goo blog サービス終了のお知らせ 

阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌々年の [ 2013年03月02日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2025年04月24日 | 東日本大震災ブログ
2013年03月02日(土)

福島第1原発 汚染水「背水」の処理 タンク増設もう限界ー河北新報
2013年03月02日土曜日


原発敷地内には、原子炉建屋内に流れ込む放射能汚染水をためる貯蔵タンクが並ぶ。汚染水の行き先がないまま増え続けている。(写真は代表撮影)

燃料取り出しに向けた防護カバー(右)の建設が続く福島第1原発4号機。多くの作業員が従事している(代表撮影)

東京電力は1日、福島第1原発を報道機関に公開した。原子炉建屋内の放射能汚染水を取り除いてためる貯蔵エリアが初めてオープンにされた。汚染水処理は廃炉作業の目下の最大の懸案で、貯蔵容量の限界が迫る中、タンクの増設でしのぐ背水の処理が続く。(福島総局・若林雅人)

 巨大なタンク群が目の前に現れる。通称「セントン」。放射能汚染水を1個約1000トン貯蔵している。

 1~4号機の建屋内には事故直後に溶けた燃料を冷やした大量の水に加え、1日約400トンの地下水が流れ込む。稼働中の淡水化装置では放射性セシウム以外は除去できず、処理後も完全浄化まで貯蔵を強いられる。

 貯蔵量は現時点で26万トンで、飽和量の約32万トンに迫る。東電は2014年前半までに約8万トンのタンクを増設し、敷地を造成して15年度までに計70万トンの容量を確保する計画だ。タンクは既に敷地を埋め尽くすように並び、用地に余裕があるようには見えない。

 高橋毅所長も「地盤調査の必要があり、70万トンを現時点で確保できるとは言えない」と認める。

 62の放射性物質を除去する多核種除去設備(ALPS)も公開された。1日約500トンの処理能力があり、汚染水浄化の切り札と言われる。

 12年秋に稼働を始める予定だったが、廃棄物保管容器の強度不足が判明し、今も稼働に至っていない。完成した設備に人影はなく、荒涼とした雰囲気が漂っていた。

 ALPSは処理水がいったん敷地内に保管される。東電は処理水を最終的に海へ放出する考えだが、漁業関係者が反発し、最終処理の見通しは立っていない。

 地下水の流入は止まらず、さまざまな濃度の汚染水に姿を変え続ける。方丈記の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」が頭をよぎる。

◎重装備に全面マスク/収束作業、苦難との闘い

 福島第1原発事故の収束作業に当たる作業員3人が1日、福島県楢葉町のJヴィレッジで報道陣の取材に応じ、高い放射線量や気象条件と闘いながら続く作業の実態を語った。

 「臭いも色もなく、慣れるとだんだん恐怖感がなくなってくる」
 3号機のがれき撤去を担う鹿島福島工事事務所工事課長の小林弘茂さん(45)は放射線対策の難しさを挙げ、「作業員をいかに被ばくさせない作業計画を立てるかに苦心している」と語った。

 3号機は水素爆発して燃料が溶け、建屋上部の放射線量が毎時500ミリシーベルトと高い。作業は数百メートル離れた場所から無人のクレーンなどの重機を遠隔操作して実施している。

 「人類の誰も経験したことのない作業に使命感を持ち、技術を駆使して挑んでいる。何とか役に立ちたい思いで作業していることを分かってほしい」と涙ぐんで訴えた。

 日立GEニュークリア・エナジーの現場事務所長河合秀郎さん(58)は4号機からの燃料取り出しのため建屋をカバーで覆う工事に当たる。「重装備に全面マスク。15分で汗だくになり、下手すれば倒れる」と夏の熱中症対策が課題と話す。

 4号機は建屋上部のがれき撤去が進む。「事故直後は命の危険を感じた場面もあったが、1週間後には復旧の道筋が見えてきた」と言う。
 下請けの播州基礎興業(兵庫県姫路市)の名里之宏さん(52)は海への汚染水流出を防ぐ遮水壁の設置作業を担当している。「こっちの環境に不慣れで、凍った現場で足を滑らせている」と冬場の作業の難しさを明かした。


