があり、安全対策を含めて一基一千億円以上の費用がかかるとされています。電力各社は、日本原電敦賀原発1号機など、五基の廃炉を検討しています。出力三十五万キロワットから五十五万キロワットという小型のものばかりです。

 安全配慮というよりは、もうけの少ない小型を整理して、大型に置き換え、効率よく利益を生み出そうとの考え方が基本にある。その先には新増設さえ、見え隠れし始めました。これでは原発依存を解消できるはずがありません。

 このほかにも原発の優遇策は、小委員会の話題になりました。たとえば価格保証です。

 来年、家庭用電力の小売りが自由化され、原発を擁し、地域独占を謳歌(おうか)してきた電力会社も競争にさらされる。原発の電気が消費者に支持されず、市場価格が一定の水準を下回った場合には、差額を補填(ほてん)する仕組みを設けるべきだという。原発の運転コストは安いはずではなかったか。なりふり構わぬ原発過保護ではないか。

 3・11被災者の悲哀を忘れ、福島の事故など初めからなかったかのような原発依存への急旋回は、一体誰のためでしょう。


◆国民的議論がないと

 逆流する時間を止めて、私たちは何をすべきでしょうか。

 泉田知事の言うように、まずは事故原因の徹底的な究明です。そして情報公開です。それに基づく科学的判断と国民的議論です。安全か、安全ではないか。最後に決めるのは、私たち国民です。

 人は痛みを忘れることで過ちを繰り返す。新しい年を忘却と後戻りの年にしてはなりません。
==============================================================================

==============================================================================
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150123-OYT1T50074.html

東電の管理能力疑う声相次ぐ…柏崎市議会全協
2015年01月24日 10時00分

 東京電力は22日、新潟県柏崎市議会全員協議会で原子力規制委員会による柏崎刈羽原子力発電所6、7号機の安全審査の状況を説明した。

 昨年末から各地の発電所で事故が続いていることもあり、市議からは東電の管理能力を疑う声が相次いだ。

 規制委に同原発の安全審査を申請した2013年9月以降、東電が地元で説明会を開くのは初めて。

 冒頭、姉川尚史常務が昨年12月中旬の中津川第一発電所からの漏水が原因とみられる土砂崩れや、今月19、20日に福島第一、第二原発で協力企業社員の死亡事故が相次いだことなどについて、「申し訳なく痛恨の極み」と陳謝した。その後、川村慎一原子力設備管理部長がこれまで受けた審査の内容や、防潮堤などの新たな設備について説明した。

 質疑では、10日に信濃川電力所湯沢発電所で屋根が崩落した事故について、宮崎孝司市議が「原発より管理が容易と思われる水力発電所での事故。説明は信用できない」と強く批判。星野正仁市議は「しっかり(事故を)検証しながら今後こういうことがないようにしてほしい」と述べた。

 また、22日夜には市産業文化会館で住民説明会が開かれ、市民約140人が参加した。市内の男性は「福島の事故の原因がはっきりしていない中での説明会。再稼働に着々と進んでいるようだ」と東電の姿勢を批判していた。
==============================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●責任ある答えの提示を: 大間「世界初のフルMOX原発」の強烈な「死の灰」の処理・処分は何処で?

2015年01月13日 00時00分36秒 | Weblog


河北新報の記事【<核のごみ・現と幻>使用済みMOXどこへ/(下)再処理への憂い】(http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201412/20141224_13010.html)。

 「大間原発は全炉心でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使う世界初の「フルMOX」炉で、工事進捗(しんちょく)率は11月末時点で約38%。未完成原発の審査申請は初めてだ・・大間原発から出る使用済みMOX燃料は、青森県六ケ所村の再処理工場では扱えず、新たな再処理施設が必要だ・・現時点で国内に運び出す先はない」。
 「世界初のフルMOX原発」の強烈な「死の灰の処理・処分は一体何処で??・・・・・・究極の「無責任」ではないのか?

   『●「世界初のフルMOX原発で、
      年に約一トンのプルトニウム」を燃焼させて「安全」と言い得る自信に慄く


 インフラ輸出戦略の一環としての、ダブつくプルトニウム処理・処分をも目的とした「フルMOX原発」の輸出・売込みに向けての手段・・・・・・それは穿ち過ぎでしょうか? だって、ニッポンで動かせないようなものを外国で売り歩けないでしょう? すでに破綻した核燃サイクルという「閉じない環」。果たして「クレージー」なのは一体誰でしょうか?

