三重県鈴鹿市の神戸に行きました。こちらの神戸は「かんべ」といいます。【注 神戸(かんべ/じんこ)とは、古代から中世の日本において特定の神社の祭祀を維持するために神社に付属した民戸のこと】。当地の「龍光寺」で「寝釈迦まつり」が開かれていて、近隣近郷の善男善女が沢山参詣して楽しんでいました。人出が多くて、浅草の仲見世を思い出すほどでした。鈴鹿市にはホンダの工場とその下請け企業群があり、人口も多くブラジル人など外国人も多く住んでいて、祭りの中にはその子供たちも楽しそうに参加していました。外国人をみかけたので浅草を思い出したのかもしれません。四日市で中学校の同窓会があった翌日、同窓生のSさんが車で案内してくれました。
[分け入っても分け入っても青い山] 山頭火
中学で柔道部の猛者でならしたSさんは、四日市の土地っ子で江戸時代から薪炭問屋や肥料問屋をやっていた家に生まれました。代々住む尾上町の近隣は工場街に変化して、町の住民も激減しているそうですが、彼は今も当時の場所に住んでいます。小学生の頃、彼の家に遊びに行くと、店におられるお父さんがいつも、優しい眼差しで「ゆっくり遊んでいったらええんやに」と言われたことを今も覚えています。神戸(かんべ)には奥さんの実家があり、子供さんが小さい頃はよく神戸に遊びに来て、この祭りにも毎年参加していたそうです。
[分け入っても分け入っても青い山] 山頭火
中学で柔道部の猛者でならしたSさんは、四日市の土地っ子で江戸時代から薪炭問屋や肥料問屋をやっていた家に生まれました。代々住む尾上町の近隣は工場街に変化して、町の住民も激減しているそうですが、彼は今も当時の場所に住んでいます。小学生の頃、彼の家に遊びに行くと、店におられるお父さんがいつも、優しい眼差しで「ゆっくり遊んでいったらええんやに」と言われたことを今も覚えています。神戸(かんべ)には奥さんの実家があり、子供さんが小さい頃はよく神戸に遊びに来て、この祭りにも毎年参加していたそうです。
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