要は子供の癖に自分より金を稼いでいる,ネットでも生意気なことを発信している(かなり子供離れした意見を発信しているようです),だから何となく気に入らない,そこへ持ってきてこの騒ぎで「これ幸い」とばかりに「お前が馬鹿なんだ,悪いんだ」,というのが本当のところであろう。子供相手に尋常じゃなく器の小さい話である。
因みに「子供の保護」と言う話とはまた違うと思う。喫煙や飲酒等の規制は,そのような「権利」の「行使」を自由に認めると子供の心身の発育に悪影響を及ぼすので制限する,というロジックである。つまり,行使する権利そのものに内在的に「行為の危険性」があるため,「大人が保護する」という形で子供の権利を制約しているわけである。
しかし,今回は単にネットで発言をするだけの話であり(営利目的だったり,出会いサイトの運営や援助交際等をしているわけではない),純粋な表現の自由の行使である。つまり,「権利行使そのものに内在する危険性」という話ではない。むしろ問題は殺害予告や人の悪口を喜々として書き込む「加害者」サイドにある。もし規制するのであれば,このような表現の自由の方であろう。
低レベルのユーザーがいるから,子供の(正当な)権利行使の方を制約すべきである,というのは,「敵対的聴衆」の存在を理由に,正当な表現の自由の行使が制約されてもやむをない,というのと同じである。この発想は,加害者になった方が勝ちの論理,イジメの推奨に他ならない。殺害予告の書き込みについても,「中傷に過ぎないんだからいいじゃないか」という意見もあるようだが,完全に他人事である。自分が同じ立場になったらどう感じるか,という想像力の欠如が甚だしい。一般的に考えたって気持ちの良い話ではないし,有名人のように面が割れている人間に冗談か本気かの判断を背負わせるのはリスクがでかい。本当に殺す気の人間がいる可能性が絶無ではない以上,私生活の平穏は十分に侵されている。
昨今,「やられても我慢しな」という論理が平然とまかり通っているようだが,このような「やったもの勝ちの風潮」が社会に閉塞感をもたらしているのも事実であろう。いい加減,正気に戻る必要があるのではないか。