阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった後の [ 2011年07月30日(土)のブログ ] から     「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年08月31日 | 東日本大震災ブログ
伊良部と朝青龍の悲劇 その共通性
 
☆そうか伊良部はアメリカへ行った朝青龍だったのか。

いやそれだけではない、伊良部が死んだのは日本の野球界に内在する自尊感情のなさが原因? 読んでいくうちに、それは日本の社会で生きている人間皆にそのことが通じるように思った。

自分で自分を卑下しない人間、自分で自分を「ワシ結構やるやんか」と思っている人間は、他人を苛めたりはしない。
 
日本社会ではそう思って暮らしている人間の数が、今は猛烈に少なくなってしまっている?

 それにしてもなでしこジャパンに対する中田英寿の言葉はいい。人間の思いは確かに言葉に表れるものだ。


  「伊良部秀輝氏の死をムダにするな」

冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住

伊良部秀輝氏の死を 慟哭とでも言うしかありません。

まさか亡くなるとは、というのが実感です。元千葉ロッテ、ニューヨーク・ヤンキースの投手であった伊良部秀輝氏については、
 
西海岸で飲食店を経営していたが決して上手く行っていなかったとか、40歳に手が届く中で、日本の独立リーグに挑戦しようとしたなどというニュースは聞いていました。

ですが、一時期は日本の球界を代表するエースであり、ヤンキースでも二年間フル先発ローテーションの一角を守り、
 
トーレ監督率いる常勝の「ダイナスティ」確立に貢献した実績は球史に残るものに他ならないと思います。

その伊良部氏が、自殺と伝えられる孤独な死の果てに、他でもないワールドシリーズのチャンピオンリングと、メジャーリーグ選手会の会員証によって、
 
本人と確認されたというのを聞いて、私は何とも言えない気持ちになりました。慟哭というのはそういうことです。

伊良部氏の辿った道のり、とりわけヤンキース時代の栄光の二年間に関しては、この欄で「伊良部と朝青龍の悲劇」というタイトルで詳しくお話ししていますので、
 
そちらを見ていただきたいと思います。ちなみに、そのピッチングスタイルは、ストライクを先行させ、ムダなボールを投げないメジャーとして堂々たるものだったことは
 
改めて確認をしておきたいと思います。

ところで、この「伊良部と朝青龍の悲劇」というコラムの主旨はどんなものだったかというと、それほど複雑な議論ではありません。
 
要は、この二人は異文化コミュニケーションにおける誤解の連続という立場に追い込まれ、折角の実力と才能がありながら、
 
スポーツへの取り組み姿勢やトラブルに対する自分の真意を、地元のファンに対して申し開きができなかった、それが悲劇だという理解でした。
 
伊良部氏のヤンキース時代というのは、今は亡きジョージ・スタインブレナー氏というクセのあるオーナーに「高給を払っているのに活躍できていない」と
 
常にブツブツ文句を言われ、ファンもそれに追随する中で、ワールドシリーズでは一球も投げさせてもらえないなどの屈辱を味わったのでした。

その原因は、言葉で自分のチームへの思いや野球への愛、ファンへの感謝を語る機会がないままに、悪役イメージが作られてゆくのを止められなかったという「悲劇」にあった、
 
それは正に朝青龍関に起きたことと同じだ、というのが私の理解でした。

ですが、今回の突然の訃報に接して思ったのは別のことでした。伊良部氏は、異文化コミュニケーションの「はざま」で苦闘し、死んで行ったのではないと思います。

では、氏を孤独な死に追いやったのは何なのでしょうか? 私は、日本の野球文化に遠因があるように思えてならない、そんな風に思います。

何が問題なのでしょうか?

日本の野球文化は、一球一球投げるごとに、打つごとに、自分の中に自尊感情が高まってゆくようには出来ていないように思います。
 
その結果として、元から自尊感情が高い一種の才能に恵まれている選手を別として、どうしても精神的に「与える側」に回る強さではなく
 
「追い求める」弱さが残って行ってしまうのではないか、伊良部氏は、そのようなカルチャーに最終的には殺されたのではないか、そんな風に思えてならないのです。

例えば、高校野球では硬直化した「先輩後輩カルチャー」が暴走して、暴力沙汰になることが時折聞かれます。
 
これこそ「弱さ」の証明以外の何物でもありません。先輩部員は強いから暴力で支配しようとするのではありません。
 
自尊感情がプラスであれば、後輩に対して厳しい中にも効果的な指導を工夫したり、率先垂範、つまり「プラスの価値を伴う行動を見せつけて人を動かす」ことができるわけです。