福島第一原発と汚染水 ― 困難な課題  福島原発行動隊通信33号から
SVCF通信 第33号 2013年3月1日

公益社団法人 福島原発行動隊

通信第33号 2013年3月1日から一部引用

■福島第一原発と汚染水 ― 困難な課題

現在、福島第一原発では、燃料デブリ取り出しと廃炉に向けて長期の作業が進められています。しかし人類が初めて取り組むこの難事業にはさまざまな困難が立ちはだかっています。

今回はその中でも特に「水」に焦点を当てて、山田理事長に解説してもらいました。

●増え続ける貯留水

福島第一原発の1~3号炉は、燃料デブリの取り出し準備が完了する2022年(計画)までは、現在と同様、圧力容器内、格納容器内に水をかけて燃料デブリに含まれる放射性元素を冷やし続ける必要があります。

格納容器は3.11の地震とそれに続く爆発によって、気密性が破壊され、冷却注水は格納容器から漏れ続け原子炉建屋地下のトーラス室に溜まります。

燃料デブリに接触した水は、セシウムをはじめとする60種を超える放射性元素に汚染されているため、これが地下水に流れ出すことを防がなければなりません。

このため、トーラス室内の滞留水の水位は、地下水の水位より低く維持するようポンプでくみ上げています。このことは地下水が汚染水に流れ込んでいることを意味します。その量は一日当たり400トン(国内用25mプール1.5杯分:月間1万2千トン、年間14万4千トン)と
報告されています。

現在汲み上げられた汚染水は油分離、セシウム除去(ゼオライト)、塩分除去(逆浸透膜)、蒸溜分離などの処理を経て再び1~3号炉の冷却に使われていますが、余った貯留水は淡水、高濃度貯留水、濃縮廃液、濃縮海水などに分けられて保管されています。

●応急設備による滞留水の保管

写真1は濃縮廃液用タンクです。タンク本体はきちんと作られているようですが、乱雑なホース配管が目につきます。この濃縮廃液の処理方法は現在まだ決まっておらず今後数10年に渡って保存しなければなりません。

写真2は淡水貯蔵用タンクです。淡水と言ってもセシウム以外の60種類にも及ぶ放射性元素を含んでいるため、放水や散水をするわけにはいきません。このタンクは写真1のような溶接構造ではなく、鋼板をナットとボルトで留めた構造で、しばしば水漏れ事故を起こしています。最近では、タンクの周辺に土堤を作ることが計画されたりしています。

さらには地下貯水槽の建設も進んでいます。これらの貯水タンク容量は1月29日現在32万トン、2015年中頃までに70万トンとすることで、滞留水の増加に対応しようとしています。

●多核種除去装置(ALPS)

昨年から建設を進めていたセシウム以外の放射性元素約60種を除去する装置(ALPS)の試運転が、2月21日に規制庁から許可されました。この許可には「トリチウム(三重水素)を含む処理水の海洋放出は認めない」という但し書きがついています。ところがALPSにはトリチウムを除去する能力はありません。当初の東京電力の計画は、地下水侵入400トン/日、ALPSによる処理後放・散水500トン/日、結果として
100トン/日の貯留水減少で、2020年初頭に貯水量0となっていたのですが、海洋放出が認められないとすると当初の貯留水の貯蔵・処理計画は破綻します。

●揚水井と遮水壁

地下水の水位を下げて流入水を減らすため、東京電力では原子炉の山側に12本の地下水汲み上げ用の井戸を12本(すでに6本完成)計画しています。

他方、汚染水が港湾に地下水として流れ出すのを防
ぐために、既設岸壁の海側に深さ数10メートルの、岩盤にまで届く鋼管矢板の打設(2014年度中完成)を進めています。

そして既設岸壁と遮水壁の間に地下水ドレンピットを設置して地下水を汲み上げ、ピットの地下水位を平均潮位以下にすることによって地下水が海中へ漏れ出さないよう管理するとの計画です。

ただし、汲み上げた地下水中に含まれるかもしれない放射性物質の処理に関する説明は未だありません。

これらの対策によって地下水流にどのような変化が起こり、流入水がどう変化するかについても、東電の資料には説明がありません。技術的にも、地下水の挙動を正しく推測することは容易ではありません。

