阿部ブログ

日々思うこと

大元帥日誌(2)川村伯爵邸での保育と運照による祈願

2016年01月03日 | 雑感
明治33年7月7日
9時、東宮御所から枢密顧問官 川村純義伯爵邸(麻布区飯倉狸穴町)に移動。場所は、現在の六本木狸穴。川村純義は、海軍中将正二位勲一等で伯爵である。
現在ではロシア大使館の裏手にある「東京アメリカン・クラブ」と「麻布台パークハウス」がその跡地である。南向き20mの高台にあり、50年の定期借地権ではあるが、日本でも最高クラスの優良地である。この東京アメリカン・クラブは会員制で、入会金300万円。月会費は4万円との事。会員2名の紹介と英語での面接を経る必要がある。
東京アメリカン・クラブは、麻布台パークハウスと一体で3年がかりで建設された。設計は、ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ(Pelli Clarke Pelli Architects)。東京アメリカン・クラブと麻布台パークハウスは地下連絡通路で繋がっている。それぞれ地下5階と6階と結構な地下構造を有する。勿論、地下構造物は、ロシア大使館の敷地に隣接する。戦後の川村邸は、米露の諜報最前線である。
東京アメリカン・クラブに入って行くと、左手の小庭に旧帝國ホテルの大谷石壁彫刻の一部が置かれている。銘板には、下記のように書かれている。

『HERE LIE SOME REMAINS OF
FRANK LLOYD WRIGHT'S
AMAZING BRAIN CHILD
THE IMPELIAL HOTEL
born 1919-died 1968』

フランク・ロイド・ライトは、言わずと知れたアイン・ランドの『水源』(The Fountainhead)の主人公で、日本では旧・帝國ホテルの設計で有名だ。アイン・ランドは、リバタリアンの始祖である。

明治33年7月10日
川村伯爵の要請により、真言宗律師釈雲照が裕仁の健康祈願の加持祈祷を行う。これより、明治37年10月まで毎月安泰祈願の加持祈祷をおこなう事となる。釈雲照は、廃仏毀釈が吹き荒れる明治にあって、断固として反対・抵抗した人物である。
明治政府が派遣した勅使から、高野山の女人禁制を解くよう命令した時、運照は敢然と反対意見を申し述べた時、違勅であるとの指摘に対し、「当山の女人禁制は歴代天皇の詔勅に明らかである。これを変えよとするのは天皇の叡旨に背くもので、閣下が、今上陛下の勅使として私の不礼を咎めるなら、私は歴代天皇の勅使としての閣下の罪を咎めるであろう」。(「現代密教 第14号」釈雲照の生涯素描-全体像の把握に向けて-大塚秀見)
運照は、この一件後、高野山から、京都東山にある勧修寺の住職に転ず。この寺は真言宗の山階派の大本山で、後醍醐天皇の生母である藤原胤子の願で創建された定額寺である。定額寺とは、官寺に準じて鎮護国家を祈らせた寺で、勧修寺は、代々皇族が住職を務める寺である。
運照最大の功績とされるのが、「後七日御修法」の再興である。正月1日から7日までは宮中で神事が行われ、その後の7日間は仏事が行われたので後七日。東寺の阿闍梨が宮中の真言院で玉体護持、鎮護国家を祈るのが「後七日御修法」で、空海の上表により承和2年から行われている。
「年中行事秘抄」には、正月八日 「修真言院、甲年金剛界、乙年胎蔵界、輪転行之、謂之後七日御修法」とある。

明治34年8月6日
午前、陸軍中将 乃木稀典が川村伯爵邸を訪問。
乃木は言わずと知れた日露戦争時の第三軍司令官。旅順攻略戦で功績のある将官である。大元帥睦仁が死んだ時、希典は夫人と自害した。夫人と共に自害した将官の事例は、大東亜戦争の敗戦時の杉山元夫妻しかない。
乃木稀典は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で無能な司令官のように書かれているが、司馬の小説は史実に基づかない完全なフィクションであり、乃木希典の再評価が必要である。司馬遼太郎の小説をあたかも史実として読んでしまう悪弊は、是正されねばならない。
平成に入り、児玉源太郎、鈴木荘六、井上幾太郎、福島安正、大庭二郎、大谷喜久蔵、田中国重、松川敏胤など、当時の重要人物の一次史料が発見され、これら新史料に基いて書かれたのが 『日露戦争陸戦史-覆される通説-』(長南政義)である。

明治34年8月21日
運照より、お守りとして虚空蔵菩薩が樺山伯爵邸に届く。
樺山資紀の息子・樺山愛輔は、川村純義の娘・常子を娶っており、川村家に連なる薩摩系である。
樺山伯爵邸は、麹町区永田町一丁目十七番地あり、設計は山下啓次郎。樺山邸は、昭和4年の昭和大恐慌後に、三菱銀行会長の串田萬蔵に譲渡された。串田は、大恐慌時、東京銀行集会所会長で、高橋是清と共に事態の収拾に活躍した。その後の串田邸は、吉田茂に売却された。吉田邸は、当初、陸軍省兵務局兵務課警務連絡班(兵務局分室)、その後、防衛課(秘匿名「ヤマ」)と呼ばれた防諜機関の監視下に置かれたことで有名。「ヤマ」の監視は、電話盗聴、手紙の開封、尾行など最新鋭の監視装置が導入され徹底した監視が行われた。「ヤマ」の監視対象は、吉田茂の他、日米協会長の樺山愛輔、原田熊雄、岩渕辰雄、殖田俊吉、池田成彬、近衛文麿などである。

年明け早々にサウジがイランと国交断絶

2016年01月03日 | 雑感
年明け早々の1月2日、サウジが収監していた過激派47名の処刑を行った。この中にシーア派の指導者のニムル・アル・ニムル(Nimr al Nimr)56歳が含まれていた。即座にイランはサウジへの非難声明を出した。この声明に対し、すみやかにイラン大使をサウジ外務省に召喚し、極めて厳しい語調で内政干渉であると避難。
これがイランに伝えられると、テヘランでは群衆がサウジ大使館に結集し火炎瓶を投げ込むなどした後、大使館の敷地内に乱入。テヘラン以外でも総領事館がある、ホラサン県・マシャドでも焼き討ちの憂き目にあっている。
これを受けて、サウジはイランに国交断絶を言い渡した。イラン大使館は閉鎖され、外交官や家族は本国に帰国する。
ペルシャ湾に挟んで対峙することとなるが、イランは米空母にミサイルを発射するなど動きが敵対的である。

年末のクリスマスで、ローマ法皇が「2015年のクリスマスが人類最後になるかもしれない・・・」などと発言するなど、2016年は、大規模な破壊を伴う交戦やテロに警戒しなくてはならない。