ですが、自尊感情がマイナスだと、どうしても後輩が服従してくれることが満足になったり、崩壊したリーダーシップしか示せないことになります。

練習のスタイルにもそうした面があります。ボロボロになるまで練習させて、疲労感という肉体的苦痛が達成感と自信になるというような
 
メンタルのコントロールをやるカルチャーがありますが、他のスポーツでは、そんな原始的な方法論の無効性は知られているのではと思います。

究極は、名誉の概念が前時代的なことです。

甲子園の高校野球の季節になりましたが、勝利校がホームベースを占領して、敗者を脇に追いやり、勝利校の校歌を凱歌として鳴らすというのは、
 
何とかならないものでしょうか? 勝利という結果では満足できず、勝者は支配者的な名誉確認の儀式を更に必要とするというのは精神的な脆弱性としか思えません。

例えば、日本のプロ野球選手会では、参加報酬をめぐってWBCをボイコットするという動きがありますが、この辺りにも、精神的な名誉を感じる能力とか、
 
ディフェンディング・チャンピオンの自覚と誇りのカケラもない、要するに精神的な脆弱性を感ずるのです。

そうした脆弱性はどうしてダメなのか、この点に関しては「なでしこ」の精神的雄姿を見れば一目瞭然ではないでしょうか?
 
W杯決勝という大舞台で敵の猛攻に耐えながらも冷静さを失わず、先行を許しても「まだまだ行ける」と声を掛け合った強靱さ、
 
何よりもPK戦の直前という下手をすれば地獄のような緊張感に負けそうな時間帯に、キラキラと輝くような笑顔で円陣を組んでいた彼女等の姿、
 
そうした輝きは日本の野球文化にはなかなか見られないものです。

例えば、勝利の瞬間にアメリカチームに駆け寄ってお互いの健闘を讃えた、宮間選手のような行動こそ、日本の野球文化は参考にして行って欲しいと思うのです。

サッカーと言えば、男子の選手などは良く「強い気持ちで」頑張るんだ、みたいな言い方をします。個人的には何となく精神的に弱いと言っているようで
 
格好悪い印象があるのですが、考えてみれば、野球界では「強い気持ちで」というフレーズ自体サッカーと比べると聞きません。

校歌の話に戻りますが、例えば今年の甲子園の高校野球では、少なくとも被災三県の代表校の試合では、試合開催前に「両校校歌の合唱」をやったら良いのではないでしょうか?
 
そうすれば、勝者に凱歌をあげさせるカルチャーの野蛮と貧困が明らかになろうというものです。

野球の儀式といえば、プロ野球ゲームの始球式に「なでしこイレブン」のメンバーを呼ぶ球団があるようですが、
 
そのこと自体は女子サッカーの地位向上の機会として彼女等は目的意識をもってやっているのだと思います。
 
ですが、少なくとも選手たちは、自分たちには欠けている高い精神性のカルチャーを持った彼女等のヨコでニヤニヤ立っているのは止めてもらいたいと思うのです。

その意味で、「なでしこ優勝」のニュースを聞いて開口一番「うらやましい」と言ったという中田英寿氏はさすがだと思います。
 
自分の無念をバネに、W杯優勝の価値に男女の差の全くないことをメッセージとして込めた素晴らしい賛辞でした。

こうしたことがスッと言えるというのは、何とも言えない中田氏のカッコ良さですが、その背景には「強い心」がなくては歯が立たないというサッカーのカルチャーがあるわけです。

そう考えると、なでしこイレブンや中田氏の持っている「強さ」や「カッコ良さ」の、ある意味では対極にある孤独で辛い場所に伊良部氏は追い詰められて行ったのだと思います。
 
