帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (243)秋の野の草のたもとか花すゝき

2017-06-07 19:32:34 | 古典

            


                         帯と
けの古今和歌集

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 243) 

 

寛平御時后宮歌合の歌         在原棟梁

秋の野の草のたもとか花すゝき ほに出でてまねく袖と見ゆ覧

(寛平の御時、后宮の歌合の歌)       (在原棟梁・業平の子)

(秋の野の草の袂か、花すすきよ、穂に出でて・袂ふりお辞儀して人を、招く袖と見えるだろう……厭きのひら野の、女のたもとか、お花・お先に出てしまって、こうべたれる身の端と、われは見る、嵐・乱)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋…飽き…厭き」「野…ひら野…山ばではないところ」「草…言の心は女・若草の妻などと用いられる」「たもと…衣の袂…手元…身のそで」「はなすゝき…花薄…をばな…尾花…草花の名は戯れる。おとこ花、端薄、おとこの薄情」「ほ…穂…お…おとこ」「まねく…招く…招き入れる…おじぎして・そで垂れる」「袖…衣の袖…そで…端…身の端…おんな・おとこ」「見ゆ…見える…思える」「見…覯…媾…まぐあい」「覧…らん…だろう…推量を表す…のような…婉曲表現…嵐…山ばは荒らし…乱…心乱れる」。

 

秋の野の草製の袂か、花すすきよ、穂に出て、風に揺られ・人を招く袖と見えるようだ。――歌の清げな姿。

厭きのひら野の、女の手許のものか、端薄よ・我がおとこよ、お先に出てしまって、こうべ垂れる身の端として見る・女は乱れ心に嵐吹く。――心におかしきところ。

 

おとこの薄情な性(さが)について詠んだ歌のようである。たぶん、歌合いでは、匿名の女房・女官たちのエロス溢れる歌と合わされただろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)