   『●インフラ輸出・原発輸出のためには国内での
         原発稼働・リニア建設が必要という「愚」な論理


==============================================================================
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201412/20141224_13010.html

<核のごみ・現と幻>使用済みMOXどこへ/(下)再処理への憂い

     (電源開発が提出した大間原発の審査申請書。
      世界で例のないフルMOX炉の審査終了時期は見通せない)


世界で例なし

 「プルトニウムの利用推進は非常に重要だ。核燃料サイクルの推進に貢献したい」

 青森県大間町に大間原発を建設中の電源開発(Jパワー)原子力規制委員会に規制基準の適合性審査を申請した16日。同社幹部は記者らに稼働への意欲を強調した。

 大間原発は全炉心でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使う世界初の「フルMOX」炉で、工事進捗(しんちょく)率は11月末時点で約38%。未完成原発の審査申請は初めてだ。

 審査期間を1年と見込むJパワーに、規制委の田中俊一委員長は17日の記者会見で「フルMOXは世界で例がない。時間はかかるだろう」とくぎを刺した。


六ヶ所扱えず

 大間原発から出る使用済みMOX燃料は、青森県六ケ所村の再処理工場では扱えず、新たな再処理施設が必要だ。Jパワーは「第2再処理工場」を念頭に、審査申請書には「国内再処理を原則」と記したが、現時点で国内に運び出す先はない

 規制委が17日に事実上の審査合格を決めた関西電力高浜原発3、4号機(福井県)も再稼働後、MOX燃料を一部炉心で使うプルサーマルを実施予定だが、使用後は当面、敷地内で貯蔵するしかない

 第2再処理工場は国の原子力政策大綱(2005年策定)で「10年ごろから検討開始」とされ、原子力立国計画(06年策定)で「45年ごろに操業開始」の方針を示した。

 前のエネルギー基本計画(10年策定)も「引き続き取り組みを進める」と明記したが、福島第1原発事故の影響で事実上白紙に。ことし4月策定の現エネルギー基本計画でも言及しなかった。

 一方で、経産省は11月、総合資源エネルギー調査会原子力小委員会での議論の整理素案に「使用済みMOX燃料の処理技術の確立に向けて、引き続き取り組むことが重要」と記載した。電力関係者は「核燃料サイクルの論理の一貫性を維持するために、記したのだろう」と狙いを読む。


「帳尻合わせ」

 現エネルギー基本計画はサイクルとプルサーマルの推進を掲げる。第2再処理工場がなければ、プルサーマルで生じる使用済みMOX燃料の扱いが宙に浮く。サイクルを形の上では完結させるため、「帳尻合わせ」をした-との見方だ。

 使用済み核燃料の再処理は直接処分に比べ、発生する高レベル放射性廃棄物の体積や最終処分に必要な面積を減らすとして、政府は放射性廃棄物対策の切り札に位置付ける。だが、通常の燃料より発熱量が数倍高く、扱いが難しい使用済みMOX燃料の処分方法は決まっていない

 宮沢洋一経産相は19日の記者会見で「処分方法は中長期的な問題だ。プルサーマルや六ケ所再処理工場の状況を踏まえて具体化を検討する」と述べるにとどめ、再処理を選ぶのか直接処分とするのか明言しなかった。
==============================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●誰も責任をとらない自民党議員・・・・・・3.11東京電力原発人災以前に逆戻りしていて大丈夫?

2015年01月10日 00時00分15秒 | Weblog


西日本新聞の記事【エネルギー政策 民意とずれては進まない】(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/134977)。

 「政治や行政の役割とは何だろうか。民意に基づき、国民の意思を実現するための制度や政策を進めることが基本ではないか。だが、エネルギー政策は違うようだ・・・・・・立地自治体と周辺地域との対立を生みやすい原発に比べると・・・・・・」。
 3.11東京電力原発人災以前に逆戻り、で本当にいいのでしょうか? 地域に何のメリットももたらさない原発再稼働・原発推進・原発輸出に加えて、壊憲・「平成の治安維持法」・消費税増税・辺野古破壊・ドアホノミクス・・・・・・アベ様が「国民に丁寧に説明」をしたタメシもないというのに、2014年12月衆院選では「信任」を得たと嘯きます。アベ様は聞く耳など持ちません。でも、「与党が実際に投票した人ではなく、全有権者のうちどの程度の支持を得たかという「絶対得票率」を見ると、小選挙区で25%、比例代表で24%にとどまります」・・・・・・そんな哀しいニッポン。誰も責任をとらない自民党議員が、閉じることの出来ない「パンドラの箱」をもう一度開けたいそうです、再び地域に破滅をもたらしたとしても。

   ●「原発事故調書 原因不明、責任不在」: 
         川内原発再稼働なんてやってる場合か!
   『●インフラ輸出・原発輸出のためには
        国内での原発稼働・リニア建設が必要という「愚」な論理