私には、それを個人の資質の問題にはどうしてもできません。「一球ごとに自尊感情が高まることのない」日本の野球文化が、この類い稀な大投手を追い詰めたのです。

少なくともその昔、鉄拳制裁などという精神の脆弱性そのもののカルチャーを広めた星野仙一氏から「本当は繊細なヤツ」などというコメントが出るのには違和感があります。
 
同氏は「投手というものは」という言葉を加えて一般化していますが、もっと正直に「自分も」という反省をつけてもらいたいと思うのです。

訃報に接して、ヤンキース球団は「伊良部投手はファミリーの一員」という声明を出しました。死者に鞭打つことをしない礼節だけの言葉ではないと思います。
 
今は取り壊された旧ヤンキースタジアムのマウンドで、二年間ローテを守り、二度の月間MVPを含む素晴らしいピッチングを残した実績は不滅だからです。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』などがある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
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JMM [Japan Mail Media]                No.646 Saturday Edition
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【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】97,902部
【WEB】   ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )
 
 
 
 
 
原発作業員の健康診断率は低すぎる

作業員40% 健康診断未受診
7月30日 9時19分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所で事故のあと、1ヶ月以上働きながら、国が義務づけている健康診断を受診していない作業員が、全体のおよそ40%に上ることが分かりました。

厚生労働省は、福島第一原子力発電所で事故のあと、1ヶ月以上働いている作業員について、健康状態に被ばくの影響が出ていないか調べるため、

毎月1回程度、健康診断を受診して白血球の数や皮膚の状態などを検査することを義務づけています。

 ところが、5月末の時点で1ヶ月以上働いていた3410人の作業員のうち、この健康診断を受診していなかった人が1339人と、

全体の39.3%に上ることが分かりました。厚生労働省は、毎月200から300の下請け業者が、入れ代わりながら作業現場に入っていたために、

健康管理の指示が業者に徹底されなかったとみています。

そのうえで、「これほど多くの作業員が健康診断を受けていないかったのは極めて遺憾だ」として、東京電力などに対し、下請け業者への指導を徹底するよう求めました。

一方、東京電力がこれまでに実施した作業員の被ばく量の検査では、緊急時の限度となる250ミリシーベルトを超えた作業員が6人、

250ミリシーベルト以下で200ミリシーベルトを超えた作業員が2人、200ミリシーベルト以下で100ミリシーベルトを超えた作業員が100人に上っています。

☆裏を返せば、健康診断は出来るだけ受けないでくれという会社側と、それを見て見ぬふりしてきた厚生労働省のこれまでの、「下請け作業員使い捨て」政策がある。

厚生労働省も今やネット世論を無視できなくなって、このような実態を発表して東京電力に健康診断を迫っている。しかし従来路線なら、

東電は内心は、それは下請け会社が考えることで、ウチの問題ではないと考える。

 
 
小松左京さんの日本に対する提案

小松左京さん遺稿 震災の提言
7月30日 2時43分 NHKニュース

今月26日に亡くなったSF作家の小松左京さんが、みずから発行する同人誌に掲載した遺稿の中で、東日本大震災や福島第一原発事故について触れ、

今後の大災害に備えてさまざまな専門家による『総合防災学会』の設立などを提言していたことが分かりました。

小松左京さんは、年に4回発行している「小松左京マガジン」の中で、時事の問題にも触れており、震災から2か月目の最後の原稿では、

「“災害防衛国家構想”てどやろ?」というタイトルで、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故について考えを述べています。

 このうち原発事故については、「事故は人災だ」と明確に述べたうえで、「90年代以降、学者も含めて関係者は原発事故に対して思考停止状態に陥っていた。

技術大国ニッポンの海外での信用を失墜させた責任は重い」と厳しく指摘しています。また、東日本大震災について、今回の津波災害の膨大な映像記録や被害のデータを、

世界中に提供し、今後の津波災害に役立てることなどを提言しています。

 小松さんは、ベストセラー「日本沈没」で地殻変動の恐怖を描き、平成7年の阪神・淡路大震災では、みずから被災地を訪れて克明なルポをまとめるなど、

並外れた知識と行動力で自然の驚異や、それに立ち向かう人々の姿を描いてきましたが、今月26日に80歳で亡くなりました。

 遺稿の中で、小松さんは、それまでの知識と経験を踏まえて、「現在の社会システムでは、未曽有の大災害に有効に対応したり、組織化して提言できない」と述べたうえで、

今後の大災害に備えるために、さまざまな専門家が分野を横断して「総合防災学会」を組織し、世界各地の巨大自然災害の事例を人類共有の「知的資源」として集め、

地球という巨大自然を乗り越えよう、と小松さんらしい、壮大なスケールの提言をまとめています。

 
 
