二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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考えると、人には、分岐点がある。

2017年08月29日 04時26分12秒 | ニ言瓦版
何か、人の歴史は、汚点が、あると、それが、引きずる。
勿体無い行為が、破滅になるのかもしれない。
なぜ、自民党、出たのか。
出てから、酷いことになった。
小沢氏と、羽田孜氏、人生の過ちは、自民党から出たこと。



「羽田孜(はた・つとむ)元首相が28日午前7時6分、老衰のため、東京都内の自宅で死去した。

 82歳だった。民進党の羽田雄一郎・元国土交通相は長男。

 羽田氏は1935年8月24日、東京都大田区で生まれた。成城大経済学部卒業後、69年衆院選で父の羽田武嗣郎ぶしろう元衆院議員の後継者として、旧長野2区から自民党公認で初当選し、連続14選を果たした。

 中曽根、竹下両内閣で農相、宮沢内閣で蔵相を歴任し、小沢一郎・自由党共同代表らとともに「竹下派七奉行」の一人に数えられた。

 93年6月に宮沢内閣不信任決議案に賛成して自民党を離党。小沢氏らと新生党を結成し、党首に就いた。同8月、細川内閣に副総理兼外相で入閣し、94年4月の細川首相辞任後、第80代首相に就任した。

 内閣発足直前に社会党が連立を離脱したため、少数与党での不安定な政権運営となり、6月に総辞職した。在職日数は戦後2番目に短い64日だった。

 退陣後は新進党、太陽党、民政党を経て、98年4月の民主党結成に参加。2012年11月の衆院解散で政界を引退した。最近は、体調を崩しがちで、自宅などで療養を続けていた。

 夏場は、半袖の上着の「省エネルック」を愛用した。」



結局、自民党の中で、田中派閥が、消えたのは、すべては、自民党を飛び出した人材は、
酷い政治にした。

自民党の中の派閥で、生き残ること、すれば、まともな、政治が日本は、生まれたことだ。


人生は、岐路がもしれない。分岐点がある。
「宮沢内閣不信任決議案に賛成」が、人生は、どん底の道に、向かったことだ。
総理になるも、短命。


人生は、分岐点で、判断を間違えると、大変人生。

ご冥福をお祈りします。
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