二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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62才

2015年11月21日 07時07分56秒 | ニ言瓦版
若い時に、激しい運動すると、
寿命も短い。
元、力士は、短命なのかもしれない。



「大相撲の元横綱で日本相撲協会の北の湖理事長が20日夜、直腸がんと多臓器不全のため、福岡市内の病院で亡くなりました。62歳でした。
北の湖理事長は昭和28年に北海道壮瞥町で生まれ、昭和42年に初土俵を踏みました。
立ち合いの強烈な当たりや左四つからの力強い右の上手投げで白星を重ね、昭和49年に史上最年少となる21歳2か月で第55代横綱に昇進しました。
横綱・輪島と白熱した対戦を繰り広げて「輪湖時代」と呼ばれ、歴代5位となる24回の優勝を成し遂げました。
今の東京・両国の国技館で初めて開かれた昭和60年の初場所を最後に、現役を引退しました。
引退後は元横綱の大鵬に次いで2人目の一代年寄の名跡を認められ、北の湖親方として新たに相撲部屋を設け力士を育てました。
平成14年には日本相撲協会の理事長に就任し、力士の大麻問題などを受けて平成20年に辞任したあと、平成24年から再び理事長を務めていました。
しかし、大腸などの病気のため入院と手術を繰り返すようになり、ことし7月の名古屋場所は腎臓に尿がたまる病気で途中で帰京しました。
北の湖理事長は今月8日から福岡市で行われている九州場所で、19日まで連日、会場の福岡国際センターに出勤し、報道陣の取材に応じていました。
しかし、腰痛を訴えて初日恒例の協会あいさつは代行者を立てるなど、人の支えなしで1人で歩くのは難しい状態でした。
また、腰痛のため夜よく眠れていないことをみずから明かすなど、体調の悪さは隠せない様子でした。
20日朝、体調を崩して救急車で福岡市内の病院に運ばれ、夜、直腸がんと多臓器不全のため亡くなりました。
歴代1位 横綱在位63場所
元横綱・北の湖、本名・小畑敏満さんは昭和28年に北海道壮瞥町で生まれました。
中学1年の時に上京し、昭和42年に13歳で初土俵を踏みました。
十両昇進は17歳11か月、新入幕は18歳7か月と、いずれも当時の最年少記録を次々と塗り替え、「怪童」と呼ばれました。
幕内でも、立ち合いの強烈な当たりや左四つからの力強い右の上手投げで白星を重ね、昭和49年に元横綱・大鵬の記録を1か月塗り替え、史上最年少となる21歳2か月で第55代の横綱に昇進しました。
当時の横綱・輪島と白熱した対戦を繰り広げて「輪湖時代」と呼ばれ、輪島の力が衰えたあとも優勝回数を重ねました。
昭和53年には初場所から5連覇し、当時の新記録となる年間82勝を挙げるなど無類の強さを見せ、「憎たらしいほどの強さ」とも評されました。
昭和59年の夏場所で14場所ぶりの優勝を全勝で果たし、これが最後の優勝となりました。
優勝回数24回は、当時は大鵬に次ぐ歴代2位の大記録で、現在も歴代5位となっていて、今の東京・両国の国技館で初めて開かれた昭和60年の初場所を最後に現役を引退しました。
横綱在位63場所は現在も破られていない歴代1位の記録で、通算勝利数951勝と幕内勝利数804勝も、当時はいずれも歴代1位でした。
北の富士さん「責任感強く真面目な人」
大相撲の元横綱で、NHKの大相撲解説を務める北の富士勝昭さんは「初めて本人に会ったとき、すごい圧力があったことを覚えています。実に責任感が強く真面目な人で、今回のことはとても残念です。理事長のためにもみんな一丸となって相撲道を守っていかないといけない」と話しました。

北の湖理事長と同期で、同じ部屋で切磋琢磨(せっさたくま)した元大関の増位山太志郎さんは、「同じ釜の飯を食った兄弟みたいな存在だった。先日、白鵬の猫だましに対して北の湖さんらしいコメントをしていたので、元気でいると思っていた。急な話にとてもびっくりしている。現役時代から弱音を吐かない人で、横綱とはこうあるべきという心構えは並大抵ではなかった」と話していました。

相撲通として知られ、日本相撲協会の再発防止検討委員会で外部委員を務めた漫画家のやくみつるさんは、「体調が悪いとは聞いていたが急な話しで驚いた。横綱になったのは自分が高校1年のときだったが、明治神宮での土俵入りを一番乗りで駆けつけた。大横綱の第一歩を見ようと思ったが、そのとおりの横綱になった。体を反って歩き、“強すぎて憎たらしい”という言われ方をしたこともあるが、それも北の湖らしくていいのではないかと応援していた」とショックを隠しませんでした。また、外部委員を務めたときの思い出として、北の湖理事長がさまざまな問題の対応に奔走していた姿を挙げ、「たくさんの汗をかきながらスニーカーを履いて動き回っていたのが印象的だった。自分がさまざまな指摘をしていたなか、たまたま同じエレベーターに乗ったときに『大変なんだよ…』と本音を漏らしていたことが記憶にある」と振り返りました。そのうえで、現職の理事長を失った相撲界については「ちょっと『たが』が緩むとあらぬ方向に行きがちだが、今場所、白鵬に苦言を呈したように、モノを言う人が亡くなってしまったのが惜しいし、懸念している。若い親方たちがきちんと発言して指導していってもらいたい。力士には、北の湖さんが嫌っていた手を抜いたような相撲を繰り返さないようにしてほしい」と話していました。

また、北の湖理事長と親交のあったデーモン閣下さんは、「まだまだ若いのにというのが第一印象で非常に残念だ。現役時代は相手をはじき飛ばし、根こそぎ倒すような、まさに『憎らしいほど強い』という表現がぴったりの強さで、これ以上強い横綱は出てこないのではないかと思った。相撲の不祥事が続々と出たときに、理事や理事長をしていて苦労したと思うが、『相撲の歴史と伝統を守っていく』という気概が常にあったと思う。また、自分が本場所でラジオやテレビに出演するきっかけを作ってくれたのも、実は北の湖理事長だったことも印象に残っている。最近は協会でのあいさつなどに出てこないことがあって、体調が悪いのかと心配していたが、まさかこのようなことになるとは思ってもいなかった」と話していました。」


人生は、いろいろ、今年は、いろいろな有名人が死ぬ。
でも、病気は、悪化していたのかもしれない。

勇退か、闘病生活してなかったのか。

ご冥福を祈ります。
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