ジェラード・カーチスが見る日本の今とこれから

☆日本のメディアで“知日派”と言われる外国人学者は何人かいる。いずれも何らかのアメリカの利害を背負って発言していると思う。

ジェラルド・カーテイスと言う人は若い時に、日本の選挙事務所で働いたりしたフィールド型の学者で、書斎派ではない。

こういう人が先ごろ日本に来て何を言ったのか、参考まで。

英文の記事になって日本から世界に発信されるのは、日本のメディアの記事ではなく、こういう発言が流れているのが現実だ。☆

▽再生の希望は地方のリーダーに、米知日派教授
(2011年7月22日 山口 光)共同通信

 「国民の信頼を得ていない菅首相が居座る日本の政治はひどい有様だ。野党も与党もマスメディアも、一般国民も、公衆がこぞって政治はひどすぎると思っている。

 このような政治不信のコンセンサスは日本の戦後政治の中で初めてのことだ」―45年以上にわたって日本の政治を見つめてきた

米コロンビア大学の政治学者ジェラード・カーチス教授がこのほど東北の被災地を訪問するため訪日、大震災後の日本の政治状況について辛口の分析を披露した。

 日本外国特派員協会で講演したカーチス教授は「民主党の指導部や菅内閣の閣僚や官邸で要職についている政治家が、

菅首相にやめろと言い続けているが、それを言いながら自分のポストを守ろうとするのは恥ずかしくないのか?」と問いかけた。

 
 
保守論者も揺れ動く原発推進と反対

脱原発めぐり揺れる保守論壇
2011年7月22日11時26分

脱原発をめぐり、保守論壇が揺れている。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長を務めた保守派の評論家・西尾幹二は、月刊誌「WiLL」7月号に「脱原発こそ国家永続の道」と題した論文を発表。

「国土は民族遺産である。汚染と侵害は許されない」と保守派らしい言いまわしで、脱原発派への「転向」を宣言した。

 保守論壇の大勢は、なお原発推進だ。産経新聞社は社説で原発推進を堅持している。西尾は、間もなく原子力の安全神話が再び言論界を覆うだろうと予測し、

「産経新聞は懲りずにすでにそうである」(同誌8月号)と手厳しい。

 原発の維持や推進を、エネルギー問題としてではなく、核武装と関連づける議論も登場し始めた。

 評論家の西部邁は「表現者」37号の座談会で、原発が安全でないことを前提にしつつ、国家の自主独立には核武装とエネルギー自給が不可欠であるとし、原発容認の姿勢を見せた。

 産経新聞の報道によれば、ジャーナリストの桜井よしこは講演会で「核をつくる技術が外交的強さにつながる。原発の技術は軍事面でも大きな意味を持つ」と発言。

14日に配信されたAFP通信のインタビューでは、石原慎太郎東京都知事も、今後も原発は必要とした上で「日本は核兵器を持つべき」と答えたという。

 西尾も「WiLL」8月号の論文「平和主義ではない『脱原発』」で、核武装の問題に踏み込んだ。原発を停止すればかえって日本が独自に核武装する道が開ける、というのだ。

原発を運転している限り、使用済み核燃料の処理やウラン濃縮など、米英など多くの国の協力が不可欠だからだ。

7月号と比べると、より保守派の路線に回帰したともとれるが、脱原発に踏み切れない保守論壇に向かって、「だから安心してこちらに来い」と説得しているようにも見える。

 これまでは、原発推進派にとっても、原発はあくまで「原子力の平和利用」であり、核兵器とは明らかに一線を画すものとされていた。

しかし市場経済を重視する人々の中からも河野太郎衆議院議員やソフトバンクの孫正義社長のような、「脱原発の旗手」が登場するなど、

経済合理性の観点からも原発は割が合わないと見られるようになってきた。そこで、最後に残る原発推進の論理が、核武装のための原子力利用ということなのだろうか。(樋口大二)
.

