阿部ブログ

日々思うこと

長崎の秘密~原爆の目標はカトリック&浦上天主堂、そして日本の原爆開発~

2015年08月02日 | 雑感
平和教育協会(Teach Peace Foundation)の『長崎の秘密』を読了。
この文書は、長崎や原爆、そしてカトリックに関心のある方は必読だろう。我々の知っている、また教えられている歴史なるものは「嘘」で塗り固められている事が良く理解できるからだ。
端的に言うと、日本におけるキリスト教の本拠地である長崎の破壊が目的だったこと。爆撃目標である北九州・小倉は、当日晴れていて、原爆を投下可能だったが、上空を3回旋回して長崎に向かっている。当初から小倉は埒外の目標だったのだ。
燃料がギリギリにも関わらず長崎に向かって飛行し、常識的に考えると、三菱重工の長崎製作所がある長崎湾をターゲットにするだろうが、長崎でも奥まった浦上天主堂上空に投下している。繰り返しになるが、原爆投下の目的は、カトリックの破壊とそれを信ずる信者を殺すことだから、三菱は狙わないのだ。NHKの「ぶらタモリ」でも明らかなように、三菱重工のガントリークレーンは当時のまま現在でも現役で動いている。

そして「長崎の秘密」では日独の原爆開発についても書かれている。ベラスコは正直に真実を語っていたであろうことが理解できる。
巷間では日本の原爆開発は稚拙で遅れていたと考えられているが、実は北朝鮮の興南で日本製原爆の開発が精力的に進められていた。朝鮮半島の屋根と呼ばれる蓋馬高原を貫流する鴨緑江、豆満江の三大支流の赴戦江、長津江、虎川江を堰き止めて作った水力発電所は、200万キロワットの発電能力を有していた。この莫大な電力を使って日窒コンツェルンが、窒素肥料、カーバイト、エチレングリコール、ブタノール、アセトン、アセチレンブラック・アランダム、塩化アンモニアなどを製造。興南では、ドイツから得た設計図をもとに「NZ」と呼ばれるロケット燃料を製造していた。

日本は原爆開発のスピードを高める為、ドイツからウラン235を輸入する事とした。制海権はないので、当然ながら潜水艦での輸送となる。通史では酸化ウランとされているが、ウラン235なのだ。U-234が運んでいたウラン235の容器の内側は金で被覆されており、これが明らかに酸化ウランでは無いことを首肯させる証拠。ヴォルフガンク・ヒルシュフェルディス(Wolfgang Hirschfeldis)は、1997年の著書『ヒルシュフェルディス―U ボートの秘密日記』中で「U-235」とペンキで表記された円筒体に「U-粉末」の積荷を見たと書いている。

U-234号がウラン235を日本に向けて移送中、1945年5月14日、アメリカ海軍のU.S.S.サットンに降伏。U-234号のアメリカ海軍への降伏は、想定通りのシナリオだった。U234から没収されたウラン235は、広島へ投下された原爆に使用された。広島型の原爆は既にドイツで爆発実験が成功している事から、実験無しで広島に投下されている。問題は長崎に投下されたプルトニウム型原爆で、本当に爆発するのか?・・・を検証する為に、1945年7月16日に実験を行い成功。このプルトニウム型原爆が長崎に投下される事となる。

因みにドイツはウラン235を日本に提供する程、余裕があった事になるが、初期型の原子力施設をドイツが保有していた事を証明している。原爆開発は、ウラン型をドイツが、プルトニウム型はアメリカが開発すると言う役割分担が透けて見える。つまりヒトラーの敗戦間際まで諦めずに「最終兵器云々」「ラスト・バタリオン云々」の発言には根拠があった。ナチス幹部やドイツ国防軍の枢要にいる彼らは、このウラン型原発の爆発実験などを実地で観て、最終的な反撃を確信していたのだろう。最後の最後まで戦い抜いた事が良くわかる。

さて日本に原爆の材料となるウランを運搬しようとしたのはU-234だけではない。U-350も日本向けのウランを搭載して一路、大西洋に向かい伊52号と会合する事となっていた。残念な事に暗号解読の結果、1944年6月23日に、伊52号とU-350は、A・B・ヴォセラー大佐が指揮する護衛空母U.S.S.ボーグの艦載機で爆撃され両艦とも撃沈されてしまった。

終戦間際の8月9日、ソビエト軍は突如、満州に進行し関東軍を蹴散らした。8月19日にはソビエト軍は元山に上陸。22日には興南に進出し、日窒のプラントを占領した。前述の通り、このプラントでは様々な化学製品を製造していたが、日窒は海軍と共同で重水を生産していた。重水の生産の目的は自明。それと、豆知識、参考まで~・・・興南から城川江を遡った所に「本営」と呼ばれるところがあるが、この地は李朝発祥の地である。また統一教会の文鮮明も興南の朝鮮窒素肥料で労働に従事していた。

日本軍は、ソビエト軍の侵攻に先立つ8月12日未明、興南沖30数キロの海上で原爆実験を行い成功したとも言われている。ソビエト軍による興南地区の占領に伴い原爆開発に関わる全ての情報はソビエトが入手したし、施設と科学者もソビエトが得た。しかし、日本やドイツの原爆開発の情報がなくとも、ソビエトの核開発には全く支障がなかっただろう。
ジョージ・レイスイ・ジョーダン著の『ジョーダン少佐の日記より』(Major George Racey Jordan, From Major Jordan's Diaries, New York: Harcourt, Brace and Company, January 1, 1952)によれば、ルーズベルト大統領の最高顧問ハリー・ロイド・ホプキンズ(Harry Lloyd Hopkins)が、原爆開発の情報と開発に必要なウランなどの物資を、ソビエトへの武器貸与援助を利用して移送された。ソビエトへの武器貸与援助の総額は110億ドルに達する。ホプキンズ自らが情報漏えいの元凶で、別に原爆スパイがいなくてもソビエトにとって原爆開発に支障はなかった、と言うことだ。繰り返しになるが、我々が知る歴史は、虚偽に満ちている。

現在では、ウランに重水素を吸蔵させる第三の核爆弾が開発され、劇的に小型化しており1990年代から実戦使用され、各地で健康被害を拡大させている。日本は核兵器云々の前に3.11で東北や関東圏など東日本にプルトニウム、ストロンチウムなど高レベル放射性物質が広域に飛散しており、震災から5年を過ぎる頃から甚大な被害が顕在化する事となる。特に子供たちには酷い事だ・・・

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ドイツと日本の原爆開発
北朝鮮のウラン・モナザイト資源