阿部ブログ

日々思うこと

高円宮・典子と出雲大社・千家国麿の結婚 ~天皇家の主祭神は大物主神~

2015年01月02日 | 雑感

2014年11月17日、今上天皇陛下は、皇后を伴って大神神社を参拝。既に10月5日に高円宮典子と千家国麿と婚儀の儀式後だった。本当は、出雲大社と伊勢神宮の式年遷宮後に参拝すべきところ。
何故、今上天皇が大神神社を参拝するのか? それは伊勢神宮の主宰神は、元々蛇体の神様で、天皇家の祖先である天照は、その蛇体の神様の巫女であり妻。これは吉野裕子氏の『大嘗祭』のなかで語られていることでもある。この蛇体の神様は、三輪山に鎮まります大物主神で、日本書紀の雄略天皇記にも三輪山の神様は蛇体であることが記されている。雄略天皇は、三輪の神の姿を見たいと願い、三輪で「蛇」が捕らえられたという説話が伝えられている。大神神社では、今でも蛇の好物の卵が供えられている。因みに生卵を食べるのは、日本人と蛇だけと世界では言われている。あつあつのご飯に生卵に醤油をたらして食べるのは至高の味だと思うが如何であろう。

天皇家の祭祀は、大物主神を祭る物部氏のそれを踏襲しており大嘗祭は、元来、物部氏の祖ニギハヤヒ、つまり大物主神に祈りを捧げるお祭りである。大嘗祭の際、今上天皇が大神に食事を捧げ、自らも食す行為は、伊勢神宮の心の御柱祭祀と同じであり、大神とは大物主神である。つまり国譲りの出雲の神、そして神武天皇の武威に圧倒され禅譲した物部氏の祭神を、自らの主宰神としたのが天皇家である。これは、大和朝廷の成立は、一般に流布されている天皇一族の軍事侵略による一方的な国内統一ではなく、様々な勢力との妥協と同盟による体制であったことが覗える。事実、天皇家は、出雲神=大物主神を畏れ、恐れていたことが知られており、特別の地位を与えている。出雲大社のご神座は創建当初40mを越える高みにあった。

2013年、出雲大社と伊勢神宮の式年遷宮が行われ、高円宮家典子と出雲大社禰宜の千家国麿が2014年10月に結婚。翌月には、今上天皇陛下が大神神社を参拝し締めとなしている。

元日に 『陰隲録』 を読む

2015年01月01日 | 雑感
2015年を迎えるにあたり威儀を正して『陰隲録』を読む。
『陰隲録』は中国・明の袁了凡が息子天啓に書き残した運命改善の書で、陰隲とは人知れずに善を積むこと。この善を積むことを積善といい『易経』周易上経 坤掛(坤為地) 文言伝には

   積善之家必有餘慶       積善の家には必ず余慶有り
   積不善之家必有餘殃     積不善の家には必ず余殃有り

とある。日本でも広瀬淡窓が積善を実践し「万善簿」を残している。広瀬は54歳の時に『陰隲録』の実践を発起し67歳で1万善を達成。最終的に75五歳に亡くなるまで1万7000善に達した。
『陰隲録』には「道家の護符を書く秘伝」の章があり、この章には過去無量劫来の造罪を消滅する准胝陀羅尼が記されており、平生間断なく唱える事が勧められている。この真言は出家、在家問わずに唱える事ができ、因縁因果から脱する功徳があるようだ。以下は真言宗の例。

【准胝功徳呪】
 寂静にして心常に誦すれば
 一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
 天上及び人間、福を受くること仏の如く等し
 この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
 もし我、誓願大悲のうち、二世の願を成ぜずんば
 我、虚妄罪過のうちに堕して、本覚に帰らず大悲を捨てん
  
【准胝観世音菩薩真言】
 南無颯多南 三藐三没駄 倶胝南 旦姪他 奄者礼主礼 准胝 莎婆訶
 ノウバサッタナン サンミャクサンボダ クチナン タニャタ オンシャレイシュレイ ジュンテイ ソワカ

【一字金輪王真言】
 曩莫 三満多没駄 南 奄 歩魯奄
 ノウマクサンマンダ ボタ ナン オン ボロン

ご参考まで准胝観世音菩薩の百字真言が掲載されているサイトがある。
この百字真言は最奥義の大々呪とある。この真言を読むと起源はシャンシュンだと思われる。

今年は『陰隲録』に学んで陰隲の年にしたい。
それとお勧め本は↓の『和語陰隲録』だ。

        

※過去ブログ「謹賀新年 2012年が始まりました~開運と福寿~