二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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株式の名言など。

日本も、怖かった。

2021年12月31日 01時33分59秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。


「政治とは、流血を伴わぬ戦争である。
一方、戦争とは、流血を伴う政治である。」




毛沢東



勝手な解釈
人の生い立ち、成功は、戦い。
戦争、戦い、政治は、食うか、食われるか。
それが、歴史。

知らないのは、のんきに、要人についている庶民。
食えない政治は、だれも、つかない。

感染で殺される政治は、だれも、支援しない。
それが、歴史だ。

豊臣秀吉も、源頼朝も、そう。食うために、どう戦い、生き延びるか。

軽率な、平清盛は、源氏、根絶やししなかった。

今も、中国は、闘争の政治。また、内乱がある。
あんなに、漢民族が、強い時代がない。

歴史は、また、モンゴル帝国のような、出てくる。
いや、中国の最初の皇帝、秦の始皇帝のような、ものが出てくるのか、中国の歴史である。

あの歌でも、聞きたい。


ジンギスカン(1979) 歌詞付き


ーーーー
モンゴル帝国の創始者チンギス・カンとその兄弟・子息たち、『四駿四狗』に代表される部将(ノヤン)たち、及びそれらの後継者たちはモンゴル高原から領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ・アナトリア(現在のトルコ)・シリア、南はアフガニスタン・チベット・ミャンマー、東は中国・朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた[注釈 2]。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。その領土の範囲は人類史上において大英帝国に次ぐ2番目の巨大さだった[4]。

モンゴル帝国は、
モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、ハーン)を中心に、
「アルタン・ウルク(「黄金の一族」の意味)」と呼ばれるチンギス・カンの子孫の王族たちと彼らに従属する部将(ノヤン)たちによって、主に戦功等に応じて各地に分与された領民と領国を支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした[注釈 3]。
モンゴル帝国は、「千戸(ミンガン)制度」と呼ばれるテュルク・モンゴル系の騎馬軍団を基礎とし、
皇帝の命によって分与されたそれら数十もの千戸軍団を各モンゴル王族や部将たちが管轄し、
軍団や征服地域の租税や民政の管理を皇帝直属の財務官僚(ビチクチ)たちが担った。
彼らの行動規範は「チンギス・カンの遺訓(ジャサク)」によって律せられ(これを職掌したのが「断事官、ジャルグチ」)、モンゴル皇帝はこの
「チンギス・カンの遺訓」に基づき、これらの諸ウルスの存廃と租税管理を最終的に統御する存在でもあった[6]。
しかし、1260年に、第4代皇帝モンケの死去に伴い皇位継承戦争が勃発し、その次弟クビライが上都で第5代皇帝としてこれを制して即位したが、
当時の主要なモンゴル王族であったジョチ・ウルスのベルケ、クビライの実弟フレグ、チャガタイ家のアルグらが相次いで死去したため、モンゴル皇帝を正式に選出する全帝国的な統一クリルタイの開催が事実上不可能になってしまった[7]。そのため、クビライは自らが直接支配できていた中国とモンゴル高原、チベットを中心とする、現在の区分でいう東アジア部分の統治機構を整え、あわせてモンケの死去によって中断されていた南宋遠征を完遂させる事で、モンケの後を継いだ事実上のモンゴル皇帝である事を内外にアピールした。この過程で、中央アジアのモンゴル王族たちとの紛争の前線基地と化していたカラコルムに替わり、
1271年に帝国の中国方面支配の拠点のひとつであった金朝の旧都・中都の北隣に大都(現在の北京)を建設し、
帝国の東半分の地域は事実上クビライとその子孫が領国として継承する体制ができあがった。他の地域もそれぞれの地域の主要な王族たちが領民と領国を囲い込むようになり、13世紀後半、帝国はモンゴル皇帝による全土支配の時代から、徐々にモンゴル皇帝を盟主としジョチ家、チャガタイ家、オゴデイ家、フレグ家のような各地の主要王族を頂点とする諸ウルスの連合による緩やかな「連邦」化が進んで行った。
このうち、クビライはモンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した[注釈 4]。」



日本は、怖かったことだ。クビライの恐怖、
鎌倉時代。

ーーーーーー

名言、珍言。

「"Travel is my school.
I judge from the eye and think by the head."

「旅は私の学校だ。
自分の目で見、自分の頭で考えて
判断するのだ」


(マルコ・ポーロ)


勝手な解釈
フビライ、にあった人、マルコ・ポーロだろう。
モンゴル帝国の怖さ、知っている。


人は、知らないから、軽率になる。
知っていると、分かる、軽率に、していると、処分。
時代は、淘汰の時代ではなく、知らないから、処分。
学ぶのは、人生の旅、日々、みて、知る、考える。
軽率に生きていると、処分。



また、モンゴル帝国か、フビライの時代があるかもしれない。

日本も神風、吹かなかったら、モンゴル帝国の国になったかもしれない。

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