阿部ブログ

日々思うこと

GCHQによる対イスラエル傍受作戦とキプロスの「アギオス=ニコラオス」基地

2016年01月30日 | 雑感
英政府通信本部 (Government Communications Headquarters) の中東エリアにおける中核的傍受サイト「アギオス=ニコラオス・サーベイランス・ステーション」(Ayios Nikolaos surveillance station)において米国家安全保障局 (National Security Agency) と共同で "Anarchist" プロジェクトを展開。"Anarchist"は、イスラエル政府とイスラエル国防軍(IDF)を対象とする電子傍受作戦である。The Intercept(2016/1/29)によれば、IDFのUAVや戦闘偵察機機の偵察動画を盗聴しているとしていると報じている。
対イスラエル電子傍受作戦の拠点は、前述の東キプロス島にある「アギオス=ニコラオス・サーベイランス・ステーション」である。この傍受基地は、衛星傍受と海底ケーブル傍受を行う電子傍受の一大拠点で、運用費用は、NSAが拠出している。
「アギオス=ニコラオス・サーベイランス・ステーション」には、様々な傍受用アンテナが設置されており、珍しいトーラス・アンテナもある。トーラス・アンテナは同時に35基の衛星通信を傍受できる優れもので三沢にもある。
トーラス・アンテナは準放物線状の長方形状で、 従来の衛星アンテナとは異なり、受信ヘッド(低ノイズブロック (LNB))、またの名ダウンコンバータは、アレイ状に配置している。
「アギオス=ニコラオス・サーベイランス・ステーションのステーションコードは「SOUNDER」で、トーラス・アンテナ以外の電子傍受用アンテナは下記の通り。
33メートル✕1基、18メートル✕3基、12メートル✕2基、8メートル✕3基、6メートル✕1基、5メートル✕2基、4メートル✕7基、3メートル✕2基、2.5メートル✕6基。

ウクライナ、ポーランド、バトル三国の軍事情勢

2016年01月29日 | 雑感

ブラッド・ランドの地が、またキナ臭くなってきた。
  

ホワイトハウスは、2017年度の 国防予算教書において、European Reassurance Initiative関連予算を増額するとして公表。その要求額は2016年度の4倍の34 億ドル。
これに呼応するように、NATO Force Integration Unit(NFIU)の組織作りが着々進められている。拠点は下記の6箇所。
 (1)Bucharest (ルーマニア)
 (2)Bydgoszcz (ポーランド)
 (3)Riga (ラトビア)
 (4)Sofia (ブルガリア)
 (5)Tallinn (エストニア)
 (6)Vilnius (リトアニア)
NFIUは、上記の各国軍とNATO軍の双方を取り持つ組織で、2016 年 7 月実戦体制を整える。これはワルシャワ・サミットに合わせるという意味があり象徴だ。
それと、リトアニア、ポーランド、ウクライナ3国は、合同旅団(4000人規模)の組織し、 2017 年までに実戦体制を整える予定。この旅団は対ロシアで共闘することに最大の意義がある。特にポーランドが主導する(Very High Readiness Joint Task Force に、イギリス軍1000名を派遣する計画もあり、またポーランドのDuda大統領は、NATOの事務総長との会談で、可能な限り常続的なプレゼンスの確保を要請している。対ロシアについては、ポーランドは過去の経験から楽観しておらず安全保障面で妥協する気はない。

ロシアのクリミア介入後、東欧諸国などで特殊作戦部隊を新設・強化する動きが活発化している。チェコは第601特殊作戦群を補完・補強する部隊の編成を検討。直接ロシアの脅威に直面しているウクライナは 特殊作戦部隊を強化し、新たな特殊作戦訓練所を開設している。

