チャンスを逃す人と掴む人

2013-01-04 19:09:04 | 司法試験関連

となると気になるのは,「すぐ修整が効く人と効かない人の差はどこにあるのか」という点ですね。

結論から言うと,「自分なりに自己分析をし,試験の解析をしながら,「答え」を真摯に求めているがまだ見つけられていない人」じゃないと,その「答え」が目の前にあっても,その存在に気が付かない,というのが個人的な感想です。

真摯に答えを求めている人だけが,その答えの存在に気が付く,ということです。いきなり「答え」を与えられても,自分で「答え」を真摯に探究していない人は「気がつかない」,または「気が付いてもあまり有り難味がない(実感できない)のですぐ忘れる」のです。

人から一方的に与えられた情報と言うのは,正直「ありがた味」を感じませんし,その価値にも気が付きません。例えて言えば,水を欲している人に水を与えればすぐさま飛びつきますが,そうではない人は,近くに水があることすら認識していない,といった感じでしょうか。

このことは「運の良い人悪い人」,という類の本には大抵書いてあるようなことです。「チャンス」を普段から窺っている人間は,些細なチャンス,兆候も絶対見逃さない。この「些細なチャンスを逃さない積み重ね」が結果的にその人の人生を大きく変えていく。ところが,「なんか良いことないかなぁ」くらいの思考しかしていない人は,目の前にある「チャンス」を「チャンス」と認識することすらない。そしてありもしない「一発大逆転」の機会をずっと待っている。「俺は運が悪い,あいつは運が良い」と不満を言いながら。これでは勝てるものも勝てません。「チャンス」はこれ見よがしに「チャンス面」して現われたりはしないのです。

これと同じことかな,と思います。やはり重要なのは「自分」です。

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合否を分けるポイント

2013-01-04 19:04:15 | 司法試験関連

採点実感等は超一級の文書であり,しかもかなり「本音ベース全開」で書いてくれています。数年分の蓄積もあり,大体試験委員が何を望み,何を欲していないかは分かるようになってきています。

では,何故毎年同じような答案が出てしまうのか。これが一番問題なわけです。その理由はいくつか考えられますが,一つは,そもそもまともに採点実感等を分析していない,という「論外」パターンです。まぁ,これはおいておきましょう。

恐らく一番多いパターンは,「分析はしている,何となく理解できる」,でも,「実践していない」ないし「実践しているつもりだが,実はできていない」,ではないかと思います。特に「しているつもりだが実は・・・」という人が圧倒的なのではないかと考えています。

これは,普段色々な話をしてみて感じていることでもあるからです。その場では理解している(少なくともそのようには見える)けれども,何度も同じ過ちを犯す人が多い。そしてまた同じ話をしたときに,初めて聞いたような顔をする,というパターンが顕著なのです。

この辺の原因はよく分からないのですが,「この話,もう何度目だろうか」と感じることは正直多々あります。他方で,1回で修整が効く人も居ます。この差が合否を分けているのは間違いない,というのが実感です。大事なことは「すぐ修整できるかどうか」です。情報戦に疎いのは話になりませんが,情報に触れただけでも結果は同じです。情報に基づいて修整しなければ意味がありません。「豚に真珠」になってしまっては無意味ですよね。

しかしながら,「修整しているつもりでも,実は修整できていない」,という大多数の層は,ある意味劇的な変化が期待できる層でもあります。諦めずに正しい試験対策を実践して欲しいと思います。結局は,「言われたことを,バイアスをかけずに素直に聞き,素直に実践する意識の強さ」が勝敗を決めている,という点を認識することだと思います。

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睦月の初めの七日

2013-01-04 18:44:48 | 司法試験関連

http://www.itojuku.co.jp/shiken/shihou/event/DOC_026647.html

1月7日,1400-1530にて,2013年初の講座説明会を行います。しかも抜群のタイミングで「採点実感等」が出たので,この点についても言及して行きたいと思います!新年早々,「司法試験突破の核心」に触れちゃいましょう。

毎度のことで,「未修者」ってなっておりますが,当然「司法試験受験生」が対象です。春から法科大学院へ進学する既修者の方も,かなり役に立つ内容(いわゆる「べからず集」)になると思いますので是非。

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採点実感等を読む(憲法編)

2013-01-04 17:25:39 | 司法試験関連

新年早々,採点実感等が公表された。試験委員からのお年玉であろうか。というわけで,「採点実感等を読む」である。まずは憲法から。

本問では,A寺が憲法第89条前段の「宗教上の組織若しくは団体」に該当するか否かから論ずるべきであるが,この点に言及している答案が非常に少なかった。

L2レベルの脆弱さがもろに出た感じである。政教分離の問題の場合,そもそも「宗教団体なのかどうか」かから入るのは「お約束」である。にもかかわらず「非常に少なかった」というのであるから由々しき事態である。基本的な答案構成パターン=答案の雛型のストックが如何に少ないのかということが露呈したとしか言いようがない。

政教分離について,なぜ厳格に分離すべきなのか,あるいは,なぜ厳格な分離が現実的ではないのかといったことについての理由付けなど,政教分離の構造や解釈などに全く言及しないまま,審査基準を展開するなど,政教分離の基本を理解しているのかさえ疑問を持たざるを得ない答案が少なくなかった。

論点はこれしかないのに,解釈論を「論じない」でいきなり審査基準を放り込む,というのはさすがにまずかろう。「論点の選別のセンス」がないとしかいいようがない。今回は時間切れになるような問題でもなく,採点実感においても「答案の分量が少ない」との指摘がある。単に解釈能力が欠如しているだけの可能性もある。

政教分離原則をめぐる判例の諸事例と本問事例との異同などを意識して判断基準等を論じている答案もあったが,その数は思いのほか少なく,結果として,判断基準に関する論述に説得力がある答案が少なかった。