●事故収束は原子力技術だけではできない

福島原発の事故収束には、原子力技術とは全く関係のない、このような大きな技術・管理問題があります。今後も十分監視していく必要があるでしょう。


詩人・和合さんが受賞 NHK東北放送文化賞
(2013年3月2日 福島民友トピックス) 東北地方のさまざまな分野で地域の発展に貢献するとともに、放送文化の向上に尽力した個人や団体をたたえるNHK東北放送文化賞に、福島市在住の詩人和合亮一さん(44)が選ばれた。 昨年度まではNHK東北ふるさと賞だったが、30回目を迎えたことから名称を変更した。 和合さんは、高校教師の傍ら、現代詩を中心に詩作活動を続け、中原中也賞なども受賞している。一昨年の震災で被災し、ツイッターで古里への思いを「詩の礫(つぶて)」と題して発信し、注目を集めた。 その活動は詩作にとどまらず、復興イベントの企画参加や詩の朗読活動などにまで及び、NHKの全国放送でも取り上げられた。本県の復興を文化で後押しする活動に対し、昨年6月に福島民友新聞社の「みんゆう県民大賞」を受賞している。 和合さんは「県民の皆さまに励まされ、活動を続けてくることができた。今後も詩作などを通し、本県の現状を伝えるために取り組んでいきたい」と語った。


知事 国の防災指針を批判   NHK福島放送局
03月02日 09時58分

 2月定例県議会は、1日、各会派の代表質問が行われ、議員の1人が原子力政策に対する知事の姿勢をただしました。

この中で、西川知事は、国の原子力規制委員会が決めた原子力の事故に備えた新たな防災指針について「実効性ある計画の策定に不可欠な避難区域の特定方法や甲状腺の被ばくを抑えるヨウ素剤の服用方法などが明らかになっていない」として改めて国の対応を批判し、県として、独自に原発から5キロ圏内の避難計画の策定を急ぐ考えを示しました。

また、原発の再稼働について西川知事は「原発に替わるエネルギーの確保の具体的な見通しがない中、原子力発電は重要な電源で、国が責任をもって原発の再稼働を判断すべきだ」と述べ、安倍政権に代わったことで再稼働の議論が加速することへの期待感を示しました。2月定例県議会は来週、一般質問が行われます。

太字は管理人

☆西川 一誠 Wikipediaから一部引用

西川 一誠(にしかわ かずみ(いっせい)、1945年1月2日 - )は、日本の政治家。福井県知事である。福井県丹生郡朝日町(現越前町)出身。

来歴・人物 [編集]福井県立丹生高等学校、京都大学法学部卒。1968年に自治省入省(同期入省に早川忠孝・谷本正憲・井戸敏三)。

途中香川県、茨城県に出向し、省内の最終職歴は国土庁長官官房審議官。その後1995年から2002年まで福井県副知事を務めた。

2003年3月、マニフェストを掲げ福井県知事選挙(統一地方選挙)に初当選し翌月就任。2007年4月8日、任期満了に伴う福井県知事選挙に出馬(自由民主党・公明党・民主党・国民新党が推薦)、当選した(得票数32万2604票、得票率84.7%)。現在2期目。



(育鵬社)の 教科書を使わない竹富町教育員会は××ー下村文科相
育鵬社の教科書拒否の竹富町を文科相、批判 「法律に基づく採択を」
2013.3.1 14:47 MSN産経ニュース

 沖縄県竹富町教育委員会が八重山地方の採択地区協議会が選んだ中学公民教科書を拒否し、教科書無償給付の対象外となっている問題について、下村博文文部科学相は1日の記者会見で「法律に基づく採択をしてもらう必要がある。一刻も早く解決してもらいたい」と述べ、同教委の対応に批判的な見解を示した。

 文科省は1日、竹富町を直接指導するため、義家弘介政務官を派遣。民主党政権は、町が寄付で調達した別の教科書を独自配布することを容認していたが、下村氏は「法律に基づく無償給付が原則だ」と強調した。

 また、下村氏は教科書採択制度の在り方をめぐり「より整合性を持つよう法改正を検討する必要がある」と述べた。

教科書問題で是正要求検討へ
03月02日 12時48分 NHK沖縄放送局

八重山地区の教科書問題をめぐり文部科学省は、今後も、竹富町が独自に採択した教科書を使い続ける場合には自治体が国の要求に応じて必要な措置を講じる義務を負う「是正要求」を行うことも検討することにしています。