ロシアの進出と脅威を軽減するブラッド・ランド諸国の防衛努力が報われるように祈りたい。

インドの位置測位衛星IRNSS-E打ち上げ

2016年01月21日 | 雑感
インド宇宙研究機関(ISRO)は1月20日13時1分(日本時間)、インド宇宙研究機関が、位置測位衛星「IRNSS-1E」を搭載した「PSLV」ロケットを、サティシュ・ダワン宇宙センター(Satish Dhawan Space Centre)の第二発射点から打ち上げ。インドの位置測位衛星システム「IRNSS」は、日本の準天頂衛星と同じで、インドを中心とした位置測位を行うもので、GPSと同じ周波数を使っているのも準天頂と同じ。
今回のIRNSS-Eで5機目となる測位衛星は、傾斜地球同期軌道に投入された。使われたロケットは、PSLV (Polar Satellite Launch Vehicle) シリーズの PSLV-C31で、これで5基目。残る2基の打ち上げでインドの衛星測位システムは完成する。

大元帥日誌 その3 八甲田の彷徨

2016年01月16日 | 雑感
明治35年1月23日
早朝、第8師団歩兵第5歩兵聯隊第2大隊第5中隊中隊長・神成文吉大尉の指揮にて冬季雪中行軍に出発。目的地は八甲田山。この中隊規模の行軍部隊には、第2大隊長の山口少佐と臨時移動大隊が随行した。陣容は、山口大隊長と神成大尉を含む将校9名、軍医1名、見習士官2名、特務曹長4名、下士官兵194名、臨時移動大隊本部16名の総勢210名。中隊規模での行軍編成だが、199名が死亡すると言う大惨事となった。
この同じ時期に八甲田冬季行軍は、弘前第31聯隊も行っている。指揮官は、第31歩兵聯隊第1大隊第2中隊長の福島泰造大尉で、38名の八甲田冬季行軍部隊は無事に青森に到着している。
福島大尉は、明治36年10月に、第32歩兵聯隊第10中隊長として山形に転任。その後、日露戦争に従軍し、「黒溝台の会戦」で戦死。敵中に突撃しての壮烈なる戦闘死であった。享年38歳で、八甲田から3年目のことである。
後に、大元帥の弟とされる、秩父宮が第31聯隊第3大隊長として昭和10年8月に着任。翌昭和11年2月26日の事件発生に際しては、直ちに上京し、翌27日には大元帥に面会している。

皇太子の嘉仁は、青森第5聯隊の死の彷徨を聞いて漢詩を詠んだ。

   聞青森聯隊慘事(青森聯隊の惨事を聞く)

衝寒踊躍試行軍(極寒を衝いて意気軒昂、行軍を試みる)
雪満山中路不分(雪は八甲田山に満ち満ち、行軍路が分からない)
凍死体言是徒事(しかし、彼らの死は、単なる凍死ではない)
比他戦陣立功動(彼らの死は第一線での戦功ある死と同じである)

踊躍という言葉は、詩経に見えるが、報徳記にも「速やかに斯に従事せんと踊躍して邑に帰り」とある。
この詩は、後に大元帥となる嘉仁の軍に対する考え、態度が行間に読める。軍の近代化と合理的な訓練・装備が必要であるとの認識を深め、そして確信した。これが大正政変の伏線となる。

インドの衛星測位システムが本格稼働する

2016年01月15日 | 雑感
インドの衛星測位システムIRNSS(Indian Regional Navigational Satellite System)が、2016年前半に予定されていた衛星が全て揃い本格稼働する予定。
IRNSSは、7機の静止軌道にある航法衛星から構成されるが、Indian Space Research Organization(ISRO)は、2013年5月28日「ISRO Navigation Centrer」をバンガロール(Bangalore)から約40kmの Byalalu にあるIDSN (Indian Deep Space Network) 内に開所している。
宇宙省によれば、IRNSSで使用する衛星の内、IRNSS-1A/1B/1C/1D は打ち上げ完了。残りのIRNSS-1E/1F/1G は、今年(2016年1月~3月)に打ち上げる予定。残りの衛星が打ち上がると、インドが「戦略的に重要」と位置付ける衛星測位システムが完成する。インドのIRNSSは、日本の準天頂衛星システムと同じ、地域限定型で、GPSやロシアのGLONASSなどのように全地球をカバーするシステムとは違う。

※「インドの衛星測位システム「IRNSS」 と 海洋監視能力向上、それと新明和US-2飛行艇
 「インドのNational Maritime Domain Awareness (NMDA) プロジェクト
 「着々と海軍力と沿岸防衛監視能力を強化するインド
 「そぞろ中印国境が緊張状態に~インド山岳戦闘部隊創設~
 「日本とインドの軍事同盟 ~日印ラッパロ条約を締結せよ~
 「中印国境地帯「マクマホン・ライン」 と「 カシミール国境

日本の原爆開発~朝鮮のウラン資源~

2016年01月11日 | 雑感

日本の原爆開発は謎に包まれている。通信傍受と暗号解読に従事した特種情報部など日本軍の枢秘に関わる部隊の全貌は明かされる事ががない。保坂正康の『日本 原爆開発秘録」は、ドイツの原爆開発と同じで開発を断念したと言うステレオタイプだが、それは言わずもがなだ。ドイツのUボートが日本に運んだのは、従来言われている酸化ウランではなく、U235である。理由はウラン自体は、朝鮮で採掘可能だからドイツからの移送は必要ないのだ。

日本の原爆開発で語られない事実がある。植民地・朝鮮でのウラン資源開発である。朝鮮黄海道菊根鉱山のフェルグソン鉱にはウラン8.4%が含有されている事は、朝鮮総督府地質調査所の調査で明らかになっていた。また昭和9年、大同江、清川江からトリウムや希土類を含むモナザイト鉱(モナズ石)が大量に賦存している事が判明。原爆開発促進の為、昭和19年、閉山していた海月面の菊根鉱山を軍の支援を受けて理研が再開発に着手。終戦後、仁川の理研プラントで発見された3トンのフェルグソン鉱はこれだ。この年の末には、マレー半島から錫の残渣アマン4500トンが神戸に到着している。
理研は、大正11年からウラン資源探査を行っており、植民地・朝鮮では、大きな河川の河床砂には、モナザイト鉱やサマルスキー鉱(最大20%のウランを含有する)が含まれる事を知っていた。それで朝鮮半島各地から黒砂を収集し、仁川、豊基、西氷庫(理研朝鮮工業所の3箇所に選鉱場を設けて、黒砂、河床海浜砂を精選していた。本格的は調査は昭和14年からで外金剛面の海岸での探査、昭和16年、京城郊外の漢江の砂床(黒砂)を10万坪分を試掘探査、昭和17年、東南海岸線の襄陽邑から浦項邑に至る砂床調査、昭和18年、洛東江上流の砂床調査、昭和19年、そして黄海道延白郡の菊根鉱山の再開発に至っている。
結局、理研が朝鮮で集めたウラン資源は、黒砂1200トン、ジルコンとモナザイト鉱(酸化トリウム含有10%)20トン、フェルグソン(酸化ウラン4%)3トン、米国カルノー鉱100トン、触媒用銅ウラン合金10トン、若干の満州国ユークセン鉱などだ。
理研は、朝鮮で4つのジルコン、モナザイト鉱山を運営し、採掘された鉱石は、ソウルにある朝鮮工業振興会社で分離された後、仁川の理研希元素工場に送られた。軍の命令で理研は、黒砂を1942年に142トン、1943年489トン、1944年から終戦まで800トンを本土の理研に送り届けている。結果として酸化ウラン300kgを生成しているが、現実はもっと多いのだろう。

これが、冒頭に申し述べたドイツから危険を冒しての酸化ウラン輸送は不要であった理由である。輸送するならばU235でなくてはならない。

※過去ブログ:長崎の秘密~原爆の目標はカトリック&浦上天主堂、そして日本の原爆開発~

創立30年の歩み 第一特科団本部中隊 その1

2016年01月09日 | 雑感
掃除していたら「祝 創立30年の歩み 第一特科団本部中隊 昭和57年10月30日」が出てきた。
この冊子が作られた時の特科団長は、合原博見陸将補。特科団長在任中に陸将に昇進。その後、第12師団長に親補された。
前任の木下陸将補は、怖いオジサンだったが、個人的に合原さんには好感が持てた。
しかし、昭和60年の日本航空123便の撃墜か墜落かは分からないが、当地を管轄する師団として出動。
ご苦労された事と思います・・・

◎昭和27年 初代中隊長 1等保安士 三好正衛
 10月15日 宇都宮にて編成完結(栃木県河内郡省宮村)
 10月15日 保安庁長官指揮を執る
 10月15日 特科学校長指揮を執る
 12月16日 長官の指揮を離れ北部方面総監の指揮に入る(※特科学校長の指揮を離れ・・・が正しいような気がするが、愛嬌)
 12月17日 宇都宮より札幌へ移動(北部方面隊特科団本部中隊として発足)

◎昭和28年 2代中隊長 1等保安士 酒井行雄(4月21日着任)
  1月15日 新隊員10名
  2月23日 方面年次監察受察
  2月28日 中野方面総監初度視察
  3月13日 重材量輸送訓練
  4月21日 三好1士団本部付
  5月13日 臨時監察受察
  5月14日 団小火器射撃競技会・団通信演習
  5月16日 第301観測中隊編成完結
  6月27日 団・自動車競技演習
  8月10日 西野衛星監視察
  8月16日 高山団長1幕所属
  8月29日 団・銃剣格闘訓練参加
  9月 2日 団長初度視察
  9月27日 団・秋季訓練実施
 10月21日 28年度方面秋季査閲功労(山口3曹・3級賞詞)
 10月27日 上半期方面年次監察受察


北朝鮮の核実験~WC-135で検証

2016年01月07日 | 雑感

北朝鮮の核実験後、米空軍・第45偵察飛行隊のWC-135Wにより検証される。
WC-135Wによる核実験の測定は、核実験が行わた北朝鮮の地下施設(11箇所)の気象条件から最適な測定位置を算定し、WC-135Wをその空域に配置する。勿論、偏西風も考慮。
北朝鮮の地下施設とは、平安北道の西位里地域、両江道の四洞地域、慈江道の下甲地域、平安南道の永徳洞地域など北朝鮮の北部地域である。それと平安北道の金倉里、咸鏡北道の豊渓里などが重点監視地域である。
さて核爆発を確実に検知するためには、核爆発の検知に有効な半減期が6時間から1000年の核種で、ガンマー線を放出する核分裂生成物46の核種と、放射化生成物42の核種を観測装置で捕捉する。これら放射性核種のうち、特に不活性ガスの放射性キセノン(131mXe, 133mXe, 133Xe, 135Xe)をフィルター上に捕集し,Ge半導体検出器によるガンマー線スペクトロメトリーによって観測し測定される。

WC-135Wは、大気中の粒子状放射性核種を気象条件を勘案した空域において、フィルター(ポリプロピレン樹脂製等)を通して粒子状放射性核種を集する。捕集フィルターはフィルター面を移動させつつ、常に新しいフィルター面で粒子状放射性核種を捕集する。新しい面で捕集を行っている間、捕集された粒子状放射性核種に含まれるウラン及びトリウム系列の短寿命の天然放射性核種であるラドンの娘核種の放射能を減衰させるため、速やかに冷却する。これがポイント。
冷却したフィルターを鉛遮蔽体のGe半導体検出器エンドキャップ部に巻きつけて、帰還後を測定するのだ。当該フィルターは,ポリエチレンシートに封入して保管される。
因みに粒子状放射性核種の測定装置は、米国製のRASA6とフィンランド製のCINDERELLAが一般的な観測装置である。
放射性キセノン測定装置としては、SAUNA(スウェーデン製)、SPALAX( フランス製)、 ARIX(ロシア製)など3種類の測定装置があり現在も使用されている。
WC-135Wが実装する粒子状放射性核種を捕捉するフィルターは、核分裂生成物の核種と、放射化生成物の核種の全てを測定し、機上の分析装置でリアルタイムに近い時間で結果がでる。

今回の核実験は寝耳に水との報道があるが、そうでは無いらしい。中国と韓国は知らなかった。北朝鮮の核は中国に指向されており極めて重大な脅威。中国共産党軍最強の瀋陽軍がキー。瀋陽軍は、自衛隊で言う所の北部方面隊で、機甲師団/機動歩兵部隊など重戦力を有する。中国東北部(旧満州)は、万里の長城の外にある匈奴で漢民族ではない。清朝・愛新覚羅を担ぎだして最終的には独立する可能性があり注視。日本とロシアはモンゴル支援。中国は首都を北京から古都・長安こと西安に移す。北京近郊まで砂漠化が進行しており、水不足が深刻で持続不可能・・・

中国とロシアの空母建造計画

2016年01月05日 | 雑感
年始早々のサウジとイランの国交断絶と中国株の下落に始まるという波乱含みだが、そんな中、中国が南シナ海のFiery Cross Reefの飛行場(3,000m)に航空機を着陸させている。ベトナムは、直ちに主権の侵害であると抗議を行っている。南シナ海もきな臭い。

さて、中国国防部は、大連で新型の空母を建設していると発表している。原子力ではなく通常型らしいが、排水量は 50,000t級で設計も中国国内で行っているおり純国産んにこだわっている。海上自衛隊最大の護衛艦である「いずも」の基準排水量は19,500トンで満載排水量は26,000トンなので一回り大きい船体となる。大型標的艦が一つ増える事になる。日清戦争の時のように撃沈されるだけだ。
片や、ロシアも2019年から新型空母の建造を開始する意向を示している。現役のクズネッソフ(Admiral Kuznetsov)は2030年まで運用すると言う。本格的な外洋型の航空母艦に仕立てあげて、やがて地中海あたりを遊弋するようになるのかもしれない。

中国共産党海軍のクズ空母「遼寧」では艦載機の離発着の訓練が行われていると報じているが、これら艦載機部隊が、新型空母に配属されるだろう。

大元帥日誌(2)川村伯爵邸での保育と運照による祈願

2016年01月03日 | 雑感
明治33年7月7日
9時、東宮御所から枢密顧問官 川村純義伯爵邸(麻布区飯倉狸穴町)に移動。場所は、現在の六本木狸穴。川村純義は、海軍中将正二位勲一等で伯爵である。
現在ではロシア大使館の裏手にある「東京アメリカン・クラブ」と「麻布台パークハウス」がその跡地である。南向き20mの高台にあり、50年の定期借地権ではあるが、日本でも最高クラスの優良地である。この東京アメリカン・クラブは会員制で、入会金300万円。月会費は4万円との事。会員2名の紹介と英語での面接を経る必要がある。
東京アメリカン・クラブは、麻布台パークハウスと一体で3年がかりで建設された。設計は、ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ(Pelli Clarke Pelli Architects)。東京アメリカン・クラブと麻布台パークハウスは地下連絡通路で繋がっている。それぞれ地下5階と6階と結構な地下構造を有する。勿論、地下構造物は、ロシア大使館の敷地に隣接する。戦後の川村邸は、米露の諜報最前線である。
東京アメリカン・クラブに入って行くと、左手の小庭に旧帝國ホテルの大谷石壁彫刻の一部が置かれている。銘板には、下記のように書かれている。

『HERE LIE SOME REMAINS OF
FRANK LLOYD WRIGHT'S
AMAZING BRAIN CHILD
THE IMPELIAL HOTEL
born 1919-died 1968』

フランク・ロイド・ライトは、言わずと知れたアイン・ランドの『水源』(The Fountainhead)の主人公で、日本では旧・帝國ホテルの設計で有名だ。アイン・ランドは、リバタリアンの始祖である。

