帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 春(十四) 紀 貫之 

2012-10-30 00:04:12 | 古典

    

    




            帯とけの金玉集 



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

 
 公任の撰した金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が選ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。


 金玉集 春
(十四)つらゆき


 桜ちる木の下風は寒からで 空に知られぬ雪ぞ降りける

 (桜花散る木の下を吹く風は寒くはなくて、空には知れない、花びらの雪が降ったことよ……お花ちる男木の下の心風は冷えてなくて、天には感知されない、おとこ白ゆき、降ったことよ)。


 言の戯れと言の心

 「桜…木の花…男花…おとこ花」「ちる…散る…散らす…降らす」「木の下風…男木の下風…男の下の風…女の風情」「寒からで…寒くなく…なま暖かく…冷えていない」「で…打消しの意を表す」「空…大空…人の営みとはかけ離れたところ…天…あま…あめ…女」「知られぬ…無関係の…感知されない」「雪…逝き…おとこ白ゆき」。


 歌の清げな姿は、桜の花吹雪の景色。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、下のひとの心風は冷えてはいないのに白ゆきふる、おとこのふがいないさが。


 歌は、清げな姿があり、「心におかしきところ」の色情も、古今集真名序にいう奢淫(淫りがましいこと)にならない程度に抑えられてある。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。