八重山地区の教科書問題をめぐり文部科学省の義家弘介政務官が1日竹富町教育委員会を訪れました。

そして、町が地区の協議会の答申とは別の教科書を採択したのは、地区の協議に基づいて選ばれた1つの教科書が、無償給付されることを定めた法律に違反しているとして指導を行いました。

義家政務官は、このあと、県の教育委員会を訪れ、こうした状態を改善させるため、竹富町教育委員会に対し指導を行うよう求めました。
これに対し、県教育委員会は、「望ましくない状況だと認識しており、しっかりと町に伝えたい」として、この問題の指導に取り組む姿勢を示しました。

訪問のあと、義家政務官は記者団に対し「新年度からも指導を続けていくが、状況が改善しない場合には是正要求も含めて検討したい」と述べ、今後も、竹富町が独自に採択した教科書を使い続ける場合には文部科学省として、自治体が、国の要求に応じて必要な措置を講じる義務を負う「是正要求」を行うことも検討する考えを示しました。


八重山教科書 竹富町教委を指導へ 育鵬社拒否は「違法」
2013年3月1日 琉球新報

 八重山採択地区協議会が選んだ「育鵬社」の中学校公民教科書を竹富町が拒否し、「東京書籍」の教科書を配布している問題で、文部科学省は、違法状態が続いているとして1日に義家弘介政務官を県教育委員会と同町教育委員会に派遣する。同省によると、採択地区協議会の採択に従うよう両委員会に指導するのが派遣の目的だという。

 2011年、石垣市、竹富町、与那国町で構成する八重山採択地区協議会が答申した「育鵬社」の教科書を竹富町が拒否。

 12年度は、第三者が寄付した「東京書籍」を使用しており、13年度も東京書籍版と使う方針を文科省に伝えている。

 文科省は、竹富町教委の対応について、採択地区内は同一の教科書用図書を採択しなければならないとする教科書無償措置法に違反していると主張。

 義家政務官を派遣し、採択地区協議会で答申した「育鵬社」の教科書を使うよう指導する考えだ。

育鵬社

☆育鵬社の教科書の採択を沖縄竹富島が拒否したとはけしからんにもほどがある。国家として許すわけにはいかない。あそこの教育委員会は日教組が牛耳っている。義家なんとかしてこい、文科相 下村の業務命令だ。

義家政務官、竹富町に育鵬社教科書採択迫る
社会 2013年3月2日 10時16分 沖縄タイムス

市民団体が抗議する中、竹富町教委を訪れる義家政務官(中央)。後ろは慶田盛安三町教育長=1日

 義家弘介文部科学政務官は1日、竹富町教育委員会を訪ね、採択地区内で同じ教科書を使うよう定めた「教科書無償措置法」に基づき、同町が採択した中学公民教科書を「東京書籍」版から「育鵬社」版に改め、採択し直すよう求めた。

同町の慶田盛安三教育長は「違法行為はない。採択を改めることはない」と強調し、今月下旬の町教委の定例会で対応を協議すると述べた。

 義家政務官は同日、県教育庁も訪ね、2011年の八重山採択地区協議会(石垣市、竹富町、与那国町)の答申結果に基づき、竹富町が年度内に育鵬社版を採択するよう指導を要請。本年度内に採択し直さない場合は、文科相が法律の範囲内で是正を求める考えも示した。

 また、特別法の教科書無償措置法が、一般法の地方教育行政法より優先するという解釈を展開し、地方教育行政法を根拠に「東京書籍」を選んだ竹富町の対応を批判。

 「来年度の需要冊数が報告できず、子どもたちの教育を受ける権利が不安定な状況が続いている」と指摘、「協議会の答申に拘束力がある。結論に基づかず採択した竹富町は違法。ルールを守っていたら当然無償だ」として、町教委に同社版の採択を促した。

 義家政務官は町教委に対し、今月末までに回答を求める方針を示した。

 「町の子どもに真理を教える教科書採択を求める町民の会」(仲村貞子世話人代表)など町教委の立場を支持する市民団体メンバーら約40人は今回の「指導」が町への不当介入だとして、義家政務官に抗議文を手渡した。

