ジャンク屋の活動日誌

ゲーム製作等に使えるモンスター素材の更新情報(JUNKIE Junk Shop)がメイン。あとは気の向くままにわがままに

死ぬことは恩返しなんかじゃねぇぞ!!

2007-04-03 12:09:44 | Weblog
なんか最近の映画の宣伝とか見て、もの凄く思うのです。

「余命〇ヶ月と宣告された―」とか、
「愛する人の、突然の死―」とか…


多過ぎじゃね?


正直、聞き飽きました。
「お前等、ヒト殺さないと感動させられないのかよ。ヘタレが」とか言いたくなります。

なんというか、ただひたすらに「生きる事」を描いて感動させる作品(作家?)が少なくなったような気がします。
もしも、「[死]を描く事で[生]の素晴らしさを伝えたい」などと考えている人がいるのなら(いないと信じたいですが)、僕はその浅はかさを疑います。
浅はかなんですよ。

別に「死」を傍らに置かなくても、人を感動させる要素は沢山あります。
具体例を書いてると長くなりそうなんで書きませんが、簡単に言えば「前向き・ポジティブな感動」といった感じでしょうか。「よかったね」なんて言いながら、温かい気持ちで涙を流せるような。
(スポーツとか、そんな感じじゃないですか)


「死」ってテーマを非難したいワケじゃなく(大いに感動を呼ぶテーマだと思っています)、それが蔓延し過ぎて、とても陳腐な題材に成り下がっているコトに懸念を感じているのです。
しかもこれ、個人の手によるものではなく、出版社や、企画会議などをパスした「一つの作品」として世に出回ってるワケですよ。

「死をテーマにすれウケる」という安直な発想が、いかにも商業ベースで展開されてるような気がして、とても気味が悪いです。芸術活動って、そんなモンじゃねぇでしょうよ。


あと、似たようなもので、ハンディキャップを扱った作品も目立ちますね。記憶障害とか。
これも、テーマ自体に罪はないと思うんですが、やはり作り手の狙いが見え隠れしているように思えてなりません。

しかも、こういうのって結局は「純愛」とかなんとかに結び付くんですよ。かなり高確率で。
「最終的にはコレかよ!」みたいな。もはや数式ですね。物語の作り方ってのは、数学の授業とかで教えているモンなんでしょうか。

なんというか、ハンデというものを単なる「純愛の材料」と見なしているみたいな(だとしたら最悪ですが)。


色々言ってきましたが、一番気になるのは、どれを見ても似たような作品に見えて(感じられて)代わり映えしない、という事。
僕が「死」というテーマに新鮮さを感じない、陳腐なものと感じる最大の原因がここにあると思います。

たとえテーマが同じでも、見せ方を変えさえすれば、こうは思わなかったのに…残念です。




まぁ簡単にいうと、木更津キャッツアイは好き、ってコトです。
長文・駄文、失礼いたしました。
コメント (2)
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