庭園の茶店でのみ販売されているお茶菓子。
野菜の砂糖菓子で江戸時代から和菓子屋で日常的に作られていたそうだが 今はこの製品だけが残っていてここでしか買えない。
それぞれ大根、人参、牛蒡の香りとテイストを味わうことが出来て驚いた。
秋の百花園を気持ちよく歩いた
庭園の茶店でのみ販売されているお茶菓子。
野菜の砂糖菓子で江戸時代から和菓子屋で日常的に作られていたそうだが 今はこの製品だけが残っていてここでしか買えない。
それぞれ大根、人参、牛蒡の香りとテイストを味わうことが出来て驚いた。
秋の百花園を気持ちよく歩いた
今年一月に猛烈な腹痛を起こし墨東病院の緊急外来窓口に駆け込み 憩室炎と分かった。
そして内視鏡検査を受けて 治まった。 その時のレントゲン撮影で気になる箇所があるとCT検査も勧められ
半年後の2回目の検査だった。結果を聞きに12月中旬にまた墨東病院に行く。
調べると医者の眼から見れば気になる必ず何かが出るのは 歳からして当たり前なのかもしれない。
上野公園・東京都美術館・不忍池2411 YouTube画面の右下に全画面アイコンがあります。
平日なのに 上野駅公園口出口から東京都美術館の間の空間は日本各地やインバウンドの方々で縁日のような人出だった。
東京都美術館では当日券を買うまでに40分、会場に入場するまで40分、合わせて一時間20分かかりますと案内の人が・・。
残念ながら幸期幸齢者の我々二人には この日その時間を立ったまま少しずつ移動する体力気力はなく鑑賞をあきらめた。
その会話の間にも続々と「田中一村展」を目指して年配の男女が引きも切らなかった。
全作品を見たかったなぁ!!
止む無く不忍池にまわり 池のほとりのベンチで一休みしてから ランチの店を探して歩き 最終的には丸井九階の「マトリューシカ」でランチとなった。
旧中川で群れる雀軍団241112
【ヨシ(アシ)とは】
・北海道~沖縄の各地に分布するイネ科の多年草。川岸や沼地などの水湿地に育ち、泥の中に地下茎を広げて繁茂する。
古くはアシと呼ばれ、現代でも一般にアシと呼ばれることが多いが、アシは「悪し(あし)」に通じるとし、縁起を担いでとしてヨシ(善し)とする。標準和名もヨシ。
・北半球の暖帯~亜寒帯に広く見られ、朝鮮半島や中国にも自生するが、古事記や日本書紀では日本国を「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」と称しており、
本種はイネと共に日本を象徴する植物とされる。万葉集にはヨシを謳った句が50近くもある。
・かつては各地の川原で普通に見られたが、土手が作られ、土手がコンクリートで覆われたことで個体数は減りつつある。
その群落は水鳥、魚、水棲昆虫、小動物などにとって貴重な生活の場であるとともに、根には水質を浄化させる作用があるため、各地で復元が図られている。
・アシ(ヨシ)の語源については、葉が青味がかっていることを意味する「青し」が転訛したとする説、
本種が始めに日本で生じた植物であり、始まりを意味する「はし=端」が転訛したとする説、浅い水辺に生えるため「浅」が転訛したとする説などがある。
・葉は長さ50センチほどの細長い線形で、先端は次第に細くなって垂れ下がる。表面はやや青味がかった緑色で、
複数の葉脈が走るがの中心部にある主脈は目立たず、ススキやセイバンモロコシとは異なる。葉の縁はススキと同様にザラザラしており、手を切りやすい。
・葉は太い茎から互い違い出て水平に開くが、生育地の風向きによっては、片側にのみ葉を生じる「片葉の葦」となる。また、茎は節間が長いため葉はまばら
☝引用元
241112旧中川に魚が跳ねるのを見た
近くのコミュニティ会館で 健康マージャンの支部例会を5時間ほど楽しく過ごしたあと 旧中川河畔に出て遊歩道を「ふれあい橋」まで散歩した。
支部長のお話では当区全体で21の支部があり 会員総数は800人ほどになっていて おそらく日本で一番大きい規模の健康マージャン倶楽部ではないかとのことだ。
各地区のコミュニティ会館で週一度、七十歳代や八十歳代の爺婆たちが 真剣に卓戦に挑み楽しんでいる。
(健康マージャンとは 賭けたりせず囲碁や将棋のように純粋にゲームとして勝ち負けを競うマージャン)
終わってからすぐ近くの旧中川の定点観測地点に行って 遊歩道を歩き 久しぶりに鴨の姿を身近に見ることができた。
(動画の後半にボラが跳ねあがるシーンが偶然写っていました。YouTube画面右下の全画面アイコンを押して大きな画面で見てください。)
全画面アイコン
日比谷シャンテで映画パーフェクデイズを見た
有楽町駅で降りたのは久しぶりだった。以前時々入った懐かしい「有楽町電気ビルジング」clickの前を通って
東京ミッドタウン日比谷の前のTOHOシネマズシャンテに向かった。
11月のOh散歩カイは江東区にある「清澄庭園」だった。 会員は40年以上前くらいに神田の事務所で職域が一緒だったメンバーだ。
会員は愛媛県の新居浜市で 時期はばらばらだが工場の同じ独身寮に住んでいたことがある。
241101清澄庭園
webから引用
三菱の創始者である岩崎弥太郎が明治期に完成させた庭園だが、大名庭園の形式を取り入れており、泉水・築山・枯山水を主体とする回遊式林泉庭園に分類される。
清澄庭園があった土地は、元々は豪商の紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、江戸時代後期の享保年間には下総国関宿城主の久世大和守の下屋敷になる。
2000年から2年間 月に2回ほど 芝2丁目の東京グランドホテルに近いところにあった会社に
神戸から通っていたので、東京タワーは近い存在だったが登ったことはなく、すぐ近くまでも歩いたことはなかった。
この日タワーの対面にある芝公園ビルにあるニュージーランド牛のステーキハウスに行った。