☆たかが沖縄の竹富町ごときが・・。お上が応援する「育鵬社」の教科書を使わんとは!!文科省のいう事が聞けない奴らの言い分なんざ踏みつぶせ、義家、と携帯から下村文科相の声が洩れたとは誰も聞いてましぇん、はい。


今日の冗句  「食べてしまいたい」

結婚するとき

私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。

今考えると

あのとき食べておけばよかった。

    アメリカの俳優 [アーサー・ゴッドフリー]


娘への差別恐れ、車の「いわき」ナンバーを「北九州」に-西日本新聞
 2013年3月1日

北九州市の女性宅には、富岡町から毎月、広報誌のほか地元紙も郵送してくるという広報誌の「富岡町内の放射線量」欄。

自宅に近い「みよし前交差点」は「30マイクロシーベルト以上」とある。 

11日で東日本大震災から2年になる。被災した岩手、宮城、福島3県では6万6千人以上が故郷を離れ、全国1200以上の市区町村へ身を寄せる。

津波で肉親を失った人、原発事故で一家離散を余儀なくされた人、故郷に戻れなくなった人。北九州市には194人が暮らす。「あの日」から2年となる今、被災者はどんな思いで過ごし、私たちに何ができるのかを、考えたい。

 写真の中の振り袖姿の女性たちがピースサインでほほ笑む。福島県富岡町の「広報とみおか2月号」の表紙を見て、44歳の女性は「私も昔、町の成人式に出たのよ」と和やかな表情を見せた。

 北九州市で女性は今、夫、6歳と3歳の娘2人と暮らす。故郷の広報誌は「未来への希望を胸に」との見出しで、町主催の成人式の様子を紹介していた。

 富岡町は、福島第1原発事故に伴い、立ち入りが禁止された警戒区域にすっぽり入る。約1万6千人の町民は全員が町外避難。役場も約50キロ離れた福島県郡山市へ移った。町は「町民の絆をつなぎ留めよう」(企画課)と福島県内外に避難する約7300世帯に毎月、広報誌を郵送する。

   ◇   ◇

 2011年3月12日朝、町の防災無線で「西へ逃げてください」と避難指示が出た。第1原発に異常が起き、政府が「3キロ圏」としていた避難指示の範囲を「10キロ圏」に拡大したためだ。

 女性は数日分の着替えと食料を持ち家族と車で西隣の村へ逃げた。1週間ぐらいで帰られると思ったが、この日以来、帰宅していない。

 午後3時36分、1号機が水素爆発した。「ここにいちゃ、危ない」。夫の実家の北九州市へ車で向かった。道は大渋滞。余震が続く中、トンネルや橋を通るとき、冷や汗が出た。夫の実家には2日後に着いた。この日、3号機が水素爆発した。

   ◇   ◇

 今も娘が熱発すると、まず疑うのが放射能の影響だ。「1号機の爆発で、放射性物質を吸い込んで内部被ばくをしているんじゃないか」。当時、現地で救助に当たった警察や自衛隊員たちは防護服と防塵(ぼうじん)マスクを装着。だが、着の身着のままで逃げた避難者はマスクさえしていなかった。

 娘2人は今、北九州市内の保育所に通う。女性はママ友もでき、周囲は「分からないことがあったらいつでも聞いてね」と温かい。

 ただ、故郷の知人からこんな話も聞いた。茨城県に避難したある家族のことだ。入居するアパートに着いたとたん、周辺住民から「福島の人は来るな。放射能を持ってくるな」と抗議され、福島に戻ったという。

 長女は今春、小学校に入学する。夫は「学校で仲間外れにされるかも」と心配し、車のナンバーを「いわき」から「北九州」に変えた。万一の策とはいえ、故郷を隠すような生き方に「切なさ」が募る。

   ◇   ◇

 娘たちはおばあちゃんがいる富岡町が大好きだった。広報誌をみると、長女は「また雪だるまを作ろうね」と言いつつ、「なんで帰れないの…」と泣きだす。

 広報誌には、町内72カ所の放射線量データを載せた欄がある。女性宅近くの交差点は「毎時30マイクロシーベルト以上」。毎時30マイクロシーベルトは、年間換算で原発作業員の年間被ばく線量限度の5倍を超える数値だ。町は一帯を帰宅時期のめどが立たない「帰宅困難区域」にする案を国に申請する予定という。

