
尼崎市の塚口小学校から四日市の納屋小学校に6年生で転校し、同級になった友人大佛(おさらぎ)さん(現在は奈良県在住)の情報では
彼の実家のお隣の村上時雨店さんが3月末で閉店されるそうです。
「村上時雨店」さんは近くにある「太白永餅」と並んでJR四日市駅近辺の老舗で、
明治中頃の創業で、百余年続いた名店です。
ご主人が他界後、奥さんが社長になり跡継ぎがいないので、お姉さん等の親戚の方が
サポートして頑張って営業を続けて来られたそうです。
しかし、関係者全員が70歳を超える高齢になり、継続が難しくなったようです。
四日市市の「本町通り」も、花月堂和菓子店、大和屋うどん店、魚太魚店など次々と店を閉じて
寂しくなっているとのことです。
阿智胡地亭は昭和33年(1958年)の八月に四日市から神戸に転居して以来、中学の同窓会があれば
参加し、村上時雨店に寄って買い物をしてきました。いつまでも四日市にあって欲しいと思う店でした。
2017年10月19日掲載エントリーから一部引用
小学校から四日市駅方面へ
駅に渡る踏切の手前に村上時雨店があります。5年前の同窓会の時も寄って店の方とお喋りをしました。中学の同級生のことを よく知っておられるので話が楽しい。
富山の鱒ずしと同じで大手の名の通ったブランドより、こういう地元のお客さん相手の添加物を使わない店の商品は一味も二味も違います。
あいかたも四日市に行ったらとこの店の味を待っているのでわずかだが購入しました。今回も少しおまけしてもらって嬉しかった。
前回の記事。
村上時雨店のほぼ対面にある下里薬局の野村君も納屋小学校時代からの友人です。同窓会にも元気な姿を見せてくれました。
店を出て駅方面に歩くとあたりの寂れようが信じられないほどでした。自分が知っている四日市駅周辺の賑わいは半世紀以上前の事ですが
近鉄四日市駅が出来てからは町の中心が全く変わったことを実感しました。それにしてもあたりの荒廃ぶりは恐ろしいほどです。
閑散としているJR四日市駅。59年前殷賑を極めていたこの駅から家族5人は知り合いに送られて神戸に移りました。
2012年3月16日掲載エントリーから一部引用
同じく納屋小学校の同級生の清水くんに、中納屋町の旧蔵町あたりであちこち現在の四日市を案内してもらったクラウンから下してもらい、
旧納屋小学校の横を通ってJR四日市駅方面に歩きました。
途中に「村上時雨店」があります。
住んでいた昭和30年代当時から『時雨蛤(しぐれはまぐり)』と言えば「村上」さんです。
店に入って「中学の同窓会で神戸から来ました。こちらの時雨を買って来るように家人に言われているので寄りました」と女店員に話しました。
すると奥から女主人が出てきて楽しい会話がはじまりました。私の同級生の名前を何人か出すと彼女もよく知っていました。店は明治の中ごろに始めたそうです。
「またいつか来るのでお店を続けてください」と言うと、「品質と味のレベルを維持するのに、材料の入手が難しくて大変です」とのことでした。
話しているうちに旧知の人のようになり、気持ちだけですがとサービスしてもらいました。わずかな時間でもこんな会話をするといい思い出になります。
東京に住む従兄弟から、村上時雨店さんが閉店しているようだと情報がありました。私は子供の頃からしぐれと言えば村上時雨店さんでしたので、早速確認のために検索するとこちらのブログに出会いました。廃業されてたことを知りとても残念に思います。
寂しい限りです。
「しぐれ」の真の味を維持していた店でしたね。始めあれば終わりありは世の常ですが本当に閉店は残念でした。