阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

日仏合作映画「FOUJITA」を観ました。藤田嗣治はタフな絵描きだと思った。

2015年11月29日 | 音楽・絵画・映画・文芸
明治の時代にセレブの家柄に生まれた藤田嗣治は、東京美術学校を出たのち27歳で1913年(大正2年)に渡仏し、パリのモンパルナスに居を構えた。当時のモンパルナス界隈は町外れの新興地にすぎず、家賃の安さで芸術家、特に画家が多く住んでおり、藤田は隣の部屋に住んでいて後に「親友」とよんだアメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティンらと知り合う。また彼らを通じて、後のエコール・ド・パリのジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、アンリ・ルソー、モイズ・キスリングらと交友を結びだす。 引用元
彼は貧窮の中でフジタの白と呼ばれる色調をあみだし、猫と裸婦像で有名になって売れる絵描きになった。そのおかっぱ頭とともに。








 パリがナチスドイツに占領される直前に2回目の帰国をして戦時中は陸軍美術協会理事長に就任、戦争画の製作を手がけた。敗戦後その画と行為が戦争協力者と執拗に攻撃された。彼は日本にいることに嫌気がさし1949年に日本を去り二度と戻ることはなかった。
 この映画はそのフジタを俳優のオダギリジョーが瑞々しく演じている。これまでフジタには何となくやさしげなイメージを持っていたが、この映画の監督は二つの国でそれぞれ自分がやりたいことをやり抜いた勁い「個」を持つ、日本人の男には珍しい人間として描いていた。そしてまた戦争がいずれの国の人間の芸術活動を押しつぶしていくことを。

この映画のパリも日本も、スクリーンに現れる風景と音が素晴らしい。墨絵の中で物語が進んでいく。
エンドロールを見ていると「ロケハン担当」というスタッフ名があった。これは日本映画にはない職種だ。
 このフランス人がパリで見つけた戦前の街と日本の自然を見るだけでも価値がある。


コメント (2)
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