
【サケ漁をするアイヌ民族の畠山敏さん… (東京新聞2019年9月2日)↑】 (2025年06月28日[土]) [Hatena Blog『日々読学』]
日本学術会議任命拒否事件や学術会議改悪法案では…《学問の自由を侵す者》《いまさらながらトランプと安倍晋三が重なって見えて仕方がない》(吉田充春氏)訳だったが…。
一方、琉球遺骨返還請求訴訟では、《あまりに乱暴》…「学問の自由」を守ると同時に、《許されぬ「学問の暴力」》を正す必要がある。京大のやり方、《あまりに乱暴》。
琉球新報の【<社説>京大と琉球遺骨 許されぬ「学問の暴力」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/414816?rct=editorial)によると、《昭和初期に京都帝国大(現在の京都大)の研究者が、琉球王族らをまつる沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の「百按司墓(むむじゃなばか)」から遺骨を持ち去り、王族の子孫らが返還を求めていた「琉球遺骨」問題で、京都大が、子孫らに相談せず遺骨を同村教育委員会に「移管」していたことが分かった。遺骨は沖縄に戻ったとはいえ、これで解決とするのは、あまりに乱暴ではないか》。
(2022年4月)(沖縄タイムス)《昭和初期に旧京都帝国大(現・京都大)の人類学者が今帰仁村の百按司墓(むむじゃなばか)から持ち出した遺骨を京大が占有しているのは違法として、第一尚氏の子孫らが返還と損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、京都地裁であった。増森珠美裁判長は「原告に返還請求権はない」と判示し、請求を棄却》。そして、(琉球タイムス)《昭和初期に今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓などから持ち出された遺骨を保管している京都大学に、松島泰勝龍谷大学教授らが遺骨の返還などを求めた琉球遺骨返還請求訴訟の判決が21日、京都地裁(増森珠美裁判長)であり、原告の訴えを退ける判決が言い渡された》。
(2023年10月)(琉球新報)《▼94年前、京都帝国大学の研究者によって50体を超える遺骨が今帰仁村の墓から持ち出された。…▼「棄却ですが付言がどうも画期的で…」。心に何かが跳ねる。判決では琉球民族を先住民族と認め、異例の付言が追記された。いわく「遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」》。そして、(東京新聞)《琉球王家の子孫という沖縄県民らが、昭和初期に旧京都帝国大(京都大)の研究者によって同県の墓から研究目的で持ち去られた遺骨の返還を求めた訴訟の控訴審判決が、大阪高裁(大島真一裁判長)であった。判決は請求を退けた一審京都地裁を支持し、原告側の控訴を棄却する一方、付言として「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきだ」と断じた。請求を退けながら、付言では返還を強く促した意味とは。(安藤恭子)》《遺骨が持ち去られたのは今帰仁村(なきじんそん)の「百按司墓(むむじゃなばか)」。第一尚氏の王族ら14~15世紀の有力者がまつられたとされる風葬墓だ。4年前に記者が訪れた際も、苔(こけ)むした森の中、岩壁の暗い奥に青白い骨が散らばっていた。研究のために沖縄各所で骨を持ち出して「白骨累々として充満」「百按司墓を採集し尽くした」と記録した人類学者の姿を想像し、ぞっとした》。
『●琉球遺骨返還請求訴訟《旧京都帝国大…の人類学者が今帰仁村の百按司墓
から持ち出した遺骨を京大が占有》は違法…京都地裁が請求を棄却』
『●琉球遺骨返還請求訴訟《沖縄アイデンティティーのよりどころである遺骨を
本来あるべき場所に-という原告の訴えが…入り口論》で棄却』
「《明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族…。
琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、
土地は軍用地となり、今また辺野古を遺骨で埋められようとしている》
…司法が、沖縄差別を助長していないか? そして、我国の最高学府、
これでいいのか? その直系の研究室・学科の研究人は何も感じない
のかね? 《学術的価値があっても、地域や関係者の同意なしに
盗掘同然に入手したものの保有を正当化できるのだろうか》?
《大量の古人骨を「清野コレクション」などとして誇っている
京都大は、学問の府として誠実に対応すべきだ》」
『●《「棄却ですが付言がどうも画期的で…」…判決では琉球民族を先住民族と
認め…「遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」》』
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/414816?rct=editorial】
<社説>京大と琉球遺骨 許されぬ「学問の暴力」
2025年6月26日 07時56分
昭和初期に京都帝国大(現在の京都大)の研究者が、琉球王族らをまつる沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の「百按司墓(むむじゃなばか)」から遺骨を持ち去り、王族の子孫らが返還を求めていた「琉球遺骨」問題で、京都大が、子孫らに相談せず遺骨を同村教育委員会に「移管」していたことが分かった。遺骨は沖縄に戻ったとはいえ、これで解決とするのは、あまりに乱暴ではないか。
遺骨は、1929(昭和4)年に、京都帝国大の金関丈夫助教授(当時)らが研究のために持ち去り、京都大で保管されていた。子孫らが返還を求めたが拒まれ、2018年に提訴した。
一審の京都地裁は、原告の一部が王族の子孫であることは認めたが、返還請求は退けた。控訴審の大阪高裁も一審の判断を支持したが、世界各国で先住民の遺骨の返還運動が起きている点にも言及し「遺骨は単なるモノではない。ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」と異例の付言をして、話し合いでの解決を促した。
京都大は、「改めて対話を」という原告側の求めには応じない一方で、原告側ではなく今帰仁村教委と協議。遺骨を村教委に移管する協議書を24年に交わし、これに基づいて遺骨が村の施設に届いたことが先月明らかになった。
協議書は、遺骨を墓には戻さず「貴重な学術資料」として保存することを条件としており、死者の尊厳より「学術」優先の視点がにじむ。いわば「モノ」扱いに、子孫らが傷つくのは当然だろう。
19世紀以降、世界で帝国主義がはびこる中、列強諸国の研究者らは各地の先住民族を「研究対象」とみなして、墓暴きや遺骨の収奪などを公然と行った。日本の研究者も同様で、当時は「学問」だったとしても、今日では到底許されない「蛮行」である。事実、「移管」が報じられると、京都大への批判はネット上でも相次いだ。
遺骨の収奪も、今回の「移管」も、子孫の心情を度外視した「学問の暴力」というほかない。大学に対し元原告が「人の心を取り戻していない」と嘆くのももっともだ。京都大は子孫側に謝罪し、遺骨の取り扱いを再検討すべきだ。
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