   『●「戦争も、原発も、本当の怖さを知る人の言葉をかみしめたい」:
                             あ~、アベ様らは聞く耳持たず
   『●アベ様の決まり文句「国民には丁寧に説明をしていく」、
                           でも、そうしたタメシはなし
   『●やはり選挙で「No」を突きつけるしかなかったはず・・・
                「議席数 「改憲」減 「脱原発」増」とは言え


==============================================================================
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/134977

エネルギー政策 民意とずれては進まない
2014年12月21日(最終更新 2014年12月21日 10時35分)

 政治や行政の役割とは何だろうか。民意に基づき、国民の意思を実現するための制度や政策を進めることが基本ではないか。だが、エネルギー政策は違うようだ。

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故で国民の意識は変わった。脱原発の流れが広がった。今も原発の再稼働に反対する声が強い。その中で経済産業省の原発回帰の姿勢が際立ってきている。

 既成事実を積み上げ、国民に仕方ないと思わせ、従わせようという戦術か。だが、原発をめぐる国民の合意ができないままでは、かえって行政の停滞を招かないか。


 ▼国民を惑わせる報告書

 「原発が抱える問題は安全性の他にもあるため、安全性を確認した原発の再稼働を進めるという考えは間違い」「原発は他の技術と比較して異次元の危険性を内包した施設であり、過去、安全神話に陥っていたことは問題

 こんな文章があると思えば、正反対の考えを示す文章もある。

 「原子力は数年にわたって国内保有燃料だけで生産が維持できることから、重要な選択肢となる」「古い原発の安全炉への転換をはじめ新増設・リプレース(建て替え)方針を明らかにすべきだ」

 前の二つは脱原発派だろう。後者は維持・推進派の見解である。

 経産省の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会で先月27日に示された中間整理案にあった。

 有識者による原子力小委は今年6月に動きだした。その2カ月前に閣議決定されたエネルギー基本計画を受け、原子力分野の方針を具体化するための議論を始めた。

 専門委員を含めた26人の委員の大半は原発維持・推進派である。だが、推進だけでは均衡を欠くので脱原発派も少し加えている

 経産省の本音は原発推進でも、少数派の意見は無視できないから報告書などでは両論併記となりがちだ。それを読む国民は具体的な方針どころか、対立し、分裂した内容に戸惑いを覚えてしまう。

 推進派にはこれでいいのかもしれない。議論を続ける一方で既成事実を積み上げていく。それは原発再稼働であり、原発を持つ電力事業者への支援策の強化である。

 深刻な事故が起きれば電力会社だけでは手に負えない。福島事故を見て、巨額の投資を長時間かけて回収する原発のリスクを電力会社はあらためて意識した。そこで、支援強化を国に求めている。

 時間がたてば国民の意識も変わると安倍晋三政権は考えているのだろうか。曖昧な表現にとどめ、具体的な数字を示さない中途半端なエネルギー政策のまま安倍政権は発足から間もなく2年になる。

 一つの政策が決まらないことは他にも影響を及ぼす。国際社会での日本の存在感も薄れる。今月、ペルーで開かれた気候変動枠組み条約第20回締約国会議(COP20)も、そんな雰囲気があった。

 温室効果ガスの主要排出国でありながら、削減目標の提出時期の見通しすら立たない日本に対し、国連の事務総長をはじめに早期提出を促す声が相次いだという。

 デンマーク2050年までに石油や石炭など化石燃料を使わない社会の実現を目指す長期ビジョンを掲げる。そのベースにあるのが与野党の合意であるという。


 ▼地域対立の原発よりも

 政権交代があっても、エネルギー政策の基本に変更がない安心感から、個人も企業も長い目で見た投資が考えられるというわけだ。

 与野党合意の背景に世論があることは言うまでもない。私たちは原発を含めエネルギー政策をどうするか、正面から議論し、国民の合意を得るよう求めてきた。

 原発政策を曖昧にして時を待つような姿勢では、世界の大きな流れに取り残されるのではないか。

 ところで、重い家計負担があってもなぜ、ドイツなどで再生可能エネルギーの普及が進むのか。有識者を集めた経産省の委員会の一つで面白いやりとりがあった。

 再生可能エネルギーを使った発電の主体が地域であり、住民が企業を組織してやるからだとの解説である。風力発電も地域住民で考え、計画して、自分たちの地域に建設するから反対も起きにくい。

 結果、再生エネの普及が進み、地域活性化にもなる立地自治体と周辺地域との対立を生みやすい原発に比べると、どこにも可能性がある再生エネは夢がある。そう思う国民が多いのではないか。

2014/12/21付 西日本新聞朝刊=
==============================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする