二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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読むと、大変だな、死に別れ、家族は。

2021年12月11日 02時04分35秒 | ニ言瓦版
女性セブンの記事読むと、大変だな、子育てと、再婚。
いや、
常識のある俳優は、私生活の見える。
子育ては。





「今年の大みそかを明るく盛り上げるのは、あのマツケンだ。初めて曲を聴く小さな子供から、かつてサンバのリズムに合わせて踊っていた大人まで、再び日本中を魅了している松平健(68才)。

2004年に『マツケンサンバ』が大ブームになったときは、幸せの頂点にいた彼の生活はいま、ガラリと変わっていて──。 
マツケンサンバを踊る松平健。微笑みをたたえて、斜め45度上を見つめる絶妙なポーズ。愛妻の死を知った日も気丈に踊ったという
 
70才手前の名優がスパンコールをふんだんに散らしたまばゆいゴールドの着物に身を包み、白塗りのちょんまげ姿でサンバのリズムにのって踊る──2021年の紅白の“目玉”が彼になることを誰が予想しただろうか。大みそかに行われる『第72回NHK紅白歌合戦』で松平健が特別企画として『マツケンサンバII』を披露することが決まった。NHK関係者が話す。 「出演決定の裏にあったのが、東京五輪の開閉会式で『マツケンサンバII』を待望する声が多数上がったこと。ツイッターでは『マツケンサンバ』がトレンド入りし、その後、松平さんが自身のYouTubeチャンネルにアップしていた『マツケンサンバII』の動画コメント数は急増。2021年、頻繁に使用されたフレーズを調査した『SNS流行語大賞 2021』でも、この曲名がノミネートされました。  結局、五輪での登場はかないませんでしたが、
松平さん自身も、『オファーがあれば五輪で踊りたい』と発言していました。この発言があったのは、五輪開会式にかかわる人が過去のインタビューを掘り起こされ、糾弾されることが続いていた時期。それにもかかわらず“踊りたい”と明言した松平さんは、“男気がある”と注目を集めたのです」  レコード会社関係者は『マツケンサンバII』のロングヒットに目を丸くする。 「そもそもこの曲がブームになったのは、制作されてから10年が経過した2003年のこと。それまで彼は、舞台でしかこの曲を披露していなかった。それが深夜ラジオでヘビーローテーションされたことで、“あの曲は何!?”と人気が上昇。2004年に出場した『第55回NHK紅白歌合戦』では最高視聴率を記録しました」  サンバだけではない。松平は本職である俳優業でも絶好調だ。

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも平清盛役で出演が決まっている。17年ぶりの再ブレークを果たした松平だが、その裏で人知れず「新たな生活」を始めていた。

訪れた悲劇にマツケンは……
 前述のとおり、時代劇スターだった松平が、マツケンサンバで歌手として最初のブレークを迎えたのが2004年。その翌年、14才年下の元女優・友里さんと再婚を果たす。大地真央(65才)との離婚から2年足らず、14才の年の差婚ということも話題を呼んだ。  さらに幸せは続き、その翌年には、長男が誕生。順風満帆かと思われた私生活だったが、結婚から5年後の2010年11月、悲劇が訪れる。まだ4才だった長男を残して、友里さんが自宅で自ら命を絶ったのだ。 「育児やお母さんの介護に懸命に取り組んでいた友里さんは、体調を崩し、パニック障害やうつ状態を引き起こしていたそうです。加えて、その年の6月には最愛のお母さんが他界。友里さんのショックは相当なもので、ふさぎこむことが増えていた矢先の出来事でした」(松平家の知人)  友里さんの死の翌日、松平は心境を綴った文書を発表。そこには、次のような言葉が並んでいた。
「今回このような結果となりましたのは、偏に私の力不足かと悔やんでおります。俳優という留守がちな仕事ではありますが、私が居りながら亡き母の穴を埋めきれず、愛する母のもとへ旅立たせてしまったこと、今はただただ残念な気持ちでいっぱいでございます」  もっと家庭で過ごす時間を増やしていたら、もっと妻に向き合っていたら──松平はそう自分を責め、悔やんだ。松平が愛妻の死を知らされたのは、博多座での公演中。休憩時間中に訃報を聞いた松平は、共演者にも悟られぬよう、直後の舞台で気丈に「オーレ! オーレ!」とマツケンサンバを披露したという。  それまでは仕事に全力を注いできた松平だったが、この日を境に、生活を大きく変化させた。まだ幼い息子とできるだけ多くの時間を共にしようと心を砕き、仕事の予定を調整するようになったという。 「保護者会の役員にも名乗り出て、学校行事などにも精力的に参加していました。また、友里さんが亡くなってからしばらくの間は住み込みの家政婦さんが家事や育児を手伝っていたのですが、2年ほど経った頃、家政婦さんを住み込みから“通い”に変えました。  これも、家事はなるべく松平さんがして、必要なときだけ家政婦さんに来てもらうことで、息子さんとの2人きりの時間を多く作ろうという考えからのようです。以来、毎日のお弁当も松平さんが用意し、キャラ弁など凝ったものを手作りしていたそうです」(前出・松平家の知人)

