阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

 マイントピア別子       新居浜近郊の紅葉狩り その2/4回

2014年11月29日 | 新居浜便り
新居浜市に住む昭和41年からの旧友Iさんからメール着信。⇒「10/22~24の三連休は穏やかな天気が続いたので近辺の紅葉狩りに出かけました。
【マイントピア別子=新居浜】
約300年続いた別子銅山は昭和48年に閉坑。 豊富な観光資源を利用して道の駅として温泉も兼ね備えた設備。
 市内にあった[泉寿亭]玄関などの一部が平成3年にマイントピア別子のそばに移築された。
泉寿亭は銅山開坑250年記念のお客様をお迎えするために昭和12年に建てられた旧接待館でごく限られた上級幹部社員しか利用することが出来なかった。

京風数寄屋造りの味わい深い建物。 たくさんの見学者が訪れる。



昔、作業者を坑内に運んだ鉱山鉄道は現在は観光客をトンネル坑内のいろいろなジオラマ見物案内として運用している。

トロッコ、斜行巻き、立て坑巻きを乗り継いでやっと海面下800メートルの採掘現場に到着する。 
小生が確か入社6年目の頃に立て坑巻き(人用エレベーター)官庁検査立ち会い、引き渡しのため、
あのITOのNohーさん(阿智胡地亭の入社後最初の直属上司でもある)に命じられ3回(3台納入したので)熱い地下で仕事をしました。 
なぜかあまり怖さもなかったのが不思議ですね。

丁度、寒桜が満開の時期でイベントが開催されていた。春に比べると派手さはないが満開に咲いていた。





[東洋のマチュピチュ]とPRしている東平地区(とうなるちく)という場所。 マイントピアから約30分の
山中に位置し、かつては採鉱本部があり社宅、小学校、劇場、接待館なども備えて約5000人が暮し
大変賑やかで大きな町を形成していた。

大きな鉱石貯蔵庫の跡





約2600万円の価値のある金鉱石(金鉱脈がハッキリ見えている)が展示されていた。
住友金属鉱山の菱刈鉱山(鹿児島)から産出したもの。
金鉱石の採算ラインは原石1トン当たり3~4グラムと言われるがこの鉱石は約2トンに
金6.1キログラム、銀2.3キログラムとケタ違いの量を含有している。 菱刈鉱山が
いかに金含有率では世界屈指でスゴイ鉱山かといわれているかの理由です。

新居浜の大人太鼓台は約3トン近い太鼓台で知られています。 道の駅展示の子供太鼓台は
小型ですがウン千万円かかるそうです。

明治45年に建設された597mの落差を利用した水力発電所が見えます。
設備はドイツのシーメンス社から輸入され、当時としては大型で4800kWの能力を持ち長く大活躍しました。








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