明治33年7月10日
川村伯爵の要請により、真言宗律師釈雲照が裕仁の健康祈願の加持祈祷を行う。これより、明治37年10月まで毎月安泰祈願の加持祈祷をおこなう事となる。釈雲照は、廃仏毀釈が吹き荒れる明治にあって、断固として反対・抵抗した人物である。
明治政府が派遣した勅使から、高野山の女人禁制を解くよう命令した時、運照は敢然と反対意見を申し述べた時、違勅であるとの指摘に対し、「当山の女人禁制は歴代天皇の詔勅に明らかである。これを変えよとするのは天皇の叡旨に背くもので、閣下が、今上陛下の勅使として私の不礼を咎めるなら、私は歴代天皇の勅使としての閣下の罪を咎めるであろう」。(「現代密教 第14号」釈雲照の生涯素描-全体像の把握に向けて-大塚秀見)
運照は、この一件後、高野山から、京都東山にある勧修寺の住職に転ず。この寺は真言宗の山階派の大本山で、後醍醐天皇の生母である藤原胤子の願で創建された定額寺である。定額寺とは、官寺に準じて鎮護国家を祈らせた寺で、勧修寺は、代々皇族が住職を務める寺である。
運照最大の功績とされるのが、「後七日御修法」の再興である。正月1日から7日までは宮中で神事が行われ、その後の7日間は仏事が行われたので後七日。東寺の阿闍梨が宮中の真言院で玉体護持、鎮護国家を祈るのが「後七日御修法」で、空海の上表により承和2年から行われている。
「年中行事秘抄」には、正月八日 「修真言院、甲年金剛界、乙年胎蔵界、輪転行之、謂之後七日御修法」とある。

明治34年8月6日
午前、陸軍中将 乃木稀典が川村伯爵邸を訪問。
乃木は言わずと知れた日露戦争時の第三軍司令官。旅順攻略戦で功績のある将官である。大元帥睦仁が死んだ時、希典は夫人と自害した。夫人と共に自害した将官の事例は、大東亜戦争の敗戦時の杉山元夫妻しかない。
乃木稀典は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で無能な司令官のように書かれているが、司馬の小説は史実に基づかない完全なフィクションであり、乃木希典の再評価が必要である。司馬遼太郎の小説をあたかも史実として読んでしまう悪弊は、是正されねばならない。
平成に入り、児玉源太郎、鈴木荘六、井上幾太郎、福島安正、大庭二郎、大谷喜久蔵、田中国重、松川敏胤など、当時の重要人物の一次史料が発見され、これら新史料に基いて書かれたのが 『日露戦争陸戦史-覆される通説-』(長南政義)である。

明治34年8月21日
運照より、お守りとして虚空蔵菩薩が樺山伯爵邸に届く。
樺山資紀の息子・樺山愛輔は、川村純義の娘・常子を娶っており、川村家に連なる薩摩系である。
樺山伯爵邸は、麹町区永田町一丁目十七番地あり、設計は山下啓次郎。樺山邸は、昭和4年の昭和大恐慌後に、三菱銀行会長の串田萬蔵に譲渡された。串田は、大恐慌時、東京銀行集会所会長で、高橋是清と共に事態の収拾に活躍した。その後の串田邸は、吉田茂に売却された。吉田邸は、当初、陸軍省兵務局兵務課警務連絡班(兵務局分室)、その後、防衛課(秘匿名「ヤマ」)と呼ばれた防諜機関の監視下に置かれたことで有名。「ヤマ」の監視は、電話盗聴、手紙の開封、尾行など最新鋭の監視装置が導入され徹底した監視が行われた。「ヤマ」の監視対象は、吉田茂の他、日米協会長の樺山愛輔、原田熊雄、岩渕辰雄、殖田俊吉、池田成彬、近衛文麿などである。

年明け早々にサウジがイランと国交断絶

2016年01月03日 | 雑感
年明け早々の1月2日、サウジが収監していた過激派47名の処刑を行った。この中にシーア派の指導者のニムル・アル・ニムル(Nimr al Nimr)56歳が含まれていた。即座にイランはサウジへの非難声明を出した。この声明に対し、すみやかにイラン大使をサウジ外務省に召喚し、極めて厳しい語調で内政干渉であると避難。
これがイランに伝えられると、テヘランでは群衆がサウジ大使館に結集し火炎瓶を投げ込むなどした後、大使館の敷地内に乱入。テヘラン以外でも総領事館がある、ホラサン県・マシャドでも焼き討ちの憂き目にあっている。
これを受けて、サウジはイランに国交断絶を言い渡した。イラン大使館は閉鎖され、外交官や家族は本国に帰国する。
ペルシャ湾に挟んで対峙することとなるが、イランは米空母にミサイルを発射するなど動きが敵対的である。