直前に注目すべき最高裁判例が2つ出ており,講義では,「何がこの判例のポイントなのか」について直前に解説したところである。本年の採点実感が指摘するように,津地鎮祭すらまともに書けない,というのが現状である。つまりいつも指摘していることだが,「気が付いたこと」さえ示せればそれだけで相対的に上位にいけることがまた明らかとなったということである。

宗教的意義を認める事情と認められない事情を,それぞれ対比しながら検討するという答案は少なく,事実をただ列挙し,自分の選んだ1つ2つの事実に基づいて結論を導いて論述を終えてしまうなど,事実の評価が甘く,自分なりの結論に強引に結び付けている答案が少なくなかった。

「総合評価」という言葉を受験生は好んで使うが,「総合」の意味を履き違えている者が多いということである。大体,仮に問題文の事情が「肯定要素ばかり」であれば,そもそも問題にならないであろうことくらい気が付かないと駄目である(そんなもん「肯定」に決まっているであろう)。プラスの要素とマイナスの要素は当たりまえだが「混在」している。「どの事実を,何故重視するのか,どのように評価するのか」,を説得的に論じることが「事案に即して個別具体的に」検討するさいに求められているのである。自分に都合の悪い事実を「無視」する態度は出題意図に真っ向から背いているだけであり,こんなもん「守りの答案」でもなんでもない。

本問のように具体的な事案分析が問われるものについては,判断枠組みの構築ばかりでなく,与えられた具体的事実を踏まえた丁寧な論証が重要であり,一定量以上の記述がなければ,内容が充実した答案を書くのは難しいであろう。・・・論理構成と抽出した事実を自分なりにしっかり検討した上で,答案をまとめることが必要とされる。

第7回の問題は,論点が一つしかなく,誰がどう見ても「事実の整理の仕方と評価の仕方」が合否を決める問題である。試験直後に「憲法は相当差が付く」と述べたが正にその通りであった。「気が付いたかどうか」ではなく,「どう上手く整理したか」が勝敗を分ける問題である。だとすれば,1個1個の事実をどう取り扱うかが勝負の別れめであることに気がつく必要があり,そのような答案構成を心がけなければならない。試験後,「何を書けばいいか分からない」「書くことが少なかった」というコメントをよく耳にしたが,それは単にピント外れなだけである。出題者が何を求めているのか,どう対処すべきか,現場判断ができたかどうか,である。

本問ではA寺への助成の内訳が示されてあったので,おおむね助成の対象ごとに合憲性を論じていた。ただし,それぞれの論じ方において,具体的に掘り下げて分析している答案は少数であった。

本試験では「個別に検討する」ということは何年もしつこいくらい強調して来たが,かなり浸透してきたようで喜ばしい。逆を言えば,支出先毎に検討しなかった人は,例年以上に危機的状況にあるということである。もはや「恐竜」である。

A寺が「公共的性格」を有しているか否かについて,墓地,埋葬等に関する法律をめぐるDとA寺とのやり取りを用いて論じている問題感覚の鋭い答案があった。このような答案は極めて少数ではあったが,嬉しいことであった。

「公法系では無駄な資料はない」,というのは受験生において顕著な事実であり,しかも,墓埋法の特定の条文だけをこれ見よがしに添付しているのに,一切触れないという「つわもの」が相当いたことに驚いた,というのが正直な感想である。しかも,これも気が付けば加点レベルであることが明らかとなり,墓埋法に言及するだけでも点を稼げた。「気が付いたことだけでも示すべき」一例である。

被告の主張として,「寺は宗教上の組織若しくは団体ではない」,「本堂や庫裏の再建自体は建設工事であり宗教性を帯びない」,あるいは「支出された助成は公金ではない」などと,無理のある事実認定のレベルで反論し,かつ,それだけの議論にとどまる答案等である。

数年前,刑法の採点実感で強調されていた,「事実を歪める」「結論に事実を引き寄せる」パターンである。

地方自治法第242条の2第1項第4号の「第1項」が記載されていないものや,憲法第20条と記載して,同条第1項なのか第3項なのか不明なものなど,条文操作ができていない答案も散見された。

普段から,「何条何項何号まで絞り込んで書け」と強調して指導しているが,正にその通り,ということである。条文と文言に拘るのが法曹である。ここがアバウトでは駄目。

法科大学院における教育の成果を感じられる答案もあったが,全ての法科大学院における憲法の授業で扱われているはずの問題であったにもかかわらず,良いレベルにある答案が多くはなかったことを直視すると,各法科大学院における憲法の教育自体今一度点検し,見直していく必要があるように思われる。

試験後,「人権パターンは準備していたが,政教分離が出て頭が真っ白になった」という意見を少なからず聞いた。それを踏まえ,講義や説明会で何度も言ってきたことをもう1度書きたいと思う。

政教分離は憲法20条(89条)の問題である。これは憲法において極めて重要な論点だと思うのだが如何であろうか。こまい論点なんでしょうか?大法廷判決ありの,最新判例ありの,しかし「ノーマーク」で済ます感覚は正直理解できない。政教分離もまともに処理できない人間を「法曹としての適格あり」,と評価する馬鹿がどこにいるだろうか。「人権処理パターンしか出しません」ってどこに書いてあるのだろうか。こういう人は「忙しいし,時間がないから手形法まで手が回らない=だから手形法は出ない」という「極楽トンボな思考」をする人間だと思う。もう1度,司法試験に真面目に向き合って欲しい。自分の人生を台無しにする気なのかと小一時間説教したい。いつも言うことだが「勝手に合格水準を下げてはならない」のである。受かりたければ,当局の要求する最低限度のレベルを超えなければならない。

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