 北九州市で暮らして2年-。今も時々、九州での生活が現実でないように感じることがある。女性は広報誌を差し出し、記者に言った。「これ持って帰ってください」。記者が真意を尋ねると、女性は続けた。「これがあると、思い出すから。ここでの生活に集中したいから」


二月二十六日 あの「不祥事件」から、もう77年たってしまった。 八軒家 南斎
一部引用・・

反乱軍は、大蔵大臣、内大臣、教育総監など、三人の高官を殺害し、警視庁、陸相鑑定、陸軍省、参謀本部などを占拠した  

「昭和維新断行、尊皇討奸」を掲げる、一部青年将校に指揮された1400名の兵士が、政治腐敗の元凶として首相など政府要人を襲った。いわゆる「二.二六事件」だ。 
先進国では、まれにみる「乱」であったが、当局は「不祥事件」として扱おうとした。

これに対し皇軍相撃をおそれた陸軍上層部の対応も、当初は「敵と見ず友軍となし」、軍相互の衝突をさけようとした。同調の気分もあり、当初は反乱軍と認定せず、あまつさえ首謀者の動機に義を認めるなどといい、動揺した。

とどのつまり、信頼する老臣を殺害された天皇の予想外のはげしい怒りに会い、青年将校たちの天皇親政のもくろみが消えた。、三日後には、戒厳令がしかれ、かろうじて内乱とならず、反乱軍として包囲鎮定された。


反乱責任者の処分は急スピードですすめられ、3月には特設軍法会議が開かれ、一審、弁護士なし、非公開で、7月には処刑された。

ここらあたりのいきさつは、ぼくもまったく不案内な現代史の盲点だった。ネットでウイキペディアをひらけば、客観性はともかく、事件のあらましの流れはわかる。
松本清張をはじめ関係者の多くの著書にも目を通していなかった。國體の明徴化など天皇制に対する距離感、関係者の歴史観の角度により、それぞれ解釈が微妙にタマムシ色に変わるのが、うっとおしかった。
このクーデターは、陸軍中央の内部の二つの流れの反目抗争に根差していたと後世の史家は分析している。これ以前にも、軍人によるテロが相次いでいた。
君側の奸を払い天皇親政を実現したい皇道派と、きたるべき総力戦にそなえ産軍共同体をもくろむ統制派とである。両派のあつれきはすさまじく、NHK大河ドラマの「八重の桜」で、尊王攘夷と開国といりみだれて戦った京でのテロのはげしさとむなしさと、重なってくる。
大日本帝国としては、しばらくは思い出したくも知られたくもない「不祥事件」として世をはばかるあしらいで、スピーディに一審で終わった軍法会議の資料も公開されなかった。


クーデターの前から、政府首脳を襲うテロは相次いでいたが、日本陸軍は.皇道派が壊滅して統制派を中心に一本化し、これを機にますます力を得た。
シビリアンコントロールは、ここに完全に失われた。
国会も政党政治は、軍部をおそれ無力化した。軍隊の不満が、テロのかたちで、いつどう暴発するかわからない、と世間が思い始めた。
今の中東諸国と同じ国内情勢だった。

最悪なのは、紛争不拡大を願う国や内閣、軍上層の方針と意向を差し置いて、判断を戦闘現場が下し行動する。それが暴走につながる「下克上」の状態におちいっていったことだ。現地軍がしかけた軍事衝突が、しだいに大きな戦争へつながっていった。現場を牛耳る幕僚が独自の判断で、軍の指揮をとる暴走。結果を上層部が追認するという、なさけない組織としてあるまじき流れとなった。これを「幕僚統帥」といったらしい。

そのまま日中戦争へ拡大し、1941年、今、誰が考えても勝ち目のない太平洋戦争に、国を上げて突入していった。国家組織のなかには、シビリアンコントロールという、重大な危険を察知するための正常な抑止メカニズムが機能していなかったのだ。フクシマと同じ状態だった。
あげくのはて国土は焦土と化し、日本国民300万人の尊い人命と海外資産のすべてを失ったのだ。

