阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

四日市の諏訪神社とその周辺

2012年03月12日 | 関西あちこち
四日市で泊まったホテルのすぐそばの諏訪神社に朝一番でお参りしました。四日市の諏訪神社のHPを見ると、「鎌倉時代に信州諏訪大社の御分霊をこの地に勧請したと伝わり、四日市の歴史とともに歩んできた総産土神です。」と書いてあります。今年の1月28日にお参りした東京・西日暮里の「諏方神社」も、同じく鎌倉時代に信州諏訪から勧請されていました。源頼朝が「もののふー武人・戦士」の神として諏訪の神を尊崇し、鎌倉幕府の権力の及ぶ地であることを示すために、進出した日本の各地に諏訪神社を建立したという説があります。





諏訪神社は近鉄四日市駅に近く、周辺は繁華街になっています



日曜日の早朝でまだ店は開いていませんでした。

 四日市は父親の当時の勤務地だったというだけで、地縁も血縁も全くありません。その四日市で自分は生まれました。生まれた四日市という土地の氏神(産土神-ウブスナカミ)様が、信州諏訪から勧請された神様だったと言うのは、信州諏訪がルーツの人間にとって、まことに不思議な偶然でした。イオングループの創業一族の一つに岡田家がありますが、江戸時代に四日市で店を始めています。もしかすると彼らも諏訪神社の氏子かもしれません。そう思えばなんとなく親しみを感じます。余談ながら、岡田家は私が四日市にいた頃は「岡田屋呉服店」をやっていました。その岡田一族が、スーパーマーケット業界の覇者である神戸出身の中内功さん一族の自滅のあと、今の業界の位置を占めるとは思いもしませんでした。
 ◎マウスポインターを画面に置いてスライドさせると22枚の画像があります。

諏訪神社のHPから引用:

四日市開拓の歴史とともに歩んでまいりました。
当社の創祀・創建についてご説明申し上げます。

 創祀の由来

鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっております。建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)を主祭神とし、四日市・浜田の総産土神として崇敬を集め、地域の歴史とともに歩んでまいりました。また江戸時代以後、四日市は東海道五十三次の宿駅として賑わい、社頭が東海道に面していたこともあって、多くの旅人も道中に参拝したといわれております。
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