 
 
日本に長くいすぎた 外国人がフトそう思う時
外国人が日本に長く居すぎた…と実感するとき

1. 山手線のホームで人波を左右に押し分けながらかいくぐり、電車に飛び乗り、ドアが閉まらないように手で押さえ、
 
その間にかばんを電車に引っ張りこむ。その理由が、少なくともあと2分は電車が来ないためだとわかっているとき
(外国では1時間にたった1本の電車が平気で遅れてくる。ひどいときは数日遅れる。)

2. ビルディングのような単語がいったい何音節あるかと思い悩むとき
(英語ではBuildingが「Build+ing」の2音節であるのに対して、日本語は「ビ・ル・ディ・ン・グ」の5音節であることから)

3. 自動販売機で、何のためらいもなく紙幣を入れるとき
(海外の自動販売機はお釣りがきっちり出てくる可能性は10分の1以下で、壊れている可能性は何十倍もあることから勇気がいる)
 
4. 外国人が電車に乗っているのを見て、「わおっ、ガイジンがいるっ」と思うとき

5. 初めてのスキーで、新品のロシニョールの高性能なスキー板を持ち、エアロダイナミックスなスキーウェアとそれに色のマッチしたゴーグルを装着して登場し、
雪かきをしながら転げ落ちていくとき

6. 選挙車のスピーカーから騒音・爆音をたれ流されても、「ショーガナイ」と思うとき
(欧米ではあれほどの騒音は違法なところが大半)
7. テレビ番組で一番いいのはコマーシャルだなと思うとき

8. 抹茶アイスも悪くないなと思うようになったとき

9. 信号の色のことで青か緑か揉めはじめ、あれは青だと思い始めるとき
(日本人は青と緑の区別がつかないと思っている人もいる)

10. 写真撮影のときにピースサインをしてるとき
(日本人だけが老若男女でやけに好むポーズ)

11. ガソリンスタンドで車から降りもせず、集団で押し寄せてくる店員がフロントガラスを拭いているのを、当然のことのようにただ待っているとき

12. 自分の国に帰ってから、みんなと飲みに行って、全員のビールを注ぎ始めるとき
(ビールを注いであげるなんてことはない)

13. 家が10平方メートルでも広いと思うとき
(ほっとけ)

14. 会社の窓の外の景色が「一面コンクリートだらけ!」の代わりに、「意外と緑もある」とか思いはじめるとき

15. 鳥は なく "cry"ものだと思うとき
(英語では鳥は うたう "sing")

16. 電話中にお辞儀している自分に気付くとき

17. 自分の国に帰って、喫茶店で「アメリカン・コーヒー」を注文してしまうとき

18. 母国の両親と電話中に父親に「どうしてぶつぶつと文句でこちらの話しをさえぎるのかね」と言われるとき
(日本人は相手の話しが終る前に話し始めることで有名)

19. 母親と電話でしゃべっていると、「ゲンキってどういう意味?」と聞かれるとき
(電話でゲンキと返事する癖がついてしまっている)

20. トラックがバックするときに、童謡を流していてもおかしいと思わないとき

21. ビアガーデンが屋上にあっても不思議に思わなくなるとき
(海外ではガーデンと呼ぶくらいなので本当の庭でやります)

22. バドワイザーを飲んでいると外国人受けがいいんじゃないかと思うとき
(外国のビールも飲んでるよーと嬉しそうに強調しにくる日本人が多いらしい)

23. 英文学専攻がバカ女を形容するときのオブラートに包んだ言い方だと思うとき
(英文学というと欧米ではシェークスピアなどの古典にも強く才女のイメージであるが、こちらで英文学科というとシェークスピアの一節も言える女が居ないらしい)

24. 納豆の美しい食べ方をマスターしたとき

25. 缶コーヒーがおいしいと思い始めるとき

26. 車の最初のオプションがTVセットでも不思議に思わないとき

27. 夏に半そでを着始める日付が決まってると思うとき

28. 赤の反対は白なんだと思うとき

29. 高級なウィスキーのボトルを安っぽいバーテンダー相手にキープして帰っても心配しなくなるとき

30. デザートだのフルーツだの独創的過ぎるものが、ランチのサンドイッチに入っていても別段驚かないとき

31. 大事な年を平成や昭和の年号で覚え始めるとき

32. 握手とお辞儀を同時にする芸術をマスターしたとき

33. 人の家の玄関に頭だけ入れて留守かどうか確かめても大丈夫だと思うとき

34. 医者から処方箋をもらうとき「これが白い錠剤、こちらが青い錠剤、これはピンクの粉末剤」と言う説明でもなんら不満に思わないとき

35. バーモントカレーという存在のコンセプトに疑問を抱かなくなったとき

36. どうでもよい商品に4重の包装紙が当たり前だと思うようになったとき

37. 電車の同じ車両に外人数人で乗車すると調和がくずれるために落ち着かない気分になるとき

38. 外国人の友人に必ず「日本滞在年数」を尋ねて種類分けし始めるとき

39. 田んぼに囲まれた全く何もないとてつもないへんぴな場所で、飲み物の自販機を見つけても驚かず、電源がどこからきているのかも不思議に思わず、
 
そのぽつんとした自販機がコーラを買ったあとにお礼を言ってくれることにも何も思わなくなったとき
(海外で人気のない場所の自販機は盗難にあって当然)