昭和天皇も回顧されているとおり、開戦時も終戦時も、決断にあたっては、軍部のテロを意識されていたことは間違いない。
ぼくは、さいきんNHKテレビの映像で歴史を学ぶことが多い。
NHKの特集番組は、これまで数度にわたって、この事件を鋭い仮説と発見された資料取材により掘り下げてきた。ぼくの知らなかった新事実と新見解で、不勉強なぼくの目からウロコのおちることしばしばである。

かえりみれば、1931年の「不祥事件」から1945年の敗戦までは、一本道だったといえなくもない。

全文はこちら

落語家の5代目柳家小さんは、兵隊になって3か月目に反乱軍になってしまった。
その顛末はこちら


オバマ大統領はなぜ尖閣問題に「無言」だったのか  北村 淳
日米同盟の強化とは無縁だった安倍首相の訪米
2013年02月28日(Thu) 北村 淳

 安倍晋三首相の訪米に関して、訪米前よりトップニュース扱いをしていた日本のマスコミは、アメリカのマスコミも高い関心を示しているかのようなニュアンスで報道していた。だが、実際にはアメリカでの関心は低調であった。ただし例外的に「ワシントン・ポスト」が安倍首相への単独インタビューを掲載したが、その記事に対して中国政府が反発した模様が若干の関心を引いていた程度であった。

 その安倍首相訪米に関して、アメリカ政府が公表した公式な声明は3つである。まず、安倍首相とオバマ大統領が主に安全保障問題に関して話し合った後に、公式記者会見ではなく記者を前にして共同で「談話」の形として発表した声明。次に、日本のTPP交渉参加に関する「日米共同声明」。それに首脳会談後の岸田文雄外相とケリー国務長官との会談前に行われた共同記者会見での声明であった。

 それらのうち、オバマ大統領の声明とケリー国務長官の声明の中で、アメリカ側は日本の安全保障に関して言及した。まずは、それらの安全保障に関する公式表明を見てみよう。

全文はこちら
2013年3月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
今日の気になるネット情報 / メディア / 世界と日本 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/7253/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

(沖縄)県知事 県外移設求める   NHK沖縄放送局
03月01日 19時38分

県議会の定例議会は1日から代表質問が始まり、仲井真知事は、アメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐって、「地元の理解が得られない辺野古移設案の実現は事実上不可能だ」として普天間基地の県外移設を政府に求めていく考えを改めて示しました。

県議会の定例議会は1日から2日間の日程で代表質問が始まりました。

このなかで、仲井真知事は、普天間基地の移設問題をめぐって日米合意に基づき、名護市辺野古への移設を進める政府への対応について「地元の理解が得られない辺野古移設案の実現は事実上不可能だ」と述べました。

その上で、仲井真知事は、「他の都道府県への移設が合理的かつ早期に課題を解決できる方策だという考えに変わりはなく、日米両政府に1日も早い危険性の除去と県外移設・返還を強く求めていく」と述べ、普天間基地の県外移設を引き続き政府に求めていく考えを改めて示しました。

また、ことし1月、県内すべての市町村の代表が、安倍総理大臣にオスプレイの配備撤回などを直接要請したことについて、仲井真知事は「市町村や各界各層が参加する運動に県が協力し、事態の解決を図ることが適切だ。今後もオスプレイの配備計画の見直しなどを日米両政府に対し、強く求めていく」と述べました。

☆元建設省の技術行政官僚だった仲井真を県知事選挙に送り込んだ中央大本営。東京から彼を送り込むときに沖縄の地元出身者だから当選を見込めると読んで候補に立てた。事実彼は知事になった。

中央から送り込んだ、その仲井真がまさか中央官庁を裏切る発言を繰り返すとは・・と、腹は煮えくりたぎっている???。

 ちょっと前までは仲井真と中央官僚は出来レースで、シナリオがきちんとあって漫才をやっているのかと見ていたが、どうもそうでもなさそうだ。

 新潟県知事もそうだが、わずかながらも中央に顔を向けずに地元の県民に顔を向ける知事が出てきている。

◎戦前最後の官選沖縄県知事「島田 叡」は神戸人だったが、彼は任地の住民のために尽くし、任地沖縄で戦塵の中に死んだ。 こちら

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 居酒屋E❝e❞の女将の川柳と俳... | トップ | 4月23日に目に留まったSNS・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

東日本大震災ブログ」カテゴリの最新記事