息子と卓球の練習に励む
 日々の過ごし方だけでなく、住まいも変えた。松平は2009年、都心からやや離れた高級住宅街に地上3階、地下1階の3億円の豪邸を構えたが、友里さんの他界後の2012年には売却。マンションに引っ越し、息子と父一人、子一人の生活を送ってきた。 「2人きりの生活には豪邸はあまりに広すぎたのでしょう。息子さんをいつでも目が届く場所にという思いもあったのかもしれません。引っ越しても同じ幼稚園に通い続けられるよう、幼稚園から徒歩で通えるマンションを選びました」(前出・松平家の知人)  松平が再々婚を決意したのは2015年のこと。お相手は、10才年下の一般女性・Aさんだ。 
「必死に子育てに励んできたとはいえ、松平さんは仕事で家を空けることも多い。幼い息子のために、母親が必要なのではという気持ちもあったそうです。また息子さんが、Aさんに懐いており、結婚に賛成していたことも松平さんの背中を押したのでしょう。Aさんはもうお孫さんもいらっしゃっていて落ち着いたかたでした」(前出・松平家の知人)
 新たな伴侶を得た後も、息子中心の生活が変わることはなかった。 「夏休みには、息子さんが大きなゴジラの模型を作って発表したのですが、それを松平さんも応援し、手伝っていたそうです。また、息子さんは卓球部で、時には、忙しい合間を縫って一緒に練習することもあるのだとか」(前出・松平家の知人)  そんな松平の生活に変化が訪れたのは、2019年のこと。元号が「平成」から「令和」に変わった春、息子が中学校に入学するタイミングのことだった。 「この少し前から、息子さんのことを思ってしばらく制限していた仕事量を元通りにしていったみたいです。息子さんはこれまで充分すぎるくらいにお父さんが自分のことを気にかけてくれていることを理解していた。2人は松平さんがもう少しだけ、仕事に比重を置ける生活になるよう話し合ったんです」(別の松平家の知人)  その結果、ある決断をしたという。
 
「これまで住んでいたマンションから、松平さんがかつて暮らしていた土地勘のあるエリアにあるマンションに引っ越したんです。都心のターミナル駅にほど近い場所なので、地方での仕事のことも考えたのかもしれませんね。いま、中学3年生の息子さんとAさんの仲は良好で、家族と仕事に割く時間もちょうどよい塩梅になっているようですよ」(前出・松平家の知人)  シングルファーザーとして奮闘してきた父の苦労を間近で見てきた息子は、紅白での晴れ舞台をきっと誰よりも楽しみにしていることだろう。」




本当、五輪に出なかったのか、酷いものだ東京五輪は。

東京五輪は、

マツケンサンバか、そう、祭りの北島氏、そう。
暴れん坊将軍のめ組の頭。


紅白は、楽しみは、マツケンサンバだけ。


大変な。死別され。妻と。その子供と、夫は。


来年は、清盛か。

でも、新作の「暴れん坊将軍」作らないだろうか。
晩年の吉宗と、大岡越前の、成敗。

見たいものだ。

爺役は、みんな死んだから。60ぐらいの悪役の役者でも、使い。
「暴れん坊将軍」できないものか。

初期の焼き直しでもいい。
あの爺役は、若大将の親父は、いい。




吉宗評判記・暴れん坊将軍 第02話[公式]


吉宗評判記・暴れん坊将軍 第01話[公式]

一は、いい。原点は、いい。
有島一郎氏は、いい。爺は。


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