阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

京都の立命館大学に初めて行きました。世界平和アピール七人委員会2015年講演会

2015年11月13日 | 関西あちこち

十三で阪急神戸線から京都線に乗り換えて四条大宮駅下車。55番のバスに30分ほど乗り立命館大学へ。









写真家の大石芳野さんや新たに七人委員会のメンバーになった小説家の高村薫さんと、大学の先生をやってきた人の話は、有るべき姿を語る学者と、個人事業者というか現業者との違いをモロに感じました。小説や撮影の取材で生身の人間の生きるさまをその場で見て、実態を感知してきた人、そして同業との競争にさらされ、常に表現者の意図と志を問われ、しかもその結果は売れてなんぼの修羅場をくぐっている人と、基本的には研究室で文献を研究し論文を作り大学から決まった日に給料が口座に振り込まれてくる生活が長かった人。その差が人間やその語りに出るのは当然なんでしょう。その学者さんの中で「あるべき姿に近づける実践に王道はない、隙間を狙って声を上げて一つでも変えていく手立てを一人一人が考えるしかない。」と言う小沼通二さんは、七人の会の事務局長を長くされている物理学者だが、研究室を飛び出した行動する学者のようで、この人や会を支えるスタッフがいて七人委員会が続いているようです。
 この人の話を聞きたくて行った高村薫さんは、野間宏の処女作「暗い絵」の紹介をされました。

この小説に描かれている時代といま現在の日本は、当時の特高や憲兵というカタチは今なくとも、物言えば唇寒しのところがよく似てきたことを一人一人が知るべきと。しかしまだ諦めることは全くない。最近動き出した若い主婦や学生のように自分の事と受け止め行動する人たちが出てきたと。我々年寄りは彼らをサポートしようと。写真家の大野さんは戦争が起きて一番先にえらい目に会うのは世界中共通で、女子供病人年寄りだと、彼女がこれまで撮影してきたスライドでまっすぐ見せました。講演が終わってから、バスでこんどは烏丸に出て、錦市場で鯉の甘煮を買おうとしたら六時前でいつもの店は終わって閉まっていて、やむなく開いてい居た別の店でハモの照り焼きを一串買って、烏丸から地下鉄でJR京都駅に出ました。

京都駅近くのホテルのロビーで、この講演会の為京都に来た東京の西郊に住む従兄と四年ぶりに会いました。80歳過ぎても現役の定期寄稿者である彼は全く老人ぽくなく、歩きぶりや物腰は六〇歳代でも通用するなあと思いました。五〇年来の玄米食のお蔭でしょうか?まだ元気で現役を続けるようで心強い。
 2011年兵庫県篠山市で開催された「七人委員会講演会」はこちら(クリック)です。



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