二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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株式の名言など。

面白かった

2013年10月07日 14時30分49秒 | ニ言瓦版
面白かった。
司会者で、こうも違う。
能年玲奈さんの質問も、タモリさんの質問だと、面白い。
その答えが、とお笑いになる。

人は、人の聞き方、答え方で、面白くなる。



「NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のヒロインで人気を博した女優・能年玲奈(20)が7日、フジテレビ系生番組『笑っていいとも!』(毎週月~金 正午)の人気コーナー
「テレフォンショッキング」に初出演した。

あまちゃん総決算 特集『国民的ドラマとして愛されたワケとは?』

 初顔合わせとなった司会・タモリとあいさつを交わした能年は、
観客を目の前にしたスタジオを見渡して呆然。
タモリが「目、キラキラしてるね」と声をかけると
「渡辺えりさんに言われたんですけど、小動物が黒目がちなのと一緒で、殺されないように…」と説明しだし、タモリを「は?」と困惑させる“天然”ぶりをみせた。

 タモリが「もともと女優になりたかったの?」とデビュー前の夢を聞くと能年は
「小さいころはパリコレに出たいなって。いろいろなりたかった。次は、お笑い芸人になりたかった」と返答。タモリが「全然(ジャンルが)違うでしょ!」と突っ込むと「楽しいものに飛びついてた。友だち2、3人とコント作ったりした」と語っていた。

 そのほか、イラストレーターを目指した想いや中学時代にバンドを組んでいたエピソードを紹介。最初に組んだバンドは1年余りで解散し、
その理由をタモリが追求すると、しばしの沈黙。たまらずタモリがズッコケると、
能年は「気が合わなかったのかも…」と口を開き、さらに笑いを誘っていた。

 また能年は、朝ドラでの撮影苦労話にも触れた。もともと泳げなかったが、1週間の特訓で素潜りを習得したといい「鍛えられました。足がつかないところは初めてだったので、海に行った時は怖かった」と振り返っていた。
質問に対して考え込み発言する能年の独特の“間”に、タモリは終始ニヤニヤ。今後、ミュージカルなどを勧められると「『あまちゃん』やって、みんなとやることが楽しかったので……頑張ります」と意気込んでいた。

 番組終盤にも再登場した能年は、トークコーナーでも触れていたちょびヒゲを付け、愛くるしい笑顔を振りまいていた。

 先月28日に最終話を迎えた『あまちゃん』は、「じぇじぇじぇ」が流行語となり、小泉今日子が天野春子名義で歌う劇中歌「潮騒のメモリー」がヒットするなど、社会現象に。最終回では、関東で視聴率23.5%を記録し、4月1日からの期間平均視聴率も20.6%と高視聴率をマークした(視聴率はすべてビデオリサーチ調べ、関東地区)。」




時間は、対した時間ではないが、いいともの時間の中で、長いが、面白い。
タモリさんの「今夜は最高」のトーク番組のような、面白い時間である。
まだまだ、タモリさんと、能年玲奈さんの会話は、面白い。
他のコーナー、なくしても、面白い、もっと、見たい会話である。

タモリさんの聞き方と、その質問が、考えないで、その場で、変わっていく。
これで、さんまさん、たけしさんが、いたら、もっと、面白い、
能年玲奈さんの面白さが、出てくるかもしれない。

フジテレビは、よく、長く、タモリさんと能年玲奈さんの対談、会話、時間を取ったものだ。
花輪も、すしの花輪が、面白い。
本当、偶然に、「あまちゃん」は、出演者、演出、音楽が、
作り出したのが、能年玲奈さんの面白さ、引き出したのかもしれない。
タモリさんも、役者、タレントならば、出たい「あまちゃん」のドラマだったかもしれない。

たまに、客が混んでいる、居酒屋で、相席になり、席を一緒になった、年齢の離れた、人々が、意気投合するような、面白い、いいともである。
日曜の創刊号は、この「タモリさんと、能年玲奈さん」会話と、
CMの時のスタジオ映像を見たい、放送して欲しい。30分、面白い映像になるのではないか。

そして、何か、緊張感の面白さが、いい。
笑いのでる、緊張感は、面白い。


もし、紅白で、能年玲奈が司会者になったとき、
タモリさんのような、会話の面白くする、相手だと、
能年玲奈さんの紅白の司会は、面白いかもしれない。
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勘違いしている。勿体無い。

2013年10月07日 07時51分22秒 | ニ言瓦版
勿体無いことだ。
芸能界で、食べるならば、子供に、歌手の教育か、
何か、無意味。
なんで、自ら、いろいろ、タレントとして、
活動しなかったのか。
歌手でも、地方公演、いろいろ、ファンもあるだろう。
子供に歌手にさせるならば、自らも芸能活動しないのが疑問。





「「2年ほど前に突然、奈保子から『娘が音楽の勉強をしていて、日本で活動させる話がある』と連絡がありました。結局、ご主人の知人を通じてデビューするようですが、彼女も奔走していたみたいです」(元所属事務所関係者)

河合奈保子(50)の長女でシンガーソングライターのkaho(14)が、CDデビューすることがわかった。デビュー曲『every hero』は、10月クールの連ドラ『ミス・パイロット』(フジテレビ系)の主題歌に決定。早くも話題を呼んでいる。河合と言えば80年代の超人気アイドル。96年2月にヘアメークアーティストの金原宜保氏と結婚すると、97年4月に長男、98年11月に長女を出産。その後はオーストラリアに移住し芸能界から姿を消していた。

芸能界復帰を望む声は多かった。だが『FLASH』10年11月9・16日号でオーストラリア生活を直撃取材された彼女は、芸能界復帰について聞かれこう語っている。
「しばらくは子供の世話をやっていて、だいぶ大きくなってきたんですけど、まだまだ一緒にいられる時間があったほうがいいかと思いますね」 
――復帰のオファーがあるのでは?
「ありがたく。なかなか踏み込めなくて、自分の中できちっとした整理が……」

数多の歌手復帰オファーを断り、芸能界と距離を置いてきた河合。だが、彼女は娘を歌手デビューさせるために英才教育を施していたという。

「アイドルとしてデビューした河合さんですが、後年はシンガーソングライターとして活動していたほどの実力派。06年にはピアノ演奏CDを発売するなど、音楽活動自体は続けていました。そんななか、当時6歳の娘が見よう見まねでピアノを弾く姿にして光るものを感じ、手取り足取り英才教育に取り組んできたそうです」(音楽関係者)

そこには、アイドル時代の辛い過去も影響していたようだ。89年に夕刊紙のインタビューで、彼女はデビュー当時をこう振り返っている。
《水着の撮影も多かったですね。またかって感じでした。でも、イヤだとか、自分はそんな歌手じゃありませんとか、いくら口で言ってもだめなんです。結局、自分で何かやって、初めて人に認めてもらえるんです》

娘には自分が願う音楽活動をさせてあげたい。そんな気持ちが、彼女を突き動かしていたのかもしれない。母の熱意を受け、プロデューサーをうならせるほどの実力派シンガーとなったkaho。CDデビューの11月27日は間もなくだーー。」



何か、母が歌手で、子供も歌手は、大変ことだ。
ヒット曲も、難しい。
歌手の勉強というのは、音楽大学、高校など、行かせるか、留学させるならば、
まだ、違うが。


何か、勘違いしている。
ファン、無視している気がしてならない。

歌は、上手い、下手では、曲は、売れない。
売れるというのは、解ってないのかもしれない。

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