40. 米の銘柄によって味が違うとか思い始めるとき

41. JRやタクシー会社に27本ほど寄付したあとでも、まだ玄関には透明傘が溢れかえってるとき

42. 同方向に走る2車線道路では、左側は駐車場だと思うとき

43. ジューシーな最高の豚カツに一番合うのは、味もない千切りになった生のキャベツの山だと思い始めるとき

44. 10月に半そでを着ている外人に向かって「寒くないの?」と聞き始めるとき

45. 「ノー」を伝えるとき、鼻の上で手を左右に振るとき

46. 店でクリスマスソングを聞いてもセンチメンタルな気分にならないとき

47. 趣味は「ドライブ」と言い始めるとき

48. 濡れた傘には店の入り口で配布しているコンドームが必要だと思うとき

49. 12月の日曜日は全て忘年会の二日酔いの回復のために用意されていると思うとき

50. クリスマスイブにケーキを買い始めるようになったとき
(欧米ではケーキではなくクリスマス・プディングが主流)

51. 吐くまで飲むのを楽しむとき

52. 胸の谷間を見て、うわっとか思うとき

53. お昼の弁当は昨日の残りで、器がハローキティでも普通と思うとき

54. ビール1缶の値段が1ケースの値段と同じことがあっても不思議に思わないとき
(初めて知らない飲み屋に行くとショックを受けるのだと思われます)

55. 一つの会話につき3回ずつ謝罪している自分に気付くとき

56. どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき

57. 片手チョップスタイルと連続お辞儀が混雑を通り抜ける手段だと思い始めるとき

58. 買い物している間の30分間、車のエンジンをつけっぱなしにし始めるとき

59. 外人の知り合いにまで血液型を聞き出すとき

60. 「英語」と「英会話」の細かい差を見出すとき

61. 自国に帰ったときにタクシーのドアが開くまで待ってしまうとき

62. 阪神タイガースの試合チケットを買って六甲おろしの練習をするとき

63. 外人だけが集まるパーティで、誰かが乾杯を言うのを待ってしまうとき

64. 本屋に雑誌を読むために行き、読むだけ読んだら棚に戻しても疑問に思わないとき
(海外の本屋は買うところで、立ち読みし放題ということがないのが普通)

65. 1個だけの袋詰めされたジャガイモを買い始めたとき

66. 旅行のスーツケースの半分をお土産のスペースに使い始めるとき

67. 外人がいっぱいのバーに行って危険を感じるとき

68. 単語にアンダーラインを引くのに定規を出すとき

69. 日本の何もかもがノーマルに思えるとき

☆日本人が考えた内容のような気もするが・・

 
 
現代日本と世界で生きる最低の心得 洗脳と情報操作
 
☆あくまで参考情報です。参考にするかどうかはご自分で決めてください☆

Author:虚空蔵nico

対洗脳・情報操作に対する十箇条

1.  与えられる情報を鵜呑みにするな、まずは疑え。

2.  自分の頭で考えている気になるな、殆どの場合無意識に誘導されていると思え。

3.  数字に騙されるな、数字でも悪意があれば操作する事は可能だ。統計ってやつは算出方法次第で操作できたりするんだ。

4.  過去に目を向けろ、必ず今と繋がっている。

5.  皆が一様に同じ結論、意見に達したときは、情報操作もしくは悪質な誘導、最悪洗脳されていると考えろ。

6.  事象、問題点、結果を箇条書きで抜き出せ、そして関連付けろ。

7.  耳触りの良い言葉ばかり言う奴は信用するな。そいつは下心を隠している。

8.  強硬論をまくし立てる奴は単なるパフォーマンスでやってるだけだ。 バックに居る誰か、もしくは何かから目を逸らす目的があると考えろ。

9.  正論ばかり述べる奴には気をつけろ、禅問答になる。

10. やばいと感じたら直ぐに逃げろ。それと逃げ道の確保を忘れるな。

引用元はこちら
 



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