年末のクリスマスで、ローマ法皇が「2015年のクリスマスが人類最後になるかもしれない・・・」などと発言するなど、2016年は、大規模な破壊を伴う交戦やテロに警戒しなくてはならない。

正月にレオ・シュトラウスの『自然権の歴史』を読む

2016年01月02日 | 雑感
ペイパル(PayPal)マフィアの一人であるイーロン・マスクがCEOを務めるSpaceXが、再利用可能なFalcon9ロケットで商用通信衛星の打ち上げを行った。画期的なのは、再利用可能と謳っているいるように、打ち上げた第1段のロケットを発射完了後に、逆噴射させ無事着陸させる事に成功している。
第1段目のロケットを回収できれば、打ち上げコストの削減に大きく貢献する。SpaceXは、既に米空軍の打ち上げ承認を昨年5月に得ている。今後は偵察衛星、通信傍受衛星、第三世代のGPS衛星などの打ち上げて活躍するだろう。

さて、ペイパルマフィアとはどのような人達か?
1998年に起業したPayPalは、オンラインでの決済サービスを提供する会社だった。しかし2002年、eBayにより15億ドルで買収され、創業時のメンバーが流出した。
その彼らが立ち上げた企業が、動画サイトYpuTube、Linkedin、Yelp!、Yammer、Palantir Technologiesであり、前述のイーロン・マスクはSpaceXの他に、テスラ・モーターズの創業者である。これらの企業は、ペイパル文化を共有しており「ペイパル・マフィア」と呼ばれ、投資家やIT界に大きな影響力を有するに至っている。
このペイパルマフィアの親分がピーター・ティールである。彼が会長を努めるPalantir Technologiesは、CIAのベンチャー投資企業であるIn-Q-Telなどが投資するサイバーセキュリティ企業である。

※過去ブログ:「CIAのベンチャー「In-Q-Tel」(インキュテール社)

ピーター・ティールは、プランクフルト出身のドイツ人だが、深くアメリカのネオ・コンサバティブの思想に魅了されている人物である。2012年のフランシス・フクヤマとの対談において「レオ・シュトラウスの思想は、極めて重要であり、深淵である」と発言している。レオ・シュトラウスは自然法の信望しており『自然権の歴史』(ちくま学芸文庫)ではジョン・ロックなどの自然権を批判している。シュトラウスによれば、ロックが唱える自然権は本来の自然権から乖離していると批判している。
同書は、のっけから容赦ない。
「歴史の名においてなされる自然権への攻撃は、大抵の場合、次のようなかたちをとる。すなわち、自然権は人間理性によって識別され普遍的に承認される権利であることを主張するが、しかし歴史(人類学も含めて)の教えによれば、そのような権利は存在せず、想定されている一様性のかわりに我々が見出すのは、権利や正義についての無限に多様な観念である」・・・云々。
冷静に観れば、本当の平等など人類に存在した事はないし、これからもどうやらなさそうだと言うことだ。観念的には分かるが、現実の人間界はそうでないことは万人が知るところだ。
ロックの『統治二論』を読めば、それなりに彼の主張に首肯する向きも多いだろう。それもそうだ日本国憲法に書かれている基本的人権などを当たり前に受け入れている日本人であれば、そのように勘違いするだろうし、自然法の概念は、今の我々には理解できないだろう。悲しい哉、自民党の憲法草案を見ても、彼らが憲法のなんたるかを理解していない事を如実に示している。結局、日本に憲法は要らないのだ。憲法9条やら砂川裁判の茶番やら、憲法が有るが故の矛盾は社会を大きく歪ませる要因となっている。それと安保だ。憲法と安保という戦後の統治矛盾の根本原因は、大元帥裕仁閣下にある。

シュトラウスが信望する自然法とは『人間が自然状態に生きているか市民的社会に生きているかに関わりなく、人間たる限りでの人間に完全な義務を課す。「自然法はすべての人間に対して永遠の規則として存立している」、なぜならそれは「すべての理性的被造物にとって平明で理解できるもの」だからである』と書いている。そして『自然法とは神の意志の表明である。それは人間の内なる「神の声」である。それゆえ、それは「神の法」とか「神法」とか「永遠法」とさえ呼ばれうる。それは「至高の法」である』(出典:「自然権の歴史」ちくま学芸文庫p270-p271)
成る程、正統なユダヤ教徒の家に育ち、若くしては政治的シオニズム運動に参加した人であり、またユダヤ神秘思想に沈潜した人の言葉だ。

さて、今度は、シュトラウスの『哲学者マキャベリ』と濱野靖一郎の『頼山陽の思想』を読む事にした。

大元帥日誌(1)誕生と命名

2016年01月01日 | 雑感
夏目漱石の漢詩にハマり、森鴎外の史伝にハマり、ついには幸田露伴を読み始める、今日この頃。
そして、新年を迎えて一念発起した。大元帥としての裕仁について書いてみようと。
昭和史で、決して多くは語られない重要人物がいる、それが天皇であり大元帥である裕仁閣下である。(陛下ではない、大元帥だから閣下)
森鴎外は、伊沢蘭軒を書くときその史料の少なさを語っているが、裕仁閣下には刊行が始まった『昭和天皇実録』がある。また、大東亜戦争に負けた事から、側近の日記が公開されており、平安な時代の天皇であれば、決して動静が知れる事がなかったでろう事柄を知る事ができる。
特に、『牧野伸顕日記』や『木戸幸一日記』、侍従長や侍従武官長を務めた人達の日記、原敬や濱口雄幸など総理大臣の日記、戦期では東條内閣総理大臣機密記録、企画院資料、枢密院議事覚書、最高戦争指導会議、大本営陸軍部の機密戦争日誌。敗戦後は、東京裁判資料や東京裁判却下/未提出辯護側資料などを参考にしたい。

さて大元帥閣下は、明治33年に生まれた。

誕生
明治33年(1900年)4月29日
午後10時10分誕生。母親は、九條節子。父親は嘉仁で、葉山御用邸に滞在中。電報で息子の誕生を知った。その嘉仁は、漢詩を嗜んだ。その生涯で1367首の漢詩を詠んでおり、125人の天皇の中では最多で並ぶ者はない。嘉仁の漢詩は悪くない。
嘉仁以後の裕仁、今上天皇 明仁は、長い歴史を有する漢文・漢詩の教育を受けていない。現皇太子の徳仁も然り。
嘉仁が、息子の顔を初めて見たのは5月3日(金曜日)。
嘉仁は、葉山御用邸を7時20分出発、9時50分に新橋停車場に到着。皇居に行き両陛下に挨拶後、東宮御所に帰宅して、初めて息子の顔を見た。
跡継ぎの息子が生まれて喜んだ嘉仁は、詠んだ。

  皇后宮臺臨恭賦(皇后がこられたので謹んで詩を読む)

此日青山玉輦停 (この日、青山より美しい輿(こし)がやってきた)
迎拜温容喜且驚 (出迎えて挨拶その温かいお姿に喜び且つ驚く)
何幸天賚降男子 (なんという幸せ天から男の子を賜わる)
得慰兩宮望孫情 (両陛下の孫を望む気持ちにそうことができた)
兒辱叡覽定歓喜 (陛下が孫を見に来て大変喜んだ)
嬌口恰発呱呱声 (かわいらしい口で泣く声もかわいい)
妃猶在蓐不得謁 (皇太子妃はまだ床にあり逢うことができなかった)
吾獨恐懼荷光栄 (私は一人恐懼して次世代に命を繋ぐ栄光を担う)
「大正天皇御製詩集」

この当時の宮内大臣は、田中光顕、次官は川口武定。侍従長は徳大寺実則。

命名
明治33年(1900年)5月5日
早朝に、胎盤を詰めた胞衣壺(えなつぼ)が青山東宮御所内梅の御茶屋西後の丘に埋納され、その上に松が植えられた。古来より胞衣を土中に埋めて、子供の健やかな成長を祈念する習俗である。「胞衣納法」に則って吉方に納めらと推測される。その吉方が梅の御茶屋西後の丘だった。
「吾輩は猫である、名前はまだ無い」ではないが、誕生から7日目で命名式が行われ、嘉仁の息子とされる